鉱物の庭ラピダリウム 蛍石の国-2
いつしか空は晴れ渡っていた。彼方を見やれば、遠い鉄塔の上に赤い火炎が立ち上る。リソスが驚いてぽっと光を灯すと、フルオラが「あれは火事ではない」と注釈をつけた。
「製鉄所の灯、眠らない火だ。しかし我々の目的地はそちらではない」
枯木の森を抜けて荒涼とした地を歩き続けると、大きな川が現れた。その上にまたがるのは、鉄骨でできた巨大な橋架だ。幾何学的なトラス式の構造を縁取るように、曲線と直線からなる細密な紋様が形作られている。よく見れば群晶とマグマの流れを表しているようだった。硬い鉄を使いながらどうやってこれほどまでに複雑な装飾を作り出すのか、リソスには想像もつかない。橋の上には優美に飾られたガス灯が等間隔で立っていた。そのいずれも頂点には透明なレンズが取り付けられている。どこかから鐘楼のように金属を叩く音が聞こえてきていた。橋を渡りながらフルオラは語った。
「うるさいだろう? 鉄打ちの音は24時間止まないのだ。そもそも我が国の産業は製鉄を……」
「あっ、『ホタル』さん! 帰ってたんですか!」
橋の終端まで辿り着いた折、巨大な門扉の傍らから声がかけられた。見れば、サイコロ型の頭をした蛍石が制帽を被り、こちらへ手を振っている。
「……ああ。先ほどパトロールを終えた」
「お勤めご苦労様です! 戻りしな街の連中にも声をかけてやってください。喜びますよ! そちらのお連れは『ホタル』さんのお友達ですか?」
「まあ、そんなところだ。ところで……」
フルオラはそこで言葉を切って、鈍く光った。
「私のことは『ホタル』ではなく『フルオラ』と呼べ」
「え? ……あ! そうでしたね。それじゃあフルオラさんたち、良い一日を!」
関所の衛兵はそう言って手元を操作した。低く金属が軋むような音を立てて門が開く。フルオラの背中がどことなく強張っているのを、リソスは不安げに眺めていた。
門をくぐった先で二人を迎え入れたのは、全身を包み込むような反響だった。雑踏、会話、何気ない仕草までが音の断片となって宙いっぱいに満ちている。それは空間の構造に由来するものだった。格子状の鉄骨が頭上で円となり、天高くまで届くドームを形作っている。鉄の間にはガラスが張り巡らされ、水晶のような屋根が見晴らす限り続いていた。リソスは屋根の背骨一本一本についたリベットを数えようとしたが、くらくらしてやめてしまった。石造りの重厚な建物に美しい曲線を描く鉄の骨。その一大アーケードが蛍石の国そのものだった。
通りには無数の蛍石たちが歩いていた。青、緑、紫、桃色、黄色。ここにない色は存在しないのではないかというほど色鮮やかな結晶たちが、内部の光をきらめかせて歩いている。ひとりが、こちらに気づいて立方体の頭を向けた。
「あっ、おかえりなさい! 『ホタル』──」
「『フルオラ』と呼んでくれ」
「え? あ、そうか。フルオラ、おかえりなさい! ちょっとうちまで来てくれない? 最近ボイラーが調子悪くて」
「すまない、少々急ぎの用があるのだ。大方レンズに埃が溜まっているのだろう。送風機を使ってみるといい。くれぐれも水気には気を付けろ」
「あっそうか、レンズか! 見てみるよ、ありがとう!」
「悪い、リソス。先を急ごう──」
「あっ『ホタル』! ちょうどいいところに」
フルオラが歩みを進めると、そのたびに通りがかりの蛍石が足を止める。都度フルオラは律儀に八面体の頭を向けた。呼びかける方は決まってフルオラを「ホタル」と呼び、フルオラはいちいち訂正を入れる。徐々にフルオラの光が翳っていくのを、リソスは冷や冷やしながら見つめていた。
そんな調子だったから、大通りを通過するのには一苦労だった。アーケードの外れまで来たころには、ガラス越しの日差しは中天に達していた。
「随分と時間がかかってしまった。ここでお前の身元が分かればいいのだが」
フルオラは通りの端にひっそりと構えられた石造りの建物に向き直った。灰白色の石灰岩が鉄骨で支えられ、静かにリソスたちを迎えている。「ただいま」と呟きながらフルオラが扉を開けた。
家のなかは、ちょっとした工房になっていた。壁一面に所狭しと工具が取り付けられ、整然と隙間なく並んでいる。一見すると職人の家のようだったが、その傍らに掛けられた何挺かのライフルが無言の圧力を放っていた。中央のテーブルには分解された武器と何かの設計図が広げられている。側に置かれた小箱の中には、無色透明のレンズが何枚も仕切りに沿ってしまわれていた。部屋の奥には小窓のついた鋳鉄製の円筒形が鎮座し、天井まで管で繋がっている。屋根もまたアーケードと同じくガラス張りで、室内に正午の強い陽光が降り注いでいた。
「ストーブに火を入れるから少し待ってくれ」
フルオラは机の隅に置かれていた端切れと蜂蜜色の瓶を手に取ると、布に油をかけてストーブに投げ入れた。続けて机の上にあったレンズを手に取り、上から降り注ぐ日差しにかざす。レンズで捉えた太陽光の焦点を投げ入れた布切れへ正確に合わせた。やがて煙が上がったかと思うと襤褸に火が点いた。その熱はやがて周囲の石炭に移り、空間そのものを暖め始める。
「マッチは湿気ると使えない。これが確実だ」
フルオラが言い訳のように軽く笑うと、リソスの光もどこか和らいだ。魔法のような芸当に浅葱色の光がちかちかと灯る。迷子がひととき屈託のない光を見せたことで、フルオラも少し肩の力が抜けたように思われた。しかし次の瞬間、真面目な声色でリソスに語りかける。
「リソス。自分の身元を確かめたいか?」
だしぬけに問われたリソスは、ややあって首をぶんぶんと縦に振った。フルオラの結晶に緊張の光が走る。
「……分かった。私にできることはやってみよう。少し準備をしてくる」
そう言ってフルオラは別室へと消えてしまった。リソスは所在なく部屋のなかを見回す。ふと一角に周りの工具や武器類とは異なるスペースを見つけた。手のひら大の薄い板がいくつも壁にかけられており、それらにはいずれも精密な絵が描かれていた。蛍石の国の街並みや星空、ポートレートなど題材は多岐にわたる。フルオラには絵画の才能もあるのかと感心していると、不意に扉が開いた。振り向いたリソスが一瞬凍りつく。
「待たせたな」
先ほどまで見ていたフルオラより一回り、二回りほど大きい鉄の塊だった。重厚な甲冑はいかなる攻撃も通さないという強い意思を伝えている。溶接工のようなマスクまで着けて、もはや蛍石なのか鉄鉱石なのか分からないほどだ。これから大砲の飛び交う戦場でピクニックをしてくるかのような出立ちだった。呆気に取られるリソスに対して、フルオラは言う。
「これからおこなう実験は危険を伴う。細心の注意を払うが、お前も自分の身は自分で守れ」
フルオラが片手で鉄製の盾をリソスに渡す。フルオラの鎧より幾分か心許ない気がして、リソスはやや不安げに光の色を落とした。気づいているのかいないのか、フルオラは話す。
「蛍石の性質を知っているか、リソス」
リソスが頭を傾げると、フルオラは教師のように続けた。
「蛍石は熱に反応しやすい。青白く光って、最悪爆ぜて割れる。そこでこのストーブを使う」
爆ぜる、割れる、と物騒な単語が出てきたところでリソスの光はますます曇った。フルオラは安心させるように語る。
「心配するな。お前を丸焼きにしようという話ではない。さっきの『破片』を使うのだ」
フルオラに促され、リソスははたと気づいた。浅葱色の小さな結晶を取り出す。先ほど骨なきものから救出された際に見つかったリソスの欠片だった。
「この破片をストーブのなかに投げ入れてくれ。蓋を閉めたらすぐに離れて机の下に隠れろ。私はここから見ているから」
そう言いつつ、いつの間にかフルオラは工房の隅にまで下がっていた。実験を見届ける意思は一応あるようで、ご丁寧にスナイパースコープを覗き込んでいる。やってくれないんだ、という言葉を飲み込んで、リソスは側にあった火ばさみで自身の破片を取った。鉄製の盾の影に隠れて、ストーブを開け、欠片を放り込むと蓋を閉ざす。
「離れろ!」
フルオラの鋭い声を待たずに素早く机の下へ潜り込む。そして工房は静寂に包まれた。ストーブのなかで石炭が爆ぜる音だけが響き渡る。一瞬が一億年に感じられる時が過ぎた。やがて何かが硬質な音を立てて割れる音が響く。リソスが跳ねる以上にフルオラが身じろぎしたが、それから音は聞こえなかった。ストーブのなかから漏れ出てくるのは熱された石炭の赤い光だけだ。
「……もういいだろう」
フルオラが何かを諦めたように言った。前に進み出ると、グローブをした手でストーブの吸気口を閉じ、続けて煙突の途中についている弁のつまみを捻った。空気の流れを絶たれたストーブの光が徐々に弱くなる。リソスが戸惑いの光でフルオラを見ると、鉄製の兵士は重々しく告げた。
「つぶさに観察していたが、お前の破片から発光は見られなかった。ただ急激な温度変化で欠片が割れただけだ。光らないということはつまり、お前は蛍石ではないということになる」
装甲を外しながら説明するフルオラに対し、リソスは食い下がる。浅葱色の破片が飛ぶかというほどの必死さだった。しかしフルオラが容赦なく言い放つ。
「そもそも初めから変だとは思っていたんだ。お前の破片……不規則な割れ方をしていただろう。蛍石ならあんな風には割れない。我々は砕けるときは綺麗な八面体になるのだ」
リソスは恐る恐るストーブの蓋を開けた。そこには鎮火した石炭に混じって、歪な貝殻のような割れ目で砕けた自身の破片があった。その割れ方は八面体とは程遠いものだった。
浅葱色の結晶はしばしの間呆然と浮かんでいた。自分はあの色とりどりの蛍石たちの仲間には入れなかった。ラベルは手に入らなかった。顔を上げることができない。透明な天井からはチェック模様の影が地面に落ちている。まるで影の檻のようだとリソスは思った。そのなかに自分自身の透過光と影もある。いつしか影の輪郭が溶け、丸みを帯びる。影は今や芋虫のように地面をのたうっていた。遠鳴りのような声が聞こえてくる。
「お前は我らが一部」
「お前は我らが芯、我らが柱」
「お前は──」
「リソス……リソス!」
フルオラの呼びかけで幻視から醒める。リソスが一度、二度と瞬いて足元を見ると、そこには変わらない浅葱色の透過光があった。フルオラは続ける。
「あまりシ気を落とすな。お前は『この程度の熱』で熱発光する鉱物ではないというだけだ。これ以上は私の工房で調べようもないが、よそで検査できることはいろいろある。導電性、磁性、モース硬度、さらなる加熱……少なくとも蛍石ではないということは、絞り込みが一歩進んだということだ。気を落とす必要はない」
それでも身元不詳の石はその場でまごついている。フルオラはじっとその光を見つめた。
「なに? 自分が本当に鉱物なのかどうか自信がない? 哲学的というか、奇妙な悩みだな……」
フルオラはしばし顔の下に手を当てると思いついたように部屋の反対側へ向かった。そこは先ほどリソスが発見した、数々の絵画が飾られているスペースだった。戸棚から小さな箱を取り出す。正面にレンズが取り付けられた工芸品のようだった。フルオラはレンズブラシで埃を払いながら語る。
「お前も気づいていると思うが、蛍石の国には鉄のほかにもう一つ特産品がある。それがこれ……レンズだ」
リソスは丸く研磨された蛍石レンズをまじまじと見つめた。フルオラはレンズに蓋をはめ込むと、薄い板のようなものを小箱に取り付け、箱をリソスに向ける。
「動くな!」
リソスは飛び上がるのを我慢した。硬直していると、フルオラはレンズの蓋を開け、ひととき経ってからまた閉めた。薄い板を取り出し、満足げに頷くとそのままリソスに渡す。
「ほら、見ろ。うまく撮れている」
板を受け取ったリソスは驚きに数センチ飛び上がった。板の上にはいつのまにか精密な絵が描かれている。背景には壁にかけられた工具類や鉄骨のリベット一つ一つが狂いなく写し取られていた。そしてその前にはどこか頼りない様子の結晶が佇んでいる。
「これが『写真』。角銀鉱に焼き付けた、ありのままのお前だ。どうだ? どこからどう見たってお前は鉱物だろう?」
そう言われてリソスは初めて、写されているのが自分自身だということに気がついた。水面に映る曖昧な像とは違う、磨かれた黒曜石の反射のようにな自分自身。その姿は溶けもしなかったし、肉塊とは似ても似つかなかった。
リソスはしばらく不思議な絵──写真を見つめていた。その光の明滅が徐々に安定したリズムになるのを見てフルオラもまた胸を撫で下ろした。やがてリソスの興味は写真から魔法の小箱へと移る。浅葱色を爛々と輝かせてフルオラの手元を見つめていた。
「カメラに興味があるか? やり方は簡単だ。こうして板をセットする。そうしたら被写体に向けてレンズの蓋を外すのだ。少し経ったら蓋を閉めて像を定着させる。そうだな、そこにあるストーブでも撮ってみるといい」
カメラを受け取ったリソスはしかし、フルオラの思った通りには動かなかった。迷いなくレンズをフルオラ自身に向け、レンズの蓋を外す。虚を衝かれたフルオラはその場で固まった。
「え? あっ」
次の瞬間にはレンズの蓋は閉じられていた。リソスは角銀鉱の板を取り出すと、春の空のように強い浅葱色の光を放った。フルオラと板とを交互に見比べ、大発見をしたかのように写真をフルオラへ見せつける。写されていたのは、呆気に取られてぼんやりと光っているフルオラ自身だった。フルオラはしばし写真を見つめた。
「…………」
リソスがフルオラの顔を覗き込む。次の瞬間、フルオラが見たこともない色の光を見せた。
「こんな写真を街の者たちに見られたら、幻滅されてしまうだろうな」
そう言って写真を大事そうに撫でると、フルオラはリソスに向き直った。
「普段、街の者たちに写真を撮られると、そこに写っているのは大抵『ホタル』だ。しかし、お前が撮ったこの写真は間違いなく……この私だ」
リソスにはフルオラが言っていることがよく分からなかったが、好奇心のまま撮った写真がことのほか気に入られているのは悪い気がしなかった。フルオラは続けた。
「今日はもう疲れただろう。生憎私の家でお前を休ませるスペースはないが、いい場所がある。ついてくるがいい」
リソスは紫と緑の光を追う。今は、浅葱色にほんのりと柔らかな色が差し込んでいた。
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