ベイビー、こっちを向いて - ピリサオ
円卓型の操縦盤の上、立体的に映し出された星々の間を見慣れた飛行体が泳ぐように進んでいく。自分たちの乗る船が間違いなく目的地へ向け進んでいること、その先々の針路を侵害するもののないことを確認して、サオネルは手元の盤を操り地図の縮尺を小さくした。自船は星屑よりも小さく影もなくなり、代わりに幾つもの小惑星が限られた画面の中に映りその位置を示した。
惑星間の重力の流れや星屑の河を眺め果てない宙を渡るのは楽しい。定められた安寧の地でよそを知らぬまま暮らす者の多いナメック人のなかで、サオネルはとりわけ冒険心が強かった。幼い時分から年長の同朋にせがみ、近しい星々へと出向いては外界の新しさを享受してきた。旅先で出会った異星人は数多く、未だに交流のあるものもいる。
地図の上で指を滑らせ、サオネルはひとつの星に手を止めた。名前も知らない惑星で、生命体が存在しているかどうかも知らない。もしいたら、どんな姿形をしているだろう。どんな音を連ねてしゃべるのだろう。
「…………で、長老たちがなんだかムキになり出して、それこそ百年ぶりくらいの喧嘩が見れるかと思ったぜ」
「へえ、めずらしいな」
画面をスクロールしながらピリナの話に相槌を打ち、サオネルはふと首を傾けた。長老たち、と聞いて、星を出る間際に声をかけてきた長老の姿が脳裏をよぎる。そういえば、何か頼まれていたような? ああそうだ、道すがらの星ですてきな器を見つけてきてくれとかなんとか。
思い浮かべた長老の住まいには、色かたち、大小様々な──一部は器と呼んでよいものか判断が分かれるような奇妙奇天烈な──器が並んでいる。蒐集が目的か、鑑賞が目的か、はたまたその両方で長老の家の棚は器にあふれていた。水を汲んで眺めてみたり、爪弾いて音を聞いたり、他の長たちへ誇らしげにその造形の面白みを語って器を愛でる長老を思うと、さてどんなものなら喜んでくれるだろうかとサオネルも唇をひと舐め、意気込みが変わってくる。
地図の上でいくつか星をつついたあと、顔見知りの在る、輪っかが二つくっついた恒星を見つけた。目的の星にもほど近い、この星、ここの土は一番大きく明るいときの太陽のように赤いんだった。長老の家にあそこまで赤い器はなかった気がする。この星の土で焼いた器なら、あのこだわり屋さんの長老のお眼鏡にも叶うかもしれない。帰りしなに立ち寄って買っていってあげようか────
「────なあ、おい、サオネル」
「んあっ?」
頭の中に浮かんでいた器たちの幻がパチンと弾けて消えたのは、不意に揺すられた肩に、頭を支えていた手から顎がずり落ちたときだった。傍らを見れば、さきほどまで意気揚々と話していたピリナが眉間に皺を寄せている。自分でも思いがけないことだったのだろうか、ピリナははっとしたように手を引き、それから遠慮がちな視線をサオネルの貌の上にさまよわせ、惑星図の上に留まった。山を作って少し傾いた唇が、もぐもぐと歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「俺、うるさいか。何か…集中してるんなら、席外すけどよ……」
この時、この瞬間────サオネルは生まれて初めて無重力というものを知った。
何も船から宇宙空間に飛び出したというわけではなく、自分の内に広がる無限の世界に心をすっかり放り出してしまったのだ。呆然と開け放った口は呼吸を忘れて、焦点を失った視界が恥ずかしそうなピリナの横顔に絞られる。正常に脈を刻んでいたはずの心筋が奇妙なリズムを立てて、全身が一拍、時の進みに逆らったようだ。サオネルの背後では二、三超新星爆発が起きて、無音の爆風によって背中を打たれたサオネルの正気は、そこでようやく実体を取り戻した。
「エッッッッ何?!?!?!! かわい〜〜〜〜なお前!!!!!!!!!!」喉のずっと手前から飛び出しそうになった心音を、サオネルはかろうじてで堪えてみせた。絶叫の代わりに強く固く引き結んだ口をそのまま、「んん」と呻めきを濁し、わざとらしく目線を地図へと戻してみる。遠慮がちに覗き込んできていた巨軀があからさまに肩を落とすのが見ずとも察せられ、サオネルはいよいよ叫び出すところだった。
「ン"ンッ……………悪かったよ、話は聞いてた」
「本当か?」
心なしか低く疑う声に、サオネルは少しだけ肩を竦めて見せる。「嘘じゃない」
「……三つ子が、」
「…………そろって左ひじ擦りむいて?」
「大甕が」
「末っ子入ったまま滝の下までどんぶらこ」
「それを俺が」
「華麗にキャッチ」
継いで継いで行き着いた話の終わりに、地図の上に身を乗り出してにらみ合ったピリナとサオネル。聞き流すばっかりではあってもきちんと耳には入れていた、ピリナの機転をきかせたファインプレーに最長老様も一安心という結末に、サオネルはくるりと黒目を時計回りに巡らせて、組んでいた腕を解き「よくやったな、相棒」ピリナの逞しい腕を小突いた。
「………へへ、ありがとよ」
鼻の下をこすり首をすくめたピリナは、そう言ってちょっとはにかんでみせると水を汲みに立ち上がった。机を離れる間際、手袋に覆われた白い指先が二輪付の惑星を指で弾き、満足げに鼻を鳴らしてから足取りも軽やかに厚い背中がドアの向こうへと消える。
ころりとひっくり返されたホログラムが元の位置へところころ転がるのを眺め、サオネルは制御盤の上へと頽れた。
「俺の相棒がかわいい…………………………!!!!」
@__graydawn
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