聖アンブロワーズ祭


 それは秋のことだった。
 聖アンブロワーズ祭(リュエイユで年に一度行われる感謝祭)が始まる二週間ほど前の話だ。
 毎年十月になるとその祭のために大掛かりな準備を行う。地方から劇団員を集めたり、新しい衣装を新調したり。城や教会、邸宅は飾り付けられその日を迎える時を待つ。もちろん、我々死刑執行人一家も毎年その祭を楽しみにしている。
 その日は、子供たちの「早くお祭の日にならないかな」という声を聞きながら執行命令書に目を通していた。祭の期間中は刑の執行はされないことになっている。そのため前倒しで執行する必要がある。十月は場合によっては死刑執行人にとっても忙しない月となる。
 今回の執行命令書に記載されている内容は死刑ではなかった。わかりやすく言えば、窃盗した者の両腕を切り落とせといった事が書かれてあった。
 切断刑は珍しくはない。特に窃盗罪はこのような刑が執行されることも多い。
 弟のアンリを呼びつけて執行命令書を手渡した。
 「さっき届いた。これを読め」
 アンリは何も言わずに目を通した。
 「当日は外科医を待機させるんだ。わかったな」
 アンリは私の助手であると同時に外科医(父の友人だ)の元でも助手を務めている。その外科医とは私たち兄弟も親しい仲だ。
 執行日まであまり時間がなかった。三日後には刑場へ行かなければならない。限られた時間で処刑台(足場)を広場に造りあげ、剣を研いだ。すぐに執行の手筈は整った。
 そして当日を迎えた。刑場へは馬車で向かう。貴族が乗るようなものではない。荷馬車のような質素な馬車だ。それには私と罪人、そして外科医が乗っていた。
 刑場へ着き、助手に両腕を抱えられた罪人は二本の柱の間に立たせられた。両腕を横に伸ばし手首にそれぞれ縄をかけられると、柱に縛りつけられた。これで身動きは取れない。私はその様子を見ながら外科医に言った。
 「終わったらまたいつものように頼む」
 「もちろんだとも」
 こんな場所に医師を連れて来させるのは申し訳ないと思っている。彼は仕事の一環と思っているのか嫌な顔はしないのだが。
 私は剣を手に持ち処刑台へ上がった。見学している民衆の目線が集まった。この視線を浴びてこそ、役者の気持ちがわかるのだ……。
 さて、罪人は中年くらいの男だ。おそらくあまり高い身分ではない。窃盗するくらいだから金に困っていたのか、それとも物欲しさに目が眩んで犯行に及んだのか。それはわからない。あくまでも憶測だ。死刑執行人には時に余計な情報は一切入ってこない時がある。情に流されないために。
 男の怯えた表情は子供みたいだった。民衆は野次を飛ばす。「よくもうちの食い物を盗んだな!」「せっかく新しく仕立てた靴を盗られた!」「指輪も盗んだそうじゃないか」
 常習犯だったか。それがようやく捕らえられて今ここにいるわけだ。
 窃盗罪を犯した者への切断刑は、二度と盗みを働かせないためにするものである。その手を罰するのだ。もしかすると死刑よりも重い罰なのかもしれない。「自由」を奪われた状態で生かされるのだから。
 男は私に必死に訴えた。
 「生きるために仕方なくやったことです! 食い物がなければ家族共々飢え死にすると思ったのです!」
 私は顔色ひとつ変えず答えようともしなかった。
 それにしても、なんとも哀れな男なのだ。あともう少し待っていれば、聖アンブロワーズ祭が始まって美味しいご馳走を口にできたというのに! ああ、つい情に流されてしまったか。
 私は彼を助けることはできない。それは許されない。ただ罰を与えるのみだ。男の腕の関節部分を目掛けて剣を振り下ろした。研ぎ澄ませておいた刃はなんと切れ味の素晴らしいことか。人参を真っ二つにするみたいだった。
 男の声にならない悲鳴が空に響き渡る。腕を切り離された腕は柱にぶら下がっている。男は腕を失くしたことによりバランスを崩しその場に頽れた。アンリと他の助手に合図を出して男を運ばせた。
 刑の執行が終わった後、外科医がすぐに彼の応急処置に当たる。
 罪人の治療をする必要があるのか? 多くの者は疑問に思うだろう。男にも同じことを訊かれた。痛みに耐えながら「何故こんなことをするんだっ」と。
 これは私が必要であると判断したからこうするのである。死刑ではないから、生かしておく必要がある。それにもう罰は受けたのだし、治療くらいしてもいい。過去に何回か同じことをした。鞭で打たれた者への治療もやった。
 男はそのあと牢獄に移送された。
 刑を行った広場は綺麗に片付けられた。二週間後にはここで野外舞踏会が開かれる。処刑場と催し物が同じ会場だなんて、なんとも皮肉なものだ。刑の執行も娯楽の一つなのかと錯覚してしまうほどに。
 やがて祭の期間に突入し、街は大賑わいとなった。私もこの期間だけは現実を忘れて楽しむことにしている。
 外に出るとちょうど広場で音楽家による演奏が行われていた。いつもは「舞台上の役者」だがこの日は「観客」としてそれを観賞することにした。





2022/1/15

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