Sala Di Consulenza
神が私を見限るとて、
どこまでも光を照らしてくれる友人へ。
Sala Di Consulenza
私は電話をかけた。
「……もしもし」
「……」
相手は返事をしない。
「……"カル"」
「……!」
私が名を呼んだ途端、電話相手は喋り出した。
「お前、リブロか……!?」
_________
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、また明日」
隣人との会話を終えて、私は自室に戻り、シャワーを浴び、部屋着に着替えた。辞書のように重たい本と大量の付箋が貼ってある幾つものノートブックをソファの前に置いてあるローテーブルの上に重ねた後、キッチンからこんな夜更けでも目が覚めるほど不味い市販のコーヒーを作り、ソファに寝転がって出張の仕事で何日も帰っておらずしばらく空にしていたアパートのドアポストに無理矢理に詰め込まれたを捌いていった。職場で既に何回も読んだ新聞、近くの店のセールチラシ、今までの客からの感謝の手紙。面白味が一切なさ過ぎて瞼が落ちそうなこの状況を、たまに不味いコーヒーを飲んで無理矢理にでも目を開かせた。
最後の手紙。シンプルな封筒だが、どこか触り心地が良く、私に送るにしてはとても似つかわしくない紙の素材。丁寧にペーパーナイフで封を切って覗くと、中はこれまたシンプルな2枚の便箋で、1枚は中を透かさないように入れているだけだった。便箋を取り出そうとすると、中からもう1枚、名刺サイズの紙が落ちてきた。ローテーブルの下に潜り込んだ紙を気怠げに取る。あともう少しで拾えそうだと人差し指と中指をこれでもかと伸ばして紙を取ろうとした。しかし、それは叶わず私はソファへ頭から落ちた。
「電話番号……」
ソファにきちんと座り直しながら見たその紙は、ただ電話番号が書かれており、「この番号を世間に広める事を固く禁じ、通話終了後は直ぐにシュレッダーにかけ完全消去をする事を命ずる。」と電話番号の裏側に書いてあった。私は呆れたあと、お堅い文章だなと半笑いした。私はその紙を元の封筒に入れ、便箋を読み始めた。
「……はあ」
私はより一層に呆れた。手紙の内容は、とある指定の時間に先程の電話番号をかけろというものだった。悪戯の類いだろうか。しかし、単なる悪戯でこんなに質の良い手紙が来る事があるのだろうか。考えていく度に何もかもが半信半疑になっていく。私は不味いコーヒーを飲み、手紙達をしまい、本を開いて、ノートブックに付箋を貼りながらその夜は脳の片隅で手紙についてずっと考えていた。
ジリリリリリリリ!
うるさい。耳にけたたましい音が入ってきた。いつの間にか寝落ちしていたようだ。目の前に広がった文字を見るに、私は本を顔に被せて寝ていたらしい。本を退けてカーテンの隙間から入る眩しい一本線の日差しを浴びながら、ソファから無理矢理身体を起こす。音の正体は自分でかけたアラームだった。私はしょぼくれた目に携帯の光をぶつけて強制的に目を覚ました。ソファで寝たせいで身体の節々が痛い。私は冷めてしまったコーヒーをキッチンに持っていき捨ててしまおうとマグカップに手をかけようとした。すると、また携帯から音が鳴り出した。電話の音で、相手は私の旧友だった。私は溜息をつきながら渋々と応答した。
「……なんだ」
「おいおい、寝起きか?」
「……そうだ」
「本当に寝起きなのかよ!?……まさかお前、約束わすれてんじゃないよな?」
「……」
「はあ、なんでお前はいっつも変なところでそうやって間抜けになるんだよ……今日は俺の店で飯を食うって、お前が言ったんだろ!」
「……ああ、そうだった。今から準備して行く」
「分かったよ。……急げよ!今日は休みなのに店に来て店員のサボり防止ですかっていまでもめちゃくちゃ言われてんだからよ……」
「ふ……全員に声をかけられるか否か考えながら準備でもしておいてやる」
「楽しむな!」
旧友からの説教が始まりそうな所で無理矢理電話を切り、書類の片付けもせず着替えを始めた。ハイネックの黒いトップスに黒のスキニーパンツを履き、適当な靴下を履いた後、横髪だけを後ろで縛り、縛った先をちまちまと三つ編みをしてハーフアップを作ったあと、白のシンプルなコートを羽織り軽く白髪の髪の毛を整えて、分厚い本とローテーブルの間にあの謎の手紙を挟んで家を出た。
アパートを出て旧友の店へと足を運ぶ。町を歩く度、ここは目まぐるしく風景が変わるなと感じた。私がかつてストリア刑務所に収監され、数十年が経ち刑期満了で出所した時、全てが知らない景色で異世界に来たような感覚が、まだ少し残っているのだ。小っ恥ずかしいが、たまに道に迷う事もあった。これが歳のせいではないと信じたい。太陽が隠れて少し暗い日差しの中、枯葉をせっせと集める老人たち。それを蹴散らし遊ぶ子ども達。季節は秋まっ只中だった。少し冷たい風に身震いしながら葉をぐしゃぐしゃと踏んで歩いていると時折、近所に住んでいる子ども達に声をかけられた。
「Ciao!お姉さん」
「お兄さん、こんにちは」
「あ!おじさんの友達!」
私は「こんにちは」とだけ言って颯爽と子ども達の間を抜けていった。後ろからは「お姉さんなの?」「男の人でしょ!」「そうだっけ?」と子ども達による議論が始まっていた。しばらくして通りを抜けると直ぐに目的地が見え、テラス席には黒のフープピアスを両耳につけ、やや色褪せた茶髪で7:3の前髪で、彼が言うにはお洒落として左目を隠し、もう片方は真っ赤な瞳。口の左下にはホクロがあり顎に少しだけ髭を生やした私の旧友、カルテッロが柄にも合わない新聞を読みながら座っていた。私は笑いを噛み締めて、落ち着いた態度をとろうと顔を顰めた。彼は私にすぐ気付き話しかけてきた。
「よう、やっと来たな」
「……どうしてテラスなんだ」
「俺が来た時は風なんか1ミリも吹いてなかったんだよ。どっかの誰かさんが寝坊して大遅刻してる間にお天道様が痺れ切らして雲の中に帰っちまったんだろ」
「寒い。中に入るぞ」
「お前って本当に面白くない奴……」
席を移動して中に入っていく。ギリギリでランチタイムといった時間帯だったので思ったより客は少なかった。移動も面倒くさいのですぐ近くにある窓側の2人席に座った。ウェイターが注文を受け取りにやって来た。私は目覚めのアメリカーノと、いつものように日替わりのパスタを頼んだ。カルテッロはエスプレッソだけを頼んでいた。私は疑問を投げた。
「なんだ、食べないのか」
「いや……」
「太ったんだろ」
「なっ……、うるさいな!お前が来るの遅すぎるから空腹を逃しただけだ!」
「そうか」
「ニヤニヤしてんじゃねえよお前……」
私の視線から一生懸命に逃れようと真っ赤な瞳が泳いでいる。彼ほど分かりやすい行動をする者はいない。私はそれが楽しかった。彼をおちょくっている時が。カルテッロとは大学で出会った。偶然的な出会いだった。しかし、この出会いを語る前に、過去の自分を語らなければならない。
私は15を超えた辺りから暇さえあれば図書館に行って本を読み漁り、本を読み尽くせば、論文に手を出すという事を繰り返していた。ただの暇潰しと好奇心で、それがたまたま本に向いていただけだった。そして、とある書物に私は目を輝かせた。それは、人体を変化させる薬を作った錬金術師の話だった。今も昔も誰かに話せば馬鹿にされる話だ。しかし、私はそれを本気にして幾つもの論文に目を通し、自らの身体で実験を始めたのだ。最初は道具も何も持っていないのでノートブックに一心不乱にその今まで見た論文等の情報を書くだけにした。そして、大学へ通い始めてから本格的に実験を開始した。適当な理由として長期の論文を行いたいと言って研究室を貸してほしいという要望に大学はあっさり承諾してくれた。子どもの頃に馬鹿真面目に学校生活を受けてきた甲斐があった。私は研究室で今まで書き留めてきたノートブックを大学の自分の寮からごっそり持ってきて、必要最低限の器具等を用意し薬の作成に取り掛かった。最終的に、実験には成功した。たった1年で。初めはなにが起こったか全く分からなかった。急に身体が熱くなり、尋常ではない程に汗を吹き出しながら、髪や身体を掻きむしり、激痛にもがき苦しみ、あまりの衝撃で気絶していた。やっとのことで目を覚まし、未だに痛みで痺れる身体を立ち上がらせると、私の身体は完璧に、別の身体になっていた。性別が完全に反転していたのだ。この時の高揚感は未だに忘れられない。私はあの錬金術師の話を本当にしたのだと、これからは誰に馬鹿にされてもこの薬を飲んで変化したところをみせれば誰もが信じてくれると、今まで私を貶した奴らに見せてやりたかった。それから私はより一層の薬の研究に打ち込み、最終的には細かい部位まで身体の変化を行える事に成功した。しかし、この自分自身の夢を叶えた高揚感と引き換えなのか、薬を飲む度に、私はもう、元の姿をあまり思い出さずにいた。
私は幼少期、何の医者だったかは忘れたがこんな事を言われた事がある。
「この子は記憶力が良い」
普通の事だと思っていた。私は赤子の頃から今まで記憶を鮮明に思い出せるのだ。普通、人々は記憶を脳にしまい込んだとしても、必要がなければ忘れていくものらしい。しかし私は必要あろうがなかろうが、無限に取り出せる。医者はオブラートに包んで言いたかったのだろうが、私を何かの障害者なのではないかと心配したのだろう。結果的に今は不自由なく暮らせているが。そして、私の無限の脳は、薬が完成した後に存分に振るわれた。私は薬によって様々な姿を変え、同じ人間を誑かしていったのだ。モデルのような体型の女になっている時は、彼女がいる男に堂々と、かなり強気に、そのまま抱かれそうなぐらい口説かれた。しかし、別の日に一回り大きくなった屈強な男になって、別の女を口説いている時に姿を現してみると、男はその別の女の恋人だと勘違いして怖気付いて逃げていった。男女の変化でなくても、子どもの姿や老人の姿になってもみた。今度は同じ曜日であるが、それぞれの姿でバスを乗り継ぎながら散歩をしてみた。バスには老若男女の人間が座っており、曜日が同じなだけなのに、乗降する客はあまり変わらなかった。まず初めに子どもの姿でバスに乗ってみた。すると、後ろの少年、少女に声をかけられ、見た事がないが、どこの学校に通っているのか、最近のアニメは見たかなど子どもらしいことを引切り無しに質問攻めされた。しかし、同じ曜日に老人としてバスに乗ると、少年、少女は私に悪戯をしてきたのだ。耳が悪いと思われたのか、悪口を言われたり、一緒に降りようとした子どもからは足を引っ掛けられた。そんな感じで私は薬を完成させた後はずっと人間の見た目による判断と、その結果について観察していた。季節はすっかり秋になっていた。私はどっと疲れが溜まっていた。それほど薬と観察に夢中だったのだ。私は大学でたまたま空いていたベンチに横たわって眠ることにした。風が冷たいので少し身震いもしたが、もう研究室に帰る気力はなかった。雲が太陽を隠すように広がる空を見つめながら、瞼がガタン、と落ちて私は気絶するように眠っていた。
「おーい、大丈夫か」
肩を強めに揺さぶられながら私は深い眠りから渋々と目を開けた。目の前には、茶髪で前髪を7:3に分けた真っ赤な瞳の男が心配そうに見つめていた。
「……」
喋ろうにも疲れすぎて声を出す気力にもならない。そんな疲労困憊の私が力を振り絞ってした行動は、右ポケットに手を突っ込んで、適当な小銭を彼に渡して、
「……コーヒー」
と呟く事だけだった。
「お待たせ致しました」
カルテッロと最近の仕事とか、世界情勢とか、政治とかのくだらない雑談をしていると、店員が私が頼んだ日替わりのパスタを持ってきた。今日はアラビアータだった。私は水を食前酒に見立てて軽く飲んだ後、早速ペンネにフォークを刺して食べ始めた。やはり彼の店のパスタは美味いと悦に浸りながら味わっていると、カルテッロが水を差してきた。
「それにしても、遅刻なんて珍しいな。いつぶりだ?」
私は顔を顰めながらペンネを食べ続けた。
「……まだ怒っているのか?」
「ちげーよ。お前がいつもと違う事してると絶対になんかあるから疑ってやってんだよ」
そう言ってカルテッロは足を組み直した。
「私は機械じゃない。いつもと違う行動だってする」
「ふん、舐めるなよ。お前、俺に姿を現さない時はなんか大事な事、抱えてんだろ。知ってるぜ」
カルテッロはエスプレッソを一気に飲んだ。
「確かに私は遅刻で少しだけ姿を表さなかったが、今はこうやって出会い私が君の店のパスタを美味しそうに貪っている様子を見てるじゃないか」
「俺がお前の遅刻を本当にド忘れしたって理由で処理してると思ってるのか?」
「ん……」
こんなこと言いたくないが、私はカルテッロの瞳に弱い。先ほど言ったように片目をお洒落と言って隠してるのにも関わらず、あの真っ赤な瞳で見つめられると、途端に小動物のように縮こまってしまう気持ちになるのだ。そうなると、喋らざるを得ない。私は残りのペンネを纏めてフォークで突き刺し、無理矢理に口に入れて必要のない考える時間を作った。しばらくしてペンネを飲み込んだ私はカタン、とフォークをテーブルに置き、軽く口を拭って目を逸らし外の景色を見ながら答えた。
「……簡単に人には言えない。店を出てから、話させてくれ」
「……」
カルテッロの無言に、私はちらと彼を見た後、大袈裟に水を飲んで対抗した。ごく、と喉が鳴る音がこの沈黙の中を破って一気に店中に響いた気がした。コーヒーをさっさと飲み終えて私は会計を頼んだ。……彼のエスプレッソも一緒に払った気がしたが、知らないフリをした。後で絶対にどこかのタイミングで払わせてやると誓いながら。
店を出て通りを散歩しながら、どこか座れる場所はないかと2人で周りを見渡していた。
「あそこのベンチ空いてるぜ」
カルテッロが指を指した。私達は近くのカフェで適当にコーヒーを買ってベンチに座った。時刻はちょうど夕刻で、目の前には漁港と、夕日によって眩しく輝き、オレンジに焼けた海が見えていた。
「で、どうしたんだよ」
カルテッロがコーヒーに口を付けながら話しかけてきた。
「……仕事を受けるか迷っている」
「珍しいな、いつもは断らずどこにでもすっ飛んでるお前がそんなに悩むなんて。どんな客だったんだ?」
「……分からない」
「はあ?」
カルテッロは眉を吊り上げながら此方を見た。完全に疑いのある顔だった。
「……本当だ。匿名で送られて来たんだ」
「匿名って……住所は?」
「ない」
「手紙に書いてあったのを読み忘れたんじゃ?」
「深夜に覗いたから可能性は……いや、ないな。電話をかけろという命令文しか無かった」
「お前、またなんかやらかしたのか……?」
「何もしてないに決まっているだろ。というかもしそうだったら政府が住所と何してるかもわからん課の名前と一緒に手紙を送ってくるだろう」
「確かに……?」
2人で静かにコーヒーを啜った。私は黙って考える時間が気に食わず直ぐに口を外してカルテッロの肩を揺さぶりやや大袈裟に口調を荒らげて結論を急かした。
「そもそもかけるとして馬鹿正直に携帯でかけるのも嫌だ!しかも電話には日時指定もされている……深夜だぞ!深夜の1時半……クソっ普通に仕事もあるのに……」
「分かったから肩を揺らすな!コーヒーの染み付いたらお前にクリーニング出してもらうからな……」
友人の為に考えてはくれているが、根本的にはあまりにも興味が無さそうなカルテッロに私は嫌気が差し口走った。
「出るべきか否かカルが答えを出せ」
「俺!?」
私は唯一、私だけが呼んでいるカルテッロのあだ名を口に出し、ゴタゴタと言葉を並べて彼に攻撃する。
「そもそも私がおかしいと言ってきたのもこんな悩み事に乗ると言ったのも全部カルじゃないか。ちゃんとアドバイスしろ」
私は薄笑いをしながらカルテッロを見つめた。答え次第では怒るぞという意味を込めて。
「別に、出ればいいだろ」
「他人事だと思ってるんじゃないぞカル」
「分かってる、ってそうやって強く肩揺らすな!」
私は友人の心無い言葉で怒りのあまり立ち上がって彼の肩を強く揺さぶった。カルテッロは強く肩を掴んでいた私の手を振り払い、私が立ち上がった事で空いた隣のベンチのスペースに空のコーヒーを置いて足を組み直した。
「……というか、最初から自分で答え出してるだろ、電話に出るって。心配してるのはその後の話だろ?自分のプライバシー……っていうか、そんな感じの。そんなの直ぐに解決できるじゃないか」
「何故」
「アパートの近くに公衆電話があるだろ」
「……」
「ふん、いま俺のこと天才だなとか思ってるだろ」
「……いや」
「は?」
「その公衆電話の金はエスプレッソで代用してくれるんだよな?カル」
「おっと……」
少し私の怒りがおさまった気がした。
それから私はカルテッロからエスプレッソ代を徴収して家に帰ってきたが、実は電話をする日はかなり後だった。私はその金を封筒に入れ、金庫に入れた。時刻はすっかり夜で人々はディナーを楽しんでいる頃だった。私はそこまで腹も減っていないのでまたあの市販のコーヒー入れた。家にいる時間が少ないからか、なかなか消費が出来ない。今度カルテッロに押し付けておこう。そんなことを考えながら私は昨日と同じようにまた書類をまとめていた。ある程度に終わらせたところで、明日は仕事なので早めに切り上げさっさとシャワー浴びて、部屋着に着替え、眠りについた。私は昔の夢を見た。
赤い瞳の男は直ぐにコーヒーを買ってきた。近くの学食から持ってきたのだろう。私は無理矢理に身体を起こして彼に礼を言いながらコーヒーを貰った。
「あんた、名前は?」
「……リブロ」
そう名を告げると、彼は目を見開いた。
「お前があの研究室で1人こもってる奴か……」
「……1年前の話だ」
私は大学内でかなりの異端者として噂されていた。その噂は最終的に論文が終わらなかった可哀想に留年している奴とか、最悪な時は幽霊だとか言われていたらしい。私にとってはどうでもいい事だった。
「……お前は?」
「あぁ、カルテッロだ」
「……」
「知ってるだろ?」
「……大学内の嫌われ者2人が遂に出会った、という訳か」
「ま、そうなるな」
カルテッロ。彼の話は聞いたことがあった。彼に関わると、必ずと言っていいほどその人が死んだり、消えたりするらしい。ある奴はマフィア絡み、ある奴はヤク中、事故、病気……とにかく友人の縁というものが尽く悪く、殺してもない、というか勝手に死んでるのに「友人殺し」とかいう悪名高すぎるあだ名をつけられているらしい。正直、ただ研究室で引きこもっているだけで勝手に嫌われている私より可哀想な奴だと思った。
「そういや、なんでコーヒーなんか頼んだんだ?昨日のパーティーにいたのかあんた?」
「二日酔いではない。それに、あんな馬鹿な連中のパーティーに行ってられるか」
「まあ、だろうと思ったよ」
昨夜は大学の仲間同士でパーティーが開かれていた。しかしパーティーというのは前置きで、実際は最低最悪な合コンで酒に酔っ払った男女がヘマをしたりとにかくやりたい放題だったらしい。私も最初は人間観察としてうってつけだと乗り気だったが段々と疲労が蓄積し、最近は大学もまともに出席を取っていなかったのでとにかく出ねばと体力ばかり消費されてパーティーには行かなかった。カルテッロの話を聞いて、行かなかったのは良い判断だったと確信した。
「お前はそのパーティーに行ったのか?」
「え?あぁ、行ってない。行ったやつから聞いただけだ。うちは親が少し厳しいからな……」
「……そうか」
家が厳しいと聞いて私は少し疑問に思ったがこれ以上深く探るのはやめた。カルテッロの瞳に黒い霧がかかり、表情が一気に曇ったからだ。私は話を急に切り替えて、暇つぶしに今日は秋のひんやりした風にあたりながら彼と話す事にした。
「そういえば、コーヒーを買ってきてくれと言った理由をまだ言ってなかったな」
「え、別にどうしても聞きたい訳じゃ」
「私の身体はコーヒーでできているといったも過言では無いのだ」
「は?」
「コーヒーは毎日の飯代わりだ。金がないという訳では無いが、飯を作るのも買うのも億劫でね」
「……」
カルテッロは呆れた顔で私を見つめた。私は次に出てくる言葉を沈黙の間に考えていた。しかし飛び出してきたのは予想外の言葉だった。
「俺、趣味で料理つくってるんだよ」
「……それで?」
「俺、今日はもう食欲がないんだ」
「まさか、食材を買ったが食べる気力がなく勿体ないから自分の料理を私に食えと?」
「俺に食べ物の話をしたのが運のツキだ」
「……」
私はカルテッロに立てと言われ渋々と重い腰を上げた。疲労感が抜けきらない身体は1歩でも間違えたら倒れそうなほどフラフラだった。彼が案内した場所が私が住んでいた寮じゃなかったら道中でどうなっていた事か。寮に入って、共有のキッチンへと向かい私は適当なイスに腰をかけた。彼はキッチンに立って冷蔵庫を開けた。待っている間も暇潰しに彼に声をかけ続けた。
「同じ寮だったのか」
「あんたもここの寮生だったんだな。家から通ってるか、研究室が家なのかと思ってたぜ」
「あそこはもうすぐ大学に返す」
「へぇ。確か俺と入学時期一緒だよな?同い歳か?」
「そうなのか」
「そうなのかって……まあいいや。あんたあそこでなんの研究してたんだ?」
「……ただの趣味だ。セラピストとか、カウンセラーとか、そんな感じの研究だ」
「心理学か?」
「まあ、そんな所だ」
「さっぱりだな」
カルテッロは笑いながら水を入れた鍋に火をかけた。
「嫌いな物は?」
「ない」
カルテッロが食材を切り始めた頃で、私は物思いに耽った。まともな飯を食べるのも久しぶりだと言うのに、人の手料理なんて何年振りだろうか。しかも、この寮の共有キッチンにも初めてまともに中に入ったものだから、私は色々なものに目移りしていた。しばらくすると、向かいのイスにカルテッロが私にパスタとフォークを差し出しながら座った。シンプルなアーリオ・オーリオだった。
「結構、腕には自信あるんだぜ?」
「アーリオ・オーリオを初めての客に出すなんて、それはよほど自信があるんだな?」
「当たり前だ。親の目を盗んで勉強してきたんだよこっちは」
私はフォークでスパゲッティを巻き取り、口に入れた。……久しぶりに摂った食事が、彼の料理で本当に良かったと思う。私は目を見開き、夢中でアーリオ・オーリオを食べていた。
「……美味しい」
「だろ?」
薬のせいで人間としての欲が殆ど消えていたと思っていた私に与えられたカルテッロのスパゲッティは衝撃的だった。いつの間にか私はアーリオ・オーリオを平らげていた。美味しすぎて減っていくのが惜しいとか、味わっていたいとかそんな気持ちが来る前に私は目の前の皿に入っていた物を身体の中に全部いれてしまっていた。
「……あんた意外と食欲旺盛なのか?」
私の食べる速さに彼も驚いていたらしい。私はフォークを置いてハンカチを取り出し口を軽く拭った。
「正直に『お前の作ったアーリオ・オーリオが美味かったから』だけではダメか?」
「……マジかよ」
カルテッロは驚いて私を見つめた。
「なんだ、自信があると言ったのはお前じゃないか。他の友人にも振舞っていただろうに。そんなに驚く事か?」
「いや……俺の料理を食べさせたのはあんたが初めてだよ」
「は?」
それから私とカルテッロは食後のコーヒーを飲みながら雑談をしていた。料理の趣味は今まで誰にも言ったことがなかったこと、初対面の私を一番最初にした理由は本当にたまたまだったこと。そして、彼は最後にこんな事を言った。
「俺は自分で店を建てたいんだよ」
どうやら彼の趣味は将来の夢でもあったらしい。きっと誰かに馬鹿にされてきたのだろう。だから彼は将来の夢を趣味と言って隠してきたんだと、そう感じた。
「建てればいいじゃないか」
私は率直な感想を述べた。
「建てれば良いって……そんなに簡単な事じゃないんだぞ」
「知ってるさ」
「じゃあなんでそんな心無いこと言えんだよ」
「お前なら出来るに決まっているから」
「……」
私は足を組み直した。
「親に反対されても続けられる努力が成就しないと思っているのか?……私の研究だって、さっき話したように趣味だけで完結すると思っているのか?」
「……あんたさっき聞いた話、嘘ついてるな?」
「すまないな。私の夢の話をすると必ず皆に馬鹿にされてしまうから隠しているんだ。それに、私は私だけで夢を終わらせたい」
「そうか……」
カルテッロは足を組み直した。
「俺もそうしたかったな。1人で夢を終わらせたい」
「それは無理な話だな。お前の料理の味を覚えた人間が出来てしまったものだから」
「……『友人殺し』と友達になるのか?」
「殺してみろ」
自室に戻るため共有キッチンを出て2人で寮の廊下を歩いていた。ずっと着いてきて変な奴だなと思っていたら、ちょうど隣人だったらしい。私はあまり部屋に戻らないから全く気付かなかった。カルテッロを見ると明らかに渋い顔をしていたので、同じ事を思っていたようだ。鍵を開けて部屋に入る前に私は声をかけた。
「飯を作る時は私を呼べ」
「嘘だろあんた……そんなに気に入ったか?」
「……冗談だ」
「そんなしょぼくれた顔して、絶対に冗談じゃないだろ……」
「おやすみ、カル」
「おい!」
私は無理矢理に会話を終わらせて自分の部屋に入った。自分の夢が叶い、もう既に意味が無くなった大学生活が少し楽しくなりそうだと思いながら、着替えを持って共有シャワーに行ってお湯を浴びた後、すぐに部屋に戻って久しぶりに本棚からお気に入りの本を取り出し眠気がやってくるまで再読し始めた。
___
20XX年、冬。
ストリア刑務所、看守専用塔17階。
全く使用されていない部屋ばかりの階に、ひとつだけ灯りがついている部屋があった。扉の看板に書かれている文字。
「sala di consulenza」
扉を開けると、初めに病院や医務室のようなツンとした消毒の匂い。そして、目の前には幾つかの本棚と、椅子と、テーブル。奥側の椅子には、少しボサボサな長髪の白髪で、赤い首輪を付け、拘束衣の様な服の上にネイビーのコートを着た、男か女、どちらともとれる人物が、睫毛が長く右目に泣きぼくろがあり、クマが酷くハイライトもない黒い霧が覆っているのに、奥ではハッキリと眩しい水色の瞳で書類を読みながら、囚人を待っていた。
「こんにちは、私はリブロ。ストリア刑務所のカウンセラーをしている。……扉の前で突っ立っているだけなのもなんだ。椅子に座りなさい。そうしないと、何も始まらない」
___
「おい、手錠をかけるなと言っているだろう」
私は看守が囚人に手錠をかけたまま出て行こうとしたのを見逃さなかった。看守が不満そうに「しかし」と文句を言おうとしたが続きを私が阻止した。
「しかしとはなんだ。私はいつも言っているだろう、君達の圧のせいで精神をすり減らされている彼ら彼女らが、唯一安心出来るであろうこの場所に恐怖心を植え付けられたらたまったものではない。いいからさっさと彼に時間を告げて出ていってくれないか」
私は新人であろう看守に文句を吐き散らした。看守は明らかに怪訝な顔をしながら囚人に「15分だ」と時間を告げて扉を閉めた。扉の前に看守が背中を向け、寄りかかっているのが磨りガラスからでも丸見えで気に食わなかったが溜息をつき無視して私は囚人に話しかけた。
「申し訳ない。ここの看守は私に信頼がないからか頑固でな。こうやって言わないと話すらも聞いてくれないのだ。……私は君達に束縛のない空間を提供したくてね。表向きはカウンセリングだが、別に何も話さなくても良い。とにかく、君達に安心してもらいたい。それだけだ」
私はそう言って椅子に座り直すと、手元にある書類を読みながらまた口を開けた。
「束縛のない空間とは言ったが最低限の事務的な質問はしなければならない。先ずは、君の名前から」
私は囚人が喋っている事と書類の情報との整合性を確かめながら質問を続けた。まだ入ってから日が浅い事、今回が初めてのカウンセリングな事、何か精神的欠陥がある事……
「それにしては、君の言動はとてもまともだ。薬をやって捕まった訳じゃないのに、どうして薬物中毒者なんて書かれているんだ?……看守に嘘をついているのか?」
私が薄ら笑いしながら聞くと、囚人も笑いながら肯定した。
「君は賢いな。だが、ただ人を轢いただけなのに刑務所で凶暴性のある薬物中毒者として生活するのは勿体ない。普通に生活した方がもっと気楽だ。……まあ、あの刑務所ではそうやって狂人として生活した方が楽なのは分かるが」
囚人から「どうして分かる」と質問を受けた。
「……私はここのカウンセラーだ。何年も多種多様な囚人から話を聞いてきた。……そうすれば、ここがどういう場所か、嫌でも分かる」
私は足を組み直し、ジャラ……と首輪の鎖を揺らした。
「……まだ疑っているな?いや、構わない。所詮は他人同士だ。君に関してはここは初めての場でもあるし、疑心暗鬼になるのも仕方がない。あぁ、そうだ。ここのカウンセラーは私しかいないんだ。でも、安心しなさい。看守に言えばすぐにカウンセラーを変えてくれる。ちょっとした無茶な要望でも、なんでも聞いてくれるよ。私が合わないと思ったら、このカウンセリングが終わってあの長い通路を渡っている時に言ってみるといい」
暫くカウンセリングをしていると、看守がノックをして入ってきた。最初の無駄ないざこざのせいで時間があまり無かったらしい。囚人は看守に言われて立ち上がると、手錠をかけられ、ここから出ていった。扉から出る直前に振り返ってこちらを見て来たので微笑んでやった。囚人と看守が出ていってから書類を纏めていると、数十分後に看守がまた別の囚人を連れてやってきた。私は先程のように簡単な挨拶と質問を行った。今日は珍しく新人ばかりがカウンセリングに入って来ていた。
「偽造……」
私は書類を読みながら呟いた。どうやらこの囚人は海外逃亡を繰り返していたらしい。私は昔の事を思い出していた。
私は大学卒業後、ずっと人間観察に明け暮れていた。まともに働いて毎日同じ作業をする事を嫌った私は暇つぶしで図書館で調べたカードや証明証の仕組みを思い出しながらつくった、偽造した身分証を使って金持ちが居そうな場所へ行きスリをしまくっていた。どうやら私には盗みの才能があったらしい。それでも、欲を出してはいけないと意味の無い自制をして必要な金だけを持っていった。酒臭く、ムードも最悪なドロッドロのゴミみたいなパーティーで、女の姿になれば富豪共に腰を触られたり睡眠薬を盛られて犯されかけたり、男の姿になれば女に死ぬほど酒を持ち込まれ酔った勢いで誘われようと媚びを売られた。流石に私の性に合わずこのまま続けていると嘔吐しそうだったので最後に、私を無理矢理ベットに連れて押し倒した男を殴り、カードを盗んでありったけの大金を銀行からおろし、カードを海に投げ捨ててやめた。その後、私は暇つぶしで教員免許を偽造して心理学の大学教員になっていた。それから教員職というのは妙に私に合うことも初めて知ったので、私は他国の人間も見たいと思い偽造パスポートを作りまくって他国に飛びまわり人間観察を始めた。
私とカルテッロは卒業後、頻繁に会っていた。だいたい会った日の予定は飯を食べた後、カフェに行って最近の事を適当に話して帰る。もしくは、ただ街をひたすらに散歩するぐらいだった。それでも、私は彼と出かける時間を大切にしていた。少なくとも、私は彼と会う日を楽しみにしていた。だから、私がただの私利私欲で(この理由はカルテッロには言っていない)他国に行くと告げると、彼は「そうか」と悲しげな顔をした。そして、私を見つめこんな事を言った。
「お前が帰って来る頃には店を建ててやるよ」
カルテッロはまだ夢を諦めてはいなかった。いや、そんな事は既に知っていた。彼は大学の卒業直前に家族と大喧嘩したらしい。その日の深夜に彼から電話で出かけないかと誘われ適当に入ったパブでその話を聞いた時、彼はありったけの酒を飲みながら、今までに見た事ない程の憎悪の感情を顔に表していた。だから内容はそこまで詳しく聞かなかったが店を建てる事に家族が大反対していて、彼はあろうことか絶縁してまで反対を押し切ったらしい。私は驚きと困惑の声色で彼に質問した。
「絶縁って……金はどうするんだ」
「自分で稼ぐさ……」
「……今どのぐらいあるんだ」
「なんとかなる」
「なんとかなるって」
カルテッロは足を組み直して、私に鋭い目線を向けた。
「お前が押してくれたのに、反対するのか?」
「それは違う」
私は真っ先に否定した。
「……ただ、心配なだけだ。どうせ、自分の生活費を削ってでも店のために金を貯めるつもり……そうだろ?カル……」
私のもごもごとした言い訳にカルテッロは笑った。
「ははっ、まあな。でも、お前に迷惑はかけないさ。俺が決めた事だからな」
「……困ったら電話しろ」
「優しいな。俺は絶対に困らないぜ。お前の方こそ何かあったら電話しろよ」
「……」
……ここまでカルテッロを励まして悪いが、私は彼に金を貸したくなかった。財布の紐が固いという理由ではなく、ただ、一直線に夢へ向かっている彼に、私の汚い金を使いたくなかった。それだけだった。
飯を食べた後に、空港でカルテッロと別れを告げると私はすぐに飛行機に乗った。旅をするのはそこまで悪くなかった。自分の好奇心のため、嘘の教員での金は出ていたが、それでも足りない金は街の人々をスリをしながら色々な国に行った。隣国のフランス、ドイツ、スイス、オーストリア。イギリス、スペイン、ポルトガル。遂にはアメリカにも飛んで行き、日本、中国……アジアはそこまでしか行けなかったが、世界一周をした気分だった。自国に戻って、給料とスった金で適当に賃貸で家という名の物置を構えた後、私はデンマークや、スウェーデンに行き、ギリシャに行った後、少し足を伸ばしてエジプトに行った。私が他国を旅して、偽造だらけの身分で人間と関わって気付いた事。それは、
視野を広げ過ぎると、人間はさほど変わらない生き物な事だった。
どこの国に行って気付いたのだろう。とにかく、私は何か、急に我に返ってしまったのだろう。「見た目も年齢も性格も違えど本質は同じような人間ばかりを観察して、こんな事をしている意味などあるのか」と。
私は家という名の物置に戻った。疲れた。私は床に座ってじっと天井を見上げた。すると、私が旅で使っていた鞄の中から、薬がゴロンと転がった音が聞こえた。私は視線を転げ落ちた薬に移し、こう思いついた。
「人間がこの形から超越することは、可能なのだろうか……?」
そこからは、私の行動は速かった。先程まで疲れたともぬけの殻のように床に座りこんでいたのが嘘だったかのように、私は薬を手に取り、埃を被った実験器具を綺麗に揃え、積み上げられた本の1番下に沈んでいるノートブックを引っ張り出した。私は人間に飽きてしまった。ならば、私が人間を超越して見せよう。そして、より上の視点で人間観察を行うのだ。神への冒涜でもなんでもいい。私は私の夢の為に生涯を捧げてきたのだ。人間を超越できるのならば、なんだって飲んでやる。人体に被害があっても良い。そう思い私は危険物を致死量ギリギリまで入れて飲んでみたり、自分に傷をつけてその傷口に薬を流し込んだりした。痛みなど一切なかった。身体の変化に苦しみ続けながら私はもう自分自身でも手に負えなくなる程の実験を繰り返し、最終的にどうなったかと言うと
「ぁ……」
身体も精神もボロボロになっていた。
死にたい。
私は髪の毛を完全に真っ白にして、身体も酷すぎるほどに青白くなり、痩せこけてしまっていた。喉も焼けたようにガサガサで汚い声が出る。全身が痛い。私の望んでいる事はただ、死にたいということだけだった。視界がぐるんと回る。血だらけの紙や実験器具が落ちていた床に自傷した傷から血を流したまま倒れた。思考が止めどなく脳に流れていく。記憶が、どんどん遡る。最初の記憶。自分が親の望んだ性別では無い方に生まれ、幼少期に着せ替え人形のように男装や女装をさせられ玩具にされた事。思い出したくない記憶。小さい頃に同じ教室の奴らから欲情されたり、衣服を剥がされたり、嫌がらせをされ続けた事。忘れては、いけない記憶……大学で、友人が出来た事……
「……カル」
私は立ち上がり、鞄の中から封筒と、便箋を取り出し、夢中で書いていた。内容は忘れたが、とんでもなく馬鹿げたことだろう。そうに違いない。私は書き終えると身体を引き摺りながら外へ出て、車に轢かれかけ、運転手に大声で怒鳴られながら歩き、たまたま目に付いた郵便ポストに手紙を入れて、そのまま倒れた。最後に覚えていたのは、誰かの悲鳴と、携帯電話に大声で話す声だった。
「……なんだその目は」
カウンセリングをしながら書類を読んでいると、囚人がこちらをずっと凝視しているのが分かった。少し嫌悪感があったため、私は口調を強めにして言った。すると、囚人は「綺麗な顔だ」と言った。
「……私に欲情しているのか?そうだったらやめろ」
私は右手の人差し指を首輪に引っ掛けた。
「立ち上がるか?」
囚人は不気味な笑みを浮かべている。
「私の話を聞くつもりも、もうないか」
私がそういうと、囚人は立ち上がり、テーブルを乗り越えて私に襲いかかろうとした。私は囚人が来る前に右手で内側についている首輪のボタンを押して取り外し、左手で首輪と反対側についている手錠を持って立ち上がりながら椅子の横にずれると囚人の足首に手錠を投げて引っ掛け思い切り引っ張った。囚人はテーブルを乗り越える最中に引っ張った衝撃で身体を崩し頭から勢いよく床に落ちた。私は内側に付いている窓の面格子に首輪を付けて、倒れている囚人の背中を力任せに踏んだ。
「もうすぐ看守が来る。懲罰を受けたくないのなら大人しくしていろ。笑うな。気持ち悪い」
それでも囚人は笑っていた。
看守が来て囚人が手首に手錠を付けられて押さえられると、私は足首に付けていた手錠を外した。私は囚人が看守に連れていかれる様子を無言で見つめていた。時計を見ると、既に終業時間を迎えていた。私は囚人に踏まれてぐしゃぐしゃになった紙をまとめ、ファイルに突っ込み棚にしまって錠をかけると、荷物を持ち部屋に鍵をかけて出て行った。廊下の奥の方にあるロッカールームに入ると、荷物を置いて仕事着を脱いで私服に着替えまたすぐに出ていき廊下を暫く歩いてエレベーターのボタンを押した。エレベーターに乗り17階から途中で誰も入る事なく1階に着くと私はICカードを取り出して警備員に渡してかざして貰い退勤した。警備員が挨拶したので「どうも」と言って私は外へ出た。外はかなり寒く、雪が降っていた。そろそろクリスマスで街がより一層の賑わいを見せていたが、私は人々が散々に踏みまくった泥だらけの雪の上を踏みながら、カップルの買い物を楽しんだり、クリスマスの飾り付けで喧嘩をする夫婦の声や子どもたちが嬉しそうに親にサンタクロースへのプレゼントの要望をハキハキと喋っている声、パブから聞こえる老若男女の笑い声を聞きながらそそくさと家に帰って行った。
キッチンで、今日は食欲がないためまだ減らない市販のコーヒーを手に取ってラジオを聞き流しながら胃に流し混んでいると、携帯から電話がかかってきた。相手はカルテッロだった。内容は秋頃に話した電話番号の事だった。
「今日、電話かけるって本当か?」
「本当だ。……君、もしかして私よりも心配しているのか?」
「まあ……」
「ふっ」
私が笑うと電話越しでも分かるようにカルテッロが呆れた。
「……なんか、その様子だと要らない心配だったみたいだな」
「そうでも無い。どうする、これが最期の会話だったら」
「縁起の悪いこと言うなよ……電話かけるってだけなのに」
「君がそれを言うのか」
「クソっ本当にかけなければよかった……」
私がふふ、と笑うとカルテッロは急に電話を切りやがった。しかし、私は彼が電話を切る直前にガラッと窓を開ける音が聞き逃さなかった。私はちょっかいを出して隣人をいじめてやろうと思い寝室に行って窓を開けてやった。窓から身を乗り出すと転落防止の窓の格子に腕を組みながら乗せ、外を眺めていたカルテッロと目が合った。彼は驚いたあと心の底から呆れたような顔をしていた。
「うわっお前……本当に意地の悪い奴だな……」
「死ぬ前に友人の顔でもひと目見てやろうと思ってな」
「あのな……」
カルテッロは溜息をつきながら顔を引っ込めた。私はどうせ戻って来るだろうと窓のへりに腰をかけて上半身は格子に寄りかかった。
「食えよ」
片手にガス入りの水、もう片方にサンドイッチを持ってきたカルテッロは私にサンドイッチを投げてきた。
「……腹は減ってない」
「珍しいな。昼食ちゃんと食べたのか?」
「いや……」
「だったら食え。外で空腹でぶっ倒れる方が御免だぜ」
「……」
私は紙の包みを外してサンドイッチを見た。シンプルなBLTだった。私はサンドイッチを1口、口に入れた。美味しかった。
「仕事でなんかあったのか?」
「特にない……またいつものように患者が暴れだしただけだ」
「大丈夫なのかよ」
「特に怪我はしてなかった。すぐに職員に連れていかれたさ」
「患者じゃなくて、お前の方だよ」
「私?私は平気だ」
「……それにしてはとても元気が無さそうだな」
「……電話が不安なだけだ」
「そうかい」
カルテッロは水を飲み、私は残りのサンドイッチを口に詰め込み無理矢理に飲み込んで寝室に置いてある壁掛け時計を見た。
「そろそろ電話をかけに……」
その時だった。ベットに放り投げて放置しておいたスマホが鳴り出したのは。
「!」
音を聞いた私とカルテッロは2人で目を見開いた。私は彼の顔を少し見た後、電話を取りに行き、先程と同様に窓のへりに座った。彼は少し遠くて電話が聞こえないが、窓の転落防止の格子に腕を乗せて私の様子を見ていた。
「……」
「……?」
何も聞こえない。
「……」
「……もしもし?」
私は声をかけた。
「……移動しろ。誰にも聞かれるな」
「……!」
一気に背筋が凍った。一瞬で表情がかわった私を見て、カルテッロも少し動揺していた。
「……移動したらかけ直す」
「……了解した」
私は一旦電話を切った。そして、無言で窓を閉じて適当なトレンチコートを着て、金庫から例の手紙を取り出し外へ出た。初めにカルテッロに相談した時に言われた公衆電話に入ったが、私は携帯電話から電話をかけ直した。
「……もしもし」
「……」
「先程、電話を受けた者だが……」
「……リブロ。……Libro・Psicologìa」
「……!?」
突然フルネームを言われたものだから私も流石に驚いた。本当に、私はなにか仕事でやらかしたことでもあったのだろうか?
「……そうだ。私はLibro・Psicologìa……一体、何の用だ。答えなさい」
「……カウンセリングの依頼をしたい」
思ったよりも呆気ない答えに私は今までもっていた圧倒的な緊張感を完全に緩めてしまった。
「……相手は君か?」
「……違う。相手は教えられない」
「それは、随分と困ったものだな。相手の情報がなければ私は何も出来ない」
「……貴方が了承しないと我々は何も提供が出来ない」
「……」
私は黙り込んでしまった。私がOKとか何とか言わないと全てが進まないとは。半分……というか完全に脅しだ。私はそんな状況が気に食わずだんだん苛立ち、もうズケズケと質問をしてやった。
「君たちはどういう存在なんだ。身分も晒せないとは、どういった了見だ?まさか、マフィアとか、何かの裏組織の関わりがあるのか?そうだったら私は電話を……」
「違う」
相手の声色が一気に変わった。私は黙り込んだ。
「……そこまで知りたいのなら、少しだけ教えてやる。我々は政府だ」
「……!」
私は心臓を突き刺された感覚になった。
「……ただの政府ではない。我々は少し特殊でな。さすがに一般人のお前に詳細に語る事は控えるが、政府でもあり、政府ではない……それぐらい特別な立場の者だ。」
「……はっ」
私は冬なのに汗が止まらなかった。全く理解が出来ない。特殊な政府?政府でもあり、政府ではない?特別な立場?様々な混乱が私に襲いかかった。
「……私に電話をかけてきたのは何故?」
混乱しっぱなしの私の口から出てきたのは、1番の疑問の言葉だった。
「Stòria刑務所は政府が直接運営している。それぐらい知っているだろう、"元受刑者"なら尚更な。そしてお前は今そこのカウンセラーをしている、だからだ」
「……ぅ」
吐きそうだ。カルテッロが指摘していた私の心配事は何もかも意味がなかった。この電話があってもなくても、私はこの意味が分からない政府からの仕事を受けなければいけなかったのだ。私はもう逃げられなかった。
「……分かった。いつ、行うんだ」
「……詳細が決まったらまた手紙を送る」
「そうか……」
「……そうだ、最後に伝言を」
「何だ……」
「弟がコンクラーベにと、Cartèllo・Muraleへ」
「は……?」
電話は切れた。
私は寝室に戻り、窓のへりに座って項垂れていた。カルテッロが出てこないか、期待していたのだ。しかし、こんな深夜、もうすぐ2時半になりそうな時間帯。本来なら誰もが寝静まっている。当然、今日もいつものように仕事がある。彼が出てくるわけが無い。電話でかいた汗を冬の風で乾燥させると同時にまだシャワーを浴びていない事に気付いた私は窓を開けっ放しにして着替えを持ちながら寝室を出ていった。何も考える気が起きない。シャワーを浴びて身体を拭いたあと、こんな時間にドライヤーをかけるのは迷惑だなと思ったし、もう何もしたくないと思ったので、タオルを適当に肩にかけて薬で男になる時に着ていた大きめの白のTシャツを部屋着として被りコートから手紙を取り出して手でビリビリに細かく破いて捨て、寝室の窓を閉めて暖かくない毛布にくるまりながら寝た。また昔の事を思い出しながら。
端的に言うと、ポストの近くでぶっ倒れた後、私は逮捕されストリア刑務所に収監された。偽造の罪で。私は看守にオレンジ色の目立ちすぎる囚人服と黒のハイネックを渡された。着替える時に鏡を見た時、初めて身体中に傷がつきまくっていたのを知った。私は身体検査を受けた時は男性だったらしいので男性刑務所の方に送られた。
私は最初に、看守から渡されたはした金で電話をしたいと言った。その日はたまたま公衆電話は空いていた。私は公衆電話の棚に置いてある電話帳を見ずに記憶だけで電話番号を押してかけた。3回ほどコールした後、相手は電話に出た。
「……もしもし」
「……」
相手は返事をしない。
「……"カル"」
「……!」
私が、名を呼んだ途端、電話相手は喋り出した。
「お前、リブロか……!?」
「……あぁ」
「お前……暫く見てないと思ったら一体なにして」
「捕まった」
「……は?」
カルテッロはいつものように説教をしようとした時、私は会話を遮断してそう言った。彼は黙り込んだ。
「私は……自分の夢を叶えた結果、捕まった」
「……冗談だろ」
「本当だ……新聞に載るだろう」
「……」
カルテッロは絶句していた。
「……すまない。伝えたい事だけ、一方的に言う。時間が迫っている……」
「……」
「……面会には来ないでくれ。あと、もう私と関わるな」
「お前、何言って」
「私が出るまでに、店建てとけよ」
「……リブロ」
電話は強制的に切れた。
刑務所生活は楽ではない。毎日おなじ時間に起きて、副菜ぐらいしか変わらない飯を食い、作業が始まり、休憩して、昼食、作業、自由時間、夕食。最後に共同のシャワーで冷たい水を浴びて、自分の独居房に入り、一斉に消灯した頃に眠る。ドラマなどで外の世界に出たいと思う囚人の気持ちを今は理解出来た。きっと、この何も変わらない日々が退屈なのだろうと思った。そう考えたとて、私はもう生きる気力もないので脱獄なんて全くやる気は起きなかった。ある日、いつものようにシャワーを浴びていると、何人かの囚人が私の元へ来た。私は来た時から伸びっぱなしだった白髪の前髪の隙間から彼らを見た。すると、彼らの内2人が私の腕を掴み、残りの奴が私の顔を殴って来た。どうやら何かが気に食わず此方を下卑た目で見てきたとか適当な理由を作って殴って来たらしい。ここでは結構、そういう暴力沙汰は頻繁にあった。ストリア刑務所は政府が直接運営しているため重犯罪から軽犯罪まで様々な囚人が来るのだ。そして、食事とこのシャワーの時間だけ全ての囚人が無理矢理に詰め込まれる形だった。私は囚人の中でかなり肌が白く、今にも倒れそうなほど痩せこけている事は知っていた。言うなれば、格好の的だった。殴った囚人の取り巻きが倒れそうな私を支えた。私は腹を殴られ、髪を引っ張られ、また顔面を殴られた。ツー、と鼻血が出てきた。幸いまだ入って日が浅い優しい囚人が看守にチクったことで私は痣ができるぐらいの怪我で済んだ。私は取り巻きが看守に剥がされるとべしゃりと床に倒れた。1人、囚人が私に「大丈夫か」と声をかけてきた。私は黙って立ち上がり手をひらひらと仰いでジェスチャーで「気にするな」と言った。
収監されて1ヶ月後、突然私の前に看守が現れ、独居房が開き、彼らが入ってきた。私は看守の言葉に疑問を持った。
「面会……?」
私は手錠をされ、看守に挟まれながら看守専用の塔に連れていかれた。意味が分からないぐらい長い外廊下を歩かされ、エレベーターに乗り17階にあるらしい面会室に移動させられた。無駄に狭い通路を通らされ、きっと囚人用の通路なんだろうと思った。看守に言われた扉に入っていくと、目の前にはカルテッロがガラス窓の向こうで足を組んで待っていた。私は看守に「1時間の面会だ」と言われパイプ椅子に座らされた。手錠はそのままに、片足に足枷をつけられ、パイプ椅子に括りつけられた。私は身体を項垂れて、視線だけを彼へ向けた。茶髪が少しくすんで、顎に少しだけ髭を生やし、耳に穴もあけて、仕事が忙しいのか少し髪を伸ばして縛っていた。面会が始まっても、私と彼はだんまりだった。私はいてもたっても居られず、正直な言葉を述べた。
「……来るなと言っただろう」
「……」
カルテッロは喋らなかった。
「……もしかして、ちゃんと対面で縁を切りに来たのか?」
「……」
カルテッロは喋らなかった。
「……何か言ったらどうなんだ」
私がそう言うと、カルテッロは溜息をついてスーツのポケットから何かを取り出すと、こう言った。
「これはいつ書いたんだ?」
「……何だそれは」
今でも馬鹿な事を言ったなと思っている。カルテッロが出したのは手紙だった。……私から彼への。
「何だそれはとはなんだ……?お前、忘れたのか?」
「……分からない。もう、ここに来るまでの記憶が無い」
「……そうかよ。だったら、教えてやるよ」
カルテッロはガラス窓の隙間から便箋を差し出した。
「お前が書いた遺書だよ」
「……」
私は手紙の内容を思い出した。手紙と呼ぶには文字が汚く酷すぎる、友人のために死に物狂いで書いた手紙と、追伸による無駄な悪足掻きを。
200X年█月██。
親愛なるCartèllo
私にとって君は唯一の友人だ。週に何回か君が飯を████たり、散歩をする日が私の楽しみだ█た。君に声を██られた日から、私は初めて、友人という██を持ったのだ。そし█、その日から私は自分█夢を後悔██いた。君に店を建てたいと夢を語っ██れた█、そ█時に、君のペペロンチーノの味の虜に██た私は君に協力す█と言って君に手を貸すべきだ██のだ。それなのに、私は口だけだっ█。
こんな事を書い█申し訳██が、君に頼みた████ある。鍵を一緒に入れたの█、便箋の裏側に書███地図を見て私の家に来て███。そして、君には私の全█……私がいかに頭がイカれた人間だった██知って、失望して欲しい。そして、縁を切ってくれ。私はきっ███手紙を出す頃には、何処かでくたばっていると思う。だから、どうか、こんな人間すぐに忘れて欲しい。頼む……私はもう誰にも望まれたくない……
君の██なる
L・P
追伸
手紙を封した後に、私は突然恐怖感に襲わ██しまった。死にたくない。私は君が夢を叶えるまで居たかった。先程までもう全ての気力█無██て血だら█で倒れてい██に、走馬灯█覗い█君との出会いを思い出した瞬間、私は君のため█こうして手紙を書き始め███のだ。Cartèllo……Car……申し訳ない……ごめんなさい……私は、君への手紙を遺書に██しまう……死にたく█い……「友人殺し」なんて嘘だと信じていたのに……ごめんなさい……ごめ████……死に██ない……助█てくれ……
私は血が少し付着した手紙をじっと見つめていた。
「読まないのか」
「……思い出したよ」
「なら、よかった」
カルテッロは足を組み直した。
「……それが送られて来たのが、お前が捕まったって電話した1週間前だった。俺は本当に驚いたよ。そして、絶望した。俺の『友人殺し』がまだ続いてた事にな。お前も手紙にも書いてただろ。俺も、学生の頃からずっと嘘だと信じてたよ。だが、お前がこんなことになっちまったから、俺はもう確信したんだ。……『友人殺し』は本当だったって」
「……」
カルテッロが此方を見た。
「だが、お前は電話をかけてきた。……正直、安心したよ。あんな遺書を送られて絶望してた時はヤケになって酒を飲んでたんだぜ?ほら、自傷行為まではしなかったが、ピアスも開けた。それなのに、お前は電話してきた。手紙の記憶もなんにも持ってなかったお前がな。嬉しかったよ。けど、お前は忘れてたせいで俺に縁を切れって突き飛ばした。そうだろ?」
「……ああ」
「……今、お前は俺の事どう思ってるんだ?」
「……」
私は少し身体を起こして髪の間から彼を見つめた。珍しく笑顔が消えていた。
「記憶が無いとはいえ、よく言えたよな。縁を切るなんて」
「……犯罪者と友人なんて嫌だろう」
「あのな」
カルテッロは足を組み直した。
「犯罪者とかそういうのどうだっていいんだよ俺は。お前が、一番最初になんの否定もせず俺の夢を応援してくれた。俺が作った飯を褒めてくれた。それだけで俺は人生ひっくり返ったんだよ。それなのに、お前は自分の間違いのせいで俺をものすごく簡単に見捨てようとしたんだ、電話1本で。……お世辞だったのか?今までも、あの手紙も、全部」
「……私は君のために」
「いい加減にしろよ!!」
カルテッロは怒号を飛ばしながら立ち上がった。
「お前、俺がこんなに諭してやってんのに聞く耳なんか一切ないじゃねえか!!」
「……そんな事」
「そんな事ってなんだ?いい加減に俺の話をそうやって避けるのをやめろ。それともお前、俺が怖いのか?そんな恐怖心で俺を突き放そうって出来ると思ってんのか。なあ、出所したらどうするんだ?俺がお前の言う通り店を建てたのを見て、良かったなって一言だけ思って平気で俺の店の前を通り過ぎて家に戻って1人でくたばるつもりか?無理だろ。お前には絶対に無理だ。そうだろ。……ここを出たら、どうするのか、自分で言ってみろよ」
落ち着きを取り戻したカルテッロが椅子に座った。優しい顔だった。しかし、私はかなり動揺していてずっと目を見開いていた。
「……私は」
カルテッロに見つめられ、私は、涙を流していた。初めて彼を本気で怒らせた。怖かった。
「私……」
「正直に言えよ。何でも聞くさ」
「私は……」
「カルのご飯が、食べたい……」
私は嗚咽していた。大粒の涙が流れ、手のひらに落ちていった。カルテッロは私の様子を少し見た後、椅子に寄りかかった。暫く沈黙が続いたあと、彼は口を開いた。
「……そういや、お前の感情を壊すようで申し訳ないが、遺書のお前が言ってた家には、足を運んだ」
「……別に、構わない……」
「……全部見たよ。お前のノートも、本棚に押し込まれてた誰かの論文とか本も、薬も、全部」
「……私が大学で研究していたのも、全部それだ」
「ああ。お前は真面目だからノートに全部きっちりと日付が書いてあったよ」
「……やはり、縁を切るか?……カル」
「何言ってるんだ。『友人殺し』に殺されず政府に拾われてのうのうと生きてる癖に」
「……ふ。確かにそうだな」
私は手で不器用に涙を拭い、2人で笑っていた。ちらりと壁掛け時計に目をやった。あと10分程度だった。
「……この手紙は君が持っていろ。私が死ぬまで、ずっと」
「……そういえばお前、家どうするんだ。まだ出てこないんだろ」
「あと20年だ。……あの家は賃貸だから不動産に行って住所を見せて鍵を返せ。家の中は……捨てていい。……あ、書物は全部残してくれ。金品はあまりないから期待するなよ」
「俺は遺品整理係かよ……」
「あんな家、放置していたら家主に迷惑だろ」
「はあ……」
私が手紙をカルテッロに返そうと彼を見つめた。
「……それと、その縛っている髪をやめろ」
「仕事が忙しいんだよ」
「すぐにやめろ。私が嫌だ」
「お前……」
カルテッロは手紙をスーツのポケットに入れたと同時に「あ」と呟いた。
「何だ」
「……最後に、顔みせてくれよ」
「……」
私は両手で前髪をかきあげた。
「……満足か」
「……ああ。大学で初めて会った時以来だよ。お前のその間抜けな顔」
「……はあ!?」
「時間だ。じゃあな」
「……この野郎」
私はストリア刑務所に来て初めて大笑いをしていた。
朝、目覚めると私は枕が濡れていることに気付いた。泣いてたのだろう。
囚人のカウンセリングが一通り終わった後、珍しく職員食堂で外を眺めながら缶コーヒーを飲んでいた私は休憩中の暇そうな看守に「顔色が悪いぞ」と声をかけられた。
「……いつもの事だ」
私は素っ気ない態度をとったが、看守からクーポン渡された。
「……ジェラート?」
こんな冬にジェラート食べる気もないし、夏までギリギリ持つがどうせ忘れるから代わりに食べてくれと言われた。
「はあ……」
私はそのクーポンをコートの内側にしまい、看守が離れたあとも、暇つぶしに自分の腕に鎖を巻き付けながら缶コーヒーをちまちま飲んでいた。
業務が終わって私は自分の部屋ではなく「今日は早く帰る」とメッセージを送って来た隣人のカルテッロの部屋にこれでもかとノックをして彼が鍵を開けたと同時に扉を開けて入った。
「うわっ、お前なあ……」
鞄をカルテッロに預けリビングのソファに身体をうつ伏せに勢いよく倒れた。
「……勝手に寝て悪かったよ。俺も仕事があったんだ」
「そんな事気にしてない……」
カルテッロに電話の後の事を謝られていたが、私には必要のない謝罪だった。カルテッロがソファ近くのローテーブルに私の鞄を置いて、ソファの手すりに腰をかけた。
「……聞いていいのか分からないが、電話はどうだったんだ」
「……」
私は少しの沈黙のあと、殆ど全部を言うことにした。ただのカウンセラーの依頼だが、政府がちょっと絡んでいる。断れなかった。……そういうとカルテッロは声色を変えた。恐怖を感じているようだった。
「お前……それ……大丈夫なのかよ……」
「……分からない」
「分からないって、もしお前の身に何か起きたら」
「……消されはしないだろ。マフィアじゃあるまいし」
「……」
暫く沈黙が続いた。私はその間に体制を変えて、ソファの手すりに寄りかかるように座った。カルテッロも私の足をどけながら隣に座った。
「あ……」
「なんだよ……」
私は思い出した事を言おうとした。
「君に伝言があるって、電話相手が……」
「……え、俺……?」
「……?どうした」
「いや……何でも……」
カルテッロは急に顔を青ざめた。私は不思議に思ったが彼がなんでもないと言うから話を続けた。
「えっと……弟がコンクラーベに」
「やめろ!!」
カルテッロは急に怒号を飛ばしながら立ち上がった。私は驚いてしり込みした。
「……あ、すまない、リブロ……」
「……」
私はカルテッロを見ながら思い出した。
(そういえば、カルの事を何も知らない)
私とカルテッロは大学の頃から今まで家族の話を一度も聞いたことがない。あろうことか家の事すら聞いたことない。私も早くに家族から離れたから話題がないと言ったし、そもそもそんな話をする必要がなかったからと言えばそうだが、彼は家族の話になるといつも言葉を濁していた。絶縁したらしいので言いたくないのも分からなくもないが、大学の時も家が厳しいとだけしか言わなかったという事に疑問を持っていた私は、こんな事は絶対に良くないと思ったが、言い出してしまっていた。
「君の家族は……なんなんだ?」
「……」
カルテッロはずっと此方を見ていた。真っ赤な瞳が私の瞳にも移りそうだった。
「……俺は、いや、あいつらは」
「……」
「……いや、違う……」
カルテッロはかなり迷っていた。
「……辛いなら言わなくていい……カル」
私は情けをかけてしまった。本当は黙っているべきなのに、どうしてもカルテッロの弱々しい姿が耐えられなかった。しかし、彼は口を開いた。
「……俺が家族と一緒にいたら、お前と一生会えなかった」
「は……」
「俺は……」
カルテッロはカトリックの教会の家に生まれた。かなりの金持ちで、小さい頃から決まった勉強、決まった習い事、決まったお祈り。毎日が同じ事の繰り返しだった。しかし、7つ程離れた弟が生まれ、一緒に遊んでいた時、ランチを準備しているキッチンに入ってしまったらしい。そこで、彼は料理人による綺麗な包丁捌き、テキパキと行われる調理、美しく盛り付けられる料理を見て憧れになったらしい。その時は親にこっぴどく叱られたらしいが、それから彼は弟が1人で勉強をしたり遊ぶような年齢になると親の目を盗んでキッチンに入り料理人達に教えて貰いながら1人で料理を作って食べていた。その頃から親とは不仲になり、まともに教会のお祈りにも参加しなくなっていつしか家族からやや冷たい目で見られるようになった。完全に家族と仲が悪くなったのは大学からで、寮で大学生活を過ごすと言い始めたのがきっかけだったらしい。それからは彼は半分自由になり大学で友人を作って遊んでいた。しかし、ある日、友人を事故で亡くしてから不可解な事が起き始めた。大学を中退した友人はマフィアの関係者で消息不明になったり、薬物中毒者になって自殺や事故で死んだりと、とにかく大学生活でできた友人全員がいなくなり、いつしか彼は「友人殺し」と呼ばれるようになってしまった。そして、また友人を亡くし、1人でランチを終えて大学ほっつき回っていた時に、私を見つけたらしい。
「……弟は、神父をやっているのか」
「そうだ……俺がお前と仲良くなったかなり後に、俺は決心して親に真正面で向き合って店を建てるって言って、そっからはもう昔に言った通りほぼ絶縁状態だ。正直、弟には申し訳ないと思っている……自分のために無理矢理に押し付けたのを」
「会っていないのか?」
「会ってねえよ。お前が捕まってた間も、ずっと。あと、俺は家族と話し合った時、お前の事を口に出さなかったから、お前の事も知らない筈だ」
「……だが電話相手は私と君に関わりがある事を知っていた……」
「……それは、本当に分からない。弟が調べたのかもしれない。それか、何処かで会ってる……かもしれない」
「……」
2人で黙り込んでいると、それを待っていたかのように、私の携帯から電話が鳴った。
「!」
私は恐る恐る鞄の中から携帯電話を取り出す。
「……俺、どこかに行った方がいいか……?」
「いや……だめだ……ここにいろ」
私は電話に出た。
「……リブロだ」
「……1人になれ」
電話相手が言った。しかし、私は拒否した。
「嫌だ。こんなことを言うのは申し訳ないが、私は君の電話をまだ疑っている」
「……」
電話相手は黙り込んだが、すぐに喋り出した。
「……日程と、場所が決まった」
「そうか。早く言いなさい」
「来年の春。場所は__」
電話相手は必要な事だけを言って電話を切った。私とカルテッロはずっと沈黙したままだったが、私の空腹が全てを打開してくれた。
「……腹が減った」
「今日は食えるのか?」
「君の作った飯だったら、いつでも食べれるさ」
「分かったよ」
二人で静かに笑いあっていた。私は鞄を片付けにカルテッロの部屋を出て隣の私の部屋に入った。暫くしてまた彼の部屋に戻った私はソファに座っていつの間にか着いていたテレビを眺めていた。
「……続いてのニュースです。長らく消息不明だった少女が国によって保護されました。19██年、████大戦から突然、当時の████政権下で……」
テレビの画面には金髪で右目が隠れている少女が映っていた。
「リブロ、暇だったら手伝え」
「はあ?」
「お前が食いたいって言ったんだから手伝いくらいしろ!」
「ったく……」
私はニュースをもっと見たいという気持ちを明らかに顔に出しながらキッチンに向かった。
「君は本当にアーリオ・オーリオが好きだな」
「悪いかよ」
「いや、一昨日も外で食べてたなと思って」
「えっ嘘だろ?」
「本当だ」
私とカルテッロはリビングでディナーを食べていた。私は微妙に多く盛られた気がするアーリオ・オーリオをフォークで巻き取り食べる。大学で初めて食べた時と全く変わらない味だった。
「あの店のアーリオ・オーリオが美味かったから悔しくて作ったのか?」
「別にそういうわけじゃないが……たまたま目に付いたのがニンニクだっただけで」
「というか普通アーリオ・オーリオは夜食とかに出すものだろ。君、気付いてないと思うが1週間でパスタを食べる内、必ず1回はアーリオ・オーリオを頼んでいるぞ」
「えっ、知らなかった……」
(いつも見せつけるように飯をメッセージに送りやがって……)
私はカルテッロよりも先にアーリオ・オーリオを食べ終えていた。まだ帰る気にもなれず自分の家にいるかのようにソファに寝転がって止めどなくニュースが流れ続けるテレビを見ていたが、食事の後の眠気が私を襲い、そのまま少し寝ていた。そして、朝に見た夢の続きを見ていた。
カルテッロとの面会から、私は特に大きな変化というものはなかったが、少しだけ刑務所生活が気楽になった気がした。いつものように私が今まで食べてきた飯の中で1番と言っていいほど大嫌いな豆のスープをわざと残しながら食べていると、私は突然、隣にやってきた囚人に絡まれた。また何か暴力でも振るわれるのかと思いつつその囚人を無視していると、机の下から少量の賄賂を渡され食堂からフォークやスプーンなどの食器を盗んできてくれないかと言われた。
「……何故」
私はそう疑問を投げると、囚人は「脱獄して外国にいる唯一の友人に会いたい」と言い出した。私は暫く考えた後、賄賂だけは返してこう言った。
「軽い遊びとして付き合ってやる。3日くれ」
その後、私は3日の間にスプーン5本、フォーク4本、プラスチックの柔らかいナイフ2本を盗んだ。食堂の食器を盗むのはとんでもなく簡単だった。何故なら日々の労働で疲れ果て気絶しながら寝ている囚人がちらほらいるからだ。私はこんなに隙だらけなのに賄賂まで渡そうとして盗んでこいとは失敗したら全て私に責任を押し付けるつもりなんだなと思いながら午後の自由時間にその囚人を見つけて自分の護身用にフォークを1本だけ残してあとは全て渡した。囚人は喜んでいた。そして、私は囚人に「一緒に脱獄しないか」と提案された。どうやら囚人は私の隣の番号の奴だったらしい。新聞もマメに読んでいたらしく、私の事も知っていたらしい。それで、運で私に窃盗が頼めないか試してみたらしい。私は囚人の提案は断った。
「私も君みたいな友人がいるが、とある約束をしてしまってな。脱獄したら彼を急かしてしまうことになる。すまない」
そして、私が初めて収監されてちょうど10年が経った時、その囚人は脱獄して行った。どうやらスプーンで壁を削りまくり脱獄したらしく、囚人の独居房には折れたスプーンが数本落ちていて、看守が囚人を追いかけていた所、突然に投げられたフォークで目を潰されたり怪我を負わされたらしい。私は隣の独居房だったからかなり厳しく検査されたがベッドの下に隠していたフォークは深夜で看守が疲れていたのか、たまたま見つからなかった。
食堂で飯を食っている時、その囚人の話をたまたま聞いた。彼はもうそろそろで刑期満了だったらしい。しかし、友人が病弱で手遅れの状態らしく今はもう入院をやめて家にいて死ぬのを待っているだけだったらしい。一日でも早く出たかったのだろう。彼は友人の為に一心不乱に壁に穴を開け続け結局、出所できる1ヶ月前というあともう少しのところで脱獄してしまったらしい。
「……おいおい、隣人の家で1夜過ごそうとするんじゃねえよっと」
「痛っ」
私はカルテッロに額を指で弾かれた痛みで起きた。私は手のひらで額の痛みを抑えながらもの凄い剣幕で彼を見た。私は昔から強制的に起こされるのが好きではないからだ。
「そんな目で見られてもちっとも怖くねえよ。さっさと自分の家に戻って風呂入って寝ろ」
「……明日は休みだ」
「俺は仕事だよ!」
「……この時期はずっと忙しいな」
「当たり前だろ、巷はクリスマスだぞ。今年は観光客も相当来てるらしいからな」
「そうか……」
私も彼も家族とほぼ縁切り状態だし、私達のところのクリスマスは家族と過ごすというのが基本なので、全然興味がなかった。
「……帰る」
「早く帰れ」
私はソファから立ち上がり、カルテッロの部屋を出て、隣の自分の部屋に帰ってきた。今日はもう早めに寝よう。そう思いユニットバスで衣服を脱ぎシャワーに手をかけお湯を出そうとしたが、
「は……?」
……どうやら給湯器が凍結してしまったらしい。
「……」
その後私は衣服を着替え直しまたカルテッロの部屋に部屋着を持って戻ってきた。彼には驚かれ、呆れられた。
「お前またなんか壊したのか!?」
「うるさい寒さに耐えられない給湯器が悪いんだ私は悪くない」
「お前がいっつも面倒くさがって凍結対策してないのが悪いんだろ!」
「うるっさいな本当に!君が風呂に入らないのなら私が先に入ってやる!退け!」
「てめぇ!」
私は玄関に立ち尽くしていたカルテッロの横をするすると通り抜けてユニットバスに入っていった。服を全て脱いでシャワーカーテンをしめてからタオルがない事に気付いたがまあいいかと思い私は勝手に彼のシャンプーを使い頭を洗い始めた。すると、鍵をかけ忘れたユニットバスの扉が開き、彼が入って来たかと思えば、すぐに出ていった。なんだと思ってシャワーカーテンの隙間を開けると、洗面台の上にバスタオルが2枚置いてあった。
風呂から上がり薄くて長い白髪をダルそうに勝手にドライヤーを使って乾かして、適当に持ってきた下着ともう一枚、これまた薬で男性の身体になる時に着ていた少し大きめの黒のタンクトップを着て首にタオルをかけた私はユニットバスから出た。風呂から上がると私はもうやる気が一切出なかった。私はリビングのソファに座っていた彼の隣に脱力した状態でソファのへりに寄りかかり、彼が立ち上がると、直ぐに足を彼が座っていた場所に上げて寝転がる形になった。
「お前まだその部屋着使って……っていやそろそろまともな部屋着を買えよ!いま冬だぞ!?」
「どうでもいい。面倒くさい。寝かせろ。疲れた。眠い」
「俺の家なんだがここ……」
「……」
「お前っ」
私の眠気の勝利だ。
給湯器が壊れたりしたがいつもと変わらない冬を過ごし、翌年の春。私は冬に電話で受け取った場所へ向かうためにカルテッロの車に乗っていた。
「それにしてもどうして車を出すなんて言ったんだ?」
「……いや、ちょっと気になる所があるから俺もついでに行こうと思って」
「そうか」
話をあまり深く探らないのは私の悪い癖だった。相手の様子を慎重に伺っているというものもあるが、私はカルテッロと別れる前にどこかのタイミングで聞くべきだったと思った。適当な駐車場に車を停め、私とカルテッロが向かった場所は……官邸だった。建物を見上げながらカルテッロは不安そうに喋る。
「お前これ本当に大丈夫なのか……?」
「場所は合っている。……行ってくる」
「じゃ、終わったら連絡しろよ」
「……ああ」
私はカルテッロと別れて、案内する者がいるらしいので待っていると通行人の神父に「こんにちは」と声をかけられた。私は軽く挨拶を返した。その神父は私の前を通り過ぎると、もう遠くへ歩いていたカルテッロに声をかけていた。様子を見ていると、後ろから声をかけられた。
「あんたがLibro・Psicologìaだな」
振り返ると、私より少し背の低い少年がいた。綺麗な金髪で左目を隠していて、黄色の目をしていた。服装はネイビーのPコートを羽織っていて、アイボリーのハーフパンツを履いていた。
「……そうだ。君が案内人か」
「ああ。着いてこい」
私は彼について行った。最後に外で見たのはカルテッロが先程の神父に対して動揺した顔を出していたところだった。
「……君が、あの電話をかけたのか」
「……そうだ」
官邸の中を歩き、私は彼に疑問を投げかけていた。
「なぜ、電話を」
「ストリア刑務所でのあんたの仕事の活躍を見ていた。どうやら、結構な囚人が君の言葉に救われているようだな」
「……私は一方的に彼らの話を聞いているだけだ」
「別になんだっていい。結果が全てだ。それで、ニュースを見ただろう。行方不明の少女が戻ってきた話」
「……ああ」
「……彼女は今、保護状態だが、危険だと思われて囚人のような扱いだ。だから、あんたに彼女の無害性を証明して欲しい」
「……私に?ただのカウンセラーだぞ」
「彼女は話すのが好きだ。ただ言うことを聞いているだけでいい」
「……」
官邸の中を歩き、連れていかれたのはとある部屋だった。彼が扉を開けると、木製のシンプルだが美しいテーブルと2つの椅子があり、テーブル上にはファイルが乗っていた。そして、奥には大きなステンドグラスの窓が付いていた。彼は私を奥側の椅子に座らせた。
「そのファイルを開いて読みながら待っていろ。妹を連れてくる」
「……仕事着に着替えさせてくれないか。30分ほどたったら来てくれ」
「……分かった」
彼は扉を閉めた。どうやらあの少女は彼の妹だったらしい。私はファイルを開いて中の書類を少しだけ見てみた。
「……名前が無い」
書類には彼の妹のプロフィールが書かれていたが、ところどころ空白でここから分かることはあまりなかった。名字、不明。名前、不明。年齢、不明。性別、女性。身長、153cm。……生活歴も不明なことだらけだった。私は早々に読むのをやめて直ぐに仕事着に着替え、いつものように首輪を付けた。鞄から書物を取り出したり、ノートブックに書き物をしていると、ノックがかかった。私が返事をするとすぐに扉が開き、そこに居たのは書類に書かれていた少女だった。綺麗な金髪だが彼とは逆に、右目を隠していて目の色が少し茶色がかった黄色だった。首には黒い大きなリボンをつけていて、暗めの赤いトレンチコートを着ていた。ニュースで見た時と全く同じ格好をしていた。彼女は扉を開けるなり直ぐに目の前の椅子に座った。私は少し呆気にとられていた。彼女が暫く私の事を見つめていると元気よく挨拶した。
「こんにちは!!」
「……こんにちは」
カルテッロがよく近所の街の人と仲良くしているので子供相手は苦では無いが、あまり彼のように関わるという事はしなかったので私は彼女の元気の良さにたじろいでいたが、気を取り直して彼女に話しかけた。
「私はリブロだ。君のカウンセリングのために今回呼ばれた。まずは、簡単な自己紹介を……」
「分かった!」
彼女は意気揚々と私の言葉を途中で切り、返事をした。
「あたしの名前はねぇ!」
自己紹介をしよう喋り始めようとすると突然、彼女は黙り込んだ。
「わかんない」
「……」
彼女は記憶喪失の状態なのだろうか。私は黙り込んで俯く彼女を見ていると彼女はぼそっと喋り出した。
「ごめんなさい」
「……構わないさ。別の質問……いや、いい。こんな硬っ苦しいことはもうやめよう」
どうせプロフィールに書かれていない不明なことを聞こうとしても意味が無いと判定した私は全ての書類をしまい込んだ。
「逆になってみようか。私が君の質問に答える。なんでも。……そうだな。誕生日とか、好きな食べ物とか、普段やってる事……なんだっていい。ただ率直に気になったこと、言ってごらん」
私は彼女を見つめた。彼女も私を見つめ返した。
「お姉さん友達いるの?」
……とてもデリカシーのない質問だった。だが私はそんな事を気にせず彼女の質問に答えた。
「……いるさ。カルテッロと言うんだ。とても良い奴でね、私は彼の作る料理が好きだ」
「料理!あたしも食べ物大好きだよ!パスタとか、ピッツァとか、ジェラートも好き!ティラミスも!」
「ふふ、私もだ。では逆に、嫌いな食べ物はあるかい?」
「この前食べた豆のスープ!ミネストローネだと思ったのに、豆がぐちゃぐちゃで食感もさいてーで味付けもさいてーだった!」
「ははは!私もそうだよ。昔、君が言っているようなスープを食べた事がある。あれは本当に不味かった。毎日わざと残してやったよ」
「お兄さんも食べたことあるの?どうして?」
「……君には言ってもいいだろう。私は元々ストリア刑務所で捕まっていたんだ」
「なんで捕まったの?」
「……自分のやりたいことが悪い方向に行ったんだよ」
すると、彼女は目の色を真っ黒にした。
「あたしも同じ思い出あるよ。みんなの為に頑張ったのに、急にみんながあたしのこと目の敵にしてきたの。にいにと一緒に逃げてね、それから隠れてろって言われて、それで、その先で変な板見つけたの。それで、気になって……触って……えっと……光って……えっと……」
彼女はどんどん口を閉じていってしまった。
「……忘れた」
「辛い思い出か?」
「……辛くない。でも、なんか、忘れちゃいけない気がするけど……わかんない」
私は足を組み直した。
「君がその記憶で苦しんでいるのなら、もう思い出さなくていいんじゃないか」
「どうして?」
「……思い出して欲しくないんじゃないか。誰かが、多分そう願っているのだろう」
「……じゃあ、あたしもう、思い出すのやめる」
「それが、いいと思う」
「……あっそうだ!ねえ!お兄さん!あたしもうすぐ外に出かけるんだよ!にいにと一緒に!お姉さんおすすめのところ教えてよ!ね!」
「……いいぞ。私の友人の店を教えてあげよう。いままでいろいろな飯を食べてきて舌が肥えた私にとってあそこ以外、美味い店がないからな」
「ひひ!」
「ふふふ……」
私は彼女にカルテッロの店を教えた。それと同時に私は初めて彼の店に行った時の事を思い出していた。
20年の懲役を終えて私はストリア刑務所から出所した。髪は数年前から腰のあたりまで伸ばし、1本に結び、前髪をセンター分けにして、その間から2本程、口ぐらいまである髪を出していた。私は出所の1ヶ月前くらいにカルテッロから郵送されたスーツを着ていた。サイズが微妙に合わずもの凄く不格好だった。私は何もかもが変わってしまった外を眺めて半分迷子になりながら歩いていると、公衆電話を見つけた。私は電話をかけた。……カルテッロに。
「お前!出所したら言えって言っただろ!」
「手続きが忙しくて伝えられなかったんだ」
「はあ……お前、今どこにいるんだ?」
「……分からない」
「はあ!?」
カルテッロとゴタゴタな話をして、とりあえず刑務所の近くをほっつき歩いていると、たぶん彼の車がやってきた。
「早く乗れ!」
私はカルテッロの車に乗った。運転中はずっと沈黙したままだった。彼は駐車できる場所に車を停めると、出ていったので、私はスーツを脱いでシャツを適当に捲って一緒に出ていくことにした。入ったのは質素だがどこかあたたかい店だった。私は彼について行き窓側の二人席に向かい合いながら座った。
「……もしかして、君の店か?」
「そうだよ。気付かなかったか?お前の言う通り、俺は建ててやったんだよ」
「へ……」
「はは……なんだよその顔」
私は驚いていた。
「……本当に建てるとは思わなかったから」
「はあ?お前が自分から店を建てておけって約束したのにそれは無いだろ」
そういうとカルテッロは立ち上がった。彼がトレンチコートを脱ぐと、下には黒のコックコートを着ていた。
「もう店閉めたから食材はあんまりないが……何食べたい」
「……」
私は暫くカルテッロを見つめていた。そして私はやっと口を開いた。
「……アーリオ・オーリオを」
私はカルテッロに出されたアーリオ・オーリオを食べていた。美味しかった。やっぱり、私は彼の料理しか美味しいと思えなかった。久しぶりに食べた彼の料理。彼と約束した場所で、私は出所して初めての、彼の料理を食べている……涙が溢れていた。
「……美味しいな」
「当たり前だろ」
飯を食べたあと、私はカルテッロと雑談をしていた。刑務所内の話、彼の店を建てるまでの話……無限に話題が出て来た。
「もうあのスープなんて食うもんか。あと、冷凍食品もいらん。舌がおかしくなりそうだ」
「……お前、大学の時みたいな3食コーヒー生活だけは絶対にやめろよ」
「……」
「目逸らすな」
「そういえば、家は返してくれたか」
「返したよ。お前の床が抜けそうな程ある本も俺の家にあるよ」
「……本当に全部回収したのか」
「お前のために全部回収してリビングと寝室を圧迫されてんだよこっちは」
「……」
すぐ取りに行くと言おうとしたが、私はカルテッロに家の返却を頼んだので実質ホームレスな事に気付いた。
「あ……」
「お前、この後どうするんだ」
私の気持ちを勘づかれたカルテッロに言葉を刺された。
「……」
「後先を考えないのがお前の悪いところだな。本当に」
カルテッロは足を組み直した。
「俺の家に居候しろよ」
「……なんで」
「なんでって……どうせ行く宛てもないのにあんなお堅いスーツでホームレスすんのか?目の前に助けてくれる優しい友人がいるのに」
「……」
「大学の時に言っただろ。困ったら電話しろって。俺はさっきかけてきた電話、お前が困ったからだと思ったんだけどな?」
「……ありがとう……カル」
私は溢れてもなんとか止めていた涙をついに流しながら答えた。
それから私はカルテッロの家にほんの少しだけ居候と彼の店で働いていた。それから彼に
「人と話すのが好きなんだったらちゃんと教員になったらどうだ?それか、お前は頭良いんだし医者になったらいいじゃねえか。大学でも薬を作っている理由聞いた時にそんなこと言ってただろ」
と言われ私は考えた末に、カウンセラーになった。最初は派遣で手探りだったがどうやらかなり好評で自分の事がかなり改善されたと感謝の手紙を沢山送られた。1人で生活出来るくらいの金を稼ぐと、カルテッロの住んでいるアパートの隣人がちょうど結婚して退居したので、私が入りやっと自分の書物をしまえた。そして仕事を続けていると、客が昔、政府関係の仕事をしていたとか何とかで、どこかのタイミングで政府に目を止められたらしく今はかつて囚人としていたストリア刑務所でカウンセラーを行っている。少し嫌な話だが、囚人の再入所のようだなと思った。私はたまたま彼のような優しい友人を持っていたので今こうして一般人と同じく生活をしているが、彼が居なかったら私はどうなっていたのだろうと思った。とにかく、私は彼に救われているのだ。かつて「友人殺し」と呼ばれていた彼に、こうやって生かされているのだ。私は、彼に感謝してもしきれなかった。
彼女とのカウンセリングを終え、私は官邸から出てきた。部屋の窓から既に分かっていたが、外はもう真っ黒だった。彼女の無害性を証明出来るのかはよく分からないが、まあカルテッロの店の客は増やせただろうと呑気な気持ちでカルテッロに電話をかけようとした。すると、後ろから誰かに声をかけられた。
「Libro・Psicologìaさん……ですよね?」
「……なんだ?忘れ物でも……っ!?」
後ろを振り返ると官邸に入る前に挨拶された神父が居た。
「こんばんは」
「……何の用だ」
「警告をしに来ました」
「は……?」
「家族に背いた僕の兄と関わると危険が及びますと」
そういうと彼は携帯を持っていた手を急に掴んできた。暗い中私が一生懸命に目を凝らして見た彼の顔の見た目は、カルテッロと同じ赤い瞳で、焦茶色の髪に彼と反対側の口元にホクロがついていた。そして、右手に何かを持っていた。
「っ、君は、まさかカルの」
私がそう言うと、後ろから怒号が飛んできた。
「ジオ!!」
「おっと……それではまた会いましょう。……リブロさん」
そういうと彼は後ろを向き足早に去っていった。私が振り向くと、カルテッロが血相を変えて私の元へ走ってきた。
「……カル」
「……帰ろう」
車に着くまでも、家まで走っているまでも、私達は沈黙のままだったが、私は流石にいてもたってもいられず、カルテッロの部屋に入って話を聞いた。
「……あれが君の弟か」
「……そうだよ。……ジオ。Giornale……俺の弟だ」
「ジョルナーレ……」
「お前と別れたあと、ちょっと街を見て回ろうかと散歩と買い物でもしようと思った。けど後ろからやってきたあいつに声をかけられたんだ。俺は無視しようとしたが……まあいい」
「言葉を濁すな」
私は口を挟んだ。カルテッロは驚いていたが、すぐに話を再開した。
「……あいつ、銃を持ってたから話を聞くしか無かった」
「……」
「……あいつは直ぐに銃をしまったが、俺を離してはくれなかった。あいつから一方的に話されたんだ。……『家に戻ってこい』と。だが俺は断った。そしたらあいつなんて言ったと思う?
『そんな風に神に背を向けてるから外堀から崩されていってるんだよ兄さん』
……だってよ」
「……君は家族と縁を切ったから、神から『友人殺し』の天罰を食らっていると」
「まあ、あんなクソ厳格な家にいたらそう思うようになるさ。……俺は、信じない。もう戻らないってそう決めたからな……だが」
カルテッロは赤い瞳で私をじっと見た。
「……お前に何かあったら、俺は……」
「……私の事?」
私は不思議に彼を見つめた。
「私が殺されると思っているのか?」
「……それぐらいあいつは手段を選ばないやつだと思ってるぜ」
「はは」
「お、お前なに笑ってんだよ……!こっちは真剣に……」
「兄である君が殺せなかったのに、弟が殺せると思ってるのか?」
「お前……」
「私は絶対に『友人殺し』で殺されない」
私はそう笑ってやるとカルテッロの部屋から出ていった。彼は少しだけ笑っていた。
__
季節は夏。金髪の少年と少女が陽射しを避けるようにテラス席のパラソルの下で腰をかける。店員に注文を言った後、少女は元気よく少年に話しかけていた。少年は顰めっ面だったが、少女の話を親身に聞いていた。やがて、少年と少女のテーブルに美味しそうなボロネーゼが並べられた。少年と少女は美味しそうに食べていた。デザートにティラミスを食べた後、二人は会計を
__
「あー!!カウンセリングの人!!」
「え」
店内にも聞こえてきた少女の大声がマルゲリータを食べていた私の耳に入ってきた。少女は店内に入り私の元へやってきた。
「こんにちは!!」
「……こ、こんにちは」
私は喉に詰まりそうになったマルゲリータを水で流し込みながら返事をした。
「来たよ!!」
「そ、そうか、それは、良かった」
少女の大声が気になったのか厨房からカルテッロが出てきた。
「何してんだリブロ?」
「あ!こんにちは!!」
「こんにちは」
「お友達?」
少女がカルテッロに挨拶をすると突然、私に疑問を投げつけてきた。
「あ、あぁ、そうだ。カルテッロだよ」
「……あぁ、お嬢ちゃんがリブロの言ってた」
「そうだよ!来たよ!!」
しばらくカルテッロと少女が楽しげに会話している横でしれっと食事に戻りマルゲリータを食べていると少女の兄がやってきた。
「また暇さえあれば誰かと話して……帰るぞ!」
「はあい……おじさんたちばいばい!また来るね!!」
少女がそう言って店を出ると後ろについて行こうとした少年がこちらを振り返った。
「……おかげで外に出られるようになったよ」
「そうか」
「……あいつの口に合ってたら、また来る」
少年は店から出ていった。カルテッロが私にぼそっと聞いてきた。
「……お嬢ちゃんたち政府の関係者なんだよな?」
私はマルゲリータを食べ続けながら皮肉のように言ってやった。
「ふん、良かったな。人気になって商売繁盛したら私のおかげだと思え」
「……それはないな」
「はあ?」
今、少女らは店の常連になっている。仕事で忙しくはあるが、それでも最低で2ヶ月に1回は店に来ているらしい。ちなみに私とカルテッロはいろいろあったが相変わらずな日常を送っている。彼はトラットリアで客に料理を提供している。そして、私は書類を読みがら次に看守に連れてこられる囚人を待っている。
sala di consulenzaで。
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