身を捩る錯覚

 恋人であるローとは別々の船に乗るが故に頻繁に逢瀬を繰り返す事こそ叶わないが、再会を果たせばそれなりに恋人らしく過ごす事が多かった。二人寄り添い街中を歩いたり、共に夜を過ごす様な事だ。
 ゾロもローも、お互いにいつだって命を懸けて生きている。だからという訳でもないが、逢瀬の度に宿屋へと向かう事も多い。離れていた間の時間を埋めるように、生きている事を確認し合うように、その肌に触れて、深く深く愛し合う、そんな行為に、最初こそゾロはなかなか素直になれないでいたが、何度も繰り返せば体も心も徐々に自然のものとしてローを受け入れられるようになってきた。それがいい事なのかどうかは兎も角としても、少なくともゾロにとってローと過ごす瞬間は仲間達と過ごす時間とはまた別の特別感を抱いて、大切に思っていたのだ。

 そして今回もそうだった。島で落ち合った二人は挨拶や自分達の今までの旅の事を語らう事もそこそこに宿へと向かい、抱きしめ合いキスを繰り返してと、一瞬足りともその肌から離れる事を厭うかのようにして触れ合い、ベッドへと雪崩込む。
 性急にお互いの服を脱がせ合い、ゾロは久々に見る男の肌とその刺青を目に焼き付けた。ああ、大きな怪我はしてい無さそうだ、そんな事を思い安堵しつつも、胸は期待に膨らみ鼓動を早らせる。その肌がしっとりと汗に濡れる様や、細くも長い指が自分に触れる事を思い出すだけで吐き出す息に熱が籠ってしまうのだ。
 自分を押し倒し、見下ろす男の首に腕を回してキスを強請れば、蕩ける眼差しが優しく降り注いで応えてくれる。そんな甘ったるい物に幸せを感じてしまうようになるなんて、昔の自分ならばありえないと思い、なんなら軟弱者めと唾棄していたかもしれないが、そんな昔の自分に自慢げに笑ってやりたい気分だ。この男は自分のものになっているんだぞ、と。おれに向かってこんな、愛しくて仕方ないと思うような目をしてくるんだぞ、と。それは存外、悪くは無いものなんだと教えてやりたい気分でもあった。すっかりとこの男に慣らされてしまっている事には勿論、ちょっとした不満だってある。なんだか自分ばかりな気もする、と。だけれど不満を抱えたままでいるつもりも無い。そのうち絶対に自分がこの男を翻弄させてやろうとゾロは密かに思っていた。今のところそれが成功した事は無いが。
 舌同士を絡め合い、唇がふやけて、どちらのものともつかない唾液がゾロの口の端から零れ落ちる頃に、ローは唇を離して顔を上げた。ゾロの頬を片手で撫でてから、ベッドへと手をつくと、スルスルと視線が肌をなぞる。自分と同じように、傷の有無でも確かめているのか、それとも、これまた自分と同じように肌を目に焼き付けているのか、どちらにしてもその眼差しは悪いものではなく、ただ次はどう触れてくれるのかという挑むような気持ちでローを見上げる。
 だがその気持ちにまるで気付いていないかのようにして、不意にローの視線がピタリと動かなくなった。じっとゾロを見下ろしたまま、次の手を出して来なくなってしまったのだ。

「トラ男……?」

 どうかしたのかと、呼びかけるが返事は無い。ただの屍のようだ。随分と体温のある屍だな。なんて思っている間だってローは反応を示さない。またもう一度、ゾロはローを呼ぶが、これまた返事がない。視線は自分を見返すこと無く、ただ一点を見ているらしく、その視線の先に何があるのかと考えれば当然自分の体なのだが、ああ、とそこでゾロは少しばかりの呆れを浮かばせてしまう。
 この男、淡泊な性格の割には海賊らしい感性も持ち合わせていた。自分のものは自分のもの。他人のものであっても、欲しけりゃ奪う。そんな感じのものだ。
 それは、ゾロにも適用される。例えばゾロがロー以外の誰かと楽しげに酒を飲み交わしていると、問答無用でお得意の能力を使って自分の隣に呼びつけたり、だ。
 そしてもうひとつ顕著に表すのが、ゾロの体に走る大きな傷を目にした時である。今でこそ随分と落ち着いたが、付き合うようになり、肌を晒し合うような関係になり始めた頃は、鷹の目に付けられた傷をあからさまな程に気にしていた事があった。自分のものに自分以外の男の跡が云々と、恨み辛みを吐かれた事だってある。 
 落ち着いてきたなぁと、思ってはいても時々ローは思い出したかのようにして傷を睨む事がある。今日はそんな気分の日なのかと、呆れてしまうが、こうなったローは、少し面倒だった。苛立たしげにして少し乱暴にされると、朝がきついのだ。悪くは無いが、腰を痛めた剣士などちょっと格好がつかない。そうならない為にも、傷を気にするローへの対処法は下手な事は言わずに落ち着くのを待つだけだ。少し待てば、小さな吐息を吐いてすぐにまた甘くも優しくしてくれると経験が教えてくれる。
 今日はどれくらい待つべきか、億劫な気持ちでじっと待ってみれば、いつもより少し、長い。

「おい、おいトラ男?」

 下手な事は言うべきでは無いが呼び掛けくらいは、そう思って呼んでみたけれど、やはり返事は無い。なんだ、今日は長いな、もう少し待つべきか?なんて思いながらもよくよくローの眼差しを見ていると違和感を覚えた。
 不愉快そうな、そんな顔では無いことに。拗ねたように唇を尖らしている訳でも、眉間に谷やら山やらを作っている訳でもないことに気づき、思い違いであったかと考えを改める。その眼差しは傷を睨むと言うよりも、肌を眺めて、堪能しているかのような、言ってしまえば性的な色合いが強かった。まさにそれこそ、行為の最中によく見せるような、欲が混じった眼差しだ。
 その眼差しで、いつもならば触れてくる。だが、今は一切触れてきやしない。そんな目をしている癖に、と、ゾロの方こそ不愉快に唇を尖らせてしまう。なにをしているのか、したいのか。この男、やる気はあるのか、ないのか。

「おいって、なぁ……ちっ」

 マジでなんの返事もしやがらねぇな。
 返事もなけりゃ何をするでもない。いっその事こっちから仕掛けてやろうか、だが、無視されているという事がどうしようもなく苛立たせる。仕掛けてやる気も失せてしまうというものだ。

「お前、もう、退け」

 さっきからずっと自分の声ばかり聞いているというのもまた、腹が立つ。今日はもう終いだ。さっさと気分転換に酒場にでも行ってやろうか。なんなら意趣返しに適当なやつに酒を奢らせてやろう。この男はそんな些細な事ですら怒りを露わにするものだから、今の自分の苛立ちを思い知ればいい。そんな気持ちで両腕でローの体を押し返してやろうとしたのだが、そこで漸くローが動いた。自分の体に触れてきたゾロの手を掴んだのだ。
 おっ?と思って苛立ちを少しだけ和らげる。動く気になったか?と。だけれどもローはゾロの両手を取ると、指を絡めるようにして握りしめ、両手ともベッドへと押し付けて来ただけだった。まるで邪魔をするなとでも言うように。つまりは無言で。
 無言でローはゾロをベッドに押付けて、何も言わずに、それ以外の行動をする訳でもなくただ胸元を見ている。
 なんだよこいつ、やる気あんのかねぇのか分からねぇな。どっちなんだ?
 その思った言葉をそのまま、少々嘲る様にして文句をぼやくが、やはり、言葉は返ってこなかった。ムスリと、唇がさらに尖る気持ちがする。何もせずにただベッドに転がされているだけでは面白みもなにもない。それに、と僅かに身じろぐ。下半身こそまだ衣服を纏っているが上半身は素肌を晒しっ放しなのだ。少し肌寒さを覚える。

「さみぃよ、トラ男」

 思ったよりも幼げな自分の声に気まずい気持ちとなるが、そんな自分の訴えにすらローは反応を示さないことの方がずっと気がかりであった。苛立っていたゾロだが、寒いと、訴えても何も言わない事に、何もしようとしない事に、いよいよおかしいと感じる。それは不安にも似たものだった。

「なぁ、トラ男、おいって」

 伸し掛るという訳でもない。四つん這いのような状態のローは両手を使ってゾロの手をベッドに縫い付けているだけだ。それだけだが、不安を覚えたゾロにはその囲いが不自由なものでもあると思う。何も言わないし、してこないし、そして自分も、何も出来ない。ただ熱を帯びた眼差しが降り注ぐのを受け止めるだけだ。
 恐らく、事を成そうというやる気は、ある。しかし触ってこない、なんでだろうかと考えても分からずただ時間ばかりが過ぎて行く。不安は焦燥感へと代わり、いっその事自分から触れてやろうと思うのに、触れてやろうとする手は馬鹿みたいに強い力で押さえつけられてしまっている。ならもう蹴飛ばしてしまおうかとも思って、事実足を上げたが、ローは足の間に居る為どうにも、力一杯とは行かない。上手く蹴ることも出来ない。

「ちっ、なんなんだよテメェ……!なんか言えよ!」

 怒鳴っても、何も変わらなかった。
 腕に力を入れても、抑え込む方が力を入れやすく、押し返す方が難しいのは自然の事だ。ローは細身に見えるが実際は、鍛えた男の体だ。不自由とはいえこれまた鍛えているゾロを抑え込むのは難儀するだろうに、それでも押さえ込んでしまえるだけの腕力はあった。
 足をばたつかせても、まるで意に返さず、身を捩っても動ける範囲など高が知れている。クソッ、と一言、悪態を着いた。

「おいっ、トラ男っ!」

 何故なにも言葉を返してくれないのか。不安が高まり目の合わないローの顔を見る。ああ、目が合わないということは自分の事を見てはくれていないのか、そう思うとつい唇を噛んでしまぅた。悲しいというよりも、寂しい、だろうか。昔の自分が「軟弱者」と誹る。うるせぇ分かってら。首を振って寂寥感を払い除けて、ローを見つめた。
 やはりそこには言葉を返してくれない男。ただ、熱い眼差しだけは体に注がれる。そんな目は、それこそ最中にこそ向けてくる程の熱量だった。そんな目をしているのなら、早く、と口走りそうになるのを何とか飲み込む。その代わりにその熱で触れられてきた夜を思い返してしまった。
 触れてくる唇や、体をなぞる手の体温、指の心地良さ。耳元で囁かれるのは今までの人生でも経験したことが無く聞いた事もないような甘い睦言。欲に瞳を濡らしながら深いところまで入り込んでくる男と過ごしてきた夜が、頭の中に巡る。
 思い出すだけで、じんわりと背中にこそばゆい感覚が広がった。ムズムズとしたその感覚は肌だけではなく内側の肉にも伝わって、捩らせていた身体を擽る。その感覚を逃したくて、更に身を丸めたくなったが拘束するローの手が邪魔だった。足の間の入り込んである体が邪魔だった。出来るのは体を揺らめかせ、紛らわせる事だけ。

「っ、っ……?」

 紛らわせながらも、その感覚はあまり覚えがないものであるように感じていた。ローがいない間も確かに、自分は体に熱が籠る事もあり、燻る感覚もあったのだが、そんな時はもう少し確かなものとして存在を認識できていた。だがこれは、何かが違う。少しおかしな感覚だった。触れられてもいないのに、こそばゆい。
 外気に触れ、そしてローの眼差しを受ける胸元が特に酷い。サワサワと、擽られているようだ。勿論そこには何も触れてはいないのだけれど、擽られているとしか言いようのない感覚が走る。心做しかその胸元の突起はこそばゆさに煽られるようにして、膨らみ、存在を主張し始めたような気がした。どうにも、ムズ痒く、無意識にも、早く、と急かすように目を向けてしまう。見つめ返してもくれないその顔へと眼差しを向けてしまった。早く、触れ、と。それでもローは何もしてくれない。
 いつもなるばもう散々に触られている。触れられて、触れて、お互いの体の熱を上げていくのに、今は何もしてくれない。いつもを思い出したゾロはその感覚までも思い出して触れて欲しくて堪らなくなってきてしまった。今は自分の手を拘束する手が、器用に肌を撫でる、その感覚が恋しい。物騒な言葉を刻んでいる癖して、柔らかく甘ったるい感覚で触れてきてくれるあの指先が待ち遠しい。そして掌を使って肉を包み込むように、または、欲望のままに乱暴なまでの力で握るようにして、両手で触れて欲しい。ローのせいで、性急で少し痛みすら伴うような行為ですらゾロには快楽へと繋がるようになってしまっているのだ。指先が奥の奥まで沈むような感覚はいつの頃からか腰を痺れさせてくるようになって、それが、悪くない、どころか、心地よいと思ってしまう程に。
 待ち遠しく、望んでいるというのに、まだなにも、してくれやしない。それなのに体は思い出して疼いていく。視線に触れられた胸元の突起が期待に震えているような錯覚すら起きるほどだ。

「トラ男っ、トラ、男ッ……!」

 呼びながら煽るように、誘うように。胸元を突き出すように体を浮かせるが、ローは眼差しを向け続けるだけだ。触れと不自由ながらに訴えるというのに、触らない。触ってくれない。体は行為を追憶するようにして勝手にじわりじわりと痺れて行くばかりで、その感覚にいよいよ、なんだか変だと誤魔化しきれないものを覚え始める。
 触れられていないが、体は超えてきた夜を勝手に追いかけて、触れられている感覚を受け取り始めた。身を捩り、錯覚であるのだと、何もされちゃいないのだと浅ましい体に訴えてみても、焦がれる体は身を捩ろうとも心地良さを募らせていく。しかし当然、決定的なまでの快楽は与えられてやしない。
 ああ、焦れったい。焦らさられている。ジンジンと痺れる体を揺らめかせて腰を上げて、いつの間にか反応を示していたそこを男の体に擦り付けようとするけれど、微妙に届かない。それがまた、焦らされていると感じる。あと少し、触れられるところまで来くれたら、きっとそれだけで脳を突き抜けるような気持ちよさを得られるだろうに、それがやって来ない。
 腰を上げては下げて、胸元を突き出しては身を捩り、それはまるで揺さぶられ行為に溺れているかのような仕草であるというのに、実際はゾロが勝手に動いているだけだ。変わらずローはそんなゾロの痴態を見ているだけでしかない。その視線にゾロは勝手に、深みへとハマっていく。視線で触れられている。まさにそうだ。不満でしかないその視線だが、それでも、何もされていない今はその視線だけでも触れてきているのだと思うと、堪らなくなってくる。人の悲しい性なのか、欲しいものが貰えないと、今あるものでなんとか満足しようとしてしまうのだ。それがまさか、快楽にまで繋がるとはゾロは思いもしなかった事だが。
 眼差しが、胸元に注がれる。突き出した胸の突起が、夜を思い出す。触れられる感覚を勝手に思い出す。指先で擽られる感覚だった。

「ぅ、ァ……」

 サワサワと人差し指が突起を弾くように、触れる。ピンッとたったそこはさぞや引っ掛かりがいいのだろう。何度も何度も弾いてはその弾力を楽しむのだ、この男は。弾いて、そして、五本の指が触れるのか触れないかの絶妙な力加減で突起へと近付くように擽る。擽ったくて堪らず胸を突き出せば、いきなりぎゅっと摘むのだ。

「ん、ん……っ」

 それは幾度も繰り返した夜の中での事で、思い出しただけだ。そうだと分かっているのに気づけば熱い吐息を口から零すと同じくして、声があがる。
 信じられない。触れられていないのに。
 しかし一度上がった声はせき止めることが出来なくなってしまった。か細い声を上げながら追憶の中の愛撫を追っていくと、誤魔化すなどもはや無意味であると言うように体が勝手に脳へと快楽を送り込んでくる。触られていないのに、手なんかは全然、ゾロの両手をベッドへと押し付けてくるだけであるというのに、なにもされちゃいないというのに。ただ、視線で触れられ、思い出してしまっただけだと言うのに。
 胸の突起を、弾いて、摩って、摘まれて。

「あっ……」

 びくりと体が跳ねる。強く引っ張られれば、つい声が上がった。

「ふ、ぅっ、ぅんっ……」

 今は何も言わないその口が、寄せられて、濡れた唇が触れてくる。指と同じように器用なものだから、口の中でそれはいとも容易く舌先で転がされ、飴玉のようにチロチロと丹念に舐め上げられればしっとりと濡れて、外気に晒されるとそこは冷たくなり、より一層存在を突きつけられる。白く綺麗に並んだ歯が、軽く噛むといつも腰に微弱な電流が流されたように戦慄いてしまう。

「は、ァ……」

 じわりじわりと、腰が疼いて、声が零れた。

「と、らっ……!なん、か……へん……っ、ま、て、……!」

 待て、とは不思議な事だ。待て、なんて、ずっとしてる。触ってないのだから。だけれどゾロにとっては待てと言いたくなるようなものだった。蓄積されたものが腰からせり上がり何かが弾け飛ぼうとしていた。ググッと、煽るためでも晒すためでもなく、体が浮いてしまう。押し付けられた手に力が入って、ぎゅうっとローの手を握り込んだ。

「ぁ、ァッ……トラ、トラ男……!トラっぁ……ァッ……」

 痛いくらいに、噛み付かれたいつかの夜。その痛みすらも気持ちの良いものであるのだと、教え込まれた夜が脳裏に走った瞬間。

「はっ、ァ……アッ……!」

 ビクビクっとゾロの体ば大きく震え、喉元を晒すようにしてのけぞった。

「はぁ、ッ……、ぁ……?ぁ……ぇ………?」

 視線を受けながら、身体を震わせたゾロは肩で大きく息をしながらローを見る。今、何かが起きた気がした、と、その何かが一瞬わからなくて、つい問い掛けるようにして見てしまったのだが、それがなんなのかなんてのはゾロの方こそよく知っていることだ。
 それでも、え、と思う。今のは、確かにあれだったけれど、でも、しかし、と。だって、と。
 はぁはぁ、と荒い息を繰り返して、理解を拒むゾロだったが、そんなゾロにようやくローが視線を合わせてきて、そして、ニタリと笑った。

「見られた、だけで、か?」
「~~!!」

 そう、見られていただけだ。だというのに。

「お、まえ……!」

 それなりに夜を重ねて、それなりに、慣れたつもりでいた。だが、それだけでは済まされないらしい。

「このっ……!とんでもねぇ……事を……!」
「ははっ」

 すっかりと体を作り替えられたらしいと気づいて、ゾロは羞恥と絶望に陥る。
 どうやら自分は、この男の眼差しだけでも、教え込まれた体は快楽を得るようになったらしい。


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