鉱物の庭ラピダリウム 蛍石の国-3

 ぐるりと一周見渡すと、壁一面を本棚が覆っている。天井は吸い込まれそうなほど高いドームだ。そして部屋の中央には、砲台を思い起こさせる巨大な望遠鏡がある。リソスは物珍しさから、軌道を描くように部屋を周回していた。望遠鏡の傍らに立つフルオラが話す。

 「かつてこの旧天文台では、学者が寝泊まりしながら星を観測していた。だが工業の発達で周りの空気が澱み、天文台はもっと高台に移設されたのだ。そこでこの旧天文台は私が譲り受けた」

 リソスは話を聞くと、訝しげに身体を揺らした。フルオラは軽く笑って応じる。

 「ああ、そうだ。いち警備隊員の私がこんな大層な建物を譲り受けるのはおかしいだろう。少し事情があってな」

 リソスは、前から気になっていたことを尋ねた。「ホタル」とは何なのか。リソスの疑問を、フルオラはついとかわした。

「まあ、そのうち話そう」 

 フルオラはリソスから目を逸らした。リソスの光が不安げに明度を下げる。それ以上踏み込めない空気を察した。 気まずい沈黙を払うように、フルオラは部屋の端にある長方形の箱を示す。

 「さあ、そろそろお前も休んだ方がいい。そこに寝泊まりするスペースがあるから自由に使え」

 リソスが見ると、箱のなかにはやわらかで清潔な砂が敷き詰められていた。すこし手を載せただけで、夢見るようにパウダースノーへ沈んでいく。そこで初めて、自分がひどく疲れ果てているのだということに気が付いた。遠慮がちに箱のなかに入って身を沈めると、四角く縁どられた丸い天井がやさしくリソスを見下ろしている。フルオラを見送らなくてはと上半身に力を込めるが、起き上がれない。まだ何か言うべきことがあるはずなのに、意識は砂礫のなかに沈んでいく。

 「明日の朝、また迎えにくる。今後のことはこれからまた考えればいい」
 「今日はよく頑張った。明日はまた蛍石の国を案内しよう」
 「では、おやすみ。リソス」
 「……それと」
 「──を、ありがとう」

 切れ切れに聞こえるフルオラの声が、宙に浮かんでは透き通って消えた。やがて重い扉の閉まるような音がしたかと思うと、旧天文台は水槽の底のように静まり返る。リソスの意識が途切れる直前、ふと箱の内側を見やった。そこには随分前の日付と誰かの筆跡が遺されていた。

 「蛍石の国は鉄と望遠のみやこ 曇りなきレンズの照らす科学の粋 されど此処にも我が身を永らえしめる術見つからず──ザルクン」

 もはや眠りの底に沈んだリソスにとって、その言葉が夢だったのかどうかも定かではない。

 ***
 
 「リソス、蛍石の国はどうだった?」

 リソスの周りに蛍石たちが集う。五色の光を放ち、地に落ちた星のように瞬きながらリソスに語りかけてくる。

 「素敵でしょう。光を集め、星を読み、鉄を操る我らが」

 リソスは頷いた。きちんとラベルがあって、自らの職能を把握している石たちは、なんと尊いことだろう。自分もそうだったらどんなに良かったか。リソスにはラベルがなかった。なにか大きな存在に自分を定義されたいという、飢えた炎のような欲求がリソスのなかに燻っている。

 「きみもここで暮らしたらいいよ、リソス」
 「きみの見かけは蛍石と変わりないもの」
 「熱発光が何だい、貝殻状断口が何だい」
 「わたしたちとここで暮らせば、ラベルも手に入るよ」

 リソスは想像した。あのアーケードの下で、行き交う蛍石のなかに自分の浅葱色が溶け込んでいくのを。それはひどく安らかで、穏やかな眠りのようだと思った。リソスは蛍石の手を取ろうとする。

 「だから、リソス──」

 途端、辺りは白熱した。そこは石炭でできた森だったのだ。熱が光へと還る音がした。甲高い声を上げ、蛍石たちは竜胆色の光を放つ。あちらへ、こちらへと破片が砕け散る。ぴしゃりぴしゃりと欠片がリソスの顔を打つが、リソスは発光することはない。ただ熱に耐えられず、みじめに身体が崩壊していくのを感じた。そのうち地面に崩れ落ち、粉になる。そのとき初めて気づいたことに、大地だと思っていたのは細かなひだのある柔らかな肉壁だった。

 「自らを偽れば、必ず報いがある」

 低く鐘をつくような声が響いていた。

 ***

 激しい明滅。箱のなかで夢から醒める。背中の裏では善良な白い砂がきしきしと音を立てた。真上にある丸い天井が変わらずリソスを見下ろしている。遠くから鐘楼の音が鳴り響いていた。誰かの叫ぶような声も。リソスは結晶についた砂を払うと、そっと旧天文台の扉へ向かった。

 蛍石の国のアーケードは一見して祝祭のようだった。等間隔に並んだガス灯の一つ一つが恒星のように光を振り撒き、今宵のめでたさをことほいでいる。その下を通る蛍石たちの青、紫、黄色が灯りを乱反射し、目抜き通りは巨大な万華鏡を砕いて散らしたような様相だった。その美しさにも関わらず、蛍石たちの光は慌てふためき、恐怖に揺らいでいる。そのうち、制帽を被ったサイコロ頭がこちらに気づいた。

 「きみ何やってるの、こんなところで!? 端の手前に骨なしが集まってるんだよ」

 骨なし、という言葉でリソスの心は釘で刺したように冷え込んだ。まくしたてるようにサイコロ頭が続ける。

 「今は国境警備隊が凌いでいるけどいつ突破されるか……みんなで高台の天文台に逃げるんだ、早く!」

 制帽の蛍石はリソスの手を引こうとしたが、思わぬ抵抗に遭って動けない。手のひらから鈍い音と痛みが走った。

 「痛っ!? えっ、きみ、なんか硬い──?」

 蛍石の手の傷を見て、リソスは結晶構造が軋むほどの恐怖を感じた。そうか、私は蛍石より硬いのか。逃げなくては。偽りが露呈してはならない。群衆が逃げる方向とは反対方向に駆け出す。ちょっと、と叫ぶサイコロの声を遥か後ろへ置き去りにした。

 早鐘を打つように浅葱色の光が明滅する。骨なきものたちは知っているのだ。私が自らを偽り、この国に埋没したいと思っているのを。虚偽の罪を裁くべく地の果てから湧き出でたのだ。だったらどうしたらいい。蛍石の国に隠れることはできない。どこか遠く、誰も知らない場所へ。

 蛍石の国の扉は固く閉ざされていた。リソスが押しても引いても、体当たりしても開くことはない。衛兵の詰所に飛び込んだが、何だかよく分からないレバーがたくさんあってリソスには一つも理解できなかった。闇雲に取っ手を倒しまくっているうちに、眠たげに金属の擦れる音が響き渡る。扉の隙間から猫のように飛び出す。

 ガス灯の揺れる橋の上を光の弾丸のように駆け抜けた。空には流星がいくつも飛び交っている。しかしそれはよく見れば星屑ではない。熱をもった光線が地平へと向かっていた。国境警備隊だ、とリソスは思った。フルオラの仲間たちがレーザーライフルで狙っているのだ。その先には不定形の壁がある。三体の骨なきものが蛍石の国の橋架に分け入ろうと、押し合いへし合い互いを邪魔し合っていた。背後ではすでに扉が閉まっている。

 いくつかのレーザーは骨なきものの表面を掠って焼いたが、国境警備隊にはひとり運のいい隊員がいたらしい。まさしく怪物の核に命中したかと思うと、赤黒いゼリーの花が咲いた。不透明な液体が金属の橋架を汚す。肉の壁に一点の穴が空いた。リソスは浅葱色の光をみなぎらせ、稲妻のように突破口へ飛び込む。粘液が結晶の表面を撫でたかと思うと、糸を引いて切れた。

 気が付けば、いつか自分が迷い込んだ霧深い枯木の森に舞い戻っていた。今朝は訳も分からず逃げまどっていた。今は明確な不安が渦巻いている。どこまで逃げたらいい。誰が助けてくれる。私は誰だ。背後に鳴動を感じた。認めたくなかった最後の防衛線が崩壊する。あの化け物は見境なく鉱物を狙っているのではない。明確に「私」を追いかけている。

 霧のなかの遁走はしかし、唐突に終わりを告げた。目の前に屹立する岩壁が現れたのだ。ある程度の浮力をもつリソスでも、これほど高い壁を越えることはできない。意思をもたぬ地層の重なりに対しては交渉で退いてもらうこともできなかった。袋小路。振り返れば猛烈な勢いで二体の肉の塊が迫り来ていた。涙で潤んだ瞳のなかを覗けば、黒々とした瞳孔に浅葱色の光が閉じ込められている。

 「お前は我らが」
 「一部、お前は我らが一部」
 
 ずれ合って重なる鐘の音のように不協和音が聞こえてくる。その音の波が結晶を震わせることすら不快に思えた。リソスは恐れていた。なぜ自分にだけラベルがないのか。なぜあの国の石たちだけ認められ、自分の思うように生きていられるのか。なぜ私だけが何者か定義されず、こんな化け物どもに食われなくてはならないのか。悲しみで結晶が軋むほどだった。誰か私を認めてほしい。誰かこのみじめな結末を変えてほしい。誰か、誰でもいいから、助けてくれ。結晶が曇る。肉塊が吐き出す吐息がそうさせているのだった。口腔の奥の喉頭が見えた。忌々しくも浅葱色に照り返していた。

 ——引き金が引かれた。 撃針がマグネシウムの詰まった薬莢を叩き、燃焼を起こす。爆発。狂いなく一点に収束させられた光線は、一筋の殺意となって針の穴へと直進した。ライフルから放たれたレーザーは空気を切り裂き、肉を焼き、核を穿つ。次の瞬間、骨なきものは熟れた果実のように音を立てて破裂した。リソスはその赤い光をまぶしく見ていた。穢れた雨が止むと、肉塊の背後に彼方に枯木の森の果てが見えた。星の光を受けて紫と緑が輝く。

 「リソス!! 逃げろ!!」

 その声を聞いた直後、リソスの足元の大地が裂け、緑の何かが爆発的に広がるのが見えた。リソスの意識はそこで途絶える。

 ***

 フルオラは叫んだが、すぐにもう一体の桃色の塊が視界を塞いでしまった。  レーザーライフルは今の一撃で激しい熱を帯び、すぐには二の矢を打てない。なら、走るか。走って肉をかき分けて、あの浅葱色を救うか。狙撃手として長年培ってきた勘が、踏み越えてはならないボーダーラインを明確に引いている。しかし今行かなくてはリソスはどうなる。フルオラは懐で薄く硬い板を握りしめた。 爪先が地を蹴る。駆け出しているのか、踵を返しているのか、自分でも分からなかった。

 空気の抜ける気の抜けた音がした。フルオラが振り返ると、変わらず肉塊がそこにある。しかしその形は一部分だけが異常なほど膨れ、張り裂けんばかりだった。何が起きている? フルオラはスナイパースコープを覗いた。怪物はどうやら紐のようなもので拘束されていた──いや、あれは植物の蔓だ。枯れ木しかないはずの荒野で、そこだけが異常な生命力で脈動している。その中心に、光を失って倒れ込むリソスがいた。狙える。薬莢を装填し、逡巡する時間で十分に冷却した銃身を構える。迷う必要はなかった。引き金を引く。

 轟音。闇夜にきらめく鋏が入ったかのように、橙色に輝く直線が引かれる。彗星はまさしく骨なきものの核心を貫いた。肉塊を一つの形に留める力が失せる。脳髄が、臓物が、鉱物にとって不必要なすべてが宙に舞った。血管から放り出された血液が緞帳のように降ってくる。赤いカーテンが止むと、あとには騒々しい静寂だけが残された。

 「………………」

 ターゲットの沈黙を確認したフルオラは、リソスの側まで歩み寄ってきた。リソスは岩壁にもたれかかり、荒いリズムで光を明滅させている。浅葱色の結晶が赤黒い液体にまみれて汚れていた。辺りには柔らかな死骸が散乱している。ふと気が付くと、肉塊を飾り立てるように緑色の蔓が絡み合っていた。

 「リソス、大丈夫か」

 フルオラが声をかけても、リソスは立ち上がることができなかった。フルオラがよく観察してみると、骨なきものを絡め取っていた蔓はすべてリソスの足元から生えてきていた。フルオラは尋ねる。

 「この草は……お前がやったのか」

 リソスは弱々しく明滅した。

 「食われそうになったときに勝手に生えてきた、だと? まさか……初めて会ったとき、草遊びしていたのもそういうことか」

 植物を反応させる鉱物。そんな珍奇な石はまったく聞いたことがない。地に伏した結晶を見つめる。今は大部分が黒く穢れた浅葱色の奥に、底知れぬ光を見た。恐らくはどんな鉱物にも計り知れない秘密の一端を。じっと見つめていると、リソスが一度、明滅した。

 「ありがとう、か」

 フルオラは自問する。自分はその言葉を受け取るに値する鉱物だろうか。あのときすぐに駆け出さなかったこと。そして、その後で自分がどうしたか。たった今のことなのに、数十億年も遠い出来事のように思い出せない。顔を背けそうになって、一拍置き、もう一度リソスに向き直る。答えはまだ出ないが、今はこの石に言うべきことがあった。

 「リソス。『私』の写真をありがとう。……この前、お前は寝ぼけて聞いてなかっただろう」

 リソスが小首を傾げると、フルオラはようやく軽く笑った。いまだ微かに熱をもつライフルを担ぎ直して、リソスに言う。

 「帰ろうか、蛍石の国へ」

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