ああ、それってどんな/悪犬(2023.3.11)

♪夢の中の空

「ほら、これとか」
 そう言ってくるりとハンガーを回して、背面を見せてくる。白を基調としつつ、黒い羽根の片翼がプリントされていた。冬弥がそれを眺めている間に、相棒は横に掛けてあった色違いのものを手に取って矯めつ眇めつしている。
「こっちもいいな」
 満足気に頷いて、すっかり気に入ってしまったらしい彰人は、まだ何も言えずにいる冬弥に両の腕を差し出す。背面のデザインが対になっていることが、そうして並べられるとよく分かった。思わず顔が綻ぶ。
「ああ。俺も良いと思う」
「お、んじゃこれにすっか」
 最後に念のためといった風に冬弥に服を当てて、確信を得たりと目を細める。会計してくる、と離れていく背中を、追いかけた。



 空を飛んでいた。
 それが夢であることはすぐに分かった。背後でばさりと音を立てる、普段はないその器官の動く感覚が片側にしかなかったから。ここが現実世界だったならバランスを失って落ちているだろう。相棒なら、そもそも飛んでる時点で夢だろと突っ込んでくる気がするけれど。
 眼下には街が広がっていた。歩いているときには高く見える電柱だって遥か足元だ。ビルなら何階に相当するのか、いつも窓から下を覗かないようにしているせいか見当も付かない。普段ならこんな高さ、床があっても居たくはないはずなのに、今は不思議と平気だった。
 体は思うように動く。見下ろした建物の外観が気になって高度を落としたり、右へ左へ移動してみたり。壁や地面にあるグラフィティアートにに既視感を覚えて、ここはビビットストリートなのかと思い至った。そうすれば急に視界がクリアになる。あれは来週出るイベントの会場だとか、そっちはいつも練習している公園だとか。夢である以上、きっと正確なものではないのだろうが、それでも、もっと見ていたくなる。
 この景色を一望できるところまで行こう。翼に力を込めて、体がふわりと浮き上がる。
 
 
 
「空を飛んでいる夢を見たんだ」
 彰人は瞠目して、悪夢じゃねえかと苦い顔をした。お前、ああいうのもだめだろ、とちょうど真横にある歩道橋を指差す。学校からストリートまでの道のりの間にあるそれを、通ったことは一度もなかった。たとえその方が早く目的地に辿り着けそうだと感じても。
「そうだな」
「怖かっただろ」
 災難だったな、言いながらへなりと眉が下がった。彰人自身は高所恐怖症ではないが、怖がる冬弥をよく見ているせいかそうやってよく気を配ってくれる。
「いや、あまり怖くはなかった。その、起きてからは恐怖を強く感じたんだが……」
 正直、目が覚めてからは自分の行動が正気とは思えなかった。あんな高さから落ちたらひとたまりもない。しかも片翼の状態でなんて。
「へぇ。そりゃあ、なんで」
 相棒は口元に手を当てて首を傾げる。今日の朝から放課後になるまでずっと考えていたせいか、冬弥の中では既にそれらしい答えが出ていた。
「彰人がこの前、選んでくれた衣装があっただろう?」
「ひょっとして、背中に羽が描いてる」
 冬弥の作った曲を初めてチームで歌うにあたって、彰人が探してきてくれたものだ。相棒が拘り抜いた衣装に袖を通すのは元々好きだが、いっそう特別に思えるのは、自身がまたひとつ壁を乗り越えるのを支えてくれたからだろう。
「そうだ。俺は夢の中で、その服を着ていたんだ」
「それが、なんか関係あんのか?」
「俺がそう考えている、というだけなんだが……」
「ま、お前の夢だし、お前が考えたことでいいだろ」
 彰人は肩を竦めて笑った。そうだな、と相槌を打って続ける。
「彰人が選んでくれたものだったから、だろうな」
 お前がくれた翼だから。怖くはなかったし、どこまでも飛べると思った。
「冬弥……」
「だから、彰人のおかげなんだ」
 一瞬驚いたあと、その飴色の瞳が嬉しそうに細められた。「そーかよ」と、ぶっきらぼうにも聞こえる声音が確かに浮かれている。
「お前は本当に、」
 その先の言葉は、言われなくても知っている。彰人はなにより大事な喉で最高の賛辞をうたう。それを聞きながら愛すべき街に足を踏み入れた。


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