呪いたり得た/悪犬(2022.9.5)

「お前の人生には何も残らない、と」
「は?」
 喉から、己とは思えないほど低い声が出た。自分でも驚くようなものだったし、視界の端でこはねがぴゃっと跳ねる。
「ちょっと彰人ー、こはねが怖がっちゃうでしょー? こはね、大丈夫?」
「う、うん。ちょっとびっくりしちゃっただけだよ。……それに、東雲くんが怒る気持ちもわかるから」
「怒る?」
 指摘されて初めて、確かに怒りと名付けるべき感情であることに気がつく。考えるより先に、口が動いたから。杏が呆れた顔でため息をついた。
「彰人ってば、知らないみたいな表情しちゃってさー」
「……、悪い……」
 目の前に置かれた飲みかけのコーヒーに目を落としながら謝る。いつものWEEKEND GARAGEのボックス席で、休憩がてら四人で話していた。なんとなく、以前冬弥が父親と衝突したときのことが話題に上り、冬弥が声を荒らげるイメージがつかない、と詳細を聞き出していたのだが。
「……ふーん?」
「んだよ、言いたいことあるなら言えよ」
 からかうような視線に、苛立ちが加速する。隣で相棒が頬を緩めた。
「おい冬弥、笑うな」
「すまない。つい」
「ほらー、あんたの相棒もそう言ってますけど?」
「なんも言ってねぇよ……」
「いや、殊勝な彰人は珍しいな、と」
「言えとも言ってないだろ!」
 すっかり毒気を抜かれて、居心地が悪いまま座り直す。当の本人はまったく気にならないらしくけろりとしていて、どうすればいいか、考える。
「……別に、冬弥がいいならいいんじゃねえか」
「って言って、全然いいと思ってないんでしょ」
「どういうことだ?」
 ただただよくわからないとばかりに、冬弥の頭に浮かぶクエスチョンマーク。今度はこはねがしたたかに、だけどおだやかに切り込んでいく。
「えっと、青柳くんは、お父さんにそう言われてどう感じたの?」
「そう、だな。そんなはずはない、と強く思った」
「それでそれで?」
 杏がテーブルに身を乗り出す。オレは反対に、背もたれに体重を預けた。少し落ち着いたとはいえ、依然として胸の奥がじわじわと燃えている。
「なにもなかったのは、クラシックばかりだった頃の俺だと、突っかかってしまった。そのときは理解してもらえなかったが、後になってから、ストリート音楽を始めたことでいろんなものを残してもらっている、と言うことができた」
「なるほどね。冬弥は、別にそれでいいんでしょ?」
 相棒は、ああ、と頷いた。目尻が下がって、ともすれば冷たい印象を受ける雰囲気が和らぐ。
「父さん相手に胸を張って話ができて、すっきりした。初めに言われたときには、ひどく落ち込んだが」
 俺達の歌を聴いてはくれなくても、会場まで足を運んでくれた。いつかは、Vivid BAD SQUADとしてのパフォーマンスも見てほしい。
 そうだな、と相槌を打つと、その場にいた全員が首肯する。そんな分からず屋には、オレ達の歌でかましてやりゃいいんだよ。
 でもね、青柳くん。こはねが、話をもとに戻す。
「東雲くんは、青柳くんの中で、お父さんから言われたことが、他の人に言われるよりずっとずっと重くなってしまうかもしれないって、気にしてるんだよ。……わたしも」
 青柳くんにとって、心の中で引っかかってしまうものになってしまったら、って。
「そうそうー。あんま首突っ込んでいいのかわかんないけどさ。冬弥が怒んなくても、私達が怒るよ。大事な仲間が、大事にしてるもののこと、馬鹿にされたくない」
 杏も、重ねて言葉を紡ぐ。冬弥は感触を確かめるように胸に手を当てながら、やっと腑に落ちたように口を開いた。
「以前、本で読んだことがあるな。実の親から言われたことが、呪いになってしまうこともあると……」
「呪い?」
 突然出てきたスピリチュアルな単語に、疑問符をつけて返す。
「ああ。その後生きていく人生を、縛ってしまうものになる、と。……俺はあまり気にしていないから、大丈夫だと考えていたんだが……そうか」
 こうやって、心配してもらえるのは有難いことだな。微笑みを零す冬弥を前に、これは伝わってねぇな、と三人で目くばせし合う。でもま、いいか。一番大事な部分は、わかっているようだし。
「あのね、青柳くん。呪いって、まじないとも読むんだよ」
「確かに、そうだな」
「だから、おまじない、見つかるといいね」
 もし呪いになっちゃうとしても、帳消しにできるくらいの。
「さっすがこはね、良いこと言う! いいじゃん、おまじない。私も一緒に探してあげよっか?」
 チームメンバーとして、さ! こはねに抱きつきながら、杏が気合いの入った声をあげる。やんわりと相棒の勢いをとどめつつ、こはねもにっこりと笑った。
「……ああ。そうしてくれると、助かる。彰人の腹の虫も、おさまったみたいだしな」
 ちら、とお伺いを立てられ、つい半目になった。
「お前、そういうことはいちいち言わなくていいんだよ……」
「いいじゃん、事実なんだから」
 調子よく乗せられて、ムカつく。事実だから言われたくねえんだよ、なんて口にできるわけもない。だが杏に対してのそれは最初に感じていたものとは違っていて、先程頭を沸騰させた怒りは、すっかり自分達の音楽への欲に変わっていた。
「ま、まあまあ、杏ちゃん……」
 宥めるこはねと、満足そうにマグカップに口をつける冬弥。ひとり、にやにやと眺めてくるやつのことは小突いてでもやりたいが、それはともかく。
 冬弥が音楽のことを好きでいられてよかった。自分と歌っていてくれることが嬉しいのだ、という気持ちの他に、その人生を支えるものが、一つでも多ければ、と、そう考える。願わくばそこに、己の姿もあればいい。
 
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 有難いと言ったのは、本心だった。大事に思っている、と告げられるのは心地良い。それを、彰人は納得していないようだったけれど。店を出て、二人で駅まで歩く帰り道。
「掛けてやろうか、おまじない」
「え?」
 くしゃ、と頭を撫でられる。あのイベントの後のように。
「お前がもし、思い出して辛くなっても、オレがこうやって」
 乱した髪を、同じ手が整える。後頭部にふわふわと触れられて、胸の奥がきゅ、と締まった。なんだか耐えられなくなって俯く。
「オレたちが、お前のことが好きだって、お前と歌うのが好きだってこと」
 普段は秘されるような思いを、真っ直ぐに手向けられる。
「ちゃんと、伝えるから」
「……ああ」
 きっと大丈夫だ。
「俺が音楽のことが好きだと、わかっていてくれるんだろう」
「当然」
「俺も、忘れないと誓う」
「そうしろ」
 軽やかに交わされる応酬のすべてが、じわりと心を満たしていく。ささやかに感じる彰人の体温があたたかい。恐らく実際よりも、ずっとそうだ。ずっとずっと、そうなのだ。

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