花見酒

 こうも長閑だと眠くなっちまうな。
 そう言った次の瞬間にはもう既に夢の中であった。いくら自分が隣に居るからと言ってもあまりにも周りへの警戒心がなく、そして自分に対して無防備すぎやしないかと思う。なんなら少しくらい意識してくれても良かったと思う程だ。だがそんな情緒をこの男に求めるのが間違っているのだろうと、変わらぬ様子に安心するのもまた事実であった。
 春麗らかな気候が年中通して漂う島で落ち合って、ゾロ屋とおれはその島の中でもいっとう花が咲き誇るという丘に来ていた。酒場でも勿論良かったが、存外風流というものを楽しむ傾向のあるゾロ屋が「どうせなら花見で一杯といこうか」と誘ってくれたのだ。実質デートだろと浮かれてしまったが、ゾロ屋にそのつもりがないのは知っている。本当にただ酒を楽しむためにおれを誘い、花を愛でようと思っただけに過ぎない。
 ゾロ屋には望むような下心もなければ、はっきり言うと脈だってない。それでも誘われてしまえばホイホイついていくのはおれの悪癖となりつつある。ペンギンには「慣れてない生娘」と言われ、シャチには「むず痒い純愛小説」と言われた。どうとでも言え、それでもおれはコイツに酒を誘われる立ち位置に居るのだから。それがどれ程おれの心を潤してくれているかなんて、どうせわかりゃしないのだ。
 丘はそれこそ色とりどりの花があちらこちらで満開に咲き乱れ、そして見下ろす先にも木々の隙間という隙間から花弁が見えている。春島と言うよりも花島であるななんて思いながら、酒をかたむけた。ゾロ屋も最初はぽつりぽつりと会話をしながら花を見ていたというのに寝てしまったから、今やおれだけの花見酒。
 つと、横になっているゾロ屋を見下ろす。緑の葉と、その場の傍で小さな花がいくつも咲いていて、その中にゾロ屋が埋もれている。緑色の髪が同化していて、ゾロ屋の頭から花が生えているようにも見えて笑ってしまった。そして、どうせなら本当に生やしてしまおうかなんて馬鹿な考えが浮かぶ。もちろん、いくらおれでも人様の頭から植物を生やすなんて言う異質な手術が出来るはずも無いので、真似だけだ。
 傍に生えている花をいくつか摘んで、ゾロ屋の頭にぷすっぽすっと差していく。おお、とまた笑ってしまった。本当になんの違和感もないな、この緑の頭と、花は。もちろん寝ているからというのもある。起きてる時はそりゃ中々に凶悪な顔をしているが寝顔はまだ成熟し切れていない青年の面影があって、言ってみれば幼いのだ。だから、寝顔のゾロ屋の、その頭に生えた花が随分とよく、可愛く見えた。
 そうでなくとも、おれの目にはいつだって、ゾロ屋は可愛らしい男に見えているのだが。ちなみにこれに関しても仲間からは、色々言われた。目、診ますよ?と。目潰ししてやった。 
 花が咲くゾロ屋を眺めて、その花を肴に酒を飲んでいると、心地よい風と、柔らかな日差しがおれにまで眠気を運んでくる。くわっとひとつ、欠伸をしてゾロ屋の隣でゴロンと横になった。警戒心?まぁ、その辺に置いておく。何かあっても、おれとゾロ屋ならすぐに対処できるだろう。絶対的な自信は慢心とも取られるかもしれないが純然たる事実でもある。春の気候に手招きされるがままに、おれはそっと意識を手放した。



「おい、起きろよトラ男」
「……ん……ん……ぅ……?」
「悪ィな、普段寝ねェお前が気持ちよさそーに寝てんのはいいんだけどよ、流石にちと長居し過ぎたみたいだぜ?」

 思いの外、意識は深く沈んでしまっていたようだ。ゾロ屋の声が朧気に聞こえるも目を開けるには少し時間を要した。目を覆う瞼の向こう側が薄暗いなと思って、確か春島であり、太陽の光も降り注いでいたはずなのにな、とぼんやりと思ったところでゾロ屋の「長居をし過ぎた」という言葉に飛び起きる。

「っしまった……」

 見渡せば真っ暗とは言わないが太陽はもう沈んでしまっていて、薄暗い。こんなに寝るつもりは無かったというのに、本当に深い眠りに入ってしまったのかと思うと自分の失態に頭を抱えたくなる。

「やっちまった……」
「ま、いいんでねぇの?慢性的な不眠症のお医者様、よくよく寝てたみたいだぜ?いい事だろ」
「いい事かどうかは微妙……お前、いつから起きていた」

 ゾロ屋の口ぶりは、寝ていたおれを暫く眺めていたと言うようなものだ。起こしてくれりゃいいのにと思うが、ゾロ屋はただ単に気遣っただけなのだろう。おれの問いに「ちょっと前から」と笑いながら答えた。

「ちっ……いや、まぁいいか……戻ろう」
「おー」

 よっと立ち上がったゾロ屋の背中を沿うようにしてひとつ、花が落ちたのを見た。あ、と思い出す。ちょっとした、遊びをして、それを肴に酒を飲んでいたのだったか。いくつかは落ちてしまっているようだがまだまだ頭には綺麗な花が咲いていた。
 ゾロ屋を見ながら立ち上がらないおれを不審に思ったのだろう。どうかしたかと、見下ろしてきて、その瞬間にもまた花が落ちるがゾロ屋は気付かない。苦笑して、花が、と言った。

「頭に引っ付いてる」
「げっ、マジか」

 自分で付けておきながらさも勝手に、という口ぶりで言ってしまったが、ゾロ屋は疑いもせずに頭をガシガシと手で払ったり、頭を振ったり。それでも、落ちきれていない。どれ程付けてしまったのかと自分でも呆れてしまう。まぁ、可愛かったから、夢中になってしまったのだ。
 取れたか?なんて聞いてくるゾロ屋に、まだだ、と返して立ち上がってゾロ屋の頭から花をひとつひとつ取り除いては地面へと落とす。少し、勿体ないなと感じた。こんなにも美しく楽しい花見は、もうそうそう見れないだろう。

「……よし、全部だ」
「そっか、ありがとうな」

 花を取る為に俯いていたゾロ屋が顔を上げて、おれの顔を見て、笑った。いつもよりずっと柔らかい、笑顔。どうしてそんな顔を浮かべるのかわからないままに首を傾げたが理由を聞くには、なんと聞けばいいのかと言葉を悩んでしまって、悩んでいる隙にゾロ屋は、くるりと背を向けた。さっさと行こう。遅くなると五月蝿い。そう、仲間達の存在を思い出させてくれなかったら、ずっと悩んで居たかもしれない。
 頷いて、おれもまたゾロ屋の、後を追って花乱れる丘を後にした。


 そして、おれはゾロ屋が浮かべた笑顔の意味を、知る事となる。

 ゾロ屋と丘の下で別れて、おれはおれで仲間の元に向かった時だ。やたらと視線を感じるなと、思いながら道中を歩き、ようやく見つけたペンギンが、おれの頭を見て言ったのだ。また随分と楽しんできたようで、と。

「ああ?どういう意味だ」
「浮かれ頭を可視化するとそうなるんですねぇって」
「はあ?」
「自然に、というには、付きすぎだし……あれ、気付いていなかったので?」

 ほら、とペンギンがおれの頭に手を伸ばして、そして何かを取って見せてきた。
 それは、可憐という言葉が似合うほどに小さな花。先程まで見ていた花だ。

「……は……?」
「あ、山ほど付いてますよ。まるで花畑」
「はあ?!」
「ロロノアにしてやられました?いやぁ、可愛いことしますねぇ」

 あんたの頭で花見酒でもしてたんじゃないですか?
 そう、言われて、頭を振った。ポロポロと、いくつもいくつも花が落ちてくる。手で払えばまた、ぽろりぽろり。

「な、な、な……」
「どんな顔してあんたにそんなイタズラしたんだか」

 どんな顔して、その花を見ていたのやら。
 くつくつ笑うペンギンの顔を殴ってやる事も出来ないほどに、頭の中が真っ白になる。あの、優しい笑みはこれを見たからか。おれと同じようにあいつもまた、おれなんかの頭に花なんて咲かせて、それで、花見酒でもしてたっていうのか。
 いたたまれなくて、顔を覆う。おれがアイツにしたのは、可愛いと思ったからで、随分と似合うな、なんて思ったからで、そしてきっとそう思うのは、おれが、あいつに心底惚れているからで。
 ゾロ屋もおれに同じことをしたのだとしたら、それは、もしかしたら同じ気持ちからしたのではないだろうかと、思って。だって、アイツは無意味にそんなイタズラをするようなやつじゃないから。

「っっっ……!くそ……!」
「わぁ、耳真っ赤……いい加減、腹決めてきたらいいんじゃないですか?もしかしたらあんたの一人相撲なんかじゃないかもしれないっすよ」

 下心なんてないと思っていた。脈なんて全くないと思っていた。そう、思うほどにゾロ屋の心がおれには見えていなかったから。だけれども、顔をおおった指の隙間、地面に落ちた花を見て、そうじゃないのかもと思い直す。
 この花ひとつひとつ、付ける度に、あの優しい、笑顔を浮かべてくれていたのだとしたら。

「やべぇな……」

 もっとちゃんと、見たい。あの優しい笑顔を、それこそこの花のような、囁かな笑みを。

「すまねぇ、ちょっと戻る」
「あいあーい、帰りは明日でも良いですよー」

 そんな言葉を背に受けて、おれは走り出す。
 ぽろりとまたひとつ花が落ちた。地面に落ち切る前にそれを手にして、潰さぬように握り込む。この花を、届けようと、そう思って。

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