公開用【流花】約束をひとつもしないままでいて(仮)(旧2月の本)
■10/5
放課後の体育館では、すでに部活の練習が始まっていた。十月ともなると、サウナのようだった体育館の暑さも失せて、練習にうってつけの室温になる。湘北高校バスケ部は、いわゆる冬の選抜、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に向けての緒戦に勝利し、今月末の第二戦、準決勝へ向けての練習に余念がなかった。
残念ながら、復帰したばかりの花道はまだ本格的には練習への参加許可が出ていない。体調を最優先にして基礎練習をするのみだ。今日も、キャプテンの呼称もいくらかなじんできた宮城と、マネージャー業務が身についてきた晴子から練習メニューの説明を受けていた。花道が練習量に文句を言いがちであるため、この説明は花道に有無を言わせない彩子か、宮城の圧力をバックにして晴子が行っている。
三人以外の部員とマネージャーはすでにめいめいの練習などに励んでいたが、コートの長辺ダッシュを終えて次のメニューへ移るわずかな時間に、流川がふらりと三人へ近寄ってきた。
「なんだよキツネ、また文句かよ」
「花道、あれはおまえが悪かったろ」
唇を尖らせた花道の胸を手の甲で叩いて、宮城がたしなめる。復帰直後、練習に加わりたくてうずうずしていた花道が、宮城の指示したメニューを無視したのだ。シュートはまだやっていいと言われていないのに、一回だけと言って勝手にやろうとして、シュートフォームに入る前に流川にボールを奪われた。
そのときはこっぴどく三井と宮城に、特に三井に叱りつけられ言い聞かせられて花道も以降おとなしくはなった。だが、夢中になると注意を忘れてしまいがちで、少々練習量がオーバーしそうになると、流川が有言でも無言でも邪魔してくるようになった。
宮城としては花道の見張りが増えて助かったが、花道がそれをありがたいと思っていないものだから、ついつい流川に対して毛を逆立て気味になる。
今日はまだ何のメニューにも入っていないのに流川が来たものだから、花道は、始める前から文句でもあるのかと流川を睨みつける。
「いったい何のつもりだよ。気に食わねーことでもあんなら、さっさと言えっての」
花道の入院時、鵠沼海岸で会ってからというもの、流川とはこれまでよりはおだやかにやり取りが進むようになった。それはひとえに花道が体調的な問題で流川に手を出さなくなったからであり、花道が殴りかからなければ流川は殴り返さないという当たり前だが未知だった発見の成果だ。そして、山王との試合のブザービーター、あのとき以降、多少なりとも流川との距離感が変わったように感じていた花道には、復帰してからこのかた、自分の邪魔をするような流川の行動が少々苛立たしかった。宮城の言いつけを守れない自分が悪いのだとはわかっているが、つい頭から抜けてしまうのだから仕方がない。
今日は先に釘を刺しに来たのかと花道が睨んでいるのに、流川はひとつまばたきをしたあと目を伏せて、右手で前髪をいじっている。なんだ、と花道が問いつめる前に、流川が、長めの前髪の奥から花道を見つめてきた。
「気に食わねーわけじゃねえ」
「じゃあなんだってんだよ」
ケンカ腰になる花道の胸先へ、万一に備えているのか宮城がかるく腕をのばした。闘牛の前へかけられた柵みたいなものだ。晴子は宮城と花道と流川の間で視線をさ迷わせ、どうしたらいいかとうろたえている。
「そーじゃなくて、」
流川はめずらしく言いよどんだが、うつむいてバッシュの爪先で体育館の床をとんとんと叩いたあと、真正面から花道を見据えた。
「おめーのことが好きだから、無茶しねーか気になってる」
ピーッ! と、三井が吹いたホイッスルが、流川以外の三人の、止まってしまった思考に突き刺さった。休憩終了の合図らしく、振り返った流川が、戻るっすと言い残して走っていく。走り去る後ろ姿を三人は驚きに開いたままの口を閉じることもできずに見送る。
「は、」
短く吐き出したのは、花道だった。
「はああぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そして花道の左右にいた宮城と晴子がとっさに両耳をおおうほどに大きな声で、花道は叫んだのだった。
「い、いま、今、キツネの野郎が、いま、」
「落ちつけ花道!」
花道は宮城の肩をつかんで前後に揺すった。セオリーでは自分の頬をつねるところだが、さいわいなのか不幸にもなのか、ここには目撃者がふたりもいる。自分の耳目を疑うより証言を求めたほうが早い。
「だって、リョーちん! だってよ、」
「だから落ちつけって、どうどう」
「オレは馬じゃねー!」
衝撃を言葉にできない花道が揺すぶってくるのを止めさせて、宮城は頬をふくらませてから深く息を吐いた。
他にすがるもののない花道がしがみついてきそうなのに閉口するが、ちらりと見やった晴子の様子も危うい。宮城のアイコンタクトで花道がようやく気づいて、恐る恐る晴子へと視線を向けた。晴子は固まったままで、流川も混じった練習の様子を見ているが目の焦点が合っていない。
「りょーちん……あの、キツネの野郎が……言ったのは……」
「どっちの意味だろうな」
「どっちって、その、」
晴子を気遣いながら小声で話す。晴子は聞こえているのかどうかが疑わしいが、バッシュの立てるスキール音に紛れていてほしいところだ。しかし宮城はこれ以上はたとえ聞こえていなくてもマズイと判断したのか、親指を立てて花道を誘い、体育館外へ出た。
「likeか、love★のどっちかだろ」
とっさに叫びそうになった花道の口を、宮城が両手でふさぎにかかった。おかげで、花道はもがき声を漏らした程度で済んだ。ふたりして目を見あわせて、ちっとも動かずにいる晴子のもとへ戻る。
「晴子ちゃん、」
宮城がそっと、寝た子を起こしたいのか起こしたくないのかわからないような小声で呼ぶ。徐々に声を大きくして、通常の声量になったとき、晴子がいきなり肩を震わせて我に返った。
「み、宮城さん! あの、」
宮城は唇の前に人差し指を立てた。晴子が目を見開いて押し黙る。
「流川がどういう意味で言ったのかわからないし、俺たちの騒ぐことじゃない。晴子ちゃんも、このことは黙ってて」
「あ、わたし……」
晴子が流川へ好意を抱いていることは、花道は出会った当初から知らされていたし、宮城含めて部員の誰の目にも明らかだった。
先ほどの流川の発言は、花道への告白と言えるのかは疑わしいが、唐突ながらも好意の表明であることは確かだ。しかも、興味のないものにはとことん冷淡な流川という前提がつく。宮城の言うとおりに、流川の真意が不明であっても、晴子には過剰な衝撃だったはずだ。晴子は口を開いては閉じてをくり返している。
「えーと……体調悪いってことで、今日はもう帰る?」
宮城が精いっぱいの配慮でうながすが、晴子は首を振った。
「いえ、大丈夫です! これくらい大丈夫、平気、できます!」
問題のなさを主張する声が震えているが当人が大丈夫だと言う以上、信じてやるほうがいい。今月末には陵南高校との試合を控えているのだ。晴子には夏のIHへ向けて、少しでもマネージャー業務の経験を積んでほしい。宮城はちらりと彩子を見やってから、晴子へ向けてうなずいた。
「なんかあったら、アヤちゃんに相談して。アヤちゃんなら言っていいでしょ」
宮城に同意を求められて花道もうなずく。部員の中でこの手の相談ごとにもっとも信頼が置けるのが彩子であることに異論はなかった。
いまだ呆然としている晴子へ、花道は引きつりながらも笑顔を作った。
「ハルコさん、あの、ほら、ルカワの野郎は、その、キツネだから! キツネには人間の言葉が難しーんすよ」
自分でも何を表しているのかわからない手振りつきで、花道は晴子へ流川の発言を取りなそうとする。この場にいる誰よりもショックを受けているのが晴子だろうことは明白で、一時の驚きが過ぎてしまうと自分よりも晴子のほうが気がかりだった。
だが、晴子はぎこちなく花道を仰いだ。妙に表情の抜け落ちた顔をして、けれど眉を下げて泣き笑いじみた笑顔を浮かべる。
「それは……桜木くん、それは、違うんじゃないかな……」
ダメージの消化などほど遠い様子でいながら、毅然と、けれど弱々しい声でたしなめてくる晴子に、花道はぐっと唇を引き結んだ。
「……すんません」
「あ、違うの! 桜木くんが悪いわけじゃないわ、わたしったら」
花道と晴子のふたりして自分が悪かったと謝罪合戦になりかけ、宮城がパン、と手を打った。練習中の皆の邪魔にならないよう小さな音だったが、花道と晴子を止めるには充分だった。
「はい、この件は保留! 花道は基礎練、晴子ちゃんはアヤちゃんとこ行って」
活を入れられた背すじをのばしてふたりは元気よく返事をした。
花道の基礎練習は、バスケ部に入部したてのころと同じく彩子が主に練習を見てくれている。晴子が彩子にマネージャー業務を教わりつつ励んでいるため、彩子の対応先が増えるが、晴子もマネージャーとなってひと月半は経過していたのがさいわいだった。花道の基礎練習を見つつ、質問に来る晴子に教える体制になっている。
「桜木花道、ちゃんとボールに集中しなさい!」
彩子の喝が飛んで、花道は首を竦める。
部活への参加許可は医師から出たとはいえ、花道のメニューは初心者の体験参加めいた練習が限度だ。その場でボールをつくドリブル練習ですら身体を動かせる時間は貴重だ。彩子の指導どおりに花道は心を入れ替える。
なんでこんな大事な部活時間の前にあいつめ、と意識が逸れそうになるたびに首を振って、手指の感覚に集中する。
休憩を挟みつつでいくつかメニューをこなすと、あとは入念なストレッチだ。部活への復帰当初に、病院で教わったストレッチメニューの紙を宮城たちに見せた。そのメニューをもとに安西と宮城、マネージャーふたりの立てたストレッチメニューと練習メニューを花道が病院へ持参して、問題がないか確認してもらっている。ひとりで黙々と手足をのばしていると、彩子の監督もないため、花道の集中は乱れ始める。
床を伝わってくるドリブルの響きに目をつむっても、誰が今ボールを持っているのか、ある程度はわかるようになった。何しろストレッチも終わったら、花道は皆の練習風景を見ているだけしかない。かつて安西に言われたようにおもに流川を見ているが、三井や宮城がそれぞれの得意を決めればそちらへ視線は奪われる。
コートへ背を向けて、花道は床へ片足をついた。大腿筋を伸ばし、自分の爪先を見ているのに、脳裏に流川の声がよみがえる。
――おめーのことが好きだから、無茶しねーか気になってる。
宮城の言ったように、好きには二種類あるのだ。花道でも理解できる英単語、likeとloveの違いで。
どっちだろう、なんて花道が考えても正解はわからないのに、問いがぐるぐると渦を巻いて花道の全身をめぐる。小さな台風にからめとられたみたいだ。
たしかに、IH以降は流川と割とうまくやれていたと思う。リハビリの息抜きで花道が鵠沼海岸に出ているとき、偶然とは思えないほどの回数、流川と遭遇した。入院生活は退屈で、食事の時刻回診の時刻リハビリの時刻とまるで学校の時間割のように決まっていて変化がない。朝昼晩の食事が唯一の楽しみで、誰かが見舞いに来てくれるのは大歓迎のイベントだった。退屈さのなか、海岸で出会う流川との短いやり取りは、悪くなかった。流川に遭遇できずに病院へ戻るときは物足りなさがあるほどで、認めたくはなかったが、悪くないどころでは、なかった。
けれどあの遭遇を大きく見舞いの枠に入れれば、水戸たち友人らが来てくれたよりは断然低い。何しろ、花道が海岸に出る時間は不定だった。調子が悪ければ海岸まで出られない。だからこそ、たまに出会えるのが、当たりくじを引き当てたみたいで心躍ってしまったのは認めざるを得ない。
「……でも、べつに、見舞いだしな。や、見舞いとは言ってねーな?」
吐き出す息にまぎらせて、花道は自問自答する。見舞いではなくただの遭遇。流川のジョギングコースと花道の息抜き場処がぶつかっただけ。天才が復活してしまうと自分が補欠に追いやられかねない流川が、偵察に来ていただけとも考えられる。
だとすると、ラブではなくライクの可能性が急激に上昇する。流川が天才への尊敬を素直に言い表せずにいたのが、花道の復帰により、あふれる尊敬の念がついに口からあふれてしまったのだ。
花道の考える、個人的な尊敬の念はlikeではなくadmireだし、それは好きという表現にはならないのだが、花道の語彙にはない英単語だったし、面倒な区分は花道の苦手だった。
要するに、この天才とお友だちになりたいってことだろ。と、花道は無理やり結論づけた。自分でもすっきりしない気持ちはある。胸の奥で、本当にいいのかそれで、違うんじゃねーのと自分で自分に反論する声もある。けれど、ごちゃごちゃしたものを抱えているのも苦手だった。
だもので、ごちゃごちゃともやもやした気分をいつまで抱えているのもイヤで、部活後の部室で口にした。花道自身はすでに着替え終わり、あとはバッグを担いで帰るだけだ。すっきりするならベストのタイミングだと判断したのだ。
「おめーよぉ、オレとオトモダチになりてーのか?」
ちょうど頭からシャツを抜いていた流川の表情は、花道からは見えなかった。
今日は誰も居残りなしで、掃除と後片づけをしていた一年生も部室で着替えているところで、要するに男子部員の全員が部室にいた。事情を知っている宮城ひとりが蒼白になっている。
「花道!」
宮城が止めにかかるが、宮城ひとりで流川までは制止できなかった。
流川は脱いだシャツをロッカーへ放り込んだ。汗で濡れたシャツは重い音でロッカーにぶつかる。
「トモダチ? ……って、水戸とか、あいつらみてーな?」
襟足から滴る汗をタオルで拭う流川は、自分のロッカーへ視線を固定していた。花道からも宮城からも、整った横顔しか見えない。流川はワイシャツを引っぱりだして袖をとおす。
「おう、洋平たちはダチん中でも特別だけどな」
「は、花道……おい、」
こめかみをひくつかせて声を低める宮城の様子から周囲もただごとではないと察して、うるさかった着替えの動作やおしゃべりが止む。静まった部室内に、流川が低く言い切る声がとおった。
「トモダチになんてなりたくねー。ふざけんな」
前髪の奥から、流川が花道を睨みつける。苛ついて鋭い目つきに宮城が息を飲み、おまえそれ仮にも好きって言ったやつに向ける目じゃねーだろと言いたげな視線を流川に寄こすが、流川は花道を睨むばかりだ。ケンカに発展しかねない剣呑さだが、さすがに花道がまだ体調万全ではない以上、流川が殴りかかるはずはないはず。だから花道さえ我慢すれば、と、つながれた望みだったが花道は受け取れなかった。
「だって、おめーダチいねえだろ? だからよぉ、ダチとそれ以外もわかんねーんじゃねーか?」
宮城が天井を仰いだ。
流川は花道からの決めつけにまばたきをして、石井を指した。
「トモダチ」
「え、俺友だち認定でいいの!?★ あ、ありがとう流川!」
不意のご指名で飛びあがりそうになった石井だったが、感激して礼なんて言っている。同クラスで何かと流川の世話を押しつけられがちな石井からすると、その他大勢でも世話係でもなく、ただのチームメイトですらなく友人と認識されていたのが予想外だったようだ。
「けどよ、イシーとクワとササくれーだろ?」
桑田と佐々岡も急に友人枠に含まれたものでびっくりして棒立ちになったが、流川から否定されなかったため、ひそひそと、俺たちも友だちでいいんだねなどとささやきあっている。
問題はそこではないのだが、花道からしてみるとそこが問題であり花道の到達したかったポイントだ。
「だからまあ、そーいうことならしょーがねーよな。この天才とお近づきになりてーんだろ」
流川が高めつつあった苛立ちは宙に放り出させられ、その後ろでいつの間にか巻き添えにされた一年生三人が何その結論と首を捻っている。花道ひとりがすっきりして上機嫌だ。
「じゃーな!」
と元気に手を振って、花道は部室を沈黙させて帰っていってしまった。
取り残された流川が解説を求めて、めずらしくも、すがるような眼差しを宮城に向ける。キャプテンとしての立場と、流川の告白らしき場に立ちあってしまったいわれなき責任感から、宮城は咳払いをした。
「あー……ええと、あれだ、複雑なお年ごろってやつなんだろ」
宮城本人も何を言っているのかフォローになっているのかわからないが、流川もお友だちスタートにされたことだけは理解できていたらしい。
「どうしたらいいっすか?」
複雑なお年ごろだからあの返答だとして、じゃあどうしたらとアドバイスを求められても宮城も困る。一年生たちは皆、流川と同じような子犬じみた目で宮城を見ているし、同じ二年の安田角田潮崎は追加説明を求める雰囲気だし、この場で唯一宮城より学年上の三井はこういった事態ではまったく頼りにしたくない。
花道ほどではないが他校にも知れたフラれ記録を持つ宮城が、その逆の記録を持つ流川にできるアドバイスなどなさそうなものだ。だが、流川は自らアプローチなどしたことないだろうからこそ、アプローチの経験だけは豊富な宮城にもできるアドバイスがある。
「優しくしてやったら?」
老若男女、全方位誰にでも通用しそうな行動を宮城は勧めた。
「優しく……」
オウム返しに言う流川は傍はた★から見て不器用で、彼の優しさは洞察力を持ってしないと判別できない。流川の優しさが花道に通じているとは思えないからこそ、わかりやすく行動すべきだと宮城は説いた。
「花道は好意に弱いから」
「あざっす」
意外なことに流川は素直に受けいれた。
流川の優しさがどう発揮されるのか見当もつかず、宮城は苦しまぎれに「花道の嫌がることすんなよ」と、忠告を追加しておく。これにも流川はうなずいたので、たとえ流川の優しさの方向性が世間一般のものからは曲がっていようと、花道に嫌われる結果にはならないはずだ。
「お先っす」
流川が部室を出ていくと、奇妙に緊張していた空気がふっとゆるんだ。流川と花道の間に転がった問題が、微笑ましいような一触即発なような状態であることをなんとなくは察した一同が、無意識に詰めていた息を吐く。
「なあ、流川のやつ、桜木と友だちになりてーのか?」
「三井サンは黙ってて!」
選抜を勝ち抜かなければならないのに問題を増やされてしまったキャプテンが叫んだ。
■10/7
待ちに待った放課後で、花道は鼻歌を歌いながら教室を出た。
「嬉しいのはわかるけど無茶すんなよ」
一緒に出てきた水戸に念押しされて、花道は威勢よく返事する。入院中、水戸たちには心配をかけた分、真正面から言われると無下にできない。夏前は体育館によく見学兼応援に来てくれていた友人たちだが、来夏IHに向けて遠征費用を貯めるためにアルバイトに励んでいるとのことで、体育館に来る頻度は減っていた。おかげで今週はずっと誰の応援もなしだが、つい二日前の、流川の告白もどきが招いた騒ぎを目撃されなくてよかったとも花道は考えていた。
「よっ」
大楠、野間、高宮が廊下で合流して、部室と昇降口へと分かれるまでをにぎやかに歩く。
「おまえら、今日はどこのバイトなんだ?」
「俺はスーパーの品出し」
「俺も」
「ガススタ」
各自がアルバイト先を報告するなか、野間が顎を突き出すようにして目を細めた。
「流川じゃん。呼び出しかね」
遠目にも、身長と体格の両方から流川の姿を他者と見間違えることはほぼない。体育館への渡り廊下へ向かう女子生徒と、その後ろをのそのそと歩いていく流川だ。
「おもしれーから見てこーぜ」
「ってもなあ、流川が告られて流川がフッて終わりだろ」
「花道がバスケットマンになっちまったから、紙吹雪の出番もねえしなあ」
冷やかし気味ながらも見物決定で歩いていく三人の後ろを、五人で行動するのが当たり前になっているせいで、水戸と花道もついていく。どうせすぐ済むだろう見積もりだ。
「ふん、あんなキツネのどこがいーんだ。オレのほうがかっこいーし、バスケだってキツネの野郎になんて負けねー」
「花道は天才だからな」
先ほどまで、決まり切っている展開の見物に興味なくつまらなさげだった水戸だが、花道の大言壮語に嬉しげに同意した。
流川と女子生徒は体育館脇の、地面にコンクリートが打たれたあたりで足を止めた。渡り廊下からは体育館の角を回り込んだ先になるので、興味津々の三人と、興味なさげなふうのふたりも角の手前で足を止めてのぞき込む。流川の背が見え、その身体の幅に隠れてしまいそうな女子生徒が奥に見えた。
女子生徒が流川に話しかけている声はさすがに聞き取れなかった。しかし読唇術が使えなくてもこの状況なら話される内容は決まっている。自己紹介、流川への好意の伝達、人によっては今後についての希望だ。そんなものは、花道が五十人のすばらしい相手に告白してきたときと同じなので花道にも想像はつく。想像はつくが、実際に誰かが告白を受ける場面にいあわせるのは初めてで、花道は急に緊張が高まった。
女子生徒は頬を赤く染めて、流川に何ごとかを伝えているようすだ。胸の前で手を握りあわせている。
花道自身は好意ある相手に告白するときには緊張のあまり拳を握っていたものだが、女子生徒の仕草に感情移入して、ウンウンとうなずいてしまう。隣で水戸が「え、そっちに共感してんの?」とぼやいているが、告白という一大事に臨んだ経験がある身としては当たり前だった。
女子生徒は告白を終えたらしく、口をつぐんだ。流川の返答を待つ一瞬に、花道は生唾を飲んだ。
過去、花道の告白時には友人たちが紙吹雪を携えて、そこらへんに隠れて展開を見守っていた。花道がフラれれば即座に紙吹雪をバラまきラッパを吹くためであって、純粋に応援してくれているのとは少々違ったが、花道は、いつでも、彼らがいるのを知っていた。だから、本当にひとりでの告白をしたことはない。
だのに、そこに立っている女子生徒は、彼女ひとりきりでこの緊張を抱えているのだ。
好きです、とたったひと言伝えるのにどれだけ緊張するか花道は知っている。顔は火照るし、心臓は激しく打つし、手に汗もかく。口内が乾いて、声が掠れてしまうことだってある。数多の告白を思い出して、花道の心臓がはずみ始める。ぐっと手を握り、不安そうに流川を見つめる彼女を見守る。ただ突っ立っていた流川が片足に体重をかけた。
「興味ねぇ」
え、という声は、女子生徒からではなく花道の口からも漏れたし、大楠、野間、高宮の三人からも漏れた。何も発しなかったのは水戸のみで、残る四人もすぐに口を押さえて頭を引っこめたので、流川に聞こえていたとしても彼は振り返らなかったと信じるしかない。
コンクリを踏む音がしたので、五人は慌ててその場を離れた。もう大丈夫というところまで来てから、口々に驚きをぶつけあう。
「興味ねえって何だよ、あのひと言だけか! あんなかわいい子なのに!」
「あんな断り方あんだな……」
「すげーな、モテる男は違うな」
花道の友人たちが比較できるのは、花道の告白に対してお断りをしてきた女子生徒たちの言葉しかない。男女の差もあろうし、名のしれた不良である花道からの告白を断る気遣いもあったろうから、それぞれにおだやかな言葉が選ばれていたのはたしかだ。「今は誰ともおつきあいする気がないので」と言ってきた女子生徒もいた。それを直訳すれば「興味ない」になるとしても、オブラートなしを耳にした衝撃は大きかった。
「ひでえ」
花道の、ぼそりとこぼした声の低さに、やいやい騒いでいた三人がそろりと振り向く。自分に集まった視線に、花道は不機嫌に唇を突き出してみせた。
「あんなのねーだろ、ジョセーが勇気出してんのによ。まじであのキツネ、人間の心がわかんねーんじゃねーか」
女性全般に丁寧に接する花道があらわす苛立ちに、三人が、「よっ大統領」「花道に告白してくればよかったのになー」などと、合いの手をいれる。花道が告白したわけでもないのに懐から紙吹雪を出してきそうな気配で、花道がうるせーと噛みつく。
水戸はじゃれあいに加わらずにいたが、三人を追い散らした花道が苛立ちを消しきれずに、「キツネのくせに、告白なんてされてんじゃねーよ」と吐き捨てる姿に、片目を細めた。
友人たちと分かれての部活では、あいかわらず花道は基礎練習だ。彩子指導のもとに、基礎をオロソカにしないのも天才と言い聞かせて励む。基礎練習と、見学。ルールというものを身体で覚えていた花道に、学年別チームに分かれての練習を見ながら、彩子がファウル時の説明を加える。
「ダブルドリブルはもうしないわよね」
さすがに実例が出現しないミスに笑い含みで彩子が言う。
「もちろんですっ」
名案をファウルカウントされた悔しさは忘れられるものではない。
練習への参加時間は短いが、最後のストレッチと体育館のモップ掛けに参加すると、代謝のいい花道はかるく汗ばむ。身体を冷やさないようにしっかり拭けと常々言われているので、部室へ戻るとすぐにロッカーを開けた。
「いけね、忘れた」
「スプレーなら貸すよ」
桑田が言ってくれる。花道はなおもバッグを引っかき回してから、頭をかいた。
「ありがてーけど、タオルなんだよな」
花道は、ロッカーの扉にかけたタオルを見やった。練習時に使ったタオルは、晴子が大量のスポーツドリンクを作るのを手伝ったときに、うっかりタオルにこぼしてしまったため水洗いした。そのため、タオルはあるにはあるが、濡れている。外気温はまだ十七、八度はあるだろうが、風がつよく、濡れたタオルで拭くのは身体を冷やしかねない。
汗をかいたままよりはいいか、と濡れたタオルを取りかけた花道の手に、乾いたタオルが押しつけられた。
「さんきゅー、ク――」
桑田だと思いこんで礼を言いかけ、タオルを持つ手に嵌められた黒いリストバンドに気づく。肘近くにまで押しあげられたその位置に嵌めるのは、湘北のバスケ部では流川だけだ。花道が顔をあげると、やはり流川だった。
「これ、予備。きれーだから、使えば」
流川は睨むような目で、ぐいぐい押しつけてくる。かつての花道なら、キツネくせータオルなんかいらねえと一蹴して濡れたタオルで身体を拭くところだ。
だが、花道が受け取ろうとしないのに流川が一向に引かず、目つきもなんだか怒っているというよりは必死さがある。そういえば風のつよい曇りの日に海岸で遭遇したとき、花道がランニングにハーフパンツのいつもの格好でいたら、冷えるだとかなんとか文句を言っていた気がする。
「……キツネにしちゃ、気が利くじゃねーか」
流川なりに自分の体調を気遣っているのかと気づけばくすぐったく、花道はむずがゆい気持ちを取りつくろってタオルを受け取った。途端、タオルを渡してきた流川の気配がゆるんだだけでなく、なぜか両手を胸前で握りしめていた桑田が石井と手を打って喜びあっていたのが謎だ。
花道は濡れたタオルでざっと身体を拭いてから、あらためて、流川が寄こしたタオルで拭く。花道が使っているタオルよりもパイル地の目が詰んでいて、ふわふわでいながらしっかりしている。使っていて気持ちよく、思わず顔を埋めそうになったのをこらえた。
横目にうかがった流川はタオルのことなどもう忘れたように黙々と着替えているが、部室全体の雰囲気がなんだかあたたかい。そういえば、こいつオレとダチになりてーとか言ってたもんな、と、花道は皆からの歓迎ムードの理由を察した。特に宮城から、流川とケンカせずに仲よくしろとさんざん叱られている。来年はおまえらが攻撃の要になるんだからなとまで期待をこめて言われれば、悪い気もしない。キツネがその気でくるなら、仲よくするのも満更じゃねーなと思いつつ着替えを終えた。
「タオル、洗って返すからよ」
汗を拭いたものをそのまま返すのは気が引けて、花道はバッグを斜めがけにしながら流川に告げた。
ロッカーの扉を閉めた流川が、うなずく。
「じゃーな」
花道が部室を出ると、少し遅れて流川も出てきた。どちらも向かう先は昇降口なのでついてくるなとも言えず、けれど一緒に歩くほどでもなくて、前後になって廊下を進む。
花道は、自分のバッグに、分以外の誰かのふわふわのタオルが入っているのが、なんだか慣れなかった。これが大楠に借りたマンガだったり、野間から借りたシャーペンだったなら、入っていること自体を意識したことなんてない。
流川が花道の友だちになろうとしていても、水戸ら友人たちから渡されたものとは、まだまだ差があるようだった。受け取ることに気遣いの欲されないやさしさが、花道と友人たちとの間にはある。流川からの、タオルという明確な形のやさしさがバッグに入っているのを、花道はどう扱っていいのかわからない。
バッグが重くなったり軽くなったりする。
これが、流川のやさしさの欠片だとしたら、自分よりももっとほしがる人がいるんじゃないだろうかと、ふと、のぞき見してしまった光景が頭をよぎった。
無慈悲に短いひと言で、告白を断られてしまった彼女。あのとき聞こえた靴音までの間隔からすれば、流川からフォローがあったとも思えない。
流川のスクイーズボトルにスポーツドリンクを入れて手渡した晴子まで思い出されてくる。晴子はマネージャー業務としてやっているのであって、流川への個人的な対応ではない。けれど、部員の誰もが簡単ではあっても礼なりひと言なりかけていくのに、流川はかるく頭を下げて見えた程度だった。誰に対しても流川はそんなものだけれども。
流川のこのやさしさは、自分以外の人が受け取るべきなんじゃないだろうか。
そう考えてしまって、花道は昇降口に差しかかる手前で足を止め、流川を振り向いた。
「今日、おめーが告られんの見ちまったんだけどよ」
「……ああ、」
鍵のかかった教室というような密室でもない以上、誰からも目撃される可能性はある。流川は慣れているのか、花道たちが引っこめた頭に気づいたのか、咎める含みはないようだった。かえってそのことが、花道には息苦しく感じられた。それはつまり、流川のなかで、どうだっていい出来事として分類されているのだ。
かわいそうだと、思ってしまった。
「オレが言うようなことじゃねーかもだけど……おめー、もう少し、告白する子のこと考えてやれよ」
並んだ下駄箱の隙間から、日没を過ぎた外の暗さと外気が廊下に這いあがってくる。白々と明るい蛍光灯に照らされた流川は、花道の言ったことを理解できていないようだった。
「考えるって?」
そういえばこいつ頭悪ぃんだった。バスケのことしか頭に詰まってねーんだった、と、花道は噛み砕いてやる。
「フるにしたって、言葉とか態度とかあんだろ。あんな、冷てー……もうちょっとやさしくしてやれってんだよ」
にべもない返事をした流川の顔を、花道は見ていない。きっと、何のやわらかさもなく、朝礼で校長の話を聞いているときよりも愛想のない顔をしていたんだろう。告白した相手から、そんな態度を取られたらと考えるだけで、氷でも押し当てられたみたいに心臓が縮んだ。
流川は、ずっと理解できていない顔をしていた。
花道がていねいに説明してやっても、蛍光灯に照らされた顔はちっとも表情を変えなかった。
「好かれたいわけじゃねーやつにやさしくする理由って何?」
問われた。
流川は少しばかり首を傾げていた。先ほどから変わらない表情を見れば、流川は悪ぶっているだとか冷笑でもって応じているわけではなかった。冷たいわけでもないのだと、花道は、流川の放った言葉を思い返していた。
興味がない。ない、だけなのだ。流川は興味がないものに等しくそっけない。彼が比較的に懐いていると言える彩子にさえ、別に笑顔を見せるわけではない。そう考えるのは腹が立つことだが、たぶん、顔が整いすぎているせいで、ふつうの態度であっても、冷たくお高く止まっているよう見えてしまう。そうでなければ、流川がこれまでやってきていた、ふつうというのが、流川基準すぎたのだ。そして、友だちが少ないから、そのあたりの加減がわからなくて、誰も注意してくれなかった。
そうなると、自分と友だちになりたいと流川が思っているなら、これは流川の態度をあらためるチャンスだ。花道にタオルを貸してくれるようなやさしさを流川が発揮できるなら、そのやさしさが、他の誰かに向いてもいい。流川にやさしくされたら自分より喜ぶのが間違いのない晴子だとか。
晴子の喜ぶ顔を思い浮かべると、少しばかり、胃が重くなった。胃のあたりを無意識にさすりながら、花道は流川を説得できる理由を考える。好かれたいわけじゃない相手にやさしくする理由。そんなこと考えたことはなかった。だって、好きになってもらえるのは、嬉しい。流川も、花道と友だちになりたいというのなら、花道から好かれたいはずだ。
「……人の気持ち考えられねーやつなんかと仲よくできねーよ」
水戸たちのことが、頭に浮かんだ。気づいたら仲よくなっていた。きっかけはあったけれど、こんなふうに条件をつけたり、段階を踏んだりしなかった。
たとえば流川が、告白してきた女性をやさしくフったとして、自分と流川との友情が深まる要素はない。やさしいやつだな、とはなるかも知れないけれども。それが決定的に働きはしない。やさしくフる流川というのを想像しようとしたができなくて、花道は眉間にシワを寄せた。
流川も、ここへ来て初めて表情を変えていた。眉根を寄せて口を引き結んで、つよく拳を握っている。そんなにも難しいことを言っただろうかと花道があっけに取られたくらいだ。
流川は拳に握っていた手のひらを不意にゆるめた。
「……わかった」
開けっぱなしの昇降口から迷いこんできた蛾が蛍光灯の間をふらふらと飛んで、流川と花道の頭の横を音なく過ぎていった。
■10/11
部活のない日曜日、一緒に出かけたいと流川に言われて、花道が幾度も問い返したのは、体育館の掃除中だった。
「は? おまえが? オレと? どこ行くんだよ」
モップ掛けの手を休めて花道はうろんげに眉をあげた。
ストリートコートに行くと言われたのなら、まだわかる。花道が練習に行った公園のコートで、流川とは何度も出くわした。オーバーワークになるからと、今の花道は個人練習を禁止されているから流川とも出会いようがない。日曜日は、たまった家事を片付けたり食料品を買いに行ったり水戸らと遊んでいる。
「どこ……」
声をかけた割に流川は何も考えていなかったのか、問い返されて詰まった。
固まってしまった流川に、石井がすっ飛んできて肩を叩いている。
「前向きな返事でよかったな流川、ほら、えーと……ふたりで買い出しに行くとか! 彩子さんたちがスポドリの粉そろそろ買わなきゃとか言ってただろ」
「なんでオレが」
「あーっ、そういえば流川のリストバンド、ちょっとゴムのびてきてない? 新しいの一緒に買いに行ったら?」
桑田まで飛んできた。佐々岡はふたりが投げ出したウェスを拾い、磨き終わったボールをカゴに集めている。
流川がじっと花道を見つめてくる。
「……どー?」
どうって訊かれても、というのが花道の正直な感想だった。
流川は桑田案を採用したようだが、花道にも聞こえているだろうからという前提で省略されるのは言葉が足りなさすぎる。おまけに、流川だけではなく石井と桑田が「どうかな桜木くん」とたたみかけてくる。援護の意味がさっぱりわからない。
「なんでオレがおめーの買い物につきあわなきゃなんねーんだよ」
慌てたのは流川ではなく、桑田だった。
「桜木も試してみたら? 宮城さんもつけてるし、リストバンド便利だよ!」
まだチーム内での練習にも参加できない身であるため、買ったところで出番がない。宮城は重ねてまでつけているが三井はウェアで拭っているし、赤木はつけていなかった。必需品ではないようだが、試したことがないのも事実だ。
「まあ、試すだけなら」
店に行けば天才に似合いの色もあるかもしれん、と花道はあごをさすって答えた。
その結果が、雲ひとつなく晴れた本日、流川とともに出かけている現状だ。
おおかたの店が開く十時に駅前で待ち合わせをした。休日ともなれば、睡眠欲の権化である流川は起きられやしないのではとも疑っていたのだが、流川は待ち合わせの時刻より前に、決めた場処に立っていた。
まともに私服の流川を見たのは、初めてかも知れなかった。
花道が知っている流川の服装なんて、学ラン練習着ウェア、ジャージかスウェットだ。バリエーションがあるようでいて、着ているものの色が変わったくらいの違いしかない。それが今日は、ジャージでもジーンズでもないズボンを履いている。花道の語彙にはないが、宮城なら色々と解説してくれそうだ。いいとこのお坊ちゃんぽいな、と、ぼんやり思った。
その、いいとこのお坊ちゃんは、立っているだけなのに複数の女性に声をかけられていて、仏頂面で何か返している。邪険にしているというほどではないが迷惑そうで、段々と流川の不機嫌のボルテージがあがるのが、彼のいる場処へ歩いているだけの間でもわかった。
「おい、キツネ!」
助け舟を出すつもりではなかったが、まだ距離がある段階で花道が声をかけると、流川はパッと花道へ顔を向けた。眉間に寄っていたシワなんか消えていて、犬がボールを追いかけて走り出すときの勢いで花道のほうへと、彼を囲んでいた人を避けてくる。
自分へとまっすぐに目指してくる姿を、不覚にもかわいいと思ってしまって、花道はわけのわからない衝動に顔をしかめた。かわいいというのは、たとえば晴子のような小さくて笑顔のすてきな女性に使うのがふさわしいのであって、隣に並んで「遅ぇ、どあほう」なんて言う、花道と同じくらいの身長の男に適した言葉ではないはずだ。
「時間どーりに来てやったろーが。てめーこそ、寝坊キツネのくせに早ぇじゃねーか」
「ん……朝、目覚まし鳴る前に目ぇさめた」
ぼそぼそと本日の起床について話す流川がまたもやかわいく思えてしまって、花道は目をこすった。目にゴミやまつげが入ったわけでもないし、しっかり目蓋は開いている。数度まばたきをしたあとに見る流川は、いつもどおりの澄ました顔の流川だった。
「とっとと行くぞ」
口端を下げて、花道は流川をうながした。
スポーツ用品の品揃えがいい店というのは決まっているのか、流川が告げた行き先はチエコスポーツだった。花道も知っている。以前、晴子とともに制服で歩いた通りを流川とともに私服で歩くのは妙な気分だった。本当なら、自分よりも晴子のほうが、今、この場にいたかったのではないだろうか。晴子でなくても、流川に今まで告白してきただろう多くの人が。
なんで、こいつはオレを買い物につきあわせてんだろう、という疑問には、友だちになりたいからか、とすぐに自分で答えられる。水戸たちとは、パチンコ屋やゲームセンター、たまには映画館にも行った。こういうふうに、休日の午前中からスポーツショップに行ったことなんてない。この先もないだろうが、反対に、流川とゲームセンターに行くこともないだろう。
友だちと一括りに言っても、流川が自分のと友だちになれたとしても、やっぱり水戸たちとは別ものにしかならなさそうだった。
「キャプテン! 流川先輩!」
花道の物思いを破って、はずんだ声が流川の名を呼んだ。めずらしい名字だから人違いということはないだろうが、流川が足を止めて振り返ったのに花道は目を疑った。街なかで流川を呼び止める誰かがいることと、流川が無視しなかったことと、両方が信じがたい。しかも、キャプテン呼ばわりされている。
「お久しぶりです!」
深く頭を下げたのは、花道より頭ひとつほど身長の低い少年だった。年齢はひとつかふたつ下だろう。学生服ではないが、流川を先輩と呼んだことから流川の中学生時代の後輩と推測できた。
「IHに出たってニュース、部内で持ちきりでしたよ! しかもあの山王相手に勝ったとか。うちからも湘北目指すってやつ増えました。オレもですけど、そうしたらまたキャプテンと一緒に試合に出られますね」
久しぶりとの言葉どおりに、四箇月前の出来事を彼はまくし立てる。流川が止めないのをいいことに、彼は部内の近況を報告したり、自分の練習について流川にアドバイスを求めたりしている。花道の存在に気づいていないのか彼は流川にだけ注意を向けていた。流川が簡単に応じるさまを、花道はものめずらしく見ていた。
流川は、ふつうに、先輩だった。しかも慕われていた。キャプテンを務めていたようだし、入部したてでどこのポジションでもやると言っていたくらいの即戦力だったのだから、中学校の部活でも活躍していたのだろう。晴子も、流川の中学との対戦で流川を好きになったと言っていたくらいだ。
不思議な光景だった。
和光中学時代、花道には先輩も後輩もいなかった。先輩に当たる上級の学年には入ってすぐに目をつけられた。ケンカでは花道が勝つことも負けることもあったが、大勢で来られて多勢に無勢となったのがきっかけで水戸たちと出会って以降、一度叩きのめしてしまえば先輩がたはからんでこなくなった。彼らは、不良にしてはおとなしい部類だったのだろう。そうやってケンカで有名になった花道たちを慕うようなまともな後輩がいるわけもなく、不良グループとしてつるむのを好まなかった花道たちは、五人以外にタテにもヨコにも関係性は広がらなかった。
だから、花道にとって先輩らしい先輩というのは湘北バスケ部に入って得られたものだったし、自分が後輩になったのも初めての経験に等しい。
そうして、流川には友だちなんていなかったんじゃないかと花道が勝手に思っていたのに、目の前で自分の知らない先輩ヅラをされると、花道はいたたまれなくて、収まりが悪くて、この場から立ち去ってしまいたくて足の裏が疼いた。
「ルカワ、オレ――」
先行ってる、と声をかけようとして、流川に手首をつかまれた。
「今日、こいつと買いものに来たから」
流川に言葉が足りないのは昔からのようで、目を丸くした後輩は突然視界にポップアップさせられた花道を眺めたあと、ゆっくりうなずいた。
「買いもの中だったんですね、引き止めちゃってすみませんでした。じゃあ、また」
流川の言葉から状況を推測して補完して挨拶ののちにあっさり去っていった一連が、慣れた感じのあるあざやかさだった。流川の性格をよく知っている、後輩らしい仕草だった。
去っていく彼の姿が休日の人混みにまぎれてしまってから、花道は隣に立つ流川をよくよく見やった。駅で待ち合わせをしたときと同じなのに、違って見えた。
「今の、後輩だろ?」
「富中の後輩」
流川の出身校は富ヶ丘中学だった、と花道は思い出す。晴子が言っていたのだった。晴子は試合中を観戦もしていたのだろうから、試合中の流川のこと、主将として振るまっていた流川のことも見ていたはずだ。流川は天上天下唯我独尊なんて清田に罵られていたが、花道の知っている流川はそちらの流川であって、後輩を指導していた姿なんて想像もつかない。
「おまえ、まともに先輩やってたんだな」
後輩の様子からすれば、赤木とも宮城ともタイプは違っただろうし、中学時代の部活がどれほど真剣なものなのかも花道は知らない。バスケにすべてを捧げているような流川を見れば、中学の部活だって甘いものではないのだろうけれども。
首をひねる流川を小突き、花道は去っていった彼へ背を向けてチエコスポーツの方向へ歩き出す。
「あいつ、おめーに……えっと、おめー後輩に、なんつうか、好かれてたんだな」
流川に接する彼の眼差しや態度は尊敬や憧れに分類されそうなものだった。湘北のバスケ部では、いわゆる体育会系らしい上下関係は弱めだが、たとえば海南大付属では、あの手の眼差しで牧が仰がれていた。流川には似合わない気がしたが、来年になって新一年生が、たとえば流川の中学時代の後輩が入部してくるのなら、あのきらきらした目で流川を仰ぐのだろう。
花道が後輩との関係を指した評価に、流川は腑に落ちていない顔つきだった。
「あいつらは、よくついてきてくれた。ついてこれねー奴は辞めたし、オレの言うことが気に食わねー奴も辞めた。上の奴らとか、同じ学年の奴らとはあんまりあわなかったから、オレがキャプテンになった代がいちばん好きにやれて、いちばん勝てた」
あわなかったって、そりゃあ妬まれてたんだろーよ。と、言いそうになったのを花道はこらえた。
中学時代なら部活の担当は教師だろうが、バスケの素養がない教師では、流川のワンマンぶりを抑えられなかっただろうと容易に推測できた。流川によってスタメンの座を奪われた上級生や、努力しても流川との差を縮められない同級生の鬱憤が流川に集まっていたとしても無理はない。
下級生だけが、後輩として、素直に流川の言うことを聞ける。
「おめーが後輩の指導すんのとか、考えらんねーな」
「指導、とか、別にしてねー。強くなりたきゃ練習するしかねーし、練習しねーで文句言ってる奴のことは知らねー」
「おめー、キャプテンに向いてねえな?」
ちょっと見なおしたのに、花道は腹の底から呆れた。主将がどんなものだか花道にもまだよくわかっていないが、流川のやりようはスパルタ方式だったらしい。そうなるのも、当たり前だとはわかる。流川はバスケのことしか考えてなくて、バスケのために努力するのが当たり前で、それができない人間のことがわからないのだ。
バスケがまったく関わらないか、同じくらいのバスケかぶれでないと、友だちなんてできようがないんだと、呆れのあとには理解が腹の底まで一直線に落ちてきた。
■10/12
桜木の休みを連絡しに体育館へ来たのは、水戸だった。
外履きを脱がずにシャトルドアから顔をのぞかせるのはいつものことで、わざわざ体育館にあがってこない。部員でもないし花道の応援だけだから、と、彼ら独自らしい線引きをしている。
水戸は、ドアのそばにいた晴子に頼んで宮城を呼んでもらっていた。同じドアの近くにいた流川は、その場を離れがたく水戸と宮城のやり取りが聞こえないかと耳をそばだてる。桜木がまだ部活に来ていないのに水戸だけが来ているのは、おかしいのだ。
流川はなるべくドアそばでねばろうとしたが、集合がかかって、離れざるを得なかった。宮城と水戸のやり取りはもう聞こえない。
宮城の代わりに安田が説明する練習メニューが頭に入りづらくて、流川は顔をしかめた。聞き慣れたバスケ用語で大事なメニューの説明なのに、古典の授業でも受けているように、知っているようで知らない言語に変換されてしまう。自分で自分の頬をかるく張って気合を入れなおす。佐々岡が目を剥いていたが、安田の説明は理解できるようになった。前半が聞き取れていなかったので、推測で補って訊き返して確認する。自分ひとり外れた動きをしたら、自他のケガにつながりかねない。
パスからのシュート練習が、本日最初のメニューだ。それぞれの位置へつこうとしたところで宮城が戻ってきた。
「花道、今日は休みだってよ」
遅れての参加ではなく休み確定だ。だが、水戸が来た時点で、その確率は高かった。遅れて参加なら、部活前に自分で言いに来るか他の一年生に伝言を託す余裕もありそうなものだ。だから、流川が知りたいのは、そこではなかった。
「なんでっすか?」
宮城が片眉をあげた。流川は宮城からの説明を待った。おかしいのだ。桜木は今日、来るはずだった。自分には訊く権利があると思った。
「なんでも何も、休みは休みだろ」
水戸が詳細をあずかっていない可能性もあるが、あの男は、もっとそつのないやり方をする。流川は、自分でも信じ宅はないけれど、考えられる理由をひとつあげる。
「病院、すか?」
「そうじゃない、それはないから」
宮城が即座に否定した。背中のケガが悪化したわけではないらしかった。昨日はなんともなくて、今日も廊下で遠目にだがふつうに歩いているのを見かけたので心配はしていなかったが、イヤな想像をしなくて済んだ。
それならなんだと流川は重ねて訊ねたかったが、宮城はすぐに指示を出し始めたので訊けなかった。もっとも、宮城だって細かいことは知らないのかも知れない。水戸がもっともらしい休みの理由をたずさえてくれば、宮城が疑う意味もない。
ただ、今日は桜木が部活を休んだだけ。
まだ完全に復帰したわけではないし、桜木が休んだところでバスケ部の練習に影響はない。だが、桜木は今日は絶対に来ると流川は思っていた。
昨日、リストバンドを買ったのだ。
赤いリストバンド。
商品入れ替えで値下げされていたのを、なんだかんだと店長に詰めよって桜木はさらに値引きさせて、捨て値同然の価格で手に入れていた。そんな買いものの仕方を流川はしたことがなくて、価格とは値札シールに貼られているもので確定ではないのを初めて知った。とはいえ、桜木の強引さは流川に真似できる代物ではなかったし、やりたくもなかった。
買ったばかりのリストバンドを使うのを桜木は楽しみにしていて、昨日はやたらに上機嫌だった。明日使うと言っていた。リョーちんに自慢すると言っていた。すでに何種類ものリストバンドを持っている宮城相手に自慢になるのか流川には疑問だったが、桜木の自慢を宮城は笑いながら聞くに違いなかった。
だから、今日、桜木はめったなことで部活を休むわけがないのだ。
だが桜木は、途中からの参加もなく、完全に休みだった。
■10/13
昼休み、流川は教室か部室か、たまに屋上で昼食を摂って、そのまま昼寝に突入するのがパターンだ。
周囲のうるさいおしゃべりがない場処だとなおいい。
しかし今日は、昼寝より優先すべき事項があった。桜木だ。桜木は今日、遅刻した。一時限目の前に流川が七組をのぞいたが桜木はいなかった。水戸はいたが、水戸より先に本人と話をしたくて、流川は教室へ入らなかった。
仕方なく十組に戻って受けていた英語の授業中、流川が今にも落ちてしまいそうな頭をどうにかタテにして聞いていたとき、窓の外に桜木の姿が見えた。桜木の体躯と赤い頭は遠目にも見間違えようがない。校庭を突っ切って校舎に向かてきていた。流川は席を立ちかけたが、ちょうど教師に当てられたもので教室を出られなかった。次の授業は七組が移動教室でその次は十組がで、と、昼になるまで桜木をつかまえるチャンスがなかった。
昼休みになるなり、流川は昼食も食べずに桜木を探した。
桜木は購買か食堂を目指すはずだ。もれなく友人たちも一緒だろうがかまわなかった。まず最初に購買へ探しに行こうと降りていった階段で、桜木を見つけた。
「おい、どあほう!」
水戸が同じクラスのはずなのに先に行っているのかあとから来るのか、桜木はひとりだった。半階分上にいた流川を桜木はうろんげに仰いだが、口端を下げて、足を止めもしない。流川は急いで階段を駆けおりる。一階へたどりつく前、一.五★階の踊り場で、流川は桜木に追いついた。
「どあほう、」
桜木がいっこうに止まらないもので、流川は桜木の腕をつかんだ。両手とも学ランのポケットに突っこんでいた桜木は、両サイドに取っ手のあるマグカップみたいなもので、捕まえやすかった。右の肘へからめるように流川が腕をとおすと、さすがに桜木も足を止めた。
「んだよ、早く行かねーと売り切れんだろが」
購買のパンなんてどうでもいいのに桜木が先を急ごうとしていて、流川は桜木の腕をつかむ手に力をこめた。
「今日、部活来るんだろーな」
いちばんに訊きたかったのはこれじゃないと思ったが、もう言葉は口からすべり出てしまっていた。いちばんではないけれど訊きたかったことではある。だが、桜木が忌々しげに舌打ちをした。違和感に、流川は手の力をゆるめそうになる。こいつがあんなに楽しみにしている部活のことなのに、というのと、一昨日の桜木と違って見えたせいで。
日曜、桜木は機嫌がよかった。
赤いリストバンドを買って、流川にも笑顔を見せた。宮城のアドバイスである「やさしくする」というのがうまくできているのかどうか流川には判断がつかなかったが、リストバンドの使い方を教えた。汗を拭く、なんていう簡単なものだったけれど、桜木は別に茶化さずに聞いてくれた。
だのに今桜木は不機嫌そうで、いつもなら、まだ体調が万全でないにもかかわらずエネルギーのかたまりみたいに、小さな太陽のようなのに、まるで雲がかかっているようだった。
桜木は、流川の腕を払おうとした。
「行くっての」
流川はなおも手に力をこめた。ふたりの脇を他の生徒たちが通りすぎていくせいか、桜木は強引には流川を振り払わなかった。今日は来る、という見通しに少なからず流川は安堵して桜木の後ろから隣へと回り込もうとするが、桜木が半回転して躱してきたもので叶わなかった。
「昨日、」
桜木の肩が小さく跳ねた。
「なんで、来なかった」
昨日はただの部活だ。待ち合わせをしていたわけではない。桜木が来ても来なくても桜木の自由だ。だが、流川は楽しみにしていたのだ。桜木が、自分の目の前で選んだ赤いリストバンドをつけているのを、見たかった。
理由なんて聞いたところで、なんにもならない。昨日桜木が休んだ事実が変わるわけではない。けれども、流川は知りたかったし、今日、いつもより桜木の元気がない原因が昨日にあるのかもと思えば、知りたいという衝動が胸をざわつかせる。
「おめーには関係ねーだろ」
とうとう桜木は腕をつよく振って、流川の手を振り払った。桜木の苛立ちを感じ取って流川が力を抜いたために、ふたりは簡単に離れる。桜木がもう一度舌打ちをして、階段を降り始めた。流川は一段遅れて追いかける。
「知りてー」
「うるせーな、なんでキツネに話してやんなきゃいけねーんだよ」
花道が最後の段を降り、流川も続いて降りる。購買を目指す桜木に、流川は二歩と離れずついていく。
「なんで? 知りてー」
知りたいというほかに、理由がなかった。流川はこれまでバスケに関すること以外にほとんど興味がなかった。バスケ以外のことについて知りたいと思うことも、めったになかった。知りたい気持ちが勝手に湧きあがって自分のなかでふくれて抑えておけないのも初めてだし、拒まれるのにも慣れていない。流川が訊けば、たいていの人は答えてくれた。それは、バスケがらみのことであるか、簡単に答えられる程度のことしか流川が訊いたことがなかったからだ。
だが桜木は教えてくれなかった。しつこくついてくる流川に、桜木は威嚇するように唇を歪めた。
「てめーはオレの何でもねーだろ、話す義理はねーんだよ」
明確な拒否にあって、流川はわけがわからなくなりながら、材料を探した。桜木の何かでないと、教えてもらえない。何かであればいい。その何か、桜木が話す義理のある何かだ。
「トモダチ……」
懸命に脳内を引っかき回して見つけた材料は、もっともらしかった。流川は桜木の友だちになりたいわけではないけれど、桜木は彼の友人たちを大事にしている。それなら、友だちなら、話してくれるはずだ。日曜は一緒に出かけた。流川はいつもどおりに黒いリストバンドを買い、桜木は赤いリストバンドを買った。色違いのおそろいだ。友だちに、見えるんじゃないかと思う。
桜木は大股で歩いていたのをぎこちなくゆるめて、流川を振り返った。決して、流川に好意的な顔つきではなかった。
購買へ行く生徒たちと購買での買いものを済ませた生徒たちが、廊下の真ん中にいるふたりを避けていく。廊下の端を急いでとおったり、回れ右して別の階段を選んだり。
取っ組みあいのケンカにでもなっていれば、もっと騒ぎになって、教師や、バスケ部の責任者として宮城が呼ばれかねなかったろうが、そこまでにはなっておらず、昼休みも始めの十五分が経過して購買が混むピークタイムを過ぎて、利用する生徒も少なくなってきている。
だが通行の邪魔になっているのはたしかで、流川がいっこうに引く気がないせいか、花道は左右を見回したあと、ドアの開いていた家庭科室に流川を引き込んだ。ドアを閉め、いくつも並んだ調理台のひとつへ流川を押しやってくる。流川の腰がぶつかると、桜木は流川の学ランを離した。
「洋平たちで間に合ってる」
友だちとしてすら流川はいらないという拒絶だった。
水戸たちは特別だと桜木は言っていた。友人のなかでも特別の友人。けれど、流川が求めているものは、始めから、違う。学ラン越しにふれるステンレスの調理台が冷たくて、一瞬、身震いをした。
「だって、てめーが言ったんだろ。オトモダチになりてーのかって。オレはそんなもんより、もっとてめーの近くにいてー」
勝手に違うものに変換したのは桜木だ。不本意ではあったが、誤解を解かないままのほうが近づけるなら、訂正は後回しにしてもよかった。友だちになんてなりたいわけではないのだから、最終的にたどりつく場処があっていればいい。
だが、誤解の関係すら拒否されては、話が違う。
桜木に一歩詰めよれば、桜木が一歩引いた。桜木は腰が引けていて、流川を制止するように突き出された腕をつかむのはたやすかった。
「て、めーは、オレのこと、何も知らねーだろうが!」
「おめーが話さねーからだろ」
どうして昨日部活に来なかったのかすら、桜木は話してくれない。話してくれないのに、何も知らないと言われるのは納得がいかない。知りたいのに、関係ないと言われて話してくれなくて。話してくれないから知らないのに、堂々めぐりだ。
せめて逃げられないように、流川は桜木の両肘を外からつかまえた。肩を押さえつけたほうが有効そうだが、背中に響きそうでできなかった。
「てめーに話したってムダだろーがよ」
「勝手に決めつけんじゃねー」
話してくれたら、少なくとも、話してもらえた分だけ流川は桜木のことを知れるのだ。ムダなわけがない。
「ムダに決まってんだよ!」
だのに桜木はやっぱり決めつけてくる。桜木の主張をくつがえせる反論が思いつかない。話してもムダだと桜木に思われているのに腹が立つ。話してもらえないのは、胃のあたりに風がとおる気がする。冷たくて、胃がムカついて、気持ちが悪い。
いい加減に離せ、と桜木に腕を振られ、流川が離されまいとしたときだった。
「おーい、花道ー? ここにいんのか?」
水戸の声だった。桜木は身を翻すように流川の腕をもぎ離して、すばやく距離を取った。そのまま駆けて行ってドアを開ける。今まさにドアを開けようと腕をあげていた水戸が、へらりと笑っていた。腕には、パンでふくらんだ紙袋を抱えている。
「腹下してんのか?」
「いや。待たせちまったな」
水戸の背を押すようにして桜木は家庭科室を出て行ったが、一瞬、水戸から向けられた視線は過あやま★たずに流川にぶつかった。桜木に寄せる屈託のない笑みにやわらいだものとは似ても似つかない、温度のない目だった。
家庭科室のドアは、桜木の手で閉ざされた。
先週は一度たりとも練習の見学なんてしていなかったのに、部活もそろそろ終わるという時刻に水戸が体育館ドアの定位置に姿を現した。
締めのストレッチに入っていた一同からすばやく桜木を見つけて声をかける。
「花道ー、なんか食って帰ろうぜ」
短時間のバイトを済ませて、わざわざ学校まで戻ってきたようだった。そうでなければ、たとえ桜木自身が見学中心の参加となっていても、彼らなら始めから終わりまで見学している。
桜木は短く水戸へ答えて寄こし、またストレッチに戻った。
一年生が掃除にかかり、他の部員は体育館を出て行く。宮城と三井が通りしなに水戸と、ふた言三言かわしていった。バスケ部の恩人であり、桜木のためとはいえ広島まで駆けつけてくれた貴重な応援メンバーだ。桜木の友人、という枠でありつつ、水戸は水戸という個人で認識されている。
受け持ち範囲のモップ掛けを手早く済ませ、流川はモップを用具室にしまって外へ出た。渡り廊下の壁にもたれていた水戸が流川を認め、鷹揚に背をのばす。薄っぺらい学生カバンを脇に抱えた姿勢は立っているだけなのにケンカ慣れして見えた。
警戒とまではいかなくても、受けいれられているわけではないのは、昼間のせいだろうか。流川は、水戸にケンカをふっかけるつもりではないので、無防備に両手を垂らして水戸の前に立った。
「昨日、なんかあったんか」
直截に、訊きたいことを流川は口にした。
「何のこと?」
水戸が目を細めて笑うように首を竦める。流川と水戸との間にある話題、気にすべきものなんてひとつきりだ。名指ししなくても通じているだろうにはぐらかされる。不良の流儀なのかも知れないし、水戸は心を開いていない相手にこういう対応をするのかも知れない。まともに水戸と話したことはほとんどなく、流川には判別がつかない。
「桜木のこと」
白を切られないように、流川が知りたいものを明確に伝えれば、水戸は唇を曲げてかるく笑った。よくできましたとでも言われたようで、流川は不愉快さが形を変えて口からこぼれる。
「基礎練に身が入ってねー。あんなんじゃ、下手がもっと下手になる。やんねーほうがマシ」
桜木は、昨日は部活を休んだが、昼休みに確認したとおりに今日は来た。来たけれども、まったく集中できていなかった。ボールの扱いにも自分の身体の扱いにも注意を払えていなくて、ぞんざいだった。せっかく復帰したのに、休んだあとの部活なのに、練習がおろそかになるなんて、来ている意味がない。
あまりに桜木の動きが鈍いので、背中が痛むのかと三井に心配されていたが、体調は問題ないと応じていた。その割には顔色が悪いんじゃないかと、彩子に練習を短めで切りあげられていた。
身体がついてこないのなら、その分、目と頭で練習をすればいいのに、壁際に座りこんだ桜木は頭からタオルをかぶってうつむいてばかりだった。たまに顔をあげて、やけに大きな声で野次を飛ばしていたが、声に張りがなかった。いつもなら流川のフォームを焦げつきそうに見てくるのに、今日は、一度も見なかった。
「へー、そうだったんだ。で、流川はなんで俺に訊くの? 花道に訊けば?」
もっともな指摘を親切ぶった口調で施されて、流川は疼く胸の痛みを拳を握ってごまかした。
訊いたのだ。桜木に訊いたうえで、水戸に訊いている。流川の知りたいことを桜木は教えてくれなかったから。それなら、知っていそうな相手に訊くしかない。
「おめーは、どあほうのトモダチだから」
水戸はそこで、流川はどうなの、と訊ねかえしてくる浅い仕返しはしなかった。
「それで? 知ってどうすんの?」
水戸は片方の眉を少しばかりあげた程度だったが、流川は拳の関節が白く浮くほどに両手を握りしめた。
桜木からは、話してもムダだと断言された。ムダ、何にもならない。流川が何かできることはないと、あらかじめ切り捨てられた。
水戸からは、どうするのかと訊ねられた。知ってもムダかも知れないが、では、知ったところでどうするのか。
流川は立ちすくんだ。握った拳の力も抜けて、目眩がする。フリースローが回ってきたのにシュートのフォームがわからなくなってしまった、目の裏が空っぽになってしまったような、バランスの取れない気持ちの悪い浮遊感で足許がぐらつく。
どうするのかなんて、何も考えていなかった。
桜木が部活に来なかった理由を知らない、知りたい。知ったところでムダだと言われればそのとおりだ。部活に来なかったのは桜木で、桜木が来るしかない。流川は知りたかっただけで、理由によっては何かできるのかもしれないけれど、そんなことは考えもしなかった。ただ、知りたかった。桜木は部活に来るべきだったから。
「……あいつは、バスケするべき」
一緒に出かけて買った、赤いリストバンドを自慢するべきだった。基礎練習をやり直して、もっとうまくなって、赤いリストバンドが色褪せて買い直すほど、バスケをするべきだ。
桜木が来なかった理由を知りたいのはどうしてか。知ってどうするのか考えもしないほど、知りたかったのはどうしてか。桜木から聞けないなら、水戸から聞ければとまで思ってしまったったのはどうしてか。
「アメリカに行くんだから、休んでるヒマなんてねー……」
ぐらぐらと揺れる思考のなかをかき混ぜて、つかみとった欠片を、水戸の前にさらした。
「何それ」
水戸は短く鋭く、ナイフみたいに流川に吐き捨てた。笑い飛ばしそうな、蔑むような、表情は完璧に凪のように取りつくろわれているのに眼差しはぎらついて流川に差し向けられる。
「アメリカに? 花道が? 留学するっての?」
流川を締めあげれば何か吐き出すとでも思っているように、水戸が語調で流川を威圧する。
「それ、出どころ、どこ?」
一転して、水戸がゆるく微笑んだ。トランプの表裏を返したような切り替えで、流川は立ち尽くしたまま目を瞠る。水戸は笑っているのに、虎かあるいはそれに似た、鋭い爪と牙を持った獣に立ちはだかられた気がした。チリチリと後頭部付近に焦げくささを錯覚する。屋上や体育館で暴力を振るってきた不良たちとの対峙とは違って、ただ殴られて蹴り返してでは終わらない類の匂いがする。
「あいつが言ってた。IHで」
「ふーん」
流川の言葉を水戸が信じる道理はなかった。水戸はバスケ部とともに行動していたわけではないから、発言の信憑性は水戸が桜木本人に確かめるまで保留とされるだろう。流川としては、ここで水戸に嘘をつく利点も理由もないので正直に話したまでだ。駆け引きなんて、得意ではない。
口にしてみると、筋がとおっていると思える。
桜木本人がアメリカに行くと言っていた。留学できる実力を身につけるためには練習に励むべきだ。休んでいるヒマなんてない。桜木も、アメリカに行くのだから。
自明なのに、破綻していて、水戸は流川の気づけないそのほころびが見えるらしかった。
「ぽっと出の奴が言うじゃん。花道のこと、何にもわかってねーくせに」
崩れないゆるい笑みの裏に強固なものがあって、水戸の言葉はその礎に拠って発されていた。流川の持たない、桜木と過ごした時間、桜木からの信頼、そういったもので固められた揺らがないものだ。
何も知らないと桜木に言われ、何もわかっていないと水戸に言われる。
流川の知る桜木は、体育館にいて、コートにいて、そこ以外ではまだ日曜に一緒に出かけたほんのわずかなものではあっても。
「じゃあ、てめーはあいつの何をわかってるってんだ」
コートの外から桜木を見て、練習でも本番でも、一度も同じコートに立ったこともないくせをして。
チリ、と後頭部で火花のはじけた気がした。焦げくささに、ついに火がついて、苛烈な花を散らす。ケンカは禁止されていると、瞬時に流川の脳裏によぎる。冬の選抜、今月末に二回戦を控えている。
「洋平!」
あがり始めた火の手を一瞬にして吹き飛ばす声だった。掃除を終えたのか体育館から出てきた桜木がいて、背後では他の一年生が施錠している。
「花道、おつかれ」
流川の存在が不意に消え失せたように、水戸はくるりと方向転換して渡り廊下を進み、桜木を迎えに行く。水戸の肩へ腕を回す桜木は、部活中より身体がかるくなったような気楽さだ。何食べたい、サービス券ある、昇降口で待ってる、気安いやり取りが流川の耳にも届く。
どこの店に行って何を食べるのかが決定する前に、流川は部室へ向かった。
水戸が桜木に差し出せるものを流川は持っていない。桜木の好きな食べものも知らない。バスケをしている桜木のことしか知らない。夏までは、足りていた。バスケ以外を求める気持ちはなかった。
桜木のことを桜木以外から聞くのは難しいようで、結局、桜木に教えてもらうしかない。コートの外で一緒にいる時間を増やすのが重要なのだろうし、桜木から、一緒にいてもいいと思ってもらわないといけない。
流川がほしいのは友情ではないけれど、桜木の友人たちが得ているものを流川も得ないといけない。たぶん、信頼というものだ。
実現する方法がわからなかった。
流川が知っているのはバスケだけだ。これがバスケならテキストがあるし、NBA選手のプレイを見て研究もできるし、教えてくれる相手もいる。
――優しくしてやったら?
ひとつ、流川がもらったアドバイスがあった。
日曜はがんばってみたつもりだったが、振り返れば、リストバンドの説明くらいしかしていなかった。あれでは足りなかった気がするし、つきつめれば何をもってやさしい行動とするのか定義が怪しくなってくるが、今日の昼休みも桜木にやさしいことなんてひとつもしなかった。
「……やさしく」
やさしくするのは、まだがんばる余地がありそうだ。
もうひとつ、桜木から言われたことがあった。
――人の気持ち考えられねーやつなんかと仲よくできねーよ。
たしか、告白してきた相手を振るにしても、もっとやさしくしろという話からの流れだった。宮城のアドバイスとつながりそうなキーワードがある。やさしくする、だ。
やさしく、したら、桜木は水戸にするみたいに、何か食べて帰るというだけで笑顔なるのだろうか。
■10/15
週の後半になると桜木は、彩子から褒められるくらいに調子を戻していた。
天才ですから、と、何の説明にもなっていない返事をしていたのもいつもどおりだし、壁際にさがっているときには流川のフォームをたびたび見るようになっていたのもいつもどおりだ。シュート練習時、桜木からの視線が自分に向けられているのを察したとき、流川の背すじにくすぐったい心地よさがパチパチとはじけた。
桜木が部活を休んだ理由はいまだ知れないが、流川にはひとつの計画がある。
今週は誰かしらが桜木とともに帰ることになっているのか、火曜日も水曜日も帰り際になると桜木の友人がやってきていた。そうなると部活後は桜木に話しかける機会がなくなるので、流川の計画準備は必然的に部活前か部活の休憩中となる。
今日の部活前は流川のクラスのホームルームが長引いて、出遅れた。
桜木からの視線を受けながら、次の休憩は長めだからそのときに、と流川は決め、決めたとおりに実行した。
休憩の号令がかかるなり、流川はタオルをかぶりスクイーズボトルを持って、壁際に座っている桜木の隣へ行く。床に直接座るのは腰に悪いし身体を冷やすと言われて、桜木は長く見学時間をとるときにはパイプ椅子に座っている。彼の長い足は、パイプ椅子の座面よりも膝頭の位置のほうが高くなり、足を開き気味にしていても窮屈そうに見えた。
「おい、どあほう」
休憩中、宮城か三井のもとへ行こうとしたのかパイプ椅子から腰を浮かせた桜木の前へ立ち、流川は桜木をふたたび座らせるのに成功した。
「な、なんだよ」
見おろして話すのは違う気がして、流川はパイプ椅子の隣に腰をおろす。桜木は自分の肩より下に流川の頭があるのに戸惑って椅子から立たない。顔の位置が離れるし、桜木をあまり前屈みにさせたくなかったので、流川はしっかり顔をあげた。
「この間、フるときにやさしくしろって言ってただろ」
「ああー……そういや言ったな? 急になんだよ」
「考えたけど、わかんなかった。なんて断ったら、やさしくしたことになんだ?」
「はあ!?」
大声をあげた挙句に桜木は転げそうになって、流川はとっさにパイプ椅子の足をつかんだ。椅子は傾いで軋んだだけで、無事に元の位置に着地する。長く息を吐いて、流川は椅子を離す。
「危ねーマネすんじゃねえ」
「今のはてめーが悪ぃんだろ! いきなりそんなこと訊いてくるとかおかしいだろ!」
桜木が喚くので、上級生も同級生もすわケンカかとふたりへ注目が集まったが、片★や椅子に座り片や床に座っておりで取っ組みあいもしていない。それならばまあ、とお叱りの意図は解散した。
「てめーが言ったんだ、やさしくしろって。てめーが教えるべきだろ」
ふぬ、と桜木がうなった。あごに手を当ててさすり、ぶつぶつ呟いている。やはり天才、とか、キツネが教えを乞う、だとか、自慢げな方面にかたよった内容だ。バスケでは流川に口出しダメ出しをされる一方なので、流川に教えてやる立場に悪い気はしておらず、桜木はふふんと鼻で笑った。
「この天才が教えてしんぜよう! で、何をだったかね?」
「告られたときの、やさしい断り方」
うぐっと、桜木ののどが鳴るのが聞こえた。流川は言い終えてスクイーズボトルをあおっていたところで、慌ててボトルを口から離す。つられて、ドリンクがのどの変なところに入りそうになったのだった。
流川が斜めに睨みあげた桜木は、両膝に手をのせて口端を引き下げていた。苦手な食べものを口に放りこまれ、耐えているような顔をしている。苦くてまずくて、けれど吐き出してはいけないから、顔をしかめて細く呼吸をする。
「断んの前提かよ」
偉そうだった桜木の声はしぼみ、膝に当てられていた手が口許をおおう。
流川は首を傾げた。桜木を仰いでいたのへ角度が加わったせいで、かぶっていたタオルがズレる。足を動かしたら踏んでしまいそうで、流川は足の間へ落ちたタオルへ腕をのばした。
「オレが好きなのはどあほうなのに、受ける理由がねえ」
「んっ、」
のどに餅でも詰まったような、先ほどよりも激しい音と咳払いに、流川はタオルを取り落とした。振り返ると、桜木が顔を赤くして胸を叩いていて、本当に何かつまらせていやしないか不安になる。桜木は椅子の足許に置いていたボトルを取って、勢いよくドリンクを飲んだ。急ぎすぎて濡れた口許を手の甲で拭い、「そ、そーかよ」と言い、もう一度咳きこんではドリンクをあおっていた。
桜木がいっこうにやさしい断り方とやらを教えてくれないので、流川は昨日一昨日と寝る前に考えていた案を打ち明ける。
「好きなやつがいるって言ったらダメなのか?」
考えるだけで眠くなってしまってひとつきりの案を、桜木は落ちついてきた呼吸の合間に、静かに、却下した。
「……かわいそーだろ」
どうしてかわいそうなのか説明はなくて、流川には想像がつかなかった。興味がないと言ってはいけなくて、好きな相手がいると言ってもいけない。どうして本当のことを言ったらひどいし冷たいしかわいそうなのか。他の理由はないのに、他の理由を作りあげるのは嘘をつくようなものだのに、嘘はひどくなくて冷たくなくて、かわいそうではないのか。
桜木は考えこんでいて、待っても説明はなさそうだが、宙を睨みながら真剣に考えてくれている。部活に来なかった理由を聞いても教えてくれないのに、やさしい断り方は考えてくれる。
桜木は、流川にやさしいのではなくて、流川に振られる相手にやさしいのだ。わかってはいても、流川の頼みに応じてくれたのが嬉しかった。しかも、椅子と床という段差があるせいか、鵠沼海岸で砂浜に並んで座っていたときよりも近いのに嫌がられもしていない。休憩時間が、残り少ない。早くバスケがしたいのに、もっと休憩時間が長ければいいのにと流川はタオルをかぶった。
「キツネ、こういうのはどうだ。『気持ちは嬉しーけど、今はバスケのことしか考えられない』って」
したり顔で桜木が披露するが、流川はどこにも賛同できなかった。
「嬉しくねーし、てめーのことも考えてる」
「っ、注文が多いな!」
桜木は腕組みをして唸りながら、別案を考えだした。流川はタオルの端で、あご先に滴ってきた汗を拭く。やわらかなパイル地が鼻の下や唇をかすめる。このタオルは、先日、桜木に貸したタオルではない。洗って返されたタオルは少しごわついていたが知らない洗剤のにおいと日なたで干されたにおいがして、流川はそれを使えなくて、自室の机に置いていた。
「よし、『バスケが一番だから』、これならどうだ」
人差し指を立てて自慢げな桜木を流川は斜めに仰ぐ。桜木は、どういうふうに、この断りの言葉を考えているのだろう。告白してくる相手を傷つけないように。けれど、告白されるのは流川であって桜木ではない。告白してくるのはだいたい流川も桜木も知らない相手。自分がまったく関係ないのに、どの立場になっているのだろう。かつて多くの相手に告白してフられたと聞いたことがあるから、そのときの経験が元なのだろうか。
もし告白されたら、桜木は、バスケが一番だと言って断るのだろうか。
「……それなら、いー」
流川はうなずき、桜木はこんなことで短く歓声をあげた。
相手に興味がない、と、バスケがいちばん大事、との差は、流川には、さほどないように思えた。
桜木発案の断りは、イエスともノーとも言っていない。断っていることになるのかは実践してみての結果になるが、本当のことなので流川もためらいなく言える。
「バスケが一番だから……」
ぼそりと言ってみれば、桜木が、復習とはカンシンカンシン、だなどと言ってくるので、無性に腹が立った。休憩時間終了のホイッスルが鳴ったのをさいわい、苛立ちを抑えて立ちあがる。ケンカはしたくなくて、さっさと桜木のもとを離れる。本当のことを言っていいのなら、好きなやつがいると言ってはいけないのに納得がいかなかった。
■10/16
噂は足が速い。コート上で電光石火の異名を取った宮城よりも速いか、特殊な伝達ルートがあるのではないかと流川は疑っていた。しかし流川の仮説がくつがえっている。
これまでは、同日に複数回の告白を受けることはなかった。示しあわせているのかと怪訝になるくらい、一日に一回で、二回目以降は別日に持ち越されていた。今日の分が終了した、という噂の伝達ルートがあってもおかしくなかった。流川に告白できるタイミングが昼と放課後に限られているせいもあったのだろう。だが、今日はおかしかった。
昼休みに呼び出されて一回目。ここで桜木から教わった「バスケが一番だから」を言ったはいいが、結果がどうなるか不明で黙っていた。すると、相手は、二番目でいいだとか、バスケの邪魔はしないだとか、これまでにも流川が言われたことのある懇願を口にした。昼休みの貴重な昼寝時間を奪われている時点でもうバスケの邪魔だが、流川がなおも黙っていると、何か散々言いつのっていた相手が勝手に流川の内心を推測して勝手に納得して、流川が黙って突っ立っている間にお断りが完了した。
興味ねーとひと言で去るほうがよほどラクだし時間も取られないが、これで、やさしく断るが成立した。桜木に会ったら、おめーの言うとおりにしたと、話そうと思った。
だが、部活前にと想定していた機会は潰された。
「流川くん、ちょっと話したいことがあって……」
この口上での呼び出しが、委員会や授業関連だったことがない。時間がないと言って受けあわなくても、別の日に訪ねてこられてうっとうしいだけだったので、流川は先送りにするのをやめた。なんで二回目があるのかと訝★りながら、案内されるとおりについていく。
告白に適した場処というのも共有されるルートがあるのか、だいたい似ている。屋上、人のいない教室、体育館付近。人目の少なさが第一条件とおぼしいのだが、ふたり組で来て、ひとりが告白するのをもうひとりが離れて見守っているパターンがあって、条件と合致しない。今回は、ふたり組パターンだった。うつむきがちなショートヘアの女子生徒が、ロングヘアの女子生徒に付き添われている。ロングヘアの生徒が、遠くから見守る役割だった。先日と同じく体育館脇だったが、渡り廊下からは見る気がなくても丸見えの位置で、本当にここでいいのかと流川が思ったほどだった。
肝心の告白は、あのとかそのとか言いよどまれて、なかなか進まなかった。流川が断ろうにも、告白をされるのが先という順序がある。部活に遅れる連絡を入れていないのに時間ばかり過ぎていって、流川は苛々とポケットに手を突っこむ。そろそろ人が集まり始めると渡り廊下へ目をやれば、すでに練習着に着替えた宮城が体育館へ向かうのが見えた。気づいてくれとの願いをこめて宮城を凝視していると、視野の広いPGは状況を察してくれたようで、かるく片手をあげてきた。
懸念のひとつは片付いたが、大きいほうが残っている。さすがにつきあっていられなくなって、流川は苛立ちでコンクリートに爪先をにじった。
「用ねーなら、部活あるから」
立ち去るそぶりを見せると、女子生徒は慌てて引き止めてきた。大きく息を吸ってから細い声で伝えられた言葉を、流川は黙って聞いていた。自分の半分しか厚みのなさそうな肩が上下しているのを、なんで、と思いながら聞いていた。
流川は彼女のことを知らない。聞いたばかりの名前に聞き覚えはなかった。同学年、別クラス。彼女は流川のことを知っているらしい。告白してくるのだから、それはそうなのだろう。好きになったきっかけというのは今回は語られなかった。一方的に知っているだけなのに、どうして好きになって、なんで告白してくるんだろう。一方的であれ知っているなら、流川が今まで誰からの告白も受けいれていないのも知っていていいのに。
告白が終わるまで待って、流川は件★の文句を口にした。
「バスケが一番だから……」
他に何も言わず、あとは黙っているだけ。昼休みに実行した手順を今回も実行する。昼休みほど食い下がられなければいいと、女子生徒からの反応を待つ。体育館に部員が何人も入っていっている。そろそろ全員が集まって、流川を抜きに部活が始まってしまう。
「そう、ですよね。わかってたんですけど、言っておきたくて……あの……聞いてもらえてよかったです。思い出、大事にします」
「――思い出?」
食い下がられずには済んだが、流川は彼女の物言いに引っかかった。ついさっきまでの苛立ちとは異なる波が自分の中に立つ。急に起こった波は荒く高く、波頭が堤防を越える。これまでにも似た言い方をされたことがあった気はするが、いくつもの小さな不愉快が折り重なって勢いを増した。
わざわざ呼び出されて、移動して、部活の時間に食い込まれて。これが済んだら流川は大急ぎで部室へ行って着替えて、またこの体育館まで戻ってこなければならない。そのころには今日のメニューのおおまかな説明が終わっているかもしれない。そうしたら、マネージャーに聞かなければならなくなる。ドミノのように、この時間があとにあとにと倒れて余裕を奪っていく。
「オレはあんたの思い出の材料なのか?」
黙って聞いていただけだった流川が不意に声低くしゃべり始めたせいか、女子生徒はうろたえて一歩後ろへ下がった。
不快さが薄れず、流川は、詰め寄りはしなかったものの荒れた目つきで彼女を見下ろす。
桜木は、やさしくしろと言っていた。相手は真剣な気持ちでいると言っていた気もするが、汲み取れってやれる真剣さはどこかへ失せていた。流川が断った理由を、わかっていたと言った。思い出だなんて言った。流川を使って、思い出を飾るためのきれいな羽根をこしらえていた。
「てめーの自己満足かよ」
「あの、そんなつもりじゃ、」
女子生徒が怯えて泣きだし、流川はやり過ぎを悟ったが、慰めの言葉は出てこなかった。流川の代わりに、離れて見守っていたもうひとりが飛んできて彼女を抱き寄せて、流川を批難し始めた。泣かれるより、こうして文句を言われるほうがよほどよかった。そんな場合ではないのに、文句をぶつけてくる姿が流川に桜木を連想させずにいなかった。
もし桜木から告白されたなら流川は断らないが、桜木が、告白したかっただけで思い出でいいだなんて言ったら、流川はやはり苛立ったろう。苛立ちの理由は今とは違うにしても、ケンカにもなりかねない。ここしばらくは桜木の体調が万全ではないから殴りあいになっていないだけで、たとえ好きな相手であっても完全にやさしくなんてできっこないのだ。流川は息がつまって胸の奥が痛んだ。目に見えない臓器をわしづかみに絞られているように痛い。痛いのに、直接撫でることも手を当てることもできないから、痛ませておくしかない。
痛みをこらえ、流川は空しく女子生徒たちの前に立っていた。告白をしてきたほうが泣きながらも、友人が怒って並べ立てる文句を抑えようとしているが、効果は出ていなかった。
「おい、女の人をいじめてんじゃねーよ!」
渡り廊下から降りて流川たちへ向かってくるのは桜木だった。桜木は練習着姿だから、体育館を目指していて、この光景が目に入ったのだろう。流川と女子生徒たちの間に入り、流川を牽制するように睨みつける。泣いている女子生徒にぎょっとして、流川に食ってかかってくる。
「泣いてらっしゃるじゃねーか、やさしくしろって言っただろ!」
桜木は流川の言いわけも反論も待たずに、背を屈めて女子生徒たちに取りなし始めた。
「あの、大丈夫ですか。こいつが何か失礼なことでも――」
「言ってねー。失礼なのはそっち」
流川は即座に自分の正しさを主張する。ていねいな口調の猫なで声を出す桜木に、そんなやつらの機嫌を取るなと腹が立った。
「おいルカワ!」
振り返った桜木の抗議を跳ね返すつもりで流川は眉間に力をこめる。痛んだままだった胸は、強い力で骨ごと握られ絞られているようにぎりぎりと軋んで、呼吸も血流も止まりそうだった。のどの奥が腫れぼったく詰まって、ただでさえ吸えない息をさらに詰まらせる。
「てめーは、」
胸を波打たせるようにして吐き出すと、ざらついた声がこぼれ落ちた。
「オレの気持ちなんて考えてねーじゃねーか、これっぽっちも」
桜木が女性全般に弱くてやさしいことなんてわかっていた。女子生徒が泣いているこの状況を目撃したら、流川が悪かろうが悪くなかろうが、桜木なら真っ先に女子にやさしくして不思議ではなかった。
理屈ではそうわかっていても、認められなかった。
バスケがからめば、桜木の視線は流川に釘付けになる。流川がアメリカに行くと言ったら、オレもアメリカだと言った。
けれども、コートの外へ出てしまえば、桜木の関心は流川から失われてしまうのだ。休日に出かけたけれど、それだけでしかない。告白しても、本気だと思ってもくれない。友人としても、もう間に合っていると言われる。
桜木が、ただの、ど素人のままだったらよかった。しょっちゅうからんでくるのがネックだが、安西が個別に合宿で指導するほどの才能があるし上達も早い。何よりバスケへの愛情があって、まじめに練習する。チームメイトとして悪くない。次は何ができるようになるのか、見ていて飽きない。楽しい。成長目ざましいただのチームメイトのままにしておけたら。
好きだなんて言わずにいられたら、よかった。そうしたら、いつか、そんなこともあったと思える程度の過去になったのかも知れない。
流川は、告白してきた女子生徒を一瞥した。
告白しておいて、いい思い出だなんてばかげている。好きだなんて言わないほうが、よほどいい思い出になる。
のど奥からこみあげてくる苦さを飲みくだして、流川は足を前に踏み出した。桜木の脇を素通りし、女子生徒たちにも目をくれずに歩いていく。
桜木が考えてくれたとおりだ。そのとおりにすればいい。
技術は、練習すればするだけ確実になる。応えてくれる。いつだって流川を熱中させてくれる。
バスケが一番だから――そう、すればいい。
powered by 小説執筆ツール「arei」