あなたのふるえ/聡狂未満(映画軸)(2024.04.14)

あなたのふるえ[#「あなたのふるえ」は大見出し]

 音叉の振動がじりじりと指先に伝わる。もっかい鳴らして、と狂児が言うから。音はふるえ。それが空気を伝わり、鼓膜を揺らす。
「聡実くんは物知りやねぇ」
「これくらい大したことないです」
 その場しのぎで渡した冊子を入念に読み込んだ、真面目なんだかよくわからない男が言った。聡実に頼るくらいなら、アニキとやらと一緒に音楽教室に通えばいいものを。こちらはただのしがない合唱部部員にすぎないし、今となってはそれも。
 中学生の聡実と違って、狂児は体格も声の低さも大人だ。細くてひょろっとした腕を、狂児のそれと並べて置く。たぶん、歳のせいだけではないそのごつさは、ヤクザだからだろう。暴力とか。振るうらしいし。
 ヤクザ、の三文字はあまりに馴染みがなくて、現実味を帯びない。もらった名刺や、ガンと音を立てて机を殴る動作は狂児の職業を裏打ちするけれど、聡実を「先生」と呼ぶ声からは、その恐ろしさはすっかりなくなってしまうのだった。
「声は声帯を震わせて出してるんです。だから変に力が入ると出づらくなります」
「ふぅ〜ん」
 「合唱の手引き」と書かれた紙をぺらぺらとめくり、狂児は気のなさそうな返事をしたかと思えば、突然聡実の喉をじっと見始めた。変声期が来るのは声帯が伸びるからだ。ただ下の音域が広がることを喜べたらよかったのに、これまで通りでは歌えなくなっていくことが聡実にとっては恐ろしかった。
 隣に座っていた狂児が身を乗り出して、聡実の喉仏に指を触れさせる。なんの予備動作も事前確認もない。ひ、と溢れる悲鳴を気にした風もなく、狂児は口を開く。
「聡実くん、なんか喋って〜」
「え、っなんですか……」
「あ、ほんまに震えとる。おもろいなぁ」
 人の急所を捉えているとは思えない、飄々としたままで狂児はからりと笑った。狂児が手を引っ込めて、聡実はバクバクと走る心臓を押さえた。殺されるかと思った。怖い。
「なんやどうしたん聡実くん。顔怖いで〜」
 誰のせいだと思っているのか、揶揄う狂児に腹立たしくなる。本当に意味のわからない人だ、と認識を新たにする。さっきまで聡実を動けなくさせていたのと同じ指で端末を操作して、いつもの曲を入れる狂児は、初めて会って歌を教えてほしいと懇願してきたときと変わらなかった。

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