花火


キュウリに錦糸卵にハムの千切りにトマト。
素麺に比べてこれだけの材料を切って並べて並べて切って、ってしてる間に時間が過ぎて。ちょっと早めに作り始めたつもりでおったけど、終わるのはいつもより遅い時間になって、今は全部食べ終わってしもた皿が三枚仲良く並んでいる。
「冷やし中華て、儚いな……。」
「草若兄さん、いつもの昼寝の時間にしたいなら、ぼんやりしてんとはよ片付けてください。」
先に食事を済ませてさっさとまな板やらを洗って片付け始めていた四草が流しから声を掛けて来た。
「分かったて。」
何を分かり切ったことを今更、という顔をしてる四草に、空いた皿を渡してちゃぶ台拭いて…午後からはシャワー浴びて草原兄さんとこ行って、稽古で別の汗掻いてまた戻って来る予定やねんけど。昨日覚えたとこ、もう冷やし中華作るので飛んでってしまいました、て言ったらまた小突かれてまうなあ…。
食べた後の食器の洗ったのを端から片付けていると、静かになってた子どもの寝息が聞こえて来た。座布団丸めて枕の代わり、オレもようやったなあ。
「おチビ、もしかして歯磨きしてへんのと違うか……?」と聞くと、まあそうですね、と四草は他人事のように言った。
「廊下も妙に暑いから今の時期は、なかなかあっちで歯磨きして来いとかは言い辛いていうか。かといってここで歯磨きするとなると、なんや一遍洗い桶片付けてからでないと気持ち悪いですからね。」
「そら、そやな。」
四草の言うのもまあ正論ていうか、やっぱ、顔洗うとこと食器洗うとこは分けたいわな。それに、ここの二階の廊下はほんとに下の中華料理屋から熱風がほとんど直接上がって来て、最悪や。エアコンはガンガン付けてるていうのに、下の階のお客だけが冷えてて二階の住人は……まあ昼間に二階におることを想定されてないていうことやけどな。冬はええとしても夏は厳しいことこの上ない。
草々も、このまま弟子が増えては稽古がままならんいうて、気が付いたら日暮亭から出て引っ越してってしもたから、オチコちゃんの顔見に行くついでにあっこの二階で涼んで来るとか難しなってきたし。
まあ、逆に、ようあの子が赤ん坊の間も日暮亭におったなあ、て話か。
なんや赤ん坊泣いてても、皆そないには気にせんかったもんなあ。
新居は手狭やて喜代美ちゃんから聞いてるけど、つまり木曽山の小草々が弟子に入った頃が一番贅沢やったて言うとこやろう。
オヤジ見てたらそんなもんかと思ってたけど、当節、落語家してて先祖代々の土地でもなければ、弟子の稽古場に出来るような部屋の在る家を落語家が持ってることなんか、そうそうないねんな。
「……お前、クーラー付いた部屋に引っ越したいとか、ないんか?」
「ないことはないですけど、タイミングとかあるでしょう。ええ物件探せるだけの金もコネも手立てもないのに。」
昔なら貢いでくれるおねえちゃんのひとりやふたり心当たりがあって、うちに来いて誘いかてあったやろうに、内弟子の修行終わってからもここと似たような風呂なしのトイレ共同の小汚いとこで次がここやったもんな。
「……金出来てから探そと思っても、思ったような場所に借りれるか分からんで。」
「草々兄さんは移ってったやないですか。なんとかなります。」
「それもまあそうか。」
「明日、そういえば、花火て言ってましたけど、行きますか?」
花火なあ、花火、て……明日天神さんの花火やんか。
「オレとおチビでか?」
どうせいつもみたいに子守頼むて話やろ、お前寂しがりのくせに人込みは苦手やもんな。
まあ小学校入った言うたかて、この年や、友達と行きたい言うたところで子どもだけで行かせるの難しい。
それに、オレも小さいときはオヤジとおかんと一緒に見た花火や。草原兄さんが弟子になってからは四人で空を見上げてた。草々が入門した後になったら、もう見たり見んかったりでほとんど記憶にない。縁側で西瓜食べたり、内弟子部屋の中に籠ってて、おかんに呼びに来てもらった年もあったけど、ほんまにそのくらいや。
おチビが行きたい、て言うなら、お前が行かんと意味ないで、と言おうとした矢先に、「三人で行ったらええと思いますけど。」と言った。
「……えっ、なんで?」
「……なんでて、子どももその方が喜ぶでしょう。」
「いや、それは分かるけど、……それやったらオレ行かん方がええんと違うか?」
「行きたないんですか?」
「いや、むしろお前が行きたないんとちゃうか?」
あかん、話が嚙み合わんようになってきた。そもそも、オレなんでこないに気忙しいような気持になってんや。コレ、ただの花火の引率の話やんか。
「人込みですよ、何か事故あったとして、小草若兄さんのせいになってまうことがあっても困りますから。ほんまはここの周りで線香花火するだけで満足してくれたらええんですけどね。万一の時のために大人は多い方がええんと違いますか。」と四草が言った。
なんや、やっぱりデートとはちゃうわな、と思ったら肩の力が抜けた。
「それやったらええけど、それなら、花火はここでするのでもええんと違うか……? オレも昔はオヤジと行ったこともあったけど、今なんやよそからも天神さん関係ないような観光客ぎょうさん来てるやろ。」オヤジに肩車してもろた思い出はあんのやけど、あんとき、オカンがオヤジの隣におったかどうか、妙に思い出せん。
「それなら、起きたら兄さんから、こいつにそない言うてください。」と四草に言われて、そうするわ、と答えてしもてから、アッと思った。
お前、もしかしておチビにそれ言い聞かすんが面倒でオレにこないいうように仕向けたんちゃうか?
クソっ。また乗せられてしもた。
しゃあないなあ……オレの浴衣なんか稽古の時に着てるヤツしかあらへんぞ。
まあ、ここの裏でする花火なら、わざわざ洒落込む必要なんかあらへんのやけどな。それでも、なんや子供に特別な思い出みたいなもん作ってやりたいやんか。
「オレ、コンビニかどっかで線香花火買ってくるから、お前はおチビに着せる浴衣買って来いよ。」
「はい?」
「花火を見に行くのがあかんかったから言うて、花火に出掛けるようなカッコしたらあかんこともないやろ。お前のと揃いに見えるような浴衣、一着買って来たったらええんと違うか。」と言うと、四草は当てが外れたような顔でもなく、分かりました、と言って笑った。
お前なあ、他所でそないに笑ったら、そこらにおるおネエちゃんが誤解すんで。

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