ルーシル5


 ルーの家には時々来客がある。それも夜に。男も女も彼の身体を求めてやってくるのだ。男娼だった頃の名残りなのか、身体だけの関係を持つことに何も躊躇いはなかった。快楽を得られるのなら一夜限りの関係でも構わない。そして愉しい夜は深々と更けていく。
 ちなみにシルヴァンはルーが過去に男娼をしていたことはすでに知っていた。そのため、彼が何人の人間と寝ようが特に気にもしていなかった。夜の情事についてはシルヴァンの方から介入することは滅多にない。
 身体の関係だけで完結させてしまうルーだが、心から親しくなった者のことは穢したくないという信念を実は持っていた。要するに、シルヴァンとは『一線を越える関係』にはなりたくないということである。……己の理性を保てていればの話だが。


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 その日の夜、シルヴァンはルーの家に招かれた。
 先日会った際にワインの話題で盛り上がった。二人ともワインが好きだ。「俺の家にはえりすぐりのワインがある」とルーは言った。シルヴァンはそれに興味を持った。
 「どんな銘柄がある?」
 「今度家に来な。たまには酌み交わそう」
 そして今夜、その約束は果たされ、目の前のテーブルにワインボトルとグラスが並べられている。
 それぞれワインを注ぎ早速乾杯した。濃厚な味わいが口いっぱいに広がった。
 「ああ、身に染みるうまさだ」
 「俺のとっておきの銘柄なんだ。これが一番美味しいんだよ」
 「連日の疲れが癒された」
 ここ数日、シルヴァンは仕事が忙しかった。ルーの家で晩酌したことで息抜きにもなったようだ。
 ワインを飲みながら軽く食事をして数時間が経過したときである。
 「あー……きつ……」
 シルヴァンは飲みすぎたのか口数が減った。そして顔を手で覆った。酔いがまわってしまい辛いらしい。
 「結構飲んでたからな。少し休んだらどうだ」
 「ああ、悪いな」
 ルーは介抱しようとシルヴァンの身体を支え自室へ連れて行った。そしてベッドの上に横たわらせる。
 「さ、ここで休むといい」
 「ルー……わざわざこんなところまで連れて来なくても……」
 仰向けのまま言葉を発する。酔っているせいか起き上がる気力もない。
 「……どうした?」
 ルーが覆いかぶさるようにして顔を覗き込んでいる。
 「……」
 ルーはシルヴァンの赤ら顔を見つめたまま、一瞬でも失いそうになる理性を保つのに必死だった。
 何故俺はこんなことをしているんだ。シルヴァンをただ休ませるだけだろう。一体何を考えているんだ? 
 「ルー……」
 シルヴァンのひと声で我に返る。
 ああ、俺も酔っているのだろう。だからその勢いで……。
 「ああ、すまん……ゆっくり休んでくれ。今日はここで寝てもいいから……」
 シルヴァンの身体から離れて大きく深呼吸した。そして自室を後にする。
 「(シルヴァンが声を発しなかったらあのまま酔ってることを理由にして何か良からぬことをしてしまいそうだった)」
 ルーは己の心の中にある信念が不安定になるのを感じた。
 「(親しい間柄の人間のことは穢したくないはずだろ……! 何をやろうとしてたんだ俺は!)」
 頭を冷やすために水を一杯飲み干した。気持ちが落ち着いたようである。
 「……」
 廊下の方をじっと見る。向こうの扉の奥にはシルヴァンがいる。彼は自分のベッドの上で寝ている。もう一度扉を開けてみたかったが、相手のことを考えてその衝動を抑えた。
 



 翌朝、鳥のさえずりで目が覚めたシルヴァン。一晩ぐっすり寝たら大分すっきりしたようだ。
 ベッドから降りて窓の外を見る。そして違和感を覚えた。見慣れた風景ではなかったからである。
 「ん……? ここは俺の家じゃないな」
 記憶を昨夜まで巻き戻した。確か、ルーの家に招かれてワインを飲んで酔ったはずだ……その後俺はベッドの上に? 
 記憶が鮮明になってくるのと同時に居間に向かう。するとテーブルの上に突っ伏した状態で寝ているルーの姿があった。
 「ルー」
 声をかけて少し身体を揺らすと目を覚ました。
 「ああ、シルヴァン……起きていたのか」
 「お前のベッド借りちまったみたいで悪いな」
 「別に。気にすんなよ。大分酔ってたみたいだったから」
 ルーはまだ眠気が取れずあくびをした。
 「なあ、ルー。少し言いにくいんだが……」
 シルヴァンは言葉を詰まらせた。
 「なんだ?」
 「昨夜お前に押し倒されたような……」
 その言葉を聞いてルーの眠気は一気に吹っ飛んだ。
 昨夜のシルヴァンはかなり酔っていたから、翌日になっても記憶は曖昧で覚えていないだろうとその時は少しでも思ってしまったのだ。だから一瞬でも彼のことを襲おうとした。
 しかしシルヴァンはそのことを覚えていた。正直に罪の告白をすべきか、それとも……。
 「まあ、君をことをベッドに運んだのは俺だし……」
 「あー、そうだったか。じゃあ気のせいか」
 シルヴァンはそれで納得したようだ。ルーは内心構えていた。もし自分の過ちがシルヴァンにバレてしまっていたらどうしようかと。
 「(うまくごまかせたな……でも嘘は言ってない!)」
 ルーはシルヴァンに気付かれないように安堵のため息をついた。
 シルヴァンの顔を見ると昨夜の未遂を思い出してしまう。そしてほんの少し罪悪感が付き纏うようになった。

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