そしていつかの式日に
深い海の底から這い出てきたころ、周囲の飲食店は軒並みその暖簾を降ろしていた。
後に残ったのは極度の疲労感と空腹である。開拓の加護があれど疲れるものは疲れるし腹が減っては開拓も出来ない。何か食べてから宿に戻ろう、としたものの、まだ営業を続けている店を探し、気付けば洞天から洞天へと渡り歩いていた。長楽天の店も、既にぽつぽつと暖簾を降ろし始めている。少し遠いがこのまま金人巷まで足を延ばそう、と言い出した穹に、丹恒はかまわない、と少し彼にしては疲れた様子だったが反対もしなかった。
どちらかというと自分の空腹や疲労感を慰めるためというのは建前で、結局のところ個人的な使命感で穹は彼をここまで引きずってきている。本当ならさっさと手配されている宿に戻り、彼だけでもベッドに押し込んで、その間に自分一人で軽食でも買いに出ればよかったのだ。……でも。
足元に橙色の光が差し始めた頃、ピークの頃は過ぎても未だ家路につかない酒気を帯びた者たちが、ふわふわと浮ついた声のまま長い夜を各々愉しんでいる声が聞こえ始めた。その声に混ざって、「穹?」とふと聞き覚えのある声が自分を呼んで視線を向ける。後ろについてきた丹恒もそれに気付いて足を止めた。こちらに向かって、店の前のテーブルから、おーいおーいと少し赤い顔で手を振る少女が一人いた。
普段は長楽天の雀荘の近くで牌を打っているはずだ。「青雀?」と驚いて尋ねてみれば、彼女の前にはまたもや見覚えのある女性が一人いた。「静斎も……?」と珍しい組み合わせに、まあ太卜司の同僚ではあるか、と頭の中で納得しながら穹が尋ねると、彼女は何故かすっとその場で席を立つ。
「では、後はよろしくお願いいたします」
「は?」
「星槎に乗せてしまえば酔っていても歩いて帰れるでしょうから」
「えっなに……おい! ちょっと!? 静斎!?」
一体何なんだ、と困惑しながら振り返ることもせずに、さっさとこの場を後にしてしまった静斎に呆気にとられつつ、穹はんふふふ~、と上機嫌な笑い声をあげる青雀を振り返る。うっわ酒臭、と香ってきた酒気に、穹は思わず眉を顰めてしまった。
どこからどう見ても未成年の少女にしか見えないのだが、彼女――青雀もまた、この羅浮に住む仙舟人のひとりだ。見かけほど若くはないし、二〇〇歳未満ではあるそうだが、もちろん飲酒も出来る。
その少女が、どうやら見てわかるほどに泥酔している。静斎が去った後の席が空いてしまったので、仕方がない、不幸にも他の席は埋まってしまっているし、と穹は彼女の前の席に腰掛けた。丹恒も穹の意図を察して隣に腰掛ける。
「どうやら彼女は随分酔っているようだが……友人か?」
「いや、知らない人」
「あ、この前はピノコニーで色々ありがとね、えへへ~。あ~、そうだ~、あの時のお礼とかまだ何もしてないし、今日はこの親友の青雀様が~……なんでも奢って差し上げようじゃないの! おばちゃーん! 注文~!」
「ちょっと暗くて顔がよくわかってなかったみたいだ。やっぱり親友の青雀だった。――丹恒、紹介するよ。太卜司の卜者の青雀だ。青雀、こっちは……」
あなたのことは知ってる知ってる、と丹恒の事を彼女に伝えようとする前に話を遮られた。指折り数えて、彼女が知っていることをいくつか挙げ連ねていった。仕事をサボることにその才能の殆どを費やしているが、自頭はいいし少し抜けてはいるがそれなりに記憶力もいいし、知識も持ってはいるのだ。それを披露することすらいつも控えているが。
途中から呂律が回らなくなり、話がけらけらと笑い声に呑まれていったので、穹は途中から青雀の話を右から左へと聞き流すことにした。頭から水浴びれば酔いも覚めるんじゃないか、とは思ったが、――いや、と横に視線を向けてから穹は頭の中に浮かんだそれを一蹴した。さすがに今、そんな提案は出来ない。
青雀がふわふわとした話をしている間に、彼女の声で傍にオーダーを取りにやってきた店主が、頼んだ料理を持ってテーブルに戻ってきた。頼んだ料理とは別に、それぞれにお茶も用意してくれる。う、っとその時、青雀がテーブルに新しく運ばれて来た料理を見て何故か眉を顰めた。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。その匂いに、空腹が早く満たせと涎と共に急かしてくるようだった。続けて、ドン、と何故か青雀の前にだけ、自分の前に置かれた者より、少し大きな湯呑が置かれる。すこしすうっとした匂いがする。中身が違うようだ。
「悪いわねえ。来て早々、酔っ払いの相手させちゃって。あなた、時々来てくれるナナシビトよね?」
「覚えてくれてるのか?」
「そりゃ、金人巷の復興も手伝ってくれたもの。……あなた、彼女ともお友達なのよね? ――彼女ねえ、どうやら数年ぶりに残業したみたい。ほら、今太卜様がまだ不在でしょう? それで、体よく仕事をサボれると思ってたらしいんだけど、どうやらその逆だったみたい。丁度、年休をまとめて使って旅行に出かけた後みたいでね。仕事は休めないし、太卜様の穴を埋めるために太卜司は今てんやわんや。この子も逃げようとしていたところを引きずられて、数時間前まで仕事を片付けていたらしいのよ」
数人の同僚と来てたけど、さっき最後のひとりが帰ったみたいね、と店主が小さく息を吐く。どうやら他の同僚とやらは早々に青雀を見限り帰路に着いたらしい。そして最後まで残っていた静斎は――穹がやってきたのを見てこれ幸いと逃げ出した。くそう。してやられたらしい。
「青雀。ほら、これでも飲んで。酔いを少しは醒ましなさい」
明日も出勤でしょ、と彼女は青雀の前に置いた湯呑の中身を呑むよう、青雀を促した。んー、と酔ってくだを巻きつつも、青雀は言われた通りに湯呑を傾ける。だが、口をつけた瞬間に、さっとその顔が青ざめた。店主は咄嗟に、経験則からか、テーブルの上の運んできた料理をもう一度持ち上げ、何故か青雀の傍から離れた。なんだ、とその違和感に穹が首を傾げる前に、目の前からう”、と声が上がる。青雀が湯呑を持っていた手を片方口元に沿え、びくん、と一度痙攣するように胸を動かした。何かを堪えるような仕草に、まさか、と思ったその瞬間、横から首根っこを掴まれ引っ張られた。がくん! と視界が月を向く。
「――お”、お”え”え”え”えええッ!」
ここは夢境ではないので、虹はかからない。モザイク処理班は間に合わず、勢いよく人が噴水になる瞬間を穹は目の当たりにした、が、それと同時に飛び散ったびしゃびしゃと少し粘着質な水音は、自分を濡らしはしなかった。きょとん、と天を仰ぎ、はっと穹は支えられていた手から体を元に戻す。自分を庇うように影が傍にある。自分は無事だったが、代わりに――。
「た、丹恒!? だ、大丈夫か!?」
「……少し汚れたくらいだ。危なかったな」
「確かに、頭からゲロ被る所だったけど……だからって代わりに丹恒がゲロ被る事ないだろーが!? おいこら青雀、お前はマジで呑みす――」
「ぎもぢわるい”ぃぃぃぃ……」
「って、おい、大丈夫か!? まだ吐くか!? 誰かー!? 誰か、袋ーッ!?」
あらあら、と近くにいた狐族のお姉さん、酔いに慣れたおじさんたちや夜を上機嫌に更かしていた青年たち、隣の店の店員――と、あれよあれよという間に、穹の悲鳴を聞きつけて周囲に人が集まってくる。どうしたんだい、と声を聞きつけて集まってきた人々の中、おろおろと一人戸惑っていると、こんなことはどうやら茶飯事のようで、ああ、と状況の説明を何一つしないまま、周囲に集まった人間たちはそれぞれに目配せをして、何故か二、三度頷いた。
汚れてしまったわねえ、あなたこちらにいらっしゃいな、とまず青い顔をした青雀を連れ、いい匂いのする狐族のお姉さんがどこかへ向かった。兄ちゃんこっちきな、と続けて穹を庇い吐瀉物を少し被ってしまった丹恒を酔ったようには見えないおじさんが引っ張っていき、そっちの兄ちゃんここ使いな、と丁度隣のテーブルでお開き前だった赤い顔のおじさんたちがテーブルの上の無事だった料理ごと穹を隣のテーブルに移動させていく。あれよあれよという間に吐瀉物特有の胃酸の匂いやむせかえるような酒気も遠のき、大変だったねえ、と騒動を聞きつけた別の店の店員から、何故かサービスでアイスまで出されてしまった。
「…………」
無事だった料理が静かに冷めていくのを、一人で食べ出せないまま、穹は結局そのアイスだけを口にする。ぽつん、とテーブルで消えてしまった二人を待ちぼうけていると、まず一人、先ほどより随分すっきりとした表情の青雀が戻ってきた。誰かに服を借りたのか、見慣れない服を着て、小脇にいつもの服を抱えている。どうやら酔いも醒めたらしい。記憶はあるようだ。
「やー、穹、せっかくの夜にごめんごめん! 悲しみのあまり久々に我を忘れて呑んだくれちゃったよ~」
「自棄酒するくらいなら早く家に帰ればいいんじゃないか……?」
「それはそう」
穹の前の席に戻ってきた青雀を見て、店主がもう一度お茶を持ってくる。今度は飲めるかい、と尋ねた彼女に、ありがとう、いただくよ、と彼女は温かく湯気の立つそれをふうふうと軽く息で冷ましながら傾けた。「あなたの親友さんはまだ戻ってないの?」と周囲をきょろきょろと見まわす。
「丹恒は……お前のゲロから俺を護って……」
「ご、ごめんって……。でも、吐くのだって体力使うんだよ?」
「それはわかるけど」
自分もまた、限度も弁えず食べ過ぎて戻したことはある。あれはあれで酷く疲れるのだ。食べたものを戻してしまったという罪悪感、虚無感、尊厳の喪失、口の中の不快感。口の中がきゅっと酸っぱくなってしまいそうだったので、穹はそのあたりで想像するのを止めた。はああ、と深く溜息を吐いて、青雀がテーブルに突っ伏していく。酷くお疲れのご様子だ、と穹は彼女が一口くれ、とねだって来る前に、最後のアイスを口に入れた。お前にはやらん。じと、とした視線で見つめられてももうないものはないのだ。穹は澄ました顔でスプーンを器の中にそっと置く。
「はーあ。もうこの間から散々だよ~。年休かなり使ったのに、ピノコニーに招待されたと思ったら詐欺だし、戻ってきたと思ったら」
「残業だし?」
「自分で言うとまた吐きそう」
「もう吐くなよ。で、ぱーっと呑んでたら呑み過ぎて吐くし?」
「うう……」
身構えて距離を取ろうとする穹に、大丈夫だって、と青雀は言う。まだ腕を軽く枕にしたまま視線を少しだけ上げてこちらを見上げてくる。
「そっちも疲れた顔してるけど。……あー……、もしかして、風邪のうわさでぼんやり耳にしたんだけど……今日の幽囚獄の騒動に噛んでたりする?」
「ご明察」
「あらら。それで呼び出しがかかったのか、途中で数人仕事に戻って行っちゃったんだよねー。ま、私は下っ端なので残ったんだけど」
「酔いつぶれて使い物にならないから置いて行かれてただけじゃないか?」
「それも計算の内に決まってるでしょ~」
じゃあお礼どころかもっと悪い事をしちゃったねえ、と何かを考えるように、青雀は塩らしくごめん、と謝ってくる。「まあ、せっかく腹を空かせて食事を楽しみにここまで来たのにそれどころじゃないしな」とささくれだった言葉を敢えて選びつつ、手を付けないまま、穹は冷めていく料理を一度見下ろした。青雀も罰が悪い顔をしつつ、ふと気付いて、食べないの、と尋ねてくる。
「食べたいけど。逆だったら丹恒はきっと俺の事待って食べないだろうから」
「だから待つの? ふうん。本当に仲がいいんだね」
「うん、多分」
「多分?」
「……仲はいいんだけど」
そこで言葉を切ってしまった穹に青雀が突っ伏していたテーブルから体を起こす。何々、人生の先輩に言ってごらん、といつもであれば面倒なことには首を突っ込まない青雀が、珍しく話を続けようとする。そもそもは、彼をまだ一人にさせたくなかったから宿にすぐには戻らなかったのだが。
「却って面倒なことになった気がする」
「んふふ~、世の中の大半の事はそうだよ? ある時ぜーんぶが上手くいく、そしてまたある時はぜーんぶが裏目に出る。お兄さん、今日の出目は裏目かな?」
「裏目と言えば裏目」
「じゃあ仕方がない。そういう時は諦めて何もしない方がいいよ」
「経験上?」
「経験上」
そういうもんなのかあ、と穹は青雀の話に頷きながら一度息を吐いた。何があったか話してみれば、と言いたげな表情をしているものだから、ついぽろりと言葉が転がり出していく。
「親友なのに、こういう時何したら嬉しいのか、本当の意味では分かんなくてさ」
「何を?」
「んー……、……例えば、俺がものすごく嫌な目にあったことがあって……そのことを思い出すような場所に思いがけなく行くことになったとするだろ。俺は、そこでのことを思い出したりして、すごく落ち込んだり疲れたり悪夢を見るかもしれない。そんな時、青雀なら……」
「ほっとく」
「どうやって慰――ほっとく!?」
穹は思わず尋ね返していた。青雀はきょとん、とした顔をする。
「え? ほっとくよ。だって、いくら心配しても、自分に出来ないことなんて山ほどあるでしょ?」
「それは……そうだけど。でも、心配なんだぞ?」
「心配はするよ。でも、何かしてって言われない限りは何もしないかなー。そういう時って、あれこれ世話を焼かれたり気を遣われたりするのが億劫だったり、そっとしておいてほしい時もあるだろうからね。自発的に動かない、拒否しない、責任を負わない」
「仕事の話じゃないのか、それ」
どこかで聞いたことがある、と少し考えてしまった。彼女の仕事におけるスタンスの話だ。前に話をしていてそういう話題になった。青雀は仕事だけってわけじゃないよ、と穹に続ける。
「大抵の面倒事は、自発的に動いたり、拒否したり、責任を負うから起こるんだよ。その点、ナナシビトは尊敬するよ。自発的に動いて、頼まれ事は受け入れて、責任は全部負ってるでしょ」
「…………」
ぐうの音も出ない。まさにその通りだ。そしてその結果、青雀の言う通り、面倒事やトラブルは、常に自分たちに纏わり付いているかのように高確率で起こる。予感で済むこともたまにはあるが、やはりこうなるだろうな、と何回も同じようなパターンに遭遇してきた。でしょ、と同意を求めるように青雀は言って、ずず、っと湯呑を傾け茶を啜る。
「あなたが悩んだって仕方がないって。そんなに気になるならどうして欲しいか聞けばいいじゃん」
「もう大丈夫かって聞いた」
「で?」
「大丈夫だって……」
「本人がそう言ってるんだからそうなんじゃない? それとも、穹はそうじゃないって思うわけ?」
「んー……」
何かがあってもそれを隠して、一人で抱え込むことが多い。でも、聞けばそれを拒まずに話してくれるようにはなった、と思う。だから何となくわかるのだ。大丈夫だ、というその言葉が、彼の中の彼を奮い立たせるものであることも、彼自身、そこからもう、今は前を向いて歩いていけるということも。その一方で、置いてきた過去が今も彼の足首を掴んでいることも。忘れることを選ぶのではなくて、すべて知って背負っていくと彼が――丹恒自身がそう決めたことも。
「大丈夫って言葉を信じたい、気持ちと」
「うん」
「そうはいっても何か出来ることがあるならしたいって気持ちがあって」
「で、迷ってるって? ふうーん。ぐだぐだ考えてないで、あなたの好きにしたらいいのに」
「……そういうもん?」
「そういうもんでしょ。――例えば、あなたは私が助けて! って言ったら助けてくれる。でもその前に、穹は詐欺じゃないかって招待状の事を怪しんでたでしょ?」
「いや、あれはどう考えてもはじめから怪しかっただろ」
こんなところに何故青雀が――と、思った記憶もまだ新しい。ピノコニーでの騒動が少し落ち着き、ここに来る少し前のことだ。ホテル・レバリーで一日ロビー・マネージャーの仕事をすることになった穹の元へ、何故かここにいるはずのない青雀がチェックインをしに現れた。四尺聖堂だかなんだか、ピピシ人たちが集う珍妙な迷惑組織に誘拐され、彼女は他に頼れる友人もここにはいない、と穹に助けを求めてきたのだ。
「まあ、過程は置いといて。多分、あなたは私が助けを求めなくても、気になって何かしてくれた気がする。それは私とあなたが親友だからってわけじゃなくて、多分あなたがそういう気質なんだと思うけど」
「誰でも助けるわけじゃないけど。悪いやつらは酷い目にあってても助けないだろうし」
「だからあ、そういうところなんだって。悪人まで助けるわけじゃない。でも友達は助ける。それは助けたいって、多分あなたがそう思ってるからでしょ? ならそうしたらいいよ。私にはちょっと理解出来ない所もあるけど、それで実際助かってる人もいるしね。……親友なのに、こういう時何したら嬉しいのか、本当の意味では分かんない、だっけ? そんなの親友じゃなくても、言われなきゃわかんないと思うけど。親友って別に、そこまで万能感のある関係じゃない時もあるし」
「万能感?」
「この人のすべてを受け入れるとか、一緒に居れば何でもできるみたいな? まあそういう関係の友情もあるにはあるでしょ。でも――聞くけど、私と穹で同じことが言える?」
「……いや、ちょっと……違う気がする? というか、牌打って仕事サボってばかりだと思ってたけど、お前、たまにはちゃんとそれらしい事も言えるんだな……」
「ほらね、そういう感じ。私とあなた、あなたとその親友さん? は全然違う。あなたは私がこういうまじめ~な事を言うとは思ってなかった」
「うん」
「でも、たまーには言うこともあるんだよ。ほら、知らなかったでしょ? だから、あなたはその人の気持ちなんてわからなくて当たり前なの。なら、まずあなたがしたい事をしなよ。それが心配なら、本人に何をしてほしいか聞けばいい。友達にちゃんと頼る人、頼れない人、自分で何とかする人、出来ない人、なんかたくさん、穹にはそういう人の心当たりがいそうなものだけど、その人にはなんで聞けないの?」
言われてみれば何故だろう、とふと思う。黙り込んでしまった穹を前に、ふう、っと湯呑の中を飲み干して、そろそろかーえろ、っと吐いて酔いが醒め、すっきりとしたのか、青雀は吐瀉物で汚れてしまった服を小脇に抱え直し立ち上がった。
「前回と今回のお詫びの分で、多めに支払いはしておくから。料理、冷めちゃったでしょ。追加していいよ。じゃあごゆっくり~。あ、そうだ。穹、明日暇なら太卜司に来てくれない? 実はお願いと言うか、やってほしいことがあるんだけど~……」
「仕事なら手伝わないぞ。俺達、また幽囚獄に行かなきゃいけないし」
「ちぇ~。じゃあいいよ。落ち着いたらまた牌でも付き合って。……今日はありがと。じゃ、おやすみ~」
「おやすみ」
気を付けて帰れよー、と年休をまとめて使ってしまったために休めもしないその哀愁漂う小さな背中が夜の中に紛れているのを見送りつつ、丹恒まだかなあ、と穹はどこかに連れていかれたまま一向に戻ってこない彼を再び待ちぼうけた。そろそろ戻って来てもいいはずなんだけど、と周囲をぼんやりと見つめ、少しずつ人が減り始めている金人巷の路地に丹恒の影を探す。まさか何かトラブルでも起きたのだろうか? でも連絡はないし、と端末を取り出してみる。最後の会話から新しく増えたメッセージはない。探しに行くべきか、と数秒考えて、立ち上がったところで足音が後ろから近付いてきた。すまない、遅く、と近づいてきた声が、テーブルの上を見てぴたりと止まる。穹は勢いよく後ろを振り返った。
「丹恒! やっと来たー、何かあったのかと思って探しに……」
行くとこだったんだぞ、と言いかけた言葉が途中で止まる。着ていた服とは違う服を着て彼が戻ってきたからだ。脇に抱えている上着や服が汚れてしまったからと、恐らく連れていかれた先で渡されたのだろう。黙り込んでしまった穹に、どうかしたのか、と丹恒が首を傾げる。
「先に食べてなかったのか?」
「え? ああ……うん。丹恒が来るの待ってた」
「先に口をつけていてよかったのに」
「せっかく二人で来てるのに、それじゃ味気ないだろ。もらったアイスは先に食べてた。冷めちゃったけど、腹減ってるだろ。食べよう」
ほら、と穹は突っ立っていた丹恒を促す。そういえば、と今の彼の出で立ちを見て、「そういう服着てるの見るの初めてかも。びっくりした」と服のことを尋ねる。別にいいと言ったんだが、と向かいの席に腰掛けながら丹恒が答えた。
「どうせ今は型落ちの古着で、いずれ処分するつもりだったから気にせず着るといい、と」
「ふうん? いいじゃん、似合ってる」
「……お前の分もいるかと言われたんだが、断ってきてしまった。戻るか?」
「あはは。いいよ、また今度な」
漸く料理に手を付け始めて、穹は冷めても味の落ちない料理を空っぽの胃に放り込んでいく。黙々と食べていたところで、ふと丹恒の箸があまり進んでいないことに気付いた。
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