MYSTERIOUS(ホラノフ/隣人)
イリヤ・ロザノフの好きな食べ物、チリドッグ、チェック。
俺は特別なレシピで作ったグリーンスムージーを口元に運びながら、チリドッグを頬張るロザノフのことを見つめていた。がぶりと噛みついたひと口目で、すでにおよそ三分の一を食べてしまっている。チリドッグを持つ右手も、意外なほど行儀よく咀嚼する口も、ひとよりも大きい。噛み締めるたびに筋肉の線が浮き出す顎の力強さはさすがだ。食事の様子からもこの男が骨格から恵まれているのがわかる。
くちびるの端っこを赤いソースで汚しながらコーラを煽るロザノフは、形のよい眉毛を持ち上げてから首を傾げてみせる。
「何?」
怪訝そうなロザノフにハッとして、俺は慌てて目を逸らす。なんでもないと早口で答えたから却って変に映ってしまったかもしれない。ほほが火照るのを感じる。ロザノフといるといつもこうだ。どうにも調子が狂って普段どおりの振る舞いができずに、恥ずかしい思いばかりしている。
何年か前から借り上げているモントリオールのコンドミニアムにロザノフが訪ねてくるようになって数ヶ月が経っていた。今夜試合のあとにいつものところで、と『リリー』からメッセージが届き、俺は逸る気持ちをおさえながらできるだけ素っ気なく、Rightだか、OKだか、とにかく短く返信をした。それに絵文字で答えたロザノフに、ボストンとの試合を心待ちにしていたことを知られるのだけは避けたかった。
だってロザノフの相手は俺だけじゃないはずだからだ。俺だけが首を長くして彼からの連絡を忠犬のように待っていただなんて、仮にそれが事実だったとしても、どうしても癪だった。
俺たちの関係は互いに思い立ったときに気兼ねなく声をかけ合えるフランクなもの。そこに湿度を持った情みたいなものは介在しない。ロザノフはそのつもりで連絡先を渡してきたはずだし、俺もできるだけ同じであろうと努めたかった。だから俺は今夜もロザノフとキスするたび不本意に高鳴る鼓動にも見て見ぬふりをするのだ。ロザノフにくちびるを奪われる瞬間、俺はいつもどうしようもなく切なくて胸が締めつけられて宙に浮いているような不安定な心地になる。この抗いがたい快さに身を任せてしまっては二十余年かけて築いてきた俺という人間が根底から揺らぐ気がして、それも恐ろしかった。
何度かくちびるを合わせたあとに、長くぬめった舌が器用にくちびるを割り開き、口内に侵入してくる。俺も負けじと舌を差し入れて、何度も治したあとのある前歯の裏側を舌先でくすぐった。歯の治療痕をちろちろと舐めながら、ロザノフのラフでパワフルなプレースタイルを思い浮かべる。今日も派手にぶつかって鼻血を出した彼がスタジアムのジャンボトロンに映し出されていた。人中を伝う血を舐めとる汗だくのロザノフの荒々しい姿がたまらなくセクシーだった。
ベッドルームまでキスを続けたままで追い詰められ、やさしい力で肩を突き飛ばされる。マットレスに尻もちをつきながら、ロザノフを仰ぎ見る。分厚い胸板に綺麗に割れた腹筋。彫刻のように美しい男だ、と思う。ほしい、とも思う。あとはもう済し崩しだった。
ロザノフが、今夜はメシを食べて帰ってもいいか、と訊いてきたのには正直驚いた。コンドに来るまでにどこかに寄って買ってきたんだろう、紙袋を掲げるロザノフに頷いてやると、彼は歯を見せて笑った。
俺たちはお互いのことをあまり知らない。
学生時代に付き合っていた女の子たちとは当然何度かデートを重ねてから次のステップへ進んだので、彼女たちが何を好きか、何をされると喜ぶのか、わかっていたつもりだった。けどロザノフとは違う。ろくなコミュニケーションを取らないまま先に身体の関係を持ってしまった。
もちろんホッケーが上手い——自分と同等に、場合によってはそれ以上に——ことは知っているし、セックスのときに好むプレイや彼の肉体的特徴については知っていることも多いけど、プライベートのロザノフはいったいどんなやつなんだろう。
たとえばヘイデンは明るくていいやつだけど少し抜けているところがあるだとか、JJの社交的でお節介な性質にはたまに困らされることがあるだとか、そういう個性がロザノフにもあるはずだけど、まだよく計り知れない。会話をしようと試みてもあからさまに機嫌を損ねて拒否されることが多いし、正直俺もどこまで踏み込んでいいかわからないのだ。
とりあえず今日で彼がジャンクフード好きなことはわかった。健康志向とは言いがたい。少なくとも食に関してはまったく気が合わなさそうだった。ロザノフは、あむ、といま一度大きく口を開いてチリドッグを最後まで押し込むと、茶色の紙袋をくしゃくしゃと丸めてベッドの横のゴミ箱を指した。
「これ捨ててもいい?」
「うん、どうぞ」
「ありがとう」
意外だがマナーはしっかりしている。もしかすると育ちがいいのかもしれない。ロザノフは家庭事情のことを積極的に話したがらないので聞けないままだけど、どこかのお坊っちゃんだったりして……、まぁそれはないか。
「ここの維持はどうしてるんだ?」
「必要なときだけハウスキーパーを頼んでる」
「必要なとき、ね」
意味深な笑みを浮かべた口端にはまだチリソースがついている。
「……なに? 物足りない?」
「ち、違うって。ソース。口についてるよ」
「ああ、どこ?」
「もっとこっちの……」
「ホランダー」
わざとらしくくちびるを尖らせるロザノフにぐるりと目を回した。
「マジかよ?」
「いいだろ、さっきまでもっとすごいことしてたんだから」
したり顔で両手をひろげるロザノフに呆れながら近づき、くちびるを寄せて口元を汚すソースをぺろりと舐め取った。そのまま顎を掴まれて何度かキスを落とされる。
「……からい」
精一杯うらめしそうな声を出してそう訴えると、ロザノフは満足そうに微笑む。腰のくびれた部分を甘やかすように撫でられながらオーシャンブルーの瞳で見つめられると、彼がタクシーを呼ぶのがもう少しあとならいいと思ってしまう。悔しいほど魅力的でミステリアスなイリヤ・ロザノフ。今夜、セックスの技巧と好きな食べ物以外にもきみの謎めいた余白を埋められたらいいのに。
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