茶柱




どこか懐かしい茶畑の絵の描かれた、その細長い袋を手に取ると、中からはさらさらと音がした。
いつからあったのか、この棚の中を覗いて見たのも随分前のことだ。
長らくといえるほどここに暮らしているわけでもないが、最近は、コーヒーを淹れるのにも、流しに出しっぱなしのカップやプレートを使うばかりで、普段とは違う引き出しをこうして開けてみることもなくなっていた。牛乳が余っていて、さして腹が空いているわけでもない。シリアルでもないもんかと探して開けた戸棚から、「それ」がひょっこりと出て来たのだ。
袋の表書きには煎茶とある。
英語表記でないということは、普段のスーパーとは別ルートでこの家に入って来たということだ。
省吾からの手土産というのであれば、手に入れて早々に、夕飯の話の種にでもなっていたに違いない。
いつものカレー便の中に入っていたのを、香辛料や諸々の食い物との仕分けを済ませたら忘れちまったか。そうでなければ、特別な日に入れるつもりで仕舞いつけていたかのどちらかだろう。
(狭山茶ねえ。)
袋の裏を見ると、記載は全て日本語で書かれていた。
封を切ってないとはいえ、賞味期限は半年を切っている。となれば、譲介が貰ったことを忘れて放置されていたと考える方が自然か。
まあ、この家に、急須や茶こしが付いているティーポットがないとは考えなかった送り主の見当は付かないでもない。
コーヒーサーバーしかない家でこれ以上道具を揃えるつもりもないならよそにやっちまえばいい話だと言うのに、いやに年寄りの多い山奥で多感な時期を過ごした徹郎の同居人は、気づけばそういうところが律儀になっていた。
まあ、こういうのは適当でいいんだよ。
電気ケトルで湯を沸かして、一度コーヒーメーカーが壊れた時用にと買ったペーパーフィルターとドリップのための道具を取り出し、フィルターに緑茶をセットして沸いた湯を注ぐ。
このやり方じゃ、茶柱は立たねえな、と思っていると、ドリッパーの中で湯に浸された茶葉の中から、オフィーリアのように横倒しになって茶柱が浮いて来たのには笑ってしまった。
ふたり分よりは十分多いような量の緑茶がサーバーに溜まったところで、腹が減って起きてきたのか、あるいは物音に気付いたのか、足音が聞こえて来た。
「……おはようございます。」と言う穏やかな声は、切った張ったを渡世にしている医師のものとは思えない。
「よお寝坊助。」と手を上げると、譲介は、はにかんだような微笑みを返して来た。
パジャマを着たまま、こちらに近づいてきた男は、いつものように頬にキスをしてから、こちらの手元を見て目を瞬き「あ、それ見つけちゃったんですか。」と言った。
正月に開けようと思ってたんですけど、と言われて目を剥いた。
まだ三月もある。
勿体付けてるうちに不味くなるだろうが、と口を開くよりも早く、こちらの肚の中を読んだかのように「最近のお茶って結構長持ちするんですよ。」と譲介は続け、食器の入ってる棚から、小さな茶碗をふたつ出した。
「袋の中が、アルミ箔みたいになってるでしょう。」と言われて開けたばかりの口から袋の中をみると、譲介の言うように、確かにそうなっているように見える。
緑茶の早緑がくすんでいないのは、今日が開封したばかりというだけが理由ではないってことか。
「悪かったな。」
「徹郎さんが飲みたかったならいいです。」
譲介が差し出した湯呑のような大きさのカップに緑茶を入れると、自分の分を持って譲介はテーブルに腰かけた。
今日日、腰を下ろすと立つのが億劫になるという身体的な事情もあってシンクに腰を押し付けて湯呑を傾ける。
温い緑茶じゃコーヒーほど頭は覚醒しないが、まあ悪くはない。
いつもの寿司屋の粉の緑茶に比べたら、これでも十分すぎるほどだ。
ドリッパーの中を見ると、さっきの茶柱は、妙な具合に斜めになっていて。一応、こちらの気持ちを汲んで立とうとは思いましたよと言わんばかりの様子になっていた。
「朝食、どうしましょう。卵とパンならありますけど、たまにはスクランブルエッグでも作りますか?」
徹郎さん、お腹が減ってるような顔してますよ、と、湯呑の中の茶を飲み切った譲介が素早くエプロン紐を締めているところを見ると、いつものダイナーでいいだろ、とは言い出しにくい。
実際、パンと卵、と聞くと、それだけで腹が減って来たようにも思う。
「おめぇに任せる。」と言うと「任されました。」と一言、譲介は微笑んで、でかい冷蔵庫の中からバターと卵三つを取り出し、後は胡椒かな、とひとりごちる。
サーバーに残った緑茶を湯呑に開けて、正月ねえ、と思いながら茶を啜っていると、譲介が手際よく、割り入れた卵をかき回している。バターがジュウと音を立てて、フライパンからは、卵が焼ける匂い。
「トースターにパンをセットしてくれますか。」と言う年下の男に、おう、と返事をする。
さしあたっては、パンと卵の朝飯だ。
正月に飲む分はまた、ふたりで買って来ればいいだろう。

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