魔に魅入られる
「『Crazy:B』ダブルセンターが演技対決! W主演の大人気ドラマがついに最終局面へ――情熱VS秩序の結末は? 今夜最終回、一時間拡大放送!」
ネットニュースのトップに大袈裟な煽り文句がでかでかと躍る。中身の薄い記事をすいすいと斜め読みして、HiMERUは長い長いため息を吐いた。
「どしたん、HiMERUはん? なんや辛気臭い面してはるけど」
「――HiMERUはまさしく辛気臭い気分なのですよ、桜河」
冒頭の通り、天城とHiMERUがW主演した刑事ドラマは今夜の放送でクライマックスを迎える。捜査一課の新米刑事役を天城が演じ、先輩刑事役をHiMERUがつとめて多少話題になったのだ。
桜河が『Crazy:B』の四人でリアルタイム上映会をしようと言い出したのは昨晩のこと。皆でお菓子と飲み物を持ち寄ってわいわい実況しながら観ようなどと、瞳をきらきらと輝かせてせがまれたら断りようもない。天城は二つ返事で承諾して、椎名もお菓子があるならと乗り気だった。しかしHiMERUは、気が進まなかった。
そもそも大人気ドラマだなんて記事には書かれているけれど、深夜枠の三十分番組だ。元より自分達のファン、あるいは暇を持て余した大人が晩酌の片手間に眺めるような、小さな小さな枠。それでも地上波である。VODではない、全国ネットのドラマで主演のオファーをいただくのは初めてのことだった。それはHiMERUも、相方に指名された天城もだ。『HiMERU』として、また『Crazy:B』として、知名度を一気に広げて仕事の間口を増やす絶好のチャンスであった。
「――上映会。HiMERUが欠席したいと言ったら」
「いーやーやー。主演俳優がおらんでどないするん? わしは皆で観たいんよ。あかんかな?」
食い気味の拒絶。小首を傾げての上目遣いにHiMERUは思いっ切り顔を顰めて見せた。どこの馬鹿に仕込まれたか知らないが、流石にあざと過ぎるぞ、それは。
「――桜河? HiMERUがいつ如何なる時でもあなたに甘いと思ったら大間違い……」
「こはくちゃんもうひと押し! がんばれ♡ がんばれ♡」
「…………」
喧しく囃し立てる声が夜の共有スペースの静けさをぶち破り、HiMERUはぬるりと背後を振り返った。(振り返らずともわかるが)声の主は天城と、焼き立てパンを山程抱えた椎名。はしゃぎすぎだ。
「なァにがンなに嫌なンだよォ〜メルメル、撮影はスムーズにいったっしょ? むしろ最終回なんて過去イチにとんとん進んだろ、ほぼリテイク無しで」
「ほえ〜まじっすか、ふたりとも優秀っすね。これなら僕がいくらサボったって『Crazy:B』の将来は安泰っす」
「働かざる者食うべからずゥ!」
「ああっ僕のウインナーロール! 上手に焼けたんだから返して!」
HiMERUはぎゃいぎゃいと騒ぐ歳上のやんちゃ坊主共を視界に入れないよう俯いた。見ていると頭が痛くなる。
そう、撮影は上手くいったのだ。HiMERUはプロであるから当然だ。完璧なアイドルである以上、自身の出演作を知人に見られるのが恥ずかしいとか、自信が無いとか、そういったことは決してない。これまでもこれからもだ。
「始まったっすよほら、こはくちゃん」
「おお〜♪ リアタイ、嬉しい」
「最終回かあ、|なんか感慨深いっすね《なんあふぁんばいぶあぃっふね》」
――ああ、オンエアが始まってしまった。TVの正面を陣取る桜河とその隣でパンに齧り付く椎名の後ろに椅子を持ってきて渋々腰を下ろす。ここならば彼らからHiMERUの表情は窺えないはずだ。と、がたん、隣で椅子を引く音がした。
「感慨深いっスねェ〜」
にやにや、愉快そうに唇を吊り上げる天城が頭の後ろで両手を組んでこちらを見ていた。HiMERUを見るな、画面を見ろ。
「……、ソウデスネ」
「ぎゃはは! なんでカタコト⁉ 自信持てよ、おめェカッコよかったよ」
「誰にものを言っているんです? 当たり前です」
「おっ、調子戻ってきたァ? イイねイイねェ♪」
茶化す天城をキッと睨め付け、HiMERUはすぐに男から視線を外した。こっちの気も知らないで。
作中ではHiMERU演じるエリート刑事の背中に憧れる後輩であった天城燐音。普段とは立場が逆だと、HiMERUもはじめのうちは面白がっていた。いつもはやたらと先輩風を吹かせたがるいけ好かないこの男に、仕返しでもしてやろうと。
「うわHiMERUはん撃たれよった! 嘘やろ……あいつわしがどついたる、犯人」
「痛そ〜。わりと本格的っすよねこのドラマ」
「ウンウン、派手でイイっしょ?」
「……」
ここからだ。大怪我を負ってやむを得ず捜査を外れたHiMERUに天城が詰め寄るシーン。息もつかせぬ畳み掛けるような長台詞が長回しで繰り広げられる。情熱と無鉄砲な正義感だけに突き動かされる、青臭く短絡的な彼の役柄。襟首を乱暴に掴んでこちらを見据える天城の顔が大写しになる。
(ああ……この、目だ)
激情に揺らぐ碧い瞳が、液晶越しにHiMERUを射抜いた。思わず手で口元を覆ってしまう。
(……。見たく、なかったな)
正直な話、HiMERUにはここからの長回しを撮り終えるまでの記憶が殆ど無かった。カットの声が掛かった瞬間魂でも抜けたかのようにその場にへたり込んだのを覚えている。天城の言う通りリテイクは無かったから、とちってはいないはず。けれどあの瞳と正面から向き合って以降自分が発した台詞や動作が、どうしても自分自身の内から出たものとは思えず恐ろしかった。まるで、そう、
「……HiMERUはん、なんや知らんおひとみたい。神はんとかが乗り移っとるみたいやわ」
まるで――何かに取り憑かれているみたいだった。
「――褒め言葉として受け取りましょう」
「憑依型の役者ってヤツ? なんかそーいう素質あんじゃねェの」
HiMERUは天城の言葉には答えず唇を噛んだ。素質が、あったとしても。その引き金となるのが他でもない天城だなんて、知りたくなどなかった。
その瞳が悪いのだ。この世のものではないみたいに美しい、深淵を覗き込んだかのような底の見えない水の色。かと思えば光を集めて揺らめいて、ぬらぬらと妖しく煌めく、炎の色。人を惑わし虜にする鬼火。その瞳が、何もかも悪いのだ。
最終回の評判はすこぶる良かった。続編と銘打った劇場版の計画が進行中だそうだ。珍しく七種直々に電話が入った。
『流石は『Crazy:B』のご両人であります! いやはやしかしHiMERU氏は圧巻の演技派っぷりでしたね、自分も録画を観させてもらいましたけど……』
「HiMERUではないみたい、でしたか」
『はっ? ええ、そうお伝えするつもりでしたが……これはこれは、もう褒められ飽きているようですね、失礼致しました!』
褒め言葉だなんてとんでもない。HiMERUは何時だって『HiMERU』であるべきで、それ以上でも以下でもないのだ。『HiMERU』の枠を外れてしまった『俺』など要らない。そんなものは誰も求めてなどいない。
通話を終えたHiMERUは額に腕をあて俯いた。感情が暴れてのたうち回って、思い通りの表情をつくれない。『HiMERU』でいられない、今の自分の顔を誰にも見られたくなかった。
(……っ、何、だ、今の)
じり。
皮膚を焼くような碧い閃光を視界の端に捉えた気がして、HiMERUは剣呑に顔を上げた。視線の先、車道を挟んだ向こう側の歩道に佇む影が、立ち竦んだ自分をじっと見ていた。
彼岸で鬼火が、ゆるりと三日月形に歪んで嗤った。
(ワンライお題『演技/瞳』)
(こちらを膨らませたものが拙作『ルール・ブルーに告げる』でした)
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