ピーナツ


「『切れてないもんはないんか?』『包丁だけ』」
「そこまで。もういっぺん最初からやってみ。」と言われて、うっかり「ええと……。」と声に出してしもた。
あ、あかん、師匠にお前そういうの止めえて言われてんのに……。
「出来へんなら、お前でええわ、次やってみ。」と四草師匠の扇子が、横で並んで聞いてたあいつらに向けられてしもた。
「ハイッ!」
……やっぱり……。
「したら場所交代せえ。」と言われて、座布団から下がった。
はあ~、疲れた……。
四草師匠の家は座布団ひとつしかないから皆フローリングの床に並んで正座、いいとこにあるソファには草若師匠がどっかと座ってピーナツ食いながら四草師匠の師匠っぷりを見学してるとこやった。
「お前は、草々兄さんの弟子になったところで返事だけ威勢良くてどないすんねん。」
ちょっと気ィ抜いたとこにビシイ、と冷たい視線と扇子の先っちょを向けられて背筋が凍りそうになった。
ヒョエ~~~!
流石、算段の平兵衛が十八番の男は違うわ。
視線だけで人殺しが出来るんちゃうか?
まあ、実際にそれが出来る男やったら落語家なんかなってへんやろうけど。
真夏のクソ暑い時期に『草々一門は「景清」しか出来へんのかい。ほんまにアホの一つ覚えやのぉ。創作せえ、創作!』と某師匠に言われてから数か月。
上方落語には無数の綺羅星のような師匠は数あれど、オレらにとっては唯一無二の師匠の「景清」以上に好きな噺があるはずもなく、その上、うちの師匠と来たら、よその師匠に習いに行くて言うたら、口では、オレは何も思ってへんぞ、さあ行けそれ行けて背中を押してくれはるのはええけど、酒の量は多くなるし、おかみさんへの愚痴は多くなるて聞いたら、なんやみんな口に出しにくうなってしもたんや……。
小草々兄さんは元々鉄砲勇助しか知らへんかったし、やりたい噺増やすのも慎重で、おかみさんに新作作ってくれてねだってるくらいやからまあええとして。
そんなわけで、あれを聞いてはあかん、これを聞いてはあかん、と迷てた時に、おかみさんにこれ聞いて元気出して、と手渡されたのが、四草師匠の「算段の平兵衛」だった。
どんな平兵衛さんが出て来るんやろ、と期待半分、怖いの半分で聞いてたら、テンポが悪い、間がうまい事出来てない、ここで詰まってる、ていうのが丸わかりの失敗が多くて、怖がるどころやない状態やった。
聞き終わったら、みんなしてごちゃごちゃと悩んでた目ぇが覚めたていうか。
えらいこっちゃ……さすがはおかみさんの兄弟子やで! アイチュウブに上げたら稼げるかも! その後四草師匠にしばかれるかも! とみんなで分かりやすく元気づけられたあとで、よう考えたら、こっからが四草師匠のサクセスストーリー……「算段の平兵衛」のオーソリティになってった修行がなんやあったっちゅうわけや、と気付いた。
まあ、四草師匠のとこなら、師匠に怒られたり悲しまれたりはせえへんやろうと皆で合意形成が出来た時に、いきなり出て来た四草師匠のとこの弟子志願者の入門失敗談を聞いたら、こらちょっと肝試しにやってみなあかんやろ、おかみさんかて、七転び八起きで師匠の師匠にアタックしたんや、と熱くなったはええけど、やってみ、と言われるまで、うちの師匠以上に何の紆余曲折もなくて、あっという間で拍子抜けていうか。
稽古始まってみたら明らかにうちの師匠より、一個の覚えるとこ長いし……ほんま、はよ終われはよ終われ、て思てるときに終わってからの『最初からやってみ。』ほどしんどいもんはないで……。
うちの師匠は割と細切れ分割方式ていうか、短い小節をやってみて叱られて直してもろて、て感じで進むから、ほんまよその師匠やと勝手が違うもんやな。
まあいけずでやってんのとちゃうとは分かってんのやけど、横で草若師匠の酒のあて(まあ飲んでるのホットカルピスに見えるけど)にされるのもしんどいて言うか……まだ一日目やのに早くもおかみさんの顔が恋しいていうか。
人をだますどころか自分が騙されそうな顔してるひよっこの平兵衛を楽しそうに聞きながら、草若師匠はまだピーナツを食べてる。
オレらが殴られたり蹴られたりされへんように見ててくれとるつもりなんやろうけど、ほんまこの人、自分の稽古もせえへんし、いつまでおるつもりなんやろか。
(四草師匠、やっぱちょっと師匠より覚えさせるとこ長いことないか、やってみ、から後がもう草若師匠のマクラと同じくらい長いていうか……なぁ?)
(オレもそう思う!)
こそこそと話してる声を聞きながら、食べ終わった落花生のクズを片付けてしまった草若師匠が、片手を挙げて「したら、オレ。」と合図すると、「分かりました。」と四草師匠が言った。
今日は車で送りはらへんのやな。……草若師匠、手ぶらで来てんのか。
この辺りの近所に住んではるんかもしれへんな。

包丁のとこまで全員一巡したとこで、今日はここまで、と四草師匠は言った。
「ありがとうございました!! また明日もお願いします!」
ここはまあおかみさんはおらへんし、四草師匠のお子さんはもう二階で寝てるらしいから、オレらもう帰るだけやな、と荷物をまとめてたら、黄色いパジャマ着た草若師匠が首からタオル下げてやってきた。
…………なんや? 
パジャマ水玉やで?
足元のスリッパ、もこもこやで?
オレもしかして、稽古の間に居眠りしてしもたんか……?
もしかせんでも、狐に化かされてる……?
それにしたって、狐、趣味悪いんと違うか……?
「お、お前らもう帰るんか、気ぃ付けて帰りや。」と狐は手を上げた。
草若師匠の顔した座敷童……ともちゃうわな。
「……あ、ハイ。」とオレがぼんやりしてると、隣から手が来て頭を掴まれて下げさせられた。
「お先に失礼します!」
「今日はありがとうございました!」
「ほなら、また明日な。」と言ってパジャマの草若師匠は欠伸しながら二階に上がっていった。
四草師匠が算段の平兵衛のような目つきでこちらを見て……。
「お前ら、今見たこと誰にも言うなよ。」
「「「ハイッ!!!」」」

おかみさん、なんで言うてくれんかったんですか………。






「へぶじッ……! 誰か噂してるんやろか。」
「お母ちゃん、私はもうええから、自分の髪、先に乾かした方がええよ。このままやと、ふたりで風邪引いてまう。」
「そないするわ。あんたももう寝たらええわ、布団敷いてあるから。」
「うん、ありがとう。……今日の夜、ほんまに静かやなあ。なんや落ち着かへんわ。」
「暫くはずっとこうやで。四草兄さんになんか菓子折り持っていかんとあかんなァ。」
「わたし、りくおじのチーズケーキがええな……!」
「もう、あんたが食べるんとちゃうよ。草若兄さんも食べなるし、ピーナツでええかなあ……妹弟子割引にしてもらお。」

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