わるいゆめ/杏+こはね(2023.9.17)

 これは夢だ、と思った。
 たぶんここは公園で、目の前には木が立っていた。あまり大きな木ではない。小学生低学年くらいの女の子が枝分かれの部分に座ってこちらに手招きしている。
「む、無理だよぉ……」
 知っている声がした。杏とその木の間にもう一人、同じ年頃の女の子がぐすぐす鼻を鳴らしながら俯いている。亜麻色の髪に、耳の下のふたつくくり。杏の相棒のこはねだと、すぐに分かった。
(わっ、ちいさいこはね、かわいい!)
 杏は幼少期のこはねに会ったことはないから、現実ではありえない。以前こはねが話してくれた、怖くて木登りができなかったときのことだろう。
 すぐにでも駆け寄って、大丈夫だよと言ってあげたい。大丈夫、こはねは私の自慢の相棒で、すっごく歌が上手くて、ステージの上でも胸を張って歌えるんだよ、って!
 こはねの友達はするすると登っていってしまう。上の枝に手を掛け、ぐんと木の肌を蹴って、そろそろてっぺんに着きそうだ。
 気がつけばこはねはしゃんと顔を上げて、木の上を見つめていた。後ろからでは見えないけれど、きっと杏のだいすきな、きりりと覚悟を決めた表情をしているのだろう。
(頑張れこはね、こはねならできるよ!)
 拳をぎゅっと握る。夢なのだから自由に動けてもいいはずなのに、なぜか足は動けなかった。手に汗をかいていて、指先が滑る。こはねにもいつか、一番上の景色を見せてあげたいな、と思う。
 ぱちん、と瞬きをして目を開けたら、木が少し近くなっていた。あれ、おかしいな。相棒の姿も見当たらない。それだけじゃない、そもそも木は杏が抱きかかえることができないくらいの太さになっている。
(こはね? こはねはどこ行っちゃったの?)
 ひらりと葉が落ちてきて、上を見上げる。そこには、杏がいつも見慣れた、高校生の、白黒のキャップにピンクの上着のこはねがいた。
「こはね! 良かったー、ちゃんと登れたんだ!」
 嬉しくなって声を掛ける。こはねはまるで聞こえていないみたいに、また、上に行こうとする。
「こはね! こはねってばー!」
 杏が声を張り上げても、こはねは止まらなかった。どんどん、どんどん高くへ行って、木の枝で見えなくなっていく。
(こはねがどこか行っちゃう……!)
 相棒が遠くなっていく。どうしてか身体は動かない。はやく登って、こはねに追いつかなきゃいけないのに。置いていかないで、欲しいのに。
(待って、こはね、どうして動けないの、こはね、こはね……!)
 もう声も出なかった。追いつかなきゃ。同じ景色が見たい、のに。
(なんで動けないの、待って、こはね! 動かなきゃ、追いかけなきゃいけないのに……!)
「待って!」
 自分の叫び声で飛び起きた。心臓がばくはく鳴っている。夢だった、最初から分かっていたはずなのに途中からすっかり忘れていた。冷たい汗で湿った背中が不快だった。

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