トロピカル・ブリーズ
ナマエが趣味で営んでいるカフェは、サーフ島の裏海岸、いわば秘境とも呼べるくらいに人気のないところにある。広がるビーチはさらさらの白砂で、砕けた珊瑚たちが集まって美しい砂浜を形作っている。焦げつくほどの太陽に照らされたって素足で歩ける程度の温度にとどまってくれるのはそのおかげだ。その白砂をさくさくと歩きながらビーチの端に向かっていくと白いコンクリートで作られたナマエの海のカフェが見えてくる。下の階は海のカフェ、上の階は住居スペースとしている二階建ての建物だ。裏庭にあたる部分にはヤシの木が生い茂っているから、それがちょうど容赦のない日差しを遮ってくれて絶好のチルスポットとなっている。しかし、人なんて滅多にこないからそこはだいたいナマエが独占状態なのである。観光客なんかのほとんどは島の表のビーチだとか観光施設、観光スポット、リゾートホテル街など、ものの見事にフォトジェニックなところへと吸い寄せられていくのでここでは滅多に出くわさない。出くわすのは地元の一部の人たちだったり、ナマエの知り合いばかりなのだ。この建物ももともと住まうために作ったものだし、提供してきる飲食物はだいたいそのとき旬のものを直接自然からいただいているものなので、売上がなくたってのんびりとしてればそれでよかった。だから海が穏やかな春から秋のあいだにかけてはウミガメが甲羅を乾かしに浜へあがるのをきっかけにしてナマエはカフェをオープンさせる。それはだいたい、十時半すぎくらいから十一時くらいの時間にあたる。クローズはそれこそナマエの気分。だから店先に置いてあるメニューボードにオープンとクローズの定刻は書かれていない。そのくらいゆるいのがこの島にはちょうどいいのだ。
そうやってきちきちとするのをやめたのは、ナマエがここで生活をはじめてからだ。昔、ナマエは海軍にいた。そのころは少尉として時間に縛られきちっとした生活を送っていて、それについての文句はすこしもなかった。時間通りに就業開始、時間通りに行動して、時間通りに昼食を食べる。だいたい時間通りの退勤で、時間外労働はそこそこあったが規律は一見しっかりしているし、正義をかざして民衆を守っていたることにナマエは誇りをもっていた。しかし、忠誠心が強いナマエでも、あることがきっかけでその正義を信じることができなくなってしまった。だから退いた。
よく飲みに歩いていた同期はナマエを引き止めることはしなかった。ナマエの性格をよく知っていたからだ。一度決めたら揺るがない、という頑固な面を鑑みたわけじゃない。忠誠心と正義感が強いナマエの性格上、これ以上海軍にいることはナマエにとって辛いことだと判断したからだ。今でも彼女はバカンスがてらナマエの顔をみにここへやってくる。ミルクティーピンクのストレートヘアをなびかせながら。それはまた、別の話だ。
正直なところ、カフェの店内は非常に窮屈だ。カウンター席が三席と一卓のテーブル席でぎゅうぎゅうになる。だからガラス張りの引き戸につづけてデッキ張りのテラス席も設けた。そこには八角形のテーブル席が三卓ぶん並んでいて、ナマエはさきほどから強烈な日差しをもろともせずにゆっくりとそのテーブルたちを拭きあげていた。それが終わったら真っ白なパラソルを抜いて畳んでまとめたら店横の物置にしているスペースへ。重量のあるテーブルとイスも、折りたたんでコンパクトにしてから同じスペースへりそれを順ぐりにワンセットずつこなしていく。効率はひとまず置いておいて、ひとつひとつ綺麗になっていくのが気持ちいいからそうしている。
キッチン業務を手伝っていたベックマンは、店内をきれいにしてから「手伝うぞ」とあとのことはすべて請け負う気で外にでた。それなのに「もう終わるからタバコでも吸ってて」と元気よくナマエに背中をおされたベックマンはあれよあれよという間に店内へと立ち戻った。そして強引にカウンター席へ座らされると、そこにはいつのまにか炭酸水が注がれたワイングラスとシャーベットが並べられていた。「溶けちゃう前に食べてね」と念を押されてしまうと、すでに汗をかくみたいにじわじわと表面の液だれがはじまっている目の前のシャーベットが申し訳なくなったベックマンは、早々にスプーンでそれをすくった。
この店で出される飲食物はすべて手作りだ。だからシャーベットも例外ではなくて、まろやかなココナッツの風味やみどり色をしたラムレーズンのほんのりとした甘さ、そしてヨーグルトの酸味が絶妙にできていてベックマンは舌を巻いた。溶けかけていても美味しかった。アイスクリームやシャーベットなんかは積極的には食べない方だから、自分の好みの味にできていたことに驚いた。
ベックマンは最後のひとくちを口に運ぶと、タバコを咥えて火をつけた。それからグラスのステムをつまみ、座っている丸イスをくるりとまわして振り向いた。ナマエは最後のテーブル拭きをしていた。テーブルの真ん中にささっているままの真っ白なパラソルの一本が、強烈な太陽光を反射させてベックマンの目をちかちかとさせる。ここにくる途中の店でサングラスでも買ってくればよかったか。そんなことを考えながら、グラスをナマエ越しにして覗いてみた。発泡してたった泡で少しでも錯乱させられるか試してみたのだ。そうしたら好物である尻がまるっとうつって、「こりゃいい」としばらく眺めた。
こちらに背を向けているものだから、テーブルの向こうにナマエが手を伸ばすと極端に短いデニムのホットパンツからは尻たぶがちらりとはみ出る。履いているショーツはティーバックだ。そう断定できるくらい、ナマエの尻は丸見えだった。そうなるとやっぱり視線は釘付けになってしまうもので。だからたぶん、しばらく眺めすぎたのだ。テーブルを拭き終えたナマエがくるりと振り返ると、そこにはただの炭酸水が入ったグラスを宙に浮かべてなにやら不可思議なことをしているベックマンの姿。ナマエは「なにしてんの?」とじとっとした目を向けた。ベックマンもベックマンであけっぴろげに「お前の尻を炭酸水に浮かべてた」なんてのたまうので、ナマエは「相変わらずね」と肩をすくめた。
「まぁでも、手伝ってくれて助かったわ。汗もかいたんだし、一緒にシャワーでも入る?」
ナマエは引き戸をはじめ、扉という扉、そして開け放していた窓もぴしゃりと閉めた。冷房なんかはきかせていないので気温がぐっと急激に上昇したような気がした。テーブル席のはじっこに置いてある扇風機が命の架け橋みたいなものなのに、ナマエはその扇風機のスイッチさえもオフにした。それが住宅スペースへの誘いなのだとベックマンは理解した。
「こんな暑くちゃかなわねぇ。湯船あったよな?」
「湯船?ベックが入るには狭いかも」
「狭くても入れりゃいい。水風呂につかろう」
ナマエは自分の顎に指先を添え、考え込むようにして眉間にしわを寄せた。
「でも、猫足だし」
「猫足?」
ナマエのそれに、無意識にベックマンの眉間にも皺が寄った。
そして過去のことを振り返ってみる。航海している身として湯船に浸かるという習慣はない。だからここを訪ねたときにもシャワーだけ浴びていて湯船のことなんて気にしていなかったし、一緒にシャワーを浴びて体を触っても落ち着かないからすぐにベッドへと移動していたから言われなくちゃ思い出せなかったものの。しかし確かに、ここの湯船は猫足だったことをうっすらとベックマンは思い出す。——しかし、猫足だからってなにか問題でもあるか?
そうやって少し考えたところ、ベックマンは「あぁ、」とすぐに合点がいった。自分のこのずっしりとした巨体……は二の次として、猫足を心配しての発言なのだろう。
「さすがに折れないだろう」
「あなたは規格外だと思う」
ナマエの即答にベックマンはまた考えた。まず思いついた案としては、折れたら買い換えればいい、ということだ。しかしその猫足とやらの湯船というのはナマエが気に入ったからわざわざそれを選んだのであって、住みはじめてそこそこ経つのだし愛着もあるだろう。簡単にそう提案するにはあまりにも配慮が乏しいと思った。——じゃあ、どうすればいい。
表には出さずとも裏心でそうやって考えながらベックマンは珍しくうんうんと唸った。その姿にナマエは目を丸くした。いつもは頭のキレがいいベックマンが、先ほどからわりと小さなことで頭を悩ませているのだ。
「シャワーだけじゃだめなの?」
「だめだな」
「どうして?」
自分の顎髭をすりすりと擦りながら考え込んでいたベックマンだったが、ナマエの問いかけにようやく答えが出せたようだった。ナマエの瞳をじっと見とめると、にやりと笑って言った。
「たまにはいつもと違うようにヤッたっていいだろう」
まわりくどいやり方なんて性に合っていない。だったらストレートに告白するまでだ。ナマエは呆れながら「変態」と言い捨てた。
◇◇◇
この建物の設備のありとあらゆるものが、ベックマンにとっては窮屈だった。ただしそれは至極、当たり前なことだ。だって、この建物は女ひとりが住まうものとして建てられたものだから、だからナマエが言うとおり、湯船も狭かった。それでも耐荷重はクリアしていたようで、猫足はなんともなしにふたりを支えた。しかし、そんな云々はもうふたりにはとっくにどうでもいいことなのだ。
シャワーで全身をきれいにしてからベックマンとナマエはまだ水のたまっていない湯船に入り込んだ。蛇口をひねってちょろちょろと水を出しながら、ナマエはベックマンの上にまたがった。そしてすぐに繋がった。シャワー中の中指の愛撫は性急なものだったが、ナマエの中はとっくにぐずぐずと濡れそぼってベックマンを待っていた。いつもならとことんナマエの尻を弄んで自分のフェチを堪能するベックマンも、今日は繋がることを優先させた。お互い、我慢しきれなかった。しばらく会っていなかった空白の時間を潰したくてたまらなかった。
狭い湯船で自由がきかないなりにも、狭いからこそわりかしバランスはとりやすかった。ベックマンの腰は力強く、ぐっ、ぐっとナマエの奥を突きたてていく。ナマエも負けじと跳ねようとするので、ベックマンはそのタイミングを見計らって自分の腰を打ち当てた。それにともなって溜まっていく水がぴちゃぴちゃと跳ねた。それから肌同士がパンッと当たりつける音が反響する。そしてナマエの甲高い色声も風呂場にエコーした。
ベックマンの硬くなりきった先端が奥にごりっと当たった瞬間、ナマエは「あ゛ッ」と唸ってひるんだ。ベックマンは腰を引いて体勢を整え、ナマエがすこし浮くように両手で尻を支えた。尻をもみこみ弾力を堪能しながらあまり奥に挿さらないよう抜き差しに集中する。そしてナマエの腹の手前側を擦るように意識をするとまた気持ちよさそうな声があがりはじめた。ぎゅっと目を閉じて全身で快楽を味わうナマエの中は、きゅうきゅうとベックマンのそれを締めつけて限界を迎えようとしていた。
「ベックっ!もっ、それだめっ!気持ちいいっ!」
「ハッ、そうか。そりゃあいい」
ベックマンはナマエに軽くて口づけてからまた腰を打ちはじめた。
「あッ!アぁっ!」
「ナマエ。一度イッたらどうだ」
「え、アァッ!?」
ベックマンは腰つきを変えた。打ち込みをやめたかと思うと腰をグラインドさせ、なおのこと奥をぐりぐりと押し込んで擦り続ける。太さも質量もバカにならない男のそれに、ナマエの体は悦び震えた。はじめての時、ナマエはベックマンの巨根をみて「そんなもの挿るわけない」と言い切った。しかし今ではそれじゃなきゃ満足できない。体はもう、ベックマンしか欲さなくなっていた。
ベックマンはナマエの両方の乳首の根をそれぞれつまんで、緩急をつけながらつねったり擦ったりを繰り返してしごきあげた。ついでにむしゃぶりついてちゅうちゅうと吸いあげる。そうしてまた抜き差しをはじめてナマエのイイトコロを集中的に擦りあげていく。ナマエは我慢しきれずベックマンの首に腕をまわして今度は深く繋がるようなキスをせがんだ。ベックマンもそれに応えるようにくちびるを合わせ舌で侵す。ついに限界を迎えたナマエはつま先と背筋をぴんとさせてからびくびくっと痙攣し、眼の前の分厚い胸板になだれ込んだ。
◇◇◇
天窓から差し込む日差しがナマエの肌を焦がしはじめる。じりじりとした熱さがちりっとした痛みに変わりはじめたところでナマエは重い瞼を持ちあげた。朝方はそこで寝ていたはずのベックマンはいなかった。いつもそうだ。ベックマンはふらっとやってきたかと思えば時間の感覚がわからなくなるくらいまでナマエを抱き潰し、ふらっとまたどこかへ消えてゆく。ナマエはすうっと鼻から息を吸って、ベックマンのにおいを探した。タバコのにおいじゃなくて、彼自身のにおいを。別に嗅覚が特段優れているわけじゃないけれど、もうここにはいない彼を感じられたらと思ったからそうしたのだ。でも、鼻腔をかすめたのはやっぱりタバコのにおいだけだった。ナマエはもぞもぞと起き上がってぼうっとした頭であぐらをかいた。
ふと彼の形をしたしわを残したシーツの上をみると、ベルベットの巾着袋がちょこんと転がっていた。ものぐさに袋の底をとってぱたぱたと揺すり落としてみようとするけど絞りのせいでなかなか落ちてこない。しょうがないから巾着袋の口をしっかりとあけて、さっきと同じようにひっくり返した。そうしてシーツの上にごろんと落ちたのは、そこそこの大きさがあるダイヤモンドのかたまりだった。多分、四カラット近くある。売れば四百万から五百万ベリーの値はつくだろう。これもそう。いつもと同じ。ベックマンはいつも金目のものを置いてどこかへ消えるのだ。前に『一度世話したやつのことは放っとけねぇタチでな』なんて言っていたが、彼が何人もの港妻をどこかしらに置いてるってことにナマエは薄々勘づいている。直接本人から聞いたわけじゃない。けれど、背中に残った引っ掻き傷やら首筋あたりについた歯形は、それをリアルに物語っていた。
でもそれがナマエの嫉妬を掻き立てるとかそんなことは全然ないし、だからといって自分もベックマンのどこかしらにしるしをつけてやろうだなんてことは思わなかった。自分たちの関係はセフレであって、それ以上でもそれ以下でもないと思いつづけているからだ。
『こうやって入れあげてるのはナマエくらいなもんだ』
そういえば、そんなことも言っていた。本当に憎たらしい男だ、とナマエは過去のベックマンを思い出し呆れのため息を吐いた。
「次はいつ来んのかな」
ナマエはルームシューズをつっかけてバルコニーに繋がる掃き出し窓を開けた。両手を天に向けて伸ばしてぐぐっと伸びをする。そしてまた、深呼吸をする。鼻腔をかすめたのは、嗅ぎなれた潮のかおりだ。ベックマンが訪ねてくると、あぶくみたいにふわっと浮かび、あっというまに消えてしまう、そんな夢をみせられる。だから、今となっては広大に広がる海を見据えて潮のかおりを嗅ぐことが現実に戻れる綱のようなルーティンになっている。
バルコニーに置いたバイン材の丸テーブルの上には、開けられた一箱のタバコと使い捨てのライターが置かれていた。それは紛れもなく、ベックマンの忘れものだ。ナマエは一本咥えて火をつけて、ゆっくりと煙を肺に流し込んだ。
「相変わらず美味しくない」
ベックマンとキスをするとき、こんなに嫌悪感を感じることはない。ベックマンが吐きだす煙だって、こんなにクサイとは感じられないのに、自分が吸うとどうしてこうも拒否反応が出てしまうのだろうとナマエは心底不思議に思った。そこで、海軍にいる親友を思い出す。彼女もタバコを吸うタチだからだ。最近、どうしているだろうか。ナマエはスマホの電話帳を開き、呼びだしボタンをタップした。
『どうかした?』
「んー?急に寂しくなっちゃって」
『なに、また例のクソみたいな男でも来た?そんな男、早く捨てなさい』
「しばらくは無理」
『どうして?』
「だって、好きかもしれないから」
はじめて自分の気持ちを認めたナマエの頬をひとつぶの涙が伝う。自分の意思とは関係なく流れたその涙にナマエが驚くと、常夏の島に吹くそよ風がふわりと頬を撫でてどこかへ去った。
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