味見
玄関に立って四草から貰ったマフラーをくるくると取っ払っていると、帰宅を聞きつけてきたのか、奥の部屋から子どもが草若ちゃんおかえり、と言って寄って来た。
セーターの上にセーターを重ねてもこもこになった子どもは、足元に置いた段ボールの中に、『四草師匠宛て』と書かれたチョコレートが山になっているのを見て、うわあ、と言った。
こっちも「おかえり。」と言うと「ただいま。」と返って来て「ここんとこ、いっつも二回言うてんな?」と子どもに笑われてしまった。
「大人は子どもにおかえり、て言うもんなんや。」
「そういうの昭和の価値観やで。夜に帰って来る時は、草若ちゃんも僕とお父ちゃんにただいまて言うやん。」
どこで覚えて来たのか、その言い回しにグサッと来た。
昭和、昭和か……。
まあ、オレも段々白髪が増えて来とるし、最近は髪も染めてるし……あかん、なんや落ち込んで来た。
「お父ちゃんの分、今年もようけ入ってるねえ。」
テーブル片付けといたから、着替え終わったらまたふたりで開封式しよな、と子どもに言われて我に返った。
今日は足元悪くないからて、和服で出てってしもたからなあ。
「一応、オレ宛てのもあるで。……まあちょっとやけどな。」
「僕もちょっとだけあったけど、学校から戻ってくるまでに食べ終わってしもた。義理チョコて分かる個包装のヤツて、あれほんまにあかんなあ。目に毒ていうか、お腹減ってるとついつまんでしまうん。」と子どもが笑った。
「そらまあ底抜けにしゃあないな。」
オレもこの年の頃は、オバハンとこで蜜柑食ってから帰ってたもんな。今は日暮亭から遠くなってしもた上に、オレの子どもの頃にはそこらにあった駄菓子屋みたいなもんがなくなってる。
「それにしても、こんな段ボールいっぱいのチョコレート、どないして運んだん?」
「あとであいつに怒られるかもしれんけど、タクシー使ってしもた。」
昔はこんなん全部、どないせえちゅうねん、て天狗のカラスヤマに押し付けてたからなあ。
あの天狗と違って、日暮亭では余計なもんを安置しておくようなスペースなんかないし、草々のとこの稽古場に預かっといて貰って後で取りに行くちゅうのも面倒や。
「タクシーて、豪勢やな。こんだけのチョコレート、自分で買うよりお金掛かるんと違う?」
ん? もしかしてこれが朱に交われば赤くなる、ちゅうやつか?
なんや、言うことがだんだん四草のヤツに似て来たな。
オレもまあ賽の河原みたいに目の前に積まれたチョコレートのお値段がどれくらいのもんなんかは全く分かってないけど、さすがにGODIVAはまあ、最低でも三千円くらいはするんとちゃうか。
タクシー1回分がこの小さいハコひとつや、て胸張って子どもに言うてもなあ。そもそも、オレ宛てに来たチョコレートとちゃうし。
「まあ豪勢すぎるてこともないわ。この草若ちゃん、昔はスーパーカーの持ち主やったんやで。このくらいの荷物ならちょちょいのちょいや。」
「へえ~。」
運転してたのは四草やけどな。
「まあ今は車もないし、こんなん全部入る登山リュックみたいなもん背負って往復出来るような年でもないわな。この寒い時期にひとりで気張ったとこで、こんなへとへとになるならタクシー使ったら良かったわ、て言うのが目に見えてるからなあ。」
「草若ちゃん、時々腰痛いて言うてるもんな。」
「お、おう。……まあ最近は『抱っこして~!』て言われることもそんなないから、チョコレートの入った箱持ち上げたくらいで腰ゆわすこともないけどな。そんでも、歩いて持って来るのしんどいからなあ。」と言うと、子どもが笑いながら「僕が手伝っても良かったんやで。久しぶりに日暮亭行きたいし。」と言った。
まあオレが腰痛くなる理由は別に問題あるんやけどな。何でもかんでも子どもに一から十まで説明することは出来ん訳や。
それにしても、何がどうなったんか知らんけど、ほんまに優しいに育ったなあ。ええこっちゃ。
「高座に出たら咳してるお客さんもようけおるし、こういう日はうちで勉強しとき。」
着ていた紺色のコートを玄関に掛けて、その襟元に解いたマフラーを巻きつけた。
「そういえば、そのマフラー、草若ちゃんに似合てるけど、ちょっと大人っぽいんと違うかな、てオチコが言ってたで。『四草師匠て、草若ちゃんのいいとこ全然分かってへんわ。私にスタイリストさせたらもっとええ色を選んであげたんに。』やって。」
「オレ、もうそろそろ成人式三周目やで。」
「そらそうや。あれ、分かってて言ってんねん。僕のツッコミ待ちや。」と言うのにふ、と吹き出してしまった。
喜代美ちゃんの子やから可愛い、ていうのはあるけど、あの子ほんまに面白いなあ。
「大人になったら、ふたりで漫才コンビ結成やな。」
「そういうても、あいつ知らん大人の前やとお澄まししよるからな~。もうそういうのは想定済みていうか、何べんか同じこと言われてるんと違うかな。『漫才やとおかあちゃんの創作落語とジャンル被ってしまうし、漫才やのうて古典の落語でええのよね~。』て言ってた。」
「ジャンル被るて、底抜けに心配しすぎやで。」
「そういえば、草々おじさんの創作落語、若狭おばちゃんが作ってたのは僕も知ってたんやけど、落語のお話なんか、ほんまにどうやって作るんやろ。っと、やっぱ廊下は寒いなあ……草若ちゃんお茶入れるから、台所行こ。」
ずず、と子どもが鼻を啜ってる。
「うちに一人でも、ちゃんと暖かくしてるか? 電気代掛かるけど、ちゃんとストーブ入れときや。今夜は早く寝たらええわ。」
「それ、去年も聞いたで。」
「そら、もうちょっと狭い家に住んでたらこんなん言わんでええからなあ。」と言いながら大きなつづらを持って台所に移動する。
「僕、広い家てもうちょっとええもんやと思ってたんやけど。」
前の部屋やったら、もう今ここでチョコレートの包み紙破ってたのに、と拗ねたように言われて、それもそうやな、と笑い返した。
気が付いたら十時半を回っていた。
録画してた時代劇を見ながら高そうな包みを片っ端から開けて、お酒が入ってそうなのはこっち、普通に食べられるのはこっち、徒然亭の控室に持ってく分、と分けてしまってから、小箱の高そうなチョコレートはすっかりふたりで食べてしまった。
中身の詰まったゴミ箱を台所横にある袋に一度開けてしまったところで、そろそろ歯を磨いて寝るか、と思っていたら玄関から鍵を開ける音が聞こえて来た。
玄関を見に行くと一日仕事を終えた男が戻って来ていた。
「早いお帰りやな。」
「子どもはどうしました?」
沓脱で靴を脱いで、ジャケットはハンガーがあるのにコート掛けの突っ張りに引っ掛けるだけで中に入って来る。
玄関が寒いのはまあ分かるけど、お前ここんとこ、年々適当になってへんか?
「宿題終わってるて言うから、もう寝たらええで、て言って部屋に行かせてしもたわ。お前も顔と手ぇ、さっさと洗って来い。出涸らしの茶ぁ、入れたるわ。」と言うと、四草はくすっと笑った。
「わざわざ出涸らして言わんでもいいのと違いますか。」
「出涸らしが嫌なら自分で入れえていう話や。」
「そんなら出涸らしでええです。……草若兄さん、明日も出番あんのに、今日わざわざ日暮亭に行ったんですか?」
なんで分かったんや、と思ったけど「いつものマフラー、今日は着物用のコートの方に掛けてたでしょう。」と言われてそらそうか、と納得してしまった。
「まあ喜代美ちゃんから呼び出しあったからな。」と言いながら湯沸かしで沸かした湯を急須に入れた。
「そういえば、そろそろ車買おか、て思うんやけど、お前どない思う。」
「どないて、そのために、駐車場があるこの借家を選んだんと違いますか?」
「そら、あるのと使うのは別やで。この不景気や。ガソリン代やら色々で、駐車場がそのうち自転車置き場になることかてあるやろ。」
「好きにしてええですよ。自動車税とか僕は出しませんけど。」
「それなら、もうちょっと考えとくわ。」
「そうしてください。」
それにしても、このティファニーやらティファールやらいうやつ、火傷もせんしほんまに便利やな。
お年始に仕事増えますように、て熊手を買った効果か、月末から二月の頭に掛けてぽんぽん仕事が入って来たんで、よっしゃ、給料の前借や~てな気持ちで買うてみたけど、沸かし直すにも時間食うことないし、ほんまに便利や。
まあ茶はいつもの安いのやから、湯呑に映すとまあ色がほとんどついてないけどな。
二煎目か、三煎目か。ほんま薄っすいなあ。
まあええか、オレも飲も。
もう一個湯呑を出そうかしたら、四草が後ろに立っていた。
「美味かったですか、僕のチョコレート。」
「お前宛てかもしれへんけど、もうお前のとちゃうわ。もうオレとあの子の胃袋にすっかり納めてあるし。」
まあ全部とは言わんけどな、後は寄付の分にしてしもたし、もう全部て言ったかてええやろ。
「草若兄さん、僕の分、他にないんですか。」
「オレの分の煎餅と日暮亭で貰って来た饅頭ならまだあるけど食うか?」
「そんなん後でいいです。」
そんなん、て、お前なあ。
いつもの煎餅美味いで、と言おうかしたら顔が近づいて来た。
ちょっと待てや、おい、シノブ。
出涸らしなんか、冷めたら飲めたもんやないぞ。
「明日はオレ仕事ある、て言うてるやろ。」
「ちょっと味見するだけですから。」
味見てなんやねん、このドアホ。
……食うなら食うで、さっさとベッド連れてかんかい。
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