直後に捕まりました

 HiMERUはアイドルだ。ファンを愛し、仕事を愛する完璧なアイドル。パフォーマンスは一分の隙もなく、ダンスはそつなくこなし、聴衆を魅了する魅惑の歌声の持ち主。当然人気も申し分ない。そしてそんな完璧なアイドルであるHiMERUが優柔不断だなんてこと、あるはずがないのだが。
(……。どうしよう)
 HiMERUこと十条要は、眼鏡専門店のショーウィンドウの前を、既に二十分ほど行ったり来たりしている。黒のキャップを被りマスクを着けて、有名スポーツブランドのプルオーバーのパーカーに濃紺のスキニーデニムを合わせ、足元はハイカットのスニーカー。変装はばっちり。普段身につけるような私服とは違う系統で、どちらかと言えばユニットリーダーの――密かに生活を共にしている彼の、天城燐音の趣味に近いファッションだ。これなら誰も『HiMERU』だとはわからないだろう。
 しかし要は高身長かつスタイル抜群の美男子である。その事実はいくら完璧な変装をすれども隠しようがなく、もう三十分近く眼鏡屋の前をうろつく彼は、それはもうめちゃくちゃに目立っていた。選ぶことに集中するあまり周囲から注がれる視線に気付かない迂闊さに、見かねた女性店員が「何かお手伝い致しましょうか?」とそっと声を掛けて要を店の奥へと案内した。
「――ひとに、眼鏡を贈りたくて」
「プレゼントですね。どんなものがよろしいでしょうか」
「……。度なしで、セルフレームで、形は……ええと」
「ふふ、ではお相手の方にお似合いになりそうなものを、ご一緒に考えましょう」
「……」
 彼に、似合うもの。微笑む女性店員を前に、要はぐぬ、と唇を噛んだ。それがわからないから自分は長らくここにいるのだ。
 今日は何度言っても大した変装をしてくれない燐音に、変装道具としての眼鏡を持たせるために、わざわざ買い物に来ていた。それでこの迷いっぷりだ。己にここまで決断力が無いとは知らなかった。
 このままでは親切に声を掛けてくれた店員さんを困らせてしまうし、まさか何も買わずにすごすごと帰るわけにもいくまい。自分は多忙なアイドルなのだから、無駄足を踏むのは腹立たしい。
(こうなったら世界一あんたに似合う眼鏡を見繕ってやりますよ、HiMERUの名にかけて、ね)
 気合いを入れ直した要は、再び整然と並んでこちらを見つめる眼鏡たちと向き合った。



 自宅の玄関を入るときちんと揃えられた白いスニーカーが鎮座していた。既に燐音が帰宅しているようだ。ふたりで暮らし始めて数ヶ月。所謂『恋人』が待つ家に帰るというのは、未だにむず痒い。
「……ただいま」
「おかえり〜。お、何これ」
「HiMERUがあなたのために貴重な時間を割いてあげたのですよ、光栄に思ってくださいね」
「ふっ、ハイハイありがとありがと。……メガネ?」
 乱雑に押し付けた紙袋の中身を漁りながら燐音が愉快そうな声を上げた。何がおかしい。
「変装用。あなたも外を出歩く時はちゃんとアイドルの自覚を持ちなさいね」
「あ〜そういう。ソウデスネ、流石メルメル大佐プロ意識高ェっすわ」
「茶化さない。これでも真面目に選んだんですから」
「ヘェ?」
 男が唇を吊り上げて笑う。渡したばかりの眼鏡をケースから取り出して、いそいそとかけて見せる。先に風呂を済ませていたのか、セットされていない前髪の隙間から透明度の高い海面のような碧が覗いた。
「ど? 俺っちかっこいい?」
 その瞳がきらりと悪戯っぽく光る。要は腹の底がむかむかして落ち着かない心地になった。
(ああかっこいいよ。腹が立つくらい。だって俺が、あんたが一番かっこよく見えるようにって悩んで悩んで選んだんだぞ。絶対言ってやらないけど)
 上機嫌の燐音は、「要からのプレゼント嬉しい、写真上げてい? え、ダメ?」とか何とか言いながら鏡を覗き込んだり外して照明に翳したりしている。新しい玩具を買い与えられた子供のようなはしゃぎようである。
「喜びすぎでは」
 ぼそ、素直に疑問を口にする。鼻歌まで歌い出しそうな彼は、「ん〜?」と言いながらひらりと軽い仕草で振り返った。
「要がオフに俺っちのために出掛けて、俺っちのこと考えて、いっぱい悩んでくれたンだろ? そんなん嬉しいっしょ、めちゃくちゃ嬉しい」
 要の好きな澄んだ碧が、ゆるりと弧を描く。その美しい色彩と自分との間を隔てる薄いガラス一枚。なんだろう、何だか少し、妬けてしまう。
「……っ、キャラじゃないだろ!」
 無性に恥ずかしくなった要はソファに置いてあるクッションを引っ掴み、力一杯投げ付けた。あっさり受け止めた燐音が「ちゃんと変装します」と一言添えたから、「えらい」と投げやりに返して風呂場に逃げ込んだ。





(ワンライお題『ふたり暮らし/メガネ』)

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