お伽噺には遠い(ジュン茨)

 珍しいこともあるもんだな、と思った。思ったそばから、なんかの罠とかじゃねぇよな、とも。

 七種茨には隙がない。
 それは能力に関してもそうだし、身のこなしに関してもそうだ。その上血も涙もなければソツもない。ところで『ソツ』ってなんなんですかねぇ。
 おひいさんやナギ先輩を『殿下』だ『閣下』だと持ち上げて誉めそやしたその口で、オレのことだけは如何にも親しげに『ジュン』と呼ぶ。なのに丁寧語は崩さない。そのくせどこかひとを小馬鹿にしたような態度をとりやがる。あ〜たしか、そういうのインギンブレイって言うんだっけ。なんかの漫画で見た記憶はあるけど、当然漢字は書けない。

 その茨がうたた寝しているところに出くわした。ゴールデン帯の生放送の収録を終えて、夜遅くにひとりで事務所に帰った時だった。
「マジか……」
 世界の主流はSDGs。ひとのいない事務所の電気は消しましょう、エアコンは消しましょうつって、デスクライトだけを残し他は真っ暗なオフィス。しかも今日は最強寒波到来とか言われてる日で、屋内でもかなり冷える。厚手のブランケットを羽織ったって寒いもんは寒い。
 茨は椅子に座ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。超多忙なクリスマス〜年末年始の荒波を見事乗りこなしてみせた、我らがコズミック・プロダクションの副所長さま。正月特番も落ち着いた今になってどっと疲れが押し寄せたとか、まあそんなとこだろう。
「……寝てるとこなんて初めて見たなぁ……」
 ぽつりと零して、目ぇ瞑ってるとこなんて、と言った方が正しかったかも、と考えた。そのくらい、普段から徹底的に隙を見せない男だ。
 手近なオフィスチェアを副所長デスクの前まで引っ張ってきて、すとんと腰を下ろす。オレも疲れましたよぉ、茨。明日やっとオフなんです。けっこう頑張ったと思いません? ちょっとくらい労ってくれてもいいんですよぉ。
 口には出さず、誰も見ていないのをいいことに行儀悪く頬杖をついて、寝顔をただ眺める。すっげぇクマ。珍しくくちびるも荒れてるし……あ〜、今キスしたらガサガサしてんのかな。隙のない七種茨の激レアな隙の部分に触ったことがあるのが唯一オレだったら、なんかそれって、なんか……良くねぇ?

「なぁ〜にを、してやがるんですかジュン……?」
「ぅええ!?」

 ドスの効いたひく〜い声に、無意識に伸ばしかけていた手をビャッと引っ込めた。カッコつけたリムレスの眼鏡の向こうから、暗がりで澱んだ青色がオレを睨んでいた。
「茨ぁ〜起きてたなら言ってくださいよぉ。っとに性格わりぃなぁあんた」
「おっと、それで話題を逸らしたつもりでしょうかね。自分は“何をしているのか”と聞いているのですが」
「はぁ? 何もしてねぇですよ」
 まだ、っすけどねぇ! あっぶねぇ! あともうちょいで無断で顔触る変態になるとこでしたよぉ〜!
 表面を取り繕いながらも心臓はバックバクだ。バレてませんように。そう願うことしかできない。茨は眼鏡を外し、眉間を揉み、それから腕時計を見て顔を顰めた。
「ゲッもうこんな時間……自分としたことが結構な時間居眠りをしてしまっていたようで……」
「へぇ。ほんとに寝てたんすね」
「寝てましたよ。ジュンの気配にも気づけないだなんて、自分もヤキが回りましたかね」
 良かったですねぇジュン! これなら自分の寝首かき放題。邪魔になったらいつでも挑んできてくださいね。
 そんな物騒なジョークを飛ばしながら伸びをする。その拍子に肩に掛けていたブランケットが滑り落ちて、茨はようやく肌寒さを思い出したようだった。
「……」
「茨?」
 名前を呼ぶ。無表情。イケメンより美男子寄りの茨の顔は、黙っているとすこし怖い。
「キスで起こしてやろう、とでも考えましたか」
 沈黙。首を動かしてこっちを見る男。
「……いばら姫みたいに?」
「ははっ。薄ら寒いこと言いますねジュン」
 乾いた笑いとともに立ち上がる。
「バレてないと思ったら大間違いですからね」
 何を? 答えはもちろん、こっそり触れようとしたことを、だ。思わず言葉に詰まる。
「で……すよねぇ〜」
 茨が大事にしてるオフィスで、しかも寝込みを襲うような真似。すんません、と口に出そうとして、だけど茨越しの景色に目を奪われたオレのくちびるは『す』の形で固まった。
「……雪……っすねぇ」
「ああ……降りはじめましたか」
 つられて窓の外を見やる茨。キンと冷えた、静けさの中。
「ジュン」
 茨が発した声はひどく穏やかだった。
「あした、自分もオフなんです」
 しってる。
「どうせどこにも行けませんし。一日じゅう、ホテルに籠っちゃいません?」
「えっ」
 ドカ。足元のゴミ箱を思いっきり蹴飛ばし、慌ててしゃがむ。副所長さまの指導の賜物と言うべきか、中身は空だった。デスクライトも消えて真っ暗な事務所。でも雪の振り続ける窓の外は明るい。
 だから、振り返ったあいつの表情がよく見えたんだ。
「──何を想像したんです? ジュンのエッチ」
 それだけ言い捨てて茨はさっさと出て行ってしまった。あんぐりと口を開けたままのオレを置いて。
「GODDAMN……」
 言いたいことは色々ある。こんな寒いとこにいたら風邪ひきますよとか、ちゃんと飯食えよとか、最近あんま寝てねぇだろ馬鹿とか、あんた“エッチ”とか言うタマかよとか。それから、オレの気配に慣れてんじゃねぇよ、とか。
 何よりもオレの胸を満たしたのは、擽ったい歓びだった。
 ──なんだ、茨もオレとキスしたかったんじゃん。

 鼻歌まじりに寮へと帰る。雪よ降れふれ、降っちまえ。タクシーも呼べないくらい積もったっていい。なんなら丸三日くらい外出できなくたって……とは『Eden』のファンの手前言えねぇけど。
 あしたはどんなワガママだって聞いてやろう。全身で甘やかしてやろう。そういうのは自分ではなく殿下に、とか言われるかもだけど。オレがやりたくてやってんだ、構わないっすよねぇ?
 そして今度こそ、やさしいキスで目覚めさせてやろう。お姫さまみたいに。あいつの嫌がる顔が今から楽しみで仕方ない。浮かれたガキみたいに雪の降る道を駆けた。

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