恋の病


「なんて酷い事を……」

 鼻屋があからさまに非難する眼差しを向けながらそんな事を言う。その両脇には同じように「信じられない」という顔をするニコ屋と「可哀想に」と憐れむ顔をしたロボ屋。なにをそんなに責められねばならぬのかと、憤慨するのはおれの方だ。

「お前らアイツの飲酒量を知っているだろ?!放っておくと一日中飲んだくれてるぞ!身体に悪影響……は正直どうでもいいが!うちの在庫を枯らされちまったらまったもんじゃねぇ!」

 事の発端は、ゾロ屋がおれの船に乗り込んでからの事だ。
 兎にも角にも飲む、よく飲む、滅茶苦茶飲む。呼吸と一緒にアルコールを摂取しねぇと死ぬのかって程に飲む。しかもさほど酔わねぇからタチが悪い。酔って寝てくれれば、または二日酔いにでも苦しんでくれればいいのに、寝たとしても数十分後には見事に復活するわ二日酔いなんて聞いた事もありませんという程に知らねぇ顔をするわで、つまり飲酒量は減り知らずだ。
 ゾウから出港してまだ数日程も経ってはいないと言うのに、ゾウから持ち込んだ酒なんぞはもう底をつきそうになっている。となれば次に手が出されるのはおれ達の酒だ。おれ達が日頃の楽しみにと大事に大事にしていた酒だ。それにまで手が出されようってなるのだから、当然、制限くらい掛けたって良いだろう。
 禁酒令を出したって、良いだろうが。

「トラ男よォ、酒はあれだぞ、アイツの楽しみだぞ?」
「知るか!人の物に手ぇ出すんじゃねぇよ!」
「私達、海賊だから」
「クソ外道め!!」

 二日程前に、本気で在庫が危ういとクルーに泣きつかれた末におれが出した結論は、要は減らす量を、減らせばいいというものだ。幸いと言えばいいのか、ゾロ屋はこの船に乗っている間はおれの言う事は聞いてくれるらしい。傍若無人で唯我独尊もいいところな男だ、説得には骨が折れそうだと思っていただけに嬉しい誤算だった。快く、とはいかず、かなり不満タラタラではあったが、頷いたのをおれは確かに確認した。
 そして、酒を禁じて本日、何故かゾロ屋本人ではなくその仲間から文句が出た。なんでだよ。

「ゾロったら、もう元気がなくて見てられないのよ」

 知るかニコ屋。お前は過保護な母親か。

「あんなゾロは見た事がねぇ、悲壮感が凄まじくてよ……ウゥッ、おれも悲しくて泣いちまうぜ」

 うるせぇロボ屋。勝手に泣いてろ。

「あんな、トラ男。そりゃお前の話もわかるんだよ、おれ達は」

 おれに寄り添った言葉を吐き出しながらも、全然文句は言うぞって顔をして腕を組んでいる鼻屋。そのご自慢の鼻へし折ってやろうか。

「でもな」
「ぁあ?」
「怖ぇって……じゃねぇや。とにかくよ、今のゾロは結構可哀想だと思わねぇか?」
「……」

 可哀想と言われて浮かぶのはこの二日間酒を飲めずに肩を落としているゾロ屋の姿だ。擬音で表せばもしょっとしている。もしょもしょっとしている。この三人に呼び止められる前もゾロ屋の姿を見かけたが、唇をむすっと結んで眉なんかは寄せ合わせて深い谷を作っていて、不愉快で不機嫌でどうしようもありませんと言う顔をしているくせに、雰囲気はもしょっとしていた。一瞬だけあの男の頭に元気なく垂れた耳の幻覚が見えて思わず二度見してしまった程に、纏う空気というのか、とにかく庇護欲をそそるようなものであった。庇護欲だと、そんな事を思ってしまってあまりにも馬鹿げた感想に頭を振る。よく思い出せ、筋肉ダルマに犬だが猫だかの耳があっても恐ろしいだけだろうが。
 いやしかし、確かに元気の無いその姿は、そりゃ、いや、少しは、本当にちょっとだけだが、悲壮感がどうにも、気まずい思いをさせてきたが。

「アイツには、酒くらいなんだよ」

 元気の無い耳に、ついでに元気の無い尻尾まであったような、と、またアホらしい事を思っていたら、想定外に真剣な声色で鼻屋が続けた。

「鍛錬もここじゃいつものメニューが出来ねぇで不完全燃焼だし、かといって他にすることと言えば、アイツにはねぇのよ。おれなんかはちょっとしたガラクタでもあれば弄り回せるから暇も潰せるけど」
「私も、トラ男君には感謝しているところとして、本を読ませてもらっているでしょう?それにイッカクちゃんともお話が出来ていてとても有意義に過ごせているの」
「おれはこの、潜水艦内部を見てるだけでもスーパーに楽しいしなぁ、おれにとっちゃここはおもちゃ箱だぜ」

 おもちゃ箱扱いされてロボ屋を睨む。おれの船を解体すんじゃねぇぞスクラップにされてぇか。
 だがしかし、こいつらの言いたい事はなんとなくわかった。遊び来てるんじゃねぇんだぞと文句の十や二十は言いたくなるような言葉の羅列ではあるが、この三人は各々船での過ごし方ってのを見出していて、それなりに居心地良くしているらしい。
 しかし、ゾロ屋は違う、と。

「あっちこっちに手伝いとか?珍しい事におれ達以外の、トラ男のクルーな、そいつらと雑談とかはしてるみてぇだけど、やっぱアイツの楽しみってのは鍛錬と酒なんだよ。あと昼寝。でも昼寝は……」
「足りない睡眠を補う為。ここじゃ……夜に深く眠り込んでも危険はねぇから充分過ぎるほどに寝ちまって、昼に襲ってくる睡魔もねぇってか」

 つまりとんでもなく暇を持て余していて、さらにやりたい事も出来ずにフラストレーションが溜まりまくっていると。それこそ阿呆らしい話だ。呆れて大きな溜め息も出てしまう。
 他にやる事を見つけたらいい。他に没頭出来ることを見つけたらいい。なんならた腹筋の千や二千を延々と繰り返していればいい。やれることなんてのはいくらでもあるだろう。
 三人に向けて以上にゾロ屋への文句が飛び出そうになったが、この潜水艦に麦わらの一味達が乗るに至るまでに見ていたあの剣士の姿を思い出して、その文句を飲み込む。
 麦わらの一味達とは殆どを戦場で過ごしてきた、安穏とした時間を共に過ごした訳では無い。それでも確かに、何も無い静かな時を、僅かながらに過ごした瞬間だってあったわけだが、その時のゾロ屋といえばこいつらが言うように、鍛錬か、寝るか、酒ばかりであったように思う。まるでそれしか知らないように、それら以外には目を向けた事も無いかのように。
 余所事に、今まで首を突っ込んで行ったことがないのだろうとは、簡単に推測出来た。

「……いっそ禁酒を続けていればそのうちなにか、アイツにも趣味の一つや二つ見つかんだろ、おれには関係ねぇんだよ」
「トラ男!」

 まさに捨て台詞。ひとつの事にしか今まで目を向けてこなかったおれの姿を、アイツに被せた訳では無いが、それでもゾロ屋の不器用さに理解と共感が生まれてしまったのを隠すように言葉を吐き出して、おれは三人に背を向けた。鼻屋がギャースカと何かほざいていたが無視をしてやった。
 


 気分が悪い、鼻屋達の言葉がぐるぐる回る。ゾロ屋には酒くらい、だと。楽しみがそれくらいしかないだと。阿呆らしい。そんな事をおれが気にしてどうすると、ドシドシ足音を鳴らしながら食堂へと向かうと、今最も会いたくねぇ緑色の生物がぼんやりと、椅子に座ってテーブルに頬杖をついていた。
 寝るわけでもなく、当然ながら酒を傾けるわけでもなく、ぼんやりと。あれだ、もしょっとしている。もしょもしょとして、ぼんやりとどこでもない所を見ているようだ。そんな姿はこの短い付き合いの中でもあまり見た事がない。寝るか、鍛錬か、酒か。後はそう、麦わら屋だ。アイツが居る時はゾロ屋もどこか楽しげにしていた気がする。今は居ないその存在が隣にいれば、酒が無くともそれなりに楽しい時間を過ごしていたのかもしれない。
 ケラケラ笑う麦わら帽子の男の隣で、ニィっと笑っていた姿が脳裏に思い浮かぶ。

「チッ……!」

 だからなんだというのか。そう思いながらもおれは倉庫に足を向けていた。だからなんなんだと思いながらも、倉庫の奥に置いている棚に並ぶ酒瓶のひとつをわし掴む。いやいやなにをしているんだと冷静なおれが呆れるが、足も手も勝手に動くもんだから仕方ねぇ。いや仕方なくはねぇな、なにしてんだおれは。でももう止まりやしない。勝手に動いている体の制御がなぜが出来ない。
 通路でびっくり顔のクルーとすれ違ってもおれは止まることはなく、酒瓶を持ち食堂へと戻って、そして、その酒瓶をゾロ屋の前にドンッと置いてやった。

「ぅおっ?!な、なんだよトラ男……酒……?」
「いいか!」

 手も足も勝手に動くならば口も勝手に動く。言葉なんぞ用意していなかったくせして頭に浮かんだ言葉がそのまま、口から飛び出していく。

「一気に飲むんじゃねぇぞ!一日で何本も飲むな!これは大事に飲め!一日か二日はもたせろ!その内どっかの島に寄るから!酒ならそこでいくらでも飲めばいいが今はッ……これで満足してろアル中野郎!」

 そこまで一気に言ってから、何を言っているのかと漸く体と口の主導権が冷静なおれへと回った。
 ハッとして、自分の発言に狼狽えてしまう。いや今のは、なんて情けなくも言い訳がましい言葉を続けようとしたが、それよりも先にゾロ屋が動いた。

「本当か?!くれんのか!」

 ガタリと椅子をけたたましく鳴らす勢いで立ち上がって、酒瓶を手にしたゾロ屋のその顔。もしょっとして萎れていた花が、一気に咲き誇った瞬間を見たような錯覚。

「ぅおおっ!ありがてぇ!大事にな、わかった!」
「お、おお……」

 キラッキラと片方しかなくなってしまった目がまん丸に丸まって、キラキラッとまわりが華やいで、ああまた幻覚が見える。ピンッとたった耳に風を切る勢いで振られる尻尾。

「あ!トラ男も一緒に飲もうぜ?酒飲めるのは嬉しいけどよ」

 キラッキラと、キラキラッとした顔が、酒からおれへと向けられる。そして、真っ白な歯と、真っ赤で柔らかそう舌が見えた。

「お前と飲むのもまた美味いだろうからよ」
「ッッ……!!」

 そして、爆弾が心臓目掛けて、放たれた。
 馬鹿みたいな表現だがまさにそうだ。それでなければなんだ、心臓が爆発したとでも言えばいいのか。なんかの能力者だったのかこいつは。でなければ説明がつかない。
 ドクンッ、と、ひとつ心臓が大きく跳ねたと思ったら、忙しなくうるさいほどに、跳ね回り始めたのだから。

「おい?トラ男?顔赤ェがどうか……トラ男?!しんぞッ心臓取り出してどうした?!」
「ど、どうしたんだろうな……!」

 あまりにも、煩わしい程に跳ね回ってくれるもんだから体までが跳ねそうで、これは一種の病気かも知れねぇと思って咄嗟に抜き取ってしまった。阿呆らしい。この阿呆らしいはおれへのだ。

「うわ、すげぇ動いてる。顔も赤いし、なんだ、なんか不調か」
「か、かもしれねぇ。さ、酒な、酒は……あ、後で一緒に飲もう。おれはちょっとこの心臓を、診る」
「そう、か……うん、そうだな。えっと、オダイジに……?」
「ああ……待ってろ」

 若干、身を引いているゾロ屋を置いておれは心臓片手に部屋へと向かった。すれ違ったクルーが腰を抜かしていたが知るか。今はお前の腰よりおれの心臓だ。
 だがおれの心臓は心拍数が異常なだけで、何も悪くはなかった。体も熱いしやたらと汗が滲むし明らかに風邪の症状だがどこもおかしくはなかった。意味がわからん。なんなんだと思いつつも、大丈夫だと判断してゾロ屋を呼ぼうかとまた部屋を出ようとしたが、あの、もしょっとした表情からキラッキラとした輝きに変わった瞬間のアイツの顔を思い浮かべた途端、また更に心臓がうるさく跳ね始めてしまったので落ち着かせねばならなくなり、呼びに行くまで随分と時間がかかってしまった。
 原因不明の体調不良。なんなんだ、本当に一体全体、なんなんだ。
 それから暫くおれは、その病に悩まされた。ドクドク煩い心臓に、発汗にと、症状が出ているというのに、医者としての矜恃を傷つけられる程に一切原因が分からない。
 しかしおれは後に、それがとんでもない病である事を気付かされ、頭を抱える羽目になった。医者でも治せない不知の病だったのだ。

 その名は────

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