夜の話


窓の外からは、ガタンガタンと電車の遠ざかる音。
そこに西日が差していたのは何時間も前のことで、そろそろ終電に近い時間とあって、音の間隔はどんどんと間遠になってきていた。
ペラペラのカーテンの隙間から街灯の明かりが入って来て、電球の傘が振動で揺れる様を天井に映し出している。
十何両編成かの電車がすっかり過ぎ去ってしまうと、安普請のアパートの狭い部屋には、とうとうオレの荒い息遣いだけが響くようになって、消えたいような気持ちで腕で顔を覆う。
「大丈夫ですか。」と四草に聞かれたところで、もう口を開くのも億劫だった。


そもそも、お前が夜にねちこいからこういうことになったんやないか。
口でしたるから、と言ったのはオレが先で、こないしてお前がオレにするのは前提になってなかったやろが。
そう考えたところで、鼻先にはあの、お試しとばかりに買って来たコンドームの、イチゴの香料の匂いが漂ってきて、反論する気が削がれてしまう。
こういうの好きそうかと思って、と四草がドラッグストアで物色して来たらしいコンドームには、味が付いている、らしい。
中身の分かりやすい箱は、気が付いた時にはテレビの横に置いてあった。
なんやこいつのとはサイズが違うな、っちゅう気がしたけど、まあ原材料はゴムやし、ガチガチになる前に付けたらなんとかなるんちゃうか、とあの時は思っていたのだ。
朝飯を食うてる間にも、色が付いてるのと迷ったんですけど、と真顔で夜の話を話題に出してくるような男が何を考えていたのかはさっぱり分からんかった。
(そもそも、オレは……まあええ、時代はセーフセックスや。)
あの小さな箱を見ていると(味の付いてないようないつものゴムをそのままくわえることにならんようにこっちが気ぃ使ってんやから、早く覚悟を決めろ。)と急かされているように感じてしまって。今日したるから、稽古が一区切りついたらな、と。いつも以上に考えの読めない男を前にして、そう言葉を選んだまでは、間違ってなかったように思う。

――僕が先に手本見せますから、小草若兄さんは見ててください。

セックスの経験値が乏しいオレに向かって、普段の序列とは逆であることを意識させるような台詞をこいつが口にすることは、これまではほとんどなかった。
その時点で、いつもと違う雰囲気に気圧されてしまったオレは、四草に流されるままにパジャマとパンツを脱いで布団の上に転がされて、ベッドならこういうのがもっと楽やったかもな、と思いながら、股間にあるアレにコンドームを付けてる四草の真剣な顔を拝むことになった。
足の間に弟の頭を挟むというのは、相手を見上げるか、うつ伏せになってシーツを掴んでるばかりの普段のセックスとは違って妙に刺激的な眺めで。
こういうアダルトビデオっぽいシチュエーションなら、相手は誰でもええんか、と頭の隅で自問自答しても、興奮の差し水としては足らんかった。
今まで関係を持ったのは、オレの人生には通りすがりでしかなかった何人かのおねえちゃんで、そうした相手に自分で腰を振るよりもよほど、こうして弟の口の中にある方が興奮している。そのことが恥ずかしかった。しかも、今日の『これ』にオレが興奮してんのは、手にとるように四草に分かってしまうのだ。ほんまに恥ずかしいと、そう思えば思うほどアホみたいに興奮してしまって、今日のオレはほんとに、自分でも呆れるほど早かった。
中学生か。
クソ、さっさとここから逃げたいのに、腰に力入らへんやないか……四草のドアホ、とっとと自分の布団に行ってまえ。
そんな風に考えているのが口に出ていたかのように、唾液で口の周りをべたべたに濡らしたままの四草と目が合った。


「こないに早くて、これまで、女とヤるときどないしてたんですか?」
「うるっさいわ!」
反射的にいつもの声で答えると、夜の静けさを破ったのはオレの声と言わんばかりに、四草は眉を上げた。
「……お前はデリカシーっちゅうもんがないんか!」と低めた声で答える。
怒鳴れるような時間でもないことくらい、オレかて分かってるわ。
腕を上げて、声の聞こえた方を見ると、余裕めかした顔をする四草と目が合った。
クソ。
こないに早いのはお前とするときだけや。
そもそもお前が長すぎるんじゃ。
こないにひねりのない答えをしたが最後、嫌みな顔で笑われるに決まってる。
「答えたくないなら、答えなくてもいいですよ。」
こちらの答えを見透かしたようなそのすかした返事に、絶対に言ってやらん、という気持ちを強くする。
そもそも、これまでに寝た女など数えるほどしかいないし、セックスが楽しいと思ったことも、こんな溺れるような気持ちになることもなかったんや、オレは。
第一、お前こそ、どうなんや。
ボインのおねえちゃんみたいな乳があるわけでも、口でする、とかそういう技巧があるでもないオレでは、セックスの相手としては及第点にもいかんやろう。
所謂マグロもいいところ、というのは自分でも分かっていて、それでも、プライドが邪魔をして、聞くことは出来なかった。
オレのことが好きでもないくせに、何が楽しくてお前はオレとこないしてんねん。
「それにしても、便利ですね。」
「何がや。」
「いつもやったら、この辺ベタベタでしょう。」
四草が手を伸ばして、ぺったりとしたオレの腹を撫でた。
普段なら、こいつの逸物が入ってるとこや、と思うと、出したばかりのアレが反応してしまう。
「続き、しますか?」
「……っ、わざわざ聞くな、」
どあほ、と言う代わりに足で蹴ろうとすると、足首を捉えた四草がくるぶしの辺りに唇を当てた。
「いい眺めですね。」
「――!」
どこがやねん、と言いたいのに言葉が出ない。
どこに置いていたのか、器用に、もう片手で新しいコンドームのパッケージを千切る音が聞こえて来る。
オレの足をそっと布団の上に戻した四草が、自分のモノにあれを付けているところを凝視する。
こんなとこ、間抜けに見えて然るべきなのに。
目の前の男から、目が離せない。
この先に起こることへの期待で、尻の穴がきゅう、と縮こまってしまう。
「次はしてくださいね、」と言って、四草がいつものように覆いかぶさって来た。
「ええから早くせえ。」と言って、首に腕を回し、うるさい口を覆ってしまうと、それからはもういつもの夜だった。


 

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