命の丸み
「お前さん、ちょいと肥えたんじゃないか?」
田沼意次の言葉に、平賀源内は布団に転がったまま、はたと頬を両手で挟んだ。
「……やっぱり?」
口を半開きにしたまま、そっと小首をかしげる。まるで町娘のような仕草がおかしい。
「自覚はあったんだな。近頃とみに頬が丸くなったし、腹のあたりが柔らか」
「あーもういい、もう言わなくていいです、それ以上は結構」
首を左右に振って源内は話を終わらせた。
「おおかた部屋にこもりきりで、不摂生な生活が続いてるんだろう。ちっとは出歩け」
「人の数倍も歩き回る日だってあるんですよ?」
「あったりなかったりというのがいけない。毎日やれ」
「同じことの繰り返しってのは、どうも性に合わなくていけねぇや」
これまた寝転がったまま、源内は螺鈿細工の施された煙草盆を引き寄せた。腕を伸ばすあまり袖がめくれて二の腕が丸見えになるのも構わず、意地でも布団から動こうとしない。刻み煙草を火皿に詰めている間も、枕に顎を載せていた。
「そういう無精を控えるところから始めたらどうだ」
「じゃあ手を伸ばせば届く場所に煙草盆置くのやめてくださいよ」
口の達者にかけては右に出る者のない男である。その薄い唇が吸い口を浅く咥えて小粋に吸う。すらりと高い鼻筋や秀でた額と、特別に誂えさせた長煙管とが合わさる横顔を眺めるために、火の気の心配がないぎりぎりのところに煙草盆を用意させているのだった。
「むしろ田沼様はどうやって体型保ってるんですか。さぞやお忙しい身の上だろうに」
ちょっと顔を仰向けて、源内が隣の老中首座に尋ねる。年の割にお若いとよく言われるのは満更社交辞令ばかりでもない。髪や眉毛こそ白髪が目立つものの、むしろ銀の輝きにも似たそれが意次の顔立ちに華やぎを与えていた。
「そりゃ歳のせいだろう。単純に食えなくなる」
「それだけじゃないでしょう、仕事ぶりも男ぶりもずっとお若いままなんだもの。きっと田沼様しか知らない秘訣があるんでしょ、教えてくださいよ」
歳のせい、というところを否定するように、源内がかぶせ気味に言った。微かな焦燥には気付かないふりをして、意次は顎を撫でながら源内の顔を流し見た。
「まあそうだな。連れ合いを持った時に、相手に釣り合う見目でいようと気を張る者もいれば、頬やら何やらが緩みっぱなしになる者もいる、といったところか」
吸い口を食んでいた唇がぽかんと開いた。丸みを帯びてもなお線の細い手が、危うく煙管を取り落としかけた。
「だ、だ、誰が」
「こら気をつけんか、火事は洒落にならん」
「だぁれが幸せ太りですってー!」
煙管を音高く煙草盆に叩きつけて拳を固めたかと思うと、源内は意次をぽかぽか殴り始めた。
「あんまり痛くないな」
「本気で殴るわけないでしょ! ずるいんですよ、自分ばっかりかっこいいままで!」
「それがお前のお陰だと言ってるんだから、少しくらい喜んだらどうだね」
「いーっ悔しい〜っ! 田沼様の男たらし! このすけべ!」
近習たちが部屋の外から様子を窺っている気配がする。襖を引かれてはたまらないので、何でもないぞと一声かけておいた。
「まあ痩せ細るよりは良いじゃないか。元来お前は華奢なんだから、その調子で太れ太れ」
「やだやだ~! 絶対痩せてやりますからね!」
意次が手の平を向けると、源内は素直に照準を切り替えた。拳を受けとめる手の平から、ぺちぺちと気の抜けた音が鳴る。
意次は吹き出した。口ばかり怒りながら、源内も顔は笑っていた。勢いの緩んだ拳を包み込んで捕まえる。両の手を握り合って、二人はくすくす笑いながら額を寄せた。
煙草盆に忘れられた煙管から、細い煙が立ちのぼっていた。
powered by 小説執筆ツール「notes」