工事
年中ほぼ無休の延陽伯にも休みはある。
「天狗座の改装工事かぁ……。」
「場所柄、他にも常連がいることはいてますけど。うるさい中で飯食いたい客もおらんでしょう。」
澄ました顔でそういう四草の横顔を見てると、夜なので少し髭が生えて来てるのが分かった。
子どもの飯を作ったりする必要もあって時間がないのか、最近は朝より今の時間に髭を当たっていることが多いような気がするけど、今日はまあ明日の朝に回すつもりなんやろうな。ゴミの日でもないし。
「なあ、バイト休みなら三人でどこか行ってみるか?」
「どっか、てどこですか。」と聞かれて、子どもの行きたいとこならどこでもええ、というのもなんやな、と思う。四草の子はほんとこのタネから出て来たにしては良く出来た子やけど、万一、そんなら千葉のネズミの国行きたい、とかわがまま言われた日にはもう一生口が滑ったことをグチグチ言われそうな気がするし。
「温泉とか?」と無難に思いついた場所を口にすると、四草が妙な顔をした。
「旅行行くにしても、子ども連れていくとなれば金もかさむし、いきなり温泉、て言われても。」
「そんなら小浜とかどうや?」
おチビおっても、半分デートみたいなもんやろ。
こいつと一緒に海とか見れたらええなあ、と思っていると、四草からは「小浜なら、そもそも兄さん休みでなくてもちょくちょく行ってるでしょう。それに、電車だと金掛かりますけど。」面白みのかけらもない答えが返って来た。
「……そら、どこ行くにも金は掛かるわ。」
「そうですね。」と四草は眉のひとつも動かさずに言った。
こういうときに、仕事でないときにはお前と行きたいからに決まってるやん、と素直に言えんのがオレの悪いとこなんやろうな、と思う。
だいたい、こいつからも、オレのこと好きやとか一度も言われたことないし。
まあ夜はすることしてるけど、それだけや。
黙ってしまったオレのことを気遣うようにして「草原兄さんに車借りてきますか?」と四草が言った。
「そうやな~。それもまたいきなりな話しか……。」
まあ夏やし、草太が大きくなってるて言っても、カルチャーの仕事でも荷物あるから電車より車の方が便利とちゃうんかな。
「子どもおるし、車買うか~、て気軽に言いたいわ。」
「維持費も掛かりますからね。税金に駐車場代に車検料にガソリン。その上、この辺にはもう安い駐車場なくなってるし。」と四草の言うのに、ふと昔のことを思い出してしまった。
レギュラー出演の仕事が減った時、マンションより何より、最初に手放したのは車だった。
オレの夢のスポーツカーは、世間が見ると、新中古でもない、軽でもない、エンジン音のうるさいただのでかい車で、売ってもほとんど金にはならんかった。それでも、部屋のローンが差っ引かれてくばかりの通帳から駐車場代の分が減って、ちょっとほっとしたところはある。
こいつもオレも、日暮亭が出来てから貯め始めた貯金はあるけど、きっと車を一台買った途端に底をついてまうし、買った途端に固定費が増えて首が回らなくなるのは目に見えてる。
「だいたい、駐車場も、ぽこぽこと梅田の周りにあるような値段のとこばっかになって来てるもんな。」と言うと、四草は苦笑した。
「まあ、いつかは車買うにしても、駐車場の場所はここいらでない方が都合がええですね。」
そんなら、ここから引っ越しとかせえへんか、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
気軽に出来るもんならやってみたいけど、日暮亭に行くにしても、オヤジとおかんの墓に行くにしても、ここはホントに便が良すぎるのだ。
それに、ここから引っ越ししたら、お前とオレがこうして一緒にいてる必要もなくなってしまう。そういう、端から見てても『ごもっともな理由』がなくなるのが怖いんや、オレは。
「どないかしました?」
「ん、何でもないで? 逆に外に出て金使うくらいなら梅田におるんでもええかな、て。」と口から出まかせを言ってしもた。
そもそも、ちょっと顔が売れたのもあの頃限定で、今梅田の街をあるいても、昔のオレのように「小草若や!」と言われることもほとんどないんやけど、こいつなんや、この頃はオレのこと、二人目の子どもみたいにして外でも手を引っ張ってくことあるから、人目とかやっぱ気にせんではおれん。
「暑いし、たまには西瓜でも買ってきますか? うちの冷蔵庫では一個まるまるは冷やしておけませんけど、寝床に持ち込みしたらみんなで食べれますし。」
「それ、ええな。明日はそないするか?」と笑うと、あっという間に四草の顔が近づいてきた。
「ちょ、待て、しぃ。」
「待てません。」
そもそも今から始めんと十二時に終わらないでしょう、という顔をしている。
オレかて、布団の上で待ってたし、寝不足で高座あがったらいかん、ていうのは、まあそれはそうなんやけど……。
もう、なんやちょっと相談してるうちにあっという間にこないな時間になってしまうってことも、大事な話ならおちびもいる朝の方がええのはオレかて分かってるけど、なんや話を切り上げようか迷ってるタイミング測ってるみたいに、こないして触ってくるのは。
そら、したいのがオレだけやないのは単純に嬉しいけど……。
四草の顔を見ると、薄暗い電気のせいだけでもなく顔が陰っている。
そうやった。
「あんな、それ、……髭、剃ってからにせえへんか?」と言うと、四草はしれっとした顔で「なんでですか?」と聞いて来た。
「何でですか、て……こないだ、なんや変な感じになってしもたし。」
「変な感じ?」
セックスするときに髭が当たると集中できんていうか、背中がぞわぞわするし、感じてしまうて言うか、とにかくあかんねん、と恥を忍んで白状したのに「気のせいと違いますか。」と言って年上の男はまた顔を近づけてきた。
キスが始まってしまうと、もうすっかりなし崩しだった。お互い脱いで脱がされて、押し倒されて。
首にキスをされている間にも、むくむくと大きくなったモノに触られて、四草はこういうの巧いから、いつものようにあっという間に爆発しそうになってしまう。
オレばかりが先にイカされるのはホントは嫌やのに、気持ちがいいからいつも負けっぱなしや。
(隣で工事始まったら、ずっとうるさいから、昼間っからこないして出来るんかな。)
そんな風に思いながら、口に手を当ててこみあげてくる声を押し殺すと、目の端に薄っすらと涙が浮かぶのが分かった。
「ひとりでは行かんといてくださいね。」
四草の、ひとりごとのような掠れた声が、耳元に聞こえてきた。
今のはどっちの意味やろ、と思いながら、オレは追い上げられるままに目を瞑って、年上の男の手がもたらす感覚に身体を委ねることにした。
powered by 小説執筆ツール「notes」
41 回読まれています