前言撤回


「お前、どこほっつき歩いてたんや、ちゃっちゃとメシの支度せんかい……!」
華麗に決まったーーー!
徒然亭小草若選手のヘッドロック!!
「……痛いです、小草若兄さん。」と倉沢は腕を叩く。
「お前、もうちょっとおもろい反応せえ。」と言うと、なんでお前のためにおもろい反応せなあかんのや、という顔になる。
舌打ちをせんばかりの顔つきをされてこちらも面白くないが、どういう反応をしたらおもろいのかは、オレも分かってへんわけや。

「小草若、あんたも倉沢くんの邪魔せんと、ちゃんとお稽古の準備なさい。もう師匠が草原に稽古付けてるのに、まだそんな恰好でどうするの。」
おかみさんが納戸から出てきていつもの小言を言う。
草原兄さん今日も来てはるんか。
まあ兄さんもオレもほとんど落語会の手伝い以外の仕事入ってへんしな……師匠の一門会かて、年に二回で、それ以外で呼ばれることなんかもほとんどあらへん。
「……分かりました。」
こんな風にグズグズすればするほど稽古が嫌になる。
とっとと着替えたらええことくらい、オレかて分かってるがな。
草々が落語会でおらん日くらい、早く来て稽古しよかな、と思ったら、買い物かご持って戻って来たばかりのこいつが目に付いたのが今日のケチのつき始めや。
オヤジの出待ちしてた厚かましい男が、とうとう根負けしたオヤジのせいで正式に内弟子になって一か月。
オレには弟弟子が出来た嬉しさなんてもんはない。草々とオレより多少は年上であるこいつは、しばらくは勤め人をしてかどうかしらんけど、あっちをドロップアウトしてこっちに来たくせに、落語以外の世界のことは何でもしったかぶってる口調で話すのが気に食わない。
その上、名前までが格好付けで、来るたびにこの生意気な顔で口を一文字にして掃除したり洗濯したりして、とにかくオレにはそういうことの全部が気に食わん。
今日はちょっと早い時間に来たら、珍しいことに、まだ買い物帰りやった訳や。
その日の料理の献立は月の予算考えておかみさんが決めて、それを言われたように買い物して、料理の本を見て作ることが多いが、自分で献立まで考えて適当に料理作ってるらしい。昼がうどんばかりになるのはちょっと閉口するけどな、とおかみさんは言うけど、それ以外の愚痴は全く出て来うへん。
オレのときはちょこちょこよろづ屋に買い物行くついでに仏壇屋に行ってなんや話し込んでたこと多かったように思うけど……。
とっとと着替えして、いつまで経っても『平兵衛』のお稽古出来へんペーペーの内弟子をからかったろ。
稽古場はもう草原兄さんいてはるから、オヤジの部屋借りて着替えや着替え……、ってなんや今日のこのチョッキ、妙に煙草の匂い付いてへんか……?
いつもの駅でぷかぷか煙草飲んでる人はいてるけど、横通ったぐらいではここまで匂い付かへんぞ。

台所に行くと、倉沢が人参を切っていて、稽古場からはおかみさんの三味線の音が聞こえて来た。
今日の昼飯……、ヒントはそこにあるカレールーやな。おかみさんが昼はいつもうどんやて言うてたから、今から夜の分かもしれへんな。
「おい、倉沢。」
「何ですか。」
「お前、さっきの、おかみさんにはバレへんようにせえよ。」
「……何のことですか?」
しれっとした顔しおって。
「何のことかは自分で分かっとるんとちゃうんか?」
まあええけど。
オレは言うたからな。
「師匠は知らんふりしてくれるかも知れへんけど、草原兄さんと草々に見つかったらヤバいで。」
「……分かりました。」
お、今日は素直やないか。
「ところで兄さん。」
「なんや。」
「その浴衣、左前ですよ。僕は直しませんからね。」
「……分かっとるがな!」
前言撤回。こいつ、ほんま生意気すぎるわ……。

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