もう知らん


先に寝る、と言って布団の上に横になっていると、隣に四草が入って来た。
「なあ~、しぃ~。」
ちゅ。
顔が近づいて来たと思ったら、キスをして離れていく。
「……なんですか?」
(なんですか、て、白々しい。お前こそ、なんやねん急に……。)
一瞬で終わるキスにはいつも続きがない。
「なんもない。」
反論しようと思っても、不意打ちのチューはこれが初めてでもない。
何すんや、やめえ、とは一度も言えてないのやから、これ以上、改めて何を言えばいいのか分からなかった。
それに、こいつが何も言わんのにオレがなんか言ってやるのは悔しい。
そう思って、言うべき言葉を伝えられないままにこうして口を閉じるたびに、少しづつ、これでええんやろうか、と後悔が降り積もっていく。
それでも。悔しいもんは悔しいんじゃ。
オレばっかりこいつのことが好きやなんて、認めたない。
「話がないなら、電気消しますよ。」と声がすると、照明が落ちて、部屋の中が暗くなる。
目を瞑ると、人も羨む端正な顔がまぶたの裏に浮かぶ。
寝ましょう、と言われて背を向けると、四草がくっついて来た。
くそっ。こんなんで寝れるかいな。



羽織を羽織ると、四草と目が合った。
「なあ、四草。」
「はい、何ですか?」
(お前オレより年上のくせに、なんで昨日あれだけやってピンピンしとんねん…。)
何か言おうとしていたことがあったはずなのに思い出せずに視線をうろつかせて、二人分の予定が書かれた壁掛けのカレンダーを見た。
あ。
「あっこに書いてあるけど、オレ明日は、岡山から戻って来た後も夜席の仕事あるからちょっと遅なるし。おちびとふたりで先に食っててくれ。」
「分かりました。」
(おい~~~~絶対メシのことちゃうやろ!)
なんで思い出せんのや、と思いながらまとめた泊まりの荷物を持って外に出る。晴れ渡った空を見ていると、ふと昨日の晩のことを思い出した。「あ。……忘れてた。」
仏壇………は、まあええか、明日で。



「なあ~、しぃ~。」
ちゅ。
「……なんですか?」
キスをした後の四草の目が真っ直ぐオレを見ていて、言葉が詰まる。
だから、お前はどうしてこういう時、オレに何も言わへんねん。
(好きです、とか続きしたいとか、もう何でもええから言えって!……と心の中でなら言えるんやけどな、オレも。)
「やっぱ、明日でええわ。」と顔を逸らす。
「分かりました。」と言っている四草からは、気のせいかもしれんけど、ちょっと笑ってる気配がする。
分かりました、て何やねん、もう。
第一、オレもお前もいい年やねんぞ。お前はホンマ……なんでそんな、僕は物わかりのええ男ですよ、みたいな顔出来んねん。
「電気消せ。」
「はい。」
いつものように電気が落ちて、部屋には、豆球の薄暗い灯りが付いている。
ふてて背を向けると、背中が体温であったかい。
何も言えんようになるやないか。



「四草、あんな。」
休憩するか、と立ち上がって水を飲んでいると、ふと思い出したことがあって、荷物を詰めている背中に、声を掛ける。
「はい、何ですか?」
旅支度の最中の四草が振り返る。
「お前、明日仕事で静岡やったよな。どっかで適当にうなぎパイ買うてきてくれへんか?」
「分かりました。」
「オレ、あれ好きやねん。旨いからおちびにも食べさせたろ、と思てな。」
「そうですか。」と言って四草は手を出してくる。「なんやこれ。」
「買い物の駄賃ください。」と言う掌をバシッと叩く。
「現物も来てへんのに駄賃が払えるかい。レシートで払うから、貸しにしとけ。」と言うと、三代目草若の四番弟子は、不服そうな顔をオレに向けて「僕は甘いもんはそんな好きやないです。」と言った。
何言うてんねん、今更。
「お前、師匠の仏壇に供えとるまんじゅう、ようぱくぱく食うてたやないか。」と言うと、痛いところを突かれたと思ったのか口を閉じた。
「……あれとそれとは別です。」
「そう言えば、まんじゅうこわい、教えてもらったときに、師匠に『好きなもんないんか?』て聞かれたとき、お前、何て答えてた?」
「覚えてないですね。」と四草は言った。
「お~~~~~い! お前、酒やて答えてたやろが!」と我慢できずに突っ込むと、四草は「兄さん、ちゃんと覚えてたやないですか。」と言ってふてたような顔を背けた。
今そないに言わへん、てことは、あんときは口から出まかせやったんかい。
「そんなら、今そないに聞かれたら、なんて答える?」
「別に……。」
「別に、てことはないやろ。お前、若狭のおかあちゃんの作った飯は、あれだけもりもり食べておいて。蟹とか、若狭鰈とか、あるやろが。あと、黒のジャケット最近よく着とるやつ、あれなんかどうや……ってなんでオレがお前の好きなもん考えたらなあかんねん!」
ちなみにオレは、今はお前の作った味噌汁が好きやで。
……とか言えたら簡単やねんけどな。
「帰って来たら、言います。」
どないやねん!
ただ好きなもん言うのに、何でそんな間ぁ空けなあかんねん!
そう言おうとして四草を見ると、いつもより、何かは言いたそうな顔つきでこっちを見ていた。
あかん……無理や。
オレよりおちびが好きや、とか言われて腹立てたないしな。
手を振って「おはようお帰り。」と言うと、四草は「行ってきます。」と言った。
何でオレが胸を撫でおろさなあかんのや。



「なあ~、四草。」
ちゅ。
「……なんですか?」
「毎回毎回、ひとが話切り出すたびになんやねんお前は!……オレが何言うか分かっててこないしてんのか。」
「毎回ではないでしょう。布団の上にいる時だけやないですか。」と四草はしれっとした顔をこちらに向ける。
「オレが毎回、言うたら毎回や!」
「子どもみたいに癇癪起こしてもしゃあないでしょう。第一、した後で、もう一遍、ちゃんと聞いとるやないですか。」
「そらそうやけど……。」
そもそもの話、キスした後でする話とちゃうで。
「もう一回しましょうか? 思い出すかもしれませんし。」
「どないやねん……!」
こっちが仏壇の話切り出そうとするたびに、邪魔しくさって。
「で、何言うつもりだったんですか?」
今聞くんかい!
「……明日言う。」
「寝たら忘れますよ。」
なんやねん、偉そうに。
「四草。」
「はい。」
「電気消せ。」
「分かりました。」と四草は言う。
「好きやで。」
「……は?」
背中を向ける代わりに、ちゅ、と意趣返しのキスをすると、四草が目を丸くした。
なるほどなァ。こいつは毎回こないな面白いもん見とったんか。
「寝たら忘れるからな。お前も忘れぇ。」
「は?」
こんなん忘れられるわけないじゃないですか、と掠れた声が聞こえてくる。
知るか。
「オレはもう知らん。そもそも、お前が、今の好きなもん帰って来たら言う、て言うから待ってたのに、お前、そっちの方もまだ言ってへんやないか。」
待ちくたびれてしもた、て若狭なら言うとこやで。
「……。」
いつものように部屋の電気が消えたと思ったら、豆球も消えてしまった。遅れて、僕も好きです、という四草の声が聞こえて来る。
どさくさまぎれかい!
オレがそないに突っ込もうと振り返ると、何かを口にする先に、暗がりから四草の手が伸びて来て、それから、ゆっくりとさっきの続きをした。

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