2023/10/24 雑誌撮影

「お願いします!」
「え、えぇぇぇぇ」

 マゼルの目の前でジャパニーズDOGEZAをかましているのは同じ大学に通う女性だ。ただし学部はマゼルと違う。キャンパス自体が違う芸術系の学部のはずだとは、他人ごとのような顔をしているドレクスラーからの情報である。

「あの、と、とりあえず頭を、と言うか、やめてください。えぇと」
「すみません。コリーナと言います」

 コリーナと名乗った女性はそう言って体を起こした。ホッとマゼルが安堵のため息をつく。学食でヴェルナーとドレクスラーとちょうど空き時間にしゃべっていたところに、いきなり彼女が土下座をしてきたのだから仕方がないだろう。昼食時出なかったため、あまり生徒がいなかったのが幸いだろう。
 それでも好奇の視線は避けられないのだが、幸か不幸か、三人が三人とも人に見られるのに慣れていたため黙殺された。むしろ奇行の主であるコリーナがいたたまれないように身を小さくしている。

「それで、何を依頼しに来たんだ?」

 ドレクスラーが彼女を自分の隣の席につけてそう尋ねた。ちなみに前にマゼルとヴェルナーが並んで座っている。

「まず、自己紹介を。コリーナ・ステラータと言います」

 彼女はドレクスラーが言うように普段は別のキャンパスに通っている別学部の四年生らしい。卒業課題に取り組んでいたがそれがどうにも煮詰まってしまい、気分転換に友人のいるこちらのキャンパスに遊びに来たところでマゼルとヴェルナーの姿を見て雷に打たれたようなインスピレーションを感じ、先ほどの奇行、もとい、土下座になったらしい。

「え、俺も?」

 完全に他人事のように聞いていたヴェルナーが驚いたように声を上げると、コリーナは真剣な表情で頷いた。そして彼女が取り出したのは何かのデッサンがのようだった。まるで中世ヨーロッパのような軍服、いや、式典服と言えばいいだろうか。テレビなどでどこぞの王室の結婚式で見るようなきらびやかな服装だった。

「これは?」
「卒業制作で作るものなんです」

 服を作って、モデルに着てもらい、写真を撮るところまで行うらしい。チームで動いているらしく、彼女は服全体のデザインを担当しているそうだ。他に小物作成、写真撮影、スタイリストなどもいるとか。

「へー」
「ほー」
「ふーん」

 そう説明されても、全くの門外漢の三人は何とも言えない気の抜けた返事しか返せなかった。一応のデザインはできているが、それを着るモデルが決まっていなかったそうだ。

「で、マゼル?」
「と、ヴェルナー?」

 お互いがお互いを指さす。コリーナは深くうなずいた。ただとは言わない。モデル代は出すというコリーナは必死の様子で、もともとお人好しのマゼルは「どうしよう」とちらちらとヴェルナーを見る。やってもいいけど、一人はちょっと。せっかくだしヴェルナーも。と言うのがあからさまに見せるマゼルに、ヴェルナーはため息をついた。
 自分のようなモブ顔など良い所マゼルの引き立て役にしかならないだろうに、それが必要なんだろうか。と、苦笑いを浮かべつつ頷いたのだった。コリーナとマゼルが笑みを浮かべた。

「それじゃ、夕方迎えに来るから!」

 キャンパスは離れているので仲間に車を出してもらおう。と言うコリーナとその場で別れ、ヴェルナーはやれやれとため息をついた。

「いいのかよ」
「学生の発表だろ? まぁ枯れ木も山の賑わいって奴だな」

 家に確認を取らなくていいのか。と言うニュアンスで聞くドレクスラーにヴェルナーは肩をすくめた。この時の彼は、自分がマゼルの添え物になると信じて疑っていなかったのである。





「すごいな」

 学生の卒業制作だと聞いていたが、ヴェルナーが思っていた以上に大ぜりの人間が関わっていた。
 忙しく動き回る大勢の人間は、ヴェルナーが関わるチーム以外にもいくつもあるようだった。

「なんでも、ここからその道のプロにスカウトされたり、上手くいったら独立もあり得るんだってよ」
「ほう」

 見学者として一緒についてきたドレクスラーがヴェルナーの耳元で告げる。どうやらあれこれと情報を仕入れてきたらしい。

「ちょっと、どこから見つけてきたのよ、あの逸材!」
「――キャンパスの」
「もしかして昼間土下座したとかいうのって貴方?!」
「うぎゃぁぁぁぁ!」

 ――うん、すっかり噂になってる。

 ヴェルナーとドレクスラーはうめき声をに近い悲鳴を上げたコリーナに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

「ごめんね、ツェアフェルトくん、ハルティングくん。ひとまず仮縫いから」
「は、はい」
「お願いします」

 コリーナに案内されてる。女性が多い場所にマゼルは少し戸惑ったようだが、ひとまず上を脱いで差し出されたものを身につけていく。

「ほっそ」
「ふっきん」

 囁かれる言葉になんとなく憮然とするのはヴェルナーだ。身長はヴェルナーの方が若干高いのだが、あちこちの厚みはマゼルの方があるのだ。俺だって腹は割れてるんだけどな。と、なかなか筋肉が付かない我が身を嘆きながら粛々と採寸と補正を受ける。

「ひとまず明後日もう一回来てもらえる?」
「時間は今日と同じでいいか?」
「えぇ。それで少し動いてもらって、問題がなければ撮影するわ」
「随分急ぎだな」

 おどいたように尋ねたヴェルナーにコリーナ他、衣装担当らしい面々の眼から光が消えた。

「ヴェ、ヴェルナー」

 ひっと、小さく悲鳴を上げてマゼルがヴェルナーの後ろに隠れた。ヴェルナーも思わずマゼルをかばうように動く。

「締め切りが」
「ギリギリで」
「チーフがイメージの合うモデルをあきらめなくて」
「すまんて」

 どうやらいろいろあったらしい。二人はそそくさと服を脱ぐと「お邪魔しました」といってドレクスラーとともに足早にその場を後にしたのだった。
 なお、二人が去った後は、担当者が徹夜覚悟で修正に入るのだが、それはまた別の話である。




「はい、それではこちらで撮影します!」

 そう言って案内されたのは白い布が張られた、いくつものライトが設置された場所だった。本格的だな。と、ヴェルナーが思わず思った。
 すでに二人とも衣装に着替えている。ヴェルナーは青を基調とし、袖や|飾緒《そくちょ》や肩のエポットが白銀、マゼルは緑の基調で袖に飾りはなく、|飾緒《そくちょ》や肩のエポットが艶消ししたような鈍い金色だ。またマゼルは黒い手袋をしている。
 それぞれ長い燕尾服のような裾のジャケットに中は同系色のベスト。シャツはスタンド・カラーの白。スラックスも白なのだが、何より大変だったのは膝上まであるロングブーツだろう。慣れないせいで一人で履けず、数人がかりで履かせてもらったものだ。――なお、ヴェルナーの補助をした数人がうっかり別の扉を開きそうになったことをドレクスラーがしっかり把握している。
 ヴェルナーは自分の姿を見た時は「まぁこんなもんか」と言う感想だった。実家の関係でかっちりした服装や、華やいだ服装をすることがあるからかもしれない。慣れのせいか服に着られているとは思わないが、モブ顔はどうやってもモブ顔だなぁ。としか思えなかった。
 対するマゼルについては「顔がいい」と言うのがまず最初だった。どちらかと言うと普段はラフなマゼル独自のセンスが爆発したような服装をしていることが多いのだが、その彼がこうしてかっちりとした服装をしているのを見ると、いつもとはまた別のかっこよさがある。
 いつもはさらさらとしている秘かにヴェルナーお気に入りの赤みの強い髪も今日はしっかりとスタイリングされているらしい。王子、というには親しみが強いが、貴公子というには十分な品の良さがあった。

「それじゃまずは通常の。ツェアフェルトくんは右、ハルティングくんは左で」

 どうやらそれぞれカメラマンは別らしい。ヴェルナーのカメラマンは顎髭の生えた男性で、マゼルは青いメッシュを入れた金髪の女性だった。どちらも癖が強そうだな。と、ドレクスラーがこっそりと思う。

「左手は腰に、右手は軽く握って下に。笑みはこっち、不敵な感じ。髪は」

 カメラマンがあれこれ注文を付け、それに合わせてスタイリストや助手が動いていく。

「髪失礼します」
「流すよ! 3、2、1!」

 数人がかりでヴェルナーの髪を持ち上げ、合図とともに手を離す。と同時にシャッターの音がバーストしたかのように上がる。そう言えばテレビで結婚式などのドレスが広がったりするのは助手の人が広げたりしているというの見た記憶があるなぁ。などと遠い目をするヴェルナーである。
 カメラのシャッターが止まると、途端に数人がパソコンのディスプレイに集まる。ヴェルナーがなんとなくマゼルの方へと視線を向けると、こちらも右手を胸に、左手を後ろに回したような姿で立っているのが見えた。

 ――顔がいいなぁ。まじで王子様かよ。

 先ほどは王子にしては親しみが強いとは思ったが、あぁしてみると十分そう見える。
 緊張しているのか少しぎこちない笑みが初々しさを演出しているな。と、ヴェルナーがぼけーと、親友の顔に見惚れていたところでカメラマンに声を掛けられた。

「よし、次に行こうか。準備頼む」
「はい」

 スタイリストがまたヴェルナーの周りに集まってくる。なんだ? と思っているうちにベストやシャツのボタンが外され、セットした髪の毛に手を入れられる。

「あ、あの?」
「袖のボタンどうする?」
「はずそう」

 あっという間に服装を乱されたヴェルナーがいったいなにが? と思っているうちにスタイリストが去っていく。そうこうしているうちにカメラマンからの指示が飛んでくる。

「こっちむいて!」
「表情消して、そう、腕は頭、耳のあたりに。右手を前に、そう、そこでとめて!!」

 こっちは素人だぞ!? と、ヴェルナーは思ったが、それでも容赦のない注文に翻弄され、自分がどんな表情とポーズをとっているかわからないうちに終わってしまった。

「お疲れ様!」
「おつかれさま~」

 ほぼほぼマゼルも同じタイミングで終わったらしい。視線を向けるといつの間にか用意されたのか、椅子に座っているマゼルと目が合った。こちらも胸元がはだけているし、髪の毛が乱れていた。

「ヴェルナーどんなポーズしたの?」
「それは俺のセリフだ」

 お互いにはぁと、ため息をつく。ドレクスラーに視線を向けると何とも言えない表情で頭を抱えており、聞くのが怖いというのが正直なところだ。

「「ドレクスラー」」
「いやぁ、出来上がりが楽しみだな!」

 異口同音で友の名を呼んだ二人にドレクスラーはやけくそのようにそう返したのだった。
 見るか? と聞かれたのだが、それよりも疲れの方が勝っていたため、辞退する。数日後、出来上がった写真を見せてもらった二人は、一人は頭を抱え、一人は顔を真っ赤にさせてうずくまることになるのだが、今はまだ知る由もない話だ。





 うわ、なんだこれ。それがヴェルナーの正直な感想だった。いつも大きく輝いているマゼルの緑かかった青い瞳がすがめるように細められ、形のいい唇は上唇を舐めるように舌先が覗いていた。
 胸元をはだけさせるように添えられた黒い手袋をはめた右手やきちんとセットされていたはずなのに乱れた髪などと相成って、非常にセクシャルな印象を受ける仕上がりになっている。いや、いちいちそんな細かい説明などしなくても、ヴェルナーはその出来上がった写真を見たとたん、ゾワッと背筋に悪寒が走った。衝撃が収まった後に思ったのは、「お前、何、これ、すげー〝雄〟、って感じじゃねーの」である。
 なお、自分の写真については「ふーん」であった。あれがこうなるのか―。と言う程度の感想だ。
 ところがマゼルはそうではなかったらしい。

「ヴェルナー! なんでこんなにはだけてるの!?」
「お前さんこそ、これなんで、し、し、舌?! なんで舌ペロ?!」

 顔を赤くしてわめくマゼルに引きずられるように、まだ衝撃から立ち直れていないヴェルナーが尋ねる。細められた目やはだけられた胸元はまだいい。いや、よくはないのだが、ヴェルナーもへその上までボタンを外されているため、それに比べればマゼルは露出は少ない。見せられた胸元の厚みの違いからは全力で目をそらす所存である。
 そんなヴェルナーの言葉にマゼルが苦い顔をした。

「いや、ちょっと乾燥してて、無意識に唇舐めてたみたいで」
「あぁ、ライトがいっぱい当たってたからな」
「だから唇を舐めるなって」

 結構乾燥してた。と、ドレクスラーがフォローするように付け加えた。あぁそう言えば、と、ヴェルナーも思い出したようにうなずく。それから「リップクリーム使え」と、あさっての説教をするヴェルナー。それにしてもちょうど伏し目になり、舌を出している一瞬を見事に切りだしたカメラマンの腕がいいのだろうかとドレクスラーは遠い目をするのだった。
 なお、どこかから実家にばれたヴェルナーが、兄に小言を言われることになるのだが、ぎゃいぎゃいとお互いに文句を言い合っているヴェルナーもマゼルも知る由もない未来の話である。

「せっかくのヴェルナーがモデルをやっているのに、なんで教えてくれなかったんだい?」
「いえ、その、学内の卒業制作と聞いていたので」
「だからって、ね」

 実家に呼び出され、巨大パネルに引き伸ばされた自分の二枚の写真を見せられ、ヴェルナーは悲鳴を上げる羽目になった。

「いや、それよりもなぜパネルに?」
「そりゃもちろん、可愛いヴェルナーがモデルをやってるんだし」

 製作者に頼んだよ。と、笑顔で言う兄。今は仕事でいない両親もそれぞれ絶賛していたらしい。ますますヴェルナーは頭を抱える。そんな弟に、兄はいたずらが成功したかのような笑みを浮かべ、壁に立てかけていた別のパネルに手をかける。ヴェルナーが思わず警戒するように身をこわばらせる前で、兄はパッとパネルをひっくり返した。

「マゼル君のもあるけど」
「ぎゃー!!!!! 並べないでください!!!!」

 いつもと違う格好をし、絶対しないポーズで写された自分と親友の巨大パネルを見せられ、ヴェルナーの悲鳴がツェアフェルト邸に響き渡ったという。なお、はだける前の通常の立ち姿の写真をお互いに持っていることを知っているのはドレクスラーだけである。
 ついでに言うと、二人の服装や撮影チームに関わった者たちが、卒業後にそれぞれの分野で名を上げることになるのは、もう少し未来の話。そしてその彼らが初期の代表作としてあげるのがかの写真であるため、定期的に業界で話題に上がることになるのだが、この時のヴェルナーたちは知る由もないのである。

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Qここはどこの国ですか
Aこまけぇことは気にすんな

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