20230101 「椅子」


「椅子」(無邪気な天使たち 20230101)

 君が突然いなくなってしまったあと、俺は君の奥さんと知り合った。
 信じないかもしれないけど、彼女俺の部屋にいきなり訪ねてきたんだぜ?
 ここを調べ上げるなんて怒りに我を忘れた未亡人の行動力はすごい、と思ったけど、元はと言えば、俺があの絵を君に贈ったせいだった。
 君は俺のメッセージが裏に描かれた絵を家に持ち帰るわけにはいかず、オフィスに飾ったよね。でも君がうっかり死んでしまったから、その絵は妻の元に届けられ、そこから、秘書は俺の住所を彼女に教えたってわけ。
 仲間たちが集まる日曜の昼間のテーブルの、いつもの「マッシモの席」に彼女が座っているのを見るのは変な感じだった。傷ついている彼女を見て少しだけ「やり返してやった」ような気持ちになったよ。嘘はつかない。
 でもそんなのはほんのいっときだけで、楽しくはなかった。むしろ自分も傷つけたような気分だった。
 いろんな理由があって、俺らはそれっきり二度と会わない、なんてことにはならなかった。そしてだんだんと気づいた。俺らはもしかして、いっそ友達になったらいいんじゃないかな、ってことに。

 マッシモ、君の好みって実は変なところですごく一貫してたんだね。
 俺と彼女はたぶん似ている。見た目も性別も育ちも全然違うけど、文学や料理の好みとか、愛する人に対する記憶の重さとか、どうにも白黒つけてやらなきゃ気がすまない、って思ってしまうようなところが。
 俺らは何度も言い合いになり、俺は二度と彼女には会わないって何度も思った。でもあのテーブルに彼女の姿がないとそわそわした。

 どうして彼女が来なくなると気になるのか、が大事なところだ。いないほうが静かに過ごせるはずだってわかってるのに。
 でもあのいかにも育ちの良い、そしてとても頭のできも良い、小さくて完璧な形をした顎をつんとそらして、「夫を失ったのは君じゃない、私よ」とか、そんなようなことを言い放つときの彼女は誰より美しいんだ。
 これ以上傷つけないで。
 そう訴えるような目を、俺は見つめ返さずにいられない。いられないけど、次の瞬間にはもっと強く言い返してなじって黙らせてやりたいような衝動に駆られもする。
 そして同時に、一緒に買い物に行って、読んだ本の話でもして、みんなと一緒に飲みながら料理をして食べる、「いつもの日曜日」を過ごしたくてたまらないとも思ってしまう。
 もうめちゃくちゃだろ? そうなんだよ。まるで恋してるのかと錯覚しちゃうくらいには。

 ずっと考えてたんだけど、君が今ここにいないことを、心から悲しんで、まだ痛くてたまらなくて、いつまでも血を流している人は俺と彼女だけなんだ。
 俺らは同じくらい君を愛してたし、同じくらい君のことをひどい男だと思ってる。
 俺らが今傷ついてるのは、お互いのせいじゃなくて君のせいだ。君は恐ろしく魅力的で、悪くて、愚かで、そして俺らをどちらも愛してて、そして誰のせいでもなく、突然死んでしまった。
 俺らはどちらも突然放り出されて、途方に暮れてる。罵り合うより労わり合う方がいい、と気づくのにずいぶん時間がかかったし、いまだにそんなのおかしな話だろって思うこともある。
 でもさ。

 このあいだ、彼女が招待してくれて、俺は君たちの家で夕食をごちそうになった。
 俺が長いこと、俺が絶対に見ることのない、俺がいないことにされている、君の表の顔が暮らしている家、って思っていた場所に、俺は君の「妻」に招待されたんだ。
 おかしな話だよ。ほんとうに。
 彼女はあの邸宅の(まったくばかばかしいくらい贅沢な家だった!)、川が見える窓辺のスペースに案内してくれた。君のお気に入りの場所だった、って言ってね。
 そこには美しい寝椅子があった。
 俺にはすぐにわかったよ。君はここで、ふたりきりで過ごす休日には、きっと彼女の膝を枕にしてたんだろうって。
 覚えてるだろ? 俺の部屋のテラスのベンチで俺らが同じようにのんびり過ごすとき、絶対に膝を貸してやらなかったよね。むしろいつも君の膝を枕にしていたのは俺の方だった。
 君は前に、だいぶ酔っていた時に、俺の膝の上で気持ちよさそうに目を閉じて言ったことがあるんだ。
 家に気に入ってる寝椅子があって、よくこうして妻の膝を枕にしてる、って。
 俺にそんな話をするなんて呆れた男だ、と俺は思った。それで、俺は奥さんとは同じことはしないって心に誓ったんだ。

 でもあの日、彼女が席を外したすきに、俺は君が気に入ってたって言うあの美しい椅子にほんの短い間だけ横になってみたんだ。
 もちろん一人で横になることだってあったはずだろう?
 俺はやっぱり、あのテラスのベンチで俺の頭を膝に乗せて座るのと、この寝椅子で彼女の膝を枕にするのと、どっちがお気に入りだったのか、って君に聞きたくなってしまった。
 その質問ほど無意味なことはないって、もういい加減学ぶべきなんだけど。
 彼女は、またいつでも遊びに来てって言ってくれた。
 でも俺は、きっともうあの家に行くことはないと思う。

 あの川辺の美しい家は、君たちふたりだけのものだった。
 俺の部屋のテラスは、みんなのものだ。
 その二つの場所は、どちらも君の居場所になっていたけれど、けして比べられるものじゃない。
 そして君がどちらかを選ぶってことができなかったのは、けして君のずるさや弱さのせいだけじゃないのかもしれないって、俺はようやく少しだけ、思えるようになった気がする。
 もちろん今更、俺が君を許そうと許すまいと、君には関係ないことだけど。
 そう、俺も彼女も、君のためじゃなく、自分自身と、そしてお互いのために、君をゆっくり許そうとしているんだ。
 そしてそのためにはお互いが必要なんだ。
 奇妙で、そしてあり得ないくらい貴重な関係が、今の俺らの間にはある。

 君がどうしようもなく優柔不断で、そして少しだけずるい男だったからこそ、起きた奇跡だ。

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