冥婚

 事の発端は道端で赤い封筒を拾ってしまったことにある。
 その日、暇を持て余していた俺はインターネットカフェで時間を潰した帰り道、偶々その封筒を目にした。普段ならば気にも留めないが、その時は何故かそこで立ち止まってしまったのだ。
 赤い封筒というのも珍しかったが、その厚みが目を引いたのかもしれない。現金が入っている可能性に思い至った俺はつい何となくそれを拾い上げてしまったのだ。
 少額ならばくすねても良いし、高額ならば交番に持っていけば何れ謝礼がもらえるかもしれない。そんな浅はかな考えで中身を確認すると、百万円の束と写真が一枚入っていた。写真には切れ長の目元が涼し気な美男が映っている。
「拾っていただきありがとうございます」
 流石に届けるべきかと考えていたところへ、壮年の女性が声を掛けてきた。礼を述べているのだから持ち主なのだろう。手間が省けたとばかりに封筒を差し出すと、その女性は首を振って押し戻してきた。
「貴女の落とし物では?」
「その封筒を拾ってくださる方を待っていたのです。少々お時間をいただけますか」
 厄介事だとは思いつつも、成り行きでその女性の話を聞くことになった。
 
 近くの喫茶店に入って聞いた話はこうだ。
 一週間ほど前、女性の息子(写真の男)が不慮の事故で亡くなった。息子に婚約者がいたわけではないが、近い将来に結婚して孫の顔を見せてくれることを楽しみにしていた母親は若くして世を去った子を憐れんだ。
 そこで一部の地域で行われている、死者と架空の花嫁の婚礼を描いて奉納する絵馬の存在を知り実行しようとしたのだが、その晩亡くなった息子が夢枕に立ったらしい。
 この辺からスピリチュアルな匂いがして身構えたのだが、ともかく死んだ息子が言うには、婚姻するなら自分が選んだ相手としたい、赤い封筒に現金と自分の写真を入れて道に置いてくれれば然るべき人物が拾うよう自分が誘導するのでその人に頼んで欲しいとのことだった。
「俺は男ですが」
「ええ、少々驚きましたが勇作——息子が選んだのは貴方に違いありません」
 これはどう逃げるべきか。トイレに立つ振りをして店を出るくらいしか思い付かない。運ばれてきた珈琲を一口飲んで考えたがそれしかない。
「死者と生者を娶せることを冥婚と云うそうです。四十九日までで構いませんから息子の遺骨と暮らしてもらえたら謝礼として五百万お支払します。お願いするのはこれだけです。その封筒の中身は前金として受け取ってください」
「正気ですか」
 思わず本音が出てしまった。しかしながら五百万という金額にはかなり惹かれる。先年、母が事故死した時の賠償金がかなり支払われたとはいえ、先々のことを思えば貯蓄はしておきたい。
 報酬額からすればこれが素人をターゲットにしたテレビのドッキリ企画であってもおかしくはない。詐欺にしては突拍子もないし、愛息を亡くした母親のやつれ具合は演技とも見えなかった。
「では細かいところは後ほど念書を交わすとして、一先ずお引き受けする方向で」
「ああ……! ありがとう、ありがとうございます。これで勇作も成仏出来ますわ」
「こちらとしても報酬をいただく身ですから、勇作さんの成仏を祈りつつ同居させてもらいます」
 つまりは欲に目が眩んだのだ。俺はこのときの決断が人生を変えてしまうとは思いもしなかった。

 分骨された小さな骨壺を机の上に置くと、俺はベッドに座ってぼんやりとそれを眺めた。手のひらに収まるサイズの骨壺は、ちょうどコンパクトミラーのように開く部分に遺影も入っている。
 ちなみに母の遺骨は手元に置いていない。適当な寺で永代供養してもらっている。
 スーパーで買った弁当を二つ、ついでに赤飯のパックも広げると、俺は勇作の遺影を立てて供えた。預かった線香にも一応火をつけて手を合わせる。差し詰め初めての会食だ。
 それにしても冥婚というからにはあちらの親が同席の上で形だけでも式を挙げるのかと思ったがそこまでする気はないらしい。
 面倒は少ない方が気楽なので自分としては問題ないが、遺影の男が盛装すればさぞや見応えがあっただろう。母親が惜しむ気持ちも分かる。
「今夜は初夜になるのか?」
 冗談交じりに遺影に話し掛けてみるが勿論返事はない。自分が一生関わることのなかったであろうタイプの男に見えるが、もし生前に知り合っていたらどんな付き合いが出来ただろうか。
 そこまで考えて自分にしては珍しく他人に興味を持つものだと思った。相手が死人だからかもしれない。あれこれ好き勝手言ってみても、反応などないのだから。
「短い間だがよろしくな」
 死者に対する礼儀だけは弁えようと挨拶をすると、急な眠気に襲われて俺はそのまま意識を手放した。

『私と結婚してくださってありがとうございます』
「勇作、さん……?」
 誰かに声をかけられている、と思ったが意識が浮上しているというよりは浅い夢を見ている感覚だった。遺影の顔をした男に話しかけられている。これはもしや夢枕に立たれているのではないだろうか。
『はい、花沢勇作です。お供えの心遣いも嬉しかったです。今夜は、その、初夜なので尾形さんの夢の中にお邪魔しています』
「そんな事ができるのか。凄いな幽霊って」
 俺が素直な感想を漏らすと、勇作は驚いたような顔をした。
『怖がられなくてよかったです』
 あまり初対面という気がしない。勇作との距離感は自分にとって好ましいものだった。とはいえ相手は死人だ。しかも初夜がどうとか聞こえた気がする。
『いきなり最後まではしませんので、今夜は優しくできるよう努めます』
 ナニを? とは聞き返さなかった。というより、その余裕もなくあれよあれよという間に服を剥かれて初めての経験をこれでもかとさせられて気づけば朝日で目を覚ましていた。
「???」
 やたら下半身はスッキリしているが、乳首は赤く腫れているし唇も腫れぼったい。喉がいがらっぽいのも普段出さない高さの声を出したせいだろうか。
「本当に勇作さんの嫁になったのか」
 同性同士だが自分が組み敷かれて居たなら意味合いとしてはそうなるのだろう。
「それにしても写真以上に男前だったな。何を血迷って俺を選んだんだか」
 勇作の母の話を鵜呑みにすれば勇作が選んだ相手が自分ということになるが、その前提が無ければ単に封筒を拾った最初の人間と形の上だけとはいえ婚姻させられてしまっているのかもしれない。
 そこまで考えた俺ははたと気づく。自分は勇作に選ばれたかったのだろうか。勇作の唯一として——。

 母と暮らしていた頃からずっと独りだった。母は自分を育ててはくれたが、それは全て「コウジロウ」という男の血を引く息子だからという理由からだった。
 コウジロウは俺を認知しない代わりに養育費だけは潤沢に支払ってくれた。母は物分りの良い女で居たかったらしく、それ以上の無心はしなかった。好意を利用されて体良く丸め込まれただけだろうと息子としては思うばかりだ。
 母が突然居なくなってからも自分はこのまま独りで何となく生きていくだけだと思っていた。それが、赤い封筒を拾ってしまった事で生活そのものが変わってしまったのだ。
『尾形さん、今日もお疲れさまです。夕ご飯もとても美味しかったです』
「寿司が食べたい気分だったから」
 バイト帰りにテイクアウトの寿司を引き取れるよう予約しておき、一目散に帰宅した。遺影と遺骨に供えて線香を焚くのは毎日の日課になった。いただきます、の前に勇作にも手を合わせる。
 どういったシステムかは分からないが、この一連の動作をすれば勇作は俺が供えたものを食べられるらしい。
 相変わらず勇作は毎夜夢枕に立つ。今でも半信半疑であるし、独りの寂しさを自覚した自分が都合よく生み出した幻かもしれないが、もうそんなことはどうでも良かった。
『尾形さん、ここ気持ちいいですか』
「う、ん……っ」
 初夜から始まって毎晩、夜の生活は充実していた。当初は一方的に奉仕されるばかりだった俺も次第に積極性を持つようになった。慣れというのは恐ろしい。
 丹念に後ろを解されて挿入されるようになってからは、営みの激しさは加速した。自分も勇作もヤりたい盛りなのだから仕方がない。行為の詳細は目覚めると共に記憶が曖昧になるので、毎晩初夜からやり直している感があるが身体は覚えているらしい。
 朝起きて鏡の前に立つと肌の調子は良いし、キスマークがあちこちに散っているので流石に独り善がりの妄想とは思えなくなっていた。

 夜まで待たずとも、自分が眠れば勇作に会えると気づくまでにそう時間は掛からなかった。アルバイトを辞め、大学も自主休講することにした。
『尾形さんと会える時間が増えて嬉しいです』
 屈託のない笑みでそう言われてしまっては、勇作を最優先するほかない。
 暫くして眠れなくなると、俺は心療内科で母の死から立ち直れず眠れないと医師に相談して薬を処方してもらった。診断書を書いてもらい、大学も休学した。
『✗✗✗✗』
 一日中ほとんど寝て過ごすようになり、夢と現実の境界線が曖昧になった頃。勇作が自分を呼ぶ四文字が聞こえずにもどかしくなった。「尾形さん」と呼ばれる分には問題ないが、何かほかの呼称で声を掛けられていると思うときは音がないのだ。
 それでも、勇作と過ごす時間は俺の心を満たしてくれた。このままずっと二人で暮らしたい。四十九日を過ぎても遺骨は返したくない。既にあの日から何日経っているのか分からないままだ。寝てばかりいるので飲食の回数も減っている。
 鳴り続いていた着信音もいつしか聞こえなくなった。スマートフォンの充電も切れたのだろう。指先を動かすのも億劫になったところで意識が飛んだ。ああ、これでまた勇作に会える。

「……さん、尾形さん」
 声に引きずられるようにして目を開けると、そこにはアパートとは違う真っ白な天井があった。声のする方へ顔を動かせば、そこには勇作の母が居た。
「ああ、無事でよかったわ。連絡がつかないから心配なって家に押しかけてみたら衰弱しきった貴方が倒れていてどれだけ驚いたか。勇作から何となくの事情は聞きましたけどね、あの子にも否があるのだから厳しく叱っておきました」
 心配されているのは間違いないが、俺たちの生活が筒抜けなのはいただけない。とはいえ確かに正常な判断が出来ずに死ぬところだったかもしれない。
「……花沢さん、勇作さんを俺にくれませんか。期間限定ではなく、これからもずっと一緒に暮らしたいです」
「そう。貴方がちゃんと健康的な生活を取り戻して、社会復帰できるならお預けした遺骨は返してもらわなくて結構です」
 初対面のときとは随分と印象が違うが、俺の望みをあっさりと受け入れてくれた。
「勇作が私の夢枕に立って言うんです。尾形さんと暮らせて幸せだ、手料理を振る舞ってもらう約束をしてるんです、離れたくないって。だからちゃんと元気になってくださいね。貴方が大学を卒業して初任給をもらうまでは姑として世話を焼くつもりだから覚悟して頂戴ね」
「お義母さん……?」
「可愛い一人息子を貴方にあげるのだから、これくらいは許してね」
 生みの親よりも俺の母親ぶる勇作の母に、何だか親しみを覚えてしまった。どことなく勇作に似ているからだろう。
「分かりました。性根を入れ替えてやり直します。ちゃんと勇作さんのパートナーとして相応しい人間になれるよう努力しましょう。手料理は体調が戻ったらリハビリがてら作ります。勇作さんの好物を教えてもらえますか」
「ありがとう尾形さん。あと、仲がいいのは結構なことだけど、夜は程々になさいね」
 居た堪れないことこの上ない。大事を取って今日はこのまま入院することになり、俺は久々に深い眠りを堪能した。翌朝、覚醒前の夢の中では心配そうな顔をした勇作が必死に謝っていたのが何だかおかしかった。
「勇作さん、これからはもう少しゆっくり夫夫になりましょう」
『はい。兄様には長生きしてもらいたいので、気長にお願いします』
 あにさま……? 耳慣れないながらも、どこか懐かしさを感じる響きを俺はすんなりと受け入れていた。勇作が兄様と呼ぶのなら、俺は勇作の兄様なのだろう。
「勇作、殿」
 意識せず発した声は、自分の耳に届く前に消えた。ただ枕元の勇作が、微かに微笑んだ気がした。


※※※

「勇作の骨をあいつにやったのか」
「ええ、その方があの子も喜びますから」
「よりによって、百之助に」
 夫は何が気に食わないのだろう、と花沢ヒロは思った。そもそも勇作が生まれるより前に外の女に尾形を産ませたのは自分だというのに。多額の養育費を払っていたことがバレていないとでも思っているのだろうか。
「生前、勇作は百之助さんに会いたがっていました。それが叶わぬうちに儚くなってしまったのですから、骨になってからでも一緒に居られて幸せでしょう」
「勇作の霊がどうとかいう与太話か」
「それとこれとは別です」
 何をやらせても人並み以上に出来る子だったので、死んでからでも意思疎通が出来ていることに驚きはなかった。ただ、夫には会いに行っていないのだと分かって溜飲が下がる。
「勇作はもう居ないのですよ。死後くらい自由にさせてあげてください」
 そう、殆ど初めてと言ってもいいくらいの我儘だ。死んだ身でも兄様に会いたい、そばに居たいと、そう願ったあの子のためにひと芝居打った。
 封筒を拾ってくれずとも話を持ちかける算段はあったが、あの偶然は勇作の思いが通じたのかもしれなかった。芝居とはいえ報酬は勇作の遺産でもあるので提示通りに支払うつもりであるし、尾形が勇作と同じ世界に逝ってしまわないよう暫くは注意するつもりだ。
「貴方の不実のお陰で、私はもう一人息子が出来て嬉しいわ」
「どういうことだ」
 冥婚のことは夫には言わないつもりだ。そうでなくとも可愛い息子たちの幸せを邪魔して欲しくはない。
 まだ何かを喚いている夫の声はシャットアウトして、ヒロは息子たちに差し入れるものを考え始めたのだった。

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