(治北)海は幻、旭日を食む。

※フォロワ〜と「リハビリワンライしよ〜!」って書いたやつ。トータル二時間半くらい。(ワンライとは)
※付き合ってる大人治北の大晦日の話。
※お題「青い海に飛び込んで、あなたとひとつになってみたい」






飲食業にとって年末年始はかき入れ時とは言え、その年のおにぎり宮は店を閉めることにした。アルバイトの大学生の子達も皆帰省やら用事があるだろうし、店を構えて数年、危うい時期も越えて幾らか余裕が出てきた。無理に売り上げを伸ばすよりは来年のための英気を養うべく休んでもいいのではないかと、店主である治が判断したからだ。
そのことを伝えると、北は「そうやな、ええと思うわ」と頷いてくれた。返事を聞いた治が、そのまま物言いたげな表情を浮かべていることに気付いたのだろう。
「ほんなら、うち来るか?」
さっぱりとした声音でのお誘いに、治は食い気味に「はい!」と答えていて、北はいよいよ大きく口を開けて笑った。
夏の間は祖母と二人で暮らしている北の旧家(かつては祖父母共々家族で暮らしていたが、祖父が亡くなってからは両親の通勤の関係で尼崎の近くへ越したらしい)は、冬になると祖母である結仁依が市街地の家に行ってしまうため北一人だけになる。もとより北が高校の頃は新居で家族と暮らしていたと言うし、北が専門学校を卒業したタイミングで一緒に旧家へ移ったのは、亡き祖父の残した田や家を結仁依が恋しがっていたかららしい。
日本列島南西に位置する兵庫県は基本的に温暖な気候であるが、北部山間部は積雪もある。高齢である結仁依の身体を案じた家族が「冬の間は戻ってきた方がええんちゃう?」と提案したのだそうだ。彼女のことだから、雪かきや露払いなど自分からやると言って張り切るだろうし、それで怪我をしては大変だと説き伏せて、そうして今の生活サイクルになった。
というのを治が北から聞いたのは、意外なことについ数年前のことだ。冬の間、彼が一人きりでこの広い木造一軒家に暮らしていたことを知って、治は咄嗟に「呼んでくださいよ」と口走っていた。
その時の北の表情を、今でもはっきりと思い出せる。
まんまるに見開かれた大きな瞳が、一瞬、何かを迷うように揺れた。俯いた北が「……呼ぶ理由、ないやろ」と小さく返す直前、夏の間に焼けた小麦の肌もすっかり元の色に戻った白い頬がパッと色付いているのを治は見てしまったのだ。
伸ばした手を、北は拒まなかった。治が自身よりも頭半分小柄な身体を腕に抱き締めた時も、北はただジッとしたまま、逃げるぞぶりすら見せなかった。
あれから二年が経って、初めて、治は北の家で大晦日を過ごす。
十二月三十日できっちり仕事を納め、翌朝早々に車を飛ばして田舎くんだりまでやってきた治を、休閑期の北は「俺より早起きやなぁ」と欠伸を噛み殺しながら出迎えてくれた。
大掃除を手伝うつもり満々でやってきた治だったが、普段から掃除の行き届いている上に十二月に入ってコツコツと汚れを除去していた北に「やることないで」とにべもなく言われて、結局炬燵に入ってみかんを食わせられているだけになってしまった。
俺のやる気返して欲しい、と拗ねたふりで言ってみたが、「自分のとこはちゃんと終わらせてきたんやろな?」と鋭い視線を向けられてシュンと項垂れるしかない。もちろん飲食業なので店の方はしっかり掃除してきたが、自宅の方は北のお眼鏡に適う状態ではない。
誤魔化すように「この蜜柑うまぁ」とみずみずしい果肉に食らいつけば、北もそれ以上何も言わず炬燵に潜り込んできてくれた。
昼間は細々とした家事を済ませたり炬燵で蜜柑を頬張りったりして過ごし、夕食は治が腕を振るった。年末の特番を二人で見ながらビールや日本酒に舌鼓を打ち、交代で風呂に入り、いい時間になった頃合いで蕎麦を茹でるための湯を沸かす。
「明日、どうします?」
くつくつと泡立つ鍋にサッと生の蕎麦を落としながら、そう言えば、と治は後ろでテレビを見ているであろう北に声をかけた。
「明日?」
治以上に酒を煽っていた上にいつもならとっくに寝ている時間のはずだが、そう聞き返した北の声は普段通りの張りがある。
「この辺って初詣とかどうしてはるんですか?」
「ああ、うちの裏手にある小山にな、ちっこいお社があんねん。村の人が一晩火焚いてくれとるから年越したら酒持ってお参りしとる」
「あ、夜中のうちに行く感じなんや」
「うん」
そう頷く北が見えているわけでもないのに、彼の丸い頭部が子供のように上下する様が容易に想像できて、ついフッと唇が緩む。いつもと同じだが、やはりどこか少しあどけない。
「そんなら、明日の朝は寝坊してもええですね。あ、でも初売りとか行く?」
「いや、」
治の提案に、北はそう言いかけて、だが何故かすぐに言葉を切った。はて、と振り向こうか逡巡するが、カタカタと煮だりそうになっている鍋から目を逸らすわけにもいかず視線を固定する。
コンロの火を消すと、居間と地続きの台所内は途端にシンと静まり返り、後ろの方から微かにテレビの音が聞こえるだけになる。昼の間に出汁を引いておいたつゆをお椀に流し込み、ザルにあけた蕎麦をチャッチャと湯切りしていた治にも、その声ははっきりと聞こえた。
「海行きたい」
聞こえはしたが、聞き間違いかと思い「はい?」と振り向いた治の視線の先で、炬燵に入ったままの北の丸い後頭部は動かない。
「海?」
もう一度尋ねる治に、北がゆっくりと首を巡らせてこちらを向く。普段通り、いつもと変わらない、大きな丸い目が治に綺麗に向けられている。
「初日の出、見に行かへん?」
「……海に?」
「海に」
「山とかやなくて?」
「うん。……嫌か?」
「え、あー、別にええですけど……」
戸惑う治の手に握られたお椀の存在にそこで初めて気付いたのか、北は「蕎麦食おか」と立ち上がった。それを見て治もハッと我に返り、お盆に載せた蕎麦を北へと手渡す。くるりと背を向ける彼に声をかける間もなくて、ひとまず刻んだ長ネギや山菜、お新香、夕方あげた海老の天ぷらなどを準備して居間へと向かう。
「頂きます」
先に炬燵に潜り込んでいた北がピンと背筋を伸ばしたまま丁寧に両手を合わせる。それに倣うように治も「頂きます」と手を合わせ、濃い色のつゆの中でツヤツヤと輝く蕎麦を箸で掬った。
ズゾ、ズルっ、ズズズッと暫く無言のまま蕎麦を啜る。二人とも食事の最中はあまり話さないから、治がようやく「なんでもまた海なんですか?」と尋ねることが出来たのは、お椀の汁まですっかり飲み干してからだった。
「そないに海好きでしたっけ?」
「別にそういうんとちゃうけど。治は海で初日の出見たことあるか?」
「いや、ないですね……」
向かい合って座ったまま尋ねられ、ふるふると首を横に振る。大晦日と言えば大手を振って夜更かし出来る日で、学生の頃は朝までやっている特別番組を見たり侑とゲームをしたりしていたため朝方寝落ちて夕刻に起きるなどザラだった。卒業後はひたすらバイトや店の資金繰りに奔走していたし、店を持ってからは年始から店を開けていた。初日の出を見に行くなんて発想が出てきたこともない。
「行くのはええんですけど……この辺で初日の出見れる海ってどっかアテあります?」
「……わからん」
尋ねる治に、北はどこか気まずそうに視線を逸らした。本当に突発的な提案だったらしい。
「……なんかありました?」
ついそう聞いてしまうのも無理はないだろう。北が治に突拍子もない話をすること自体はそう珍しいものではないが、こうやって言い淀む姿を見る機会などそうないのだ。好奇心よりも不安が勝つ。
四角いテーブルの向かい側から移動して、北の左隣の席へと移る。狭い一辺に身体を捩じ込むか悩んだが、無理に距離を詰めて聞き出したいわけではない。
横から顔を覗こきむ治を、北は嫌がりはしなかった。その代わり、はぁ、と大きなため息を吐いて右手で自身の顔を覆ってしまう。治に対する拒絶ではなく、自身への呆れのそれだと治にも分かる。
「なんもない。ただ、お前と海行ったことないなぁて思ただけや」
「それで初日の出?」
「……こんな真冬に海行く理由とか他にないやろ」
「そんだけ?」
「ん」
「ほんまに?」
顔を覆ったままの彼の手を掴み、乱暴にならないように気をつけながらそうっと外させる。視線を滑らせた先、北の頬は夏の小麦色もすっかり落ち着いて、本来の白さを取り戻している。部屋の暖かさとアルコールでほんのり血色が良いのも見慣れた姿だ。
ただその目は、普段よりもほんの僅かに潤んでいるように見えて、治は無意識のまま伸ばした親指で目尻をなぞった。ふる、と北の瞼が震える。それが、急所付近に触れられたことに対するただの反射だと分かっていても、口内をドッと唾液が満たすのを自分では止められない。
眦を撫でた指をするすると頬まで降ろし、唇の端にクッと押し付ける。
「言いたくないならええです。今から日の出見れるとこ調べて、ちょっと寝て、そんで朝、一緒に見に行きましょ」
言いながら、少し湿った唇をふにふにと愛でる手は止めない。熱を煽る強さはないが、むず痒そうに目を細める北の耳がジワリと赤くなる。
「ええやん、初海デート。寒いからいっぱい着込んで、多分こっからやったら神戸とかまで行った方がええんちゃいます?」
「……ええよ、飲酒運転になる」
丸い頭がゆるく振られた拍子に、撫でていた指先が北の肌を離れる。名残惜しさに背を押されるまま顔を寄せて、ほんのりと出汁の匂いのする上唇を舌でなぞった。天ぷらの油と、空いた隙間からはアルコールの匂い。
「寝て起きたら抜けてますって」
「今からやと八時間も寝られへんやろ。御参り行くんやったら寝る時間もっと遅なるし。それに、」
「それに?」
至近距離で瞳を覗き込みながら、唇を啄むのを止めないまま訊ねる。
「……ただ、ちょっと」
「うん」
「…………この間、お前の店行った時に」
「え? うん」
「ドラマ、やっとったやんか。テレビで」
「…………へ?」
なんの話かわからずぽかんと口を開けた治に、北がちゅうっとキスしてきて余計に混乱する。
「ちょ」
「ええよ、俺が勝手に要らん事気にしとっただけやし」
「えっ、あ、北さ」
「『ひとつになってみたい』」
口付けの合間にポツリと溢されたワードに瞠目する。どことなく聞き覚えのある、芝居がかったワンフレーズ。
「……『あの海に飛び込んで』?」
声音を変えて重ねた治の言葉に、北は逃げるにしては軽やかに見える仕草で肩を逸らした。至近距離で視線が絡み合う。互いの息が頬の産毛を撫でる程近く、睫毛が触れるまでは行かない、そういう距離感。
「惜しいな、『あの』やなくて『青い』や。『青い海に飛び込んで』」
「よう覚えてますね、あんなわけわからんドラマの台詞一字一句」
「流石に一字一句は覚えてへん。内容もあやふややし」
鼻のてっぺんに皺を寄せて尋ねれば、北はゆるりと首を振って答える。「けど、なぁ。なぁんかやけにそれだけ頭に残ってん。……よう知らん感情やったから」
「何が?」
「ひとつになりたい、言うやつ」
そう言って北は治の唇の端にそっと唇を押し付けて、するりと身体を離した。手を伸ばせば簡単に引き寄せられるけれど、抱き合うには炬燵の足が邪魔をする。角隣りに腰を下ろす恋人はすいっと視線を宙に投げた。もちろんその先にはいつもと変わりのない居間があるだけで、でもきっと北の目には違う景色が見えているのだろう。おそらくは、治には見えない『青い海』とやらが。
「あのドラマでも、他の何かしかの話でも、たまに聞くやん。『ひとつになりたい』とかなんとか」
「まぁ、そうですね」
曖昧に頷いては見たが、治は恋愛モノには一ミリも興味がないし、知人友人の色恋沙汰にもさほど食指を動かされることはない。相談されれば話くらいは聞くけど、それだけだ。とはいえ、北の言うこともわかるにわかる。『ひとつになりたい』なんて実によく聞くいい回しだし、セックスをそう表現することだってある。
「俺は、正直なんでそんなんみんなして言うのかわからん」
知らない海を眺めたままそう話す北は、それを落胆していようにはどうしても見えなかった。
「だってそうやんか、人間別個の個体なんやし。ひとつになるて、最終的にどうなるん? 相手は自分になって、自分が相手になるっちゅうこと? それでどうやってこん先、生きていけんのやろ? 考えとること全部おんなじになって何が楽しんやろ? 考えてもようわからん」
「そんなら北さん、海、行ったらそれわかるかなぁ思って、俺誘ったん?」
そろりと伸ばした手のひらで肘を掴み、優しく揺すりながら聞く。北は治の方へふっと視線を戻し、目を見つめたままゆっくりと頷いた。
「うん。俺も、治と『ひとつになりたい』思うんかなって、……好奇心やな、ただの」
「でも多分、今は『青い海』とちゃうんやないですか?」
「そこまで考えてへんかった。そもそも飛びこまれへんし」
「俺はちょこーっとだけ思ったことありますよ」
「冬の海で寒中水泳?」
「そないな自殺志願者とちゃいます。北さんとひとつになりたいって」
「なんで?」
まっすぐな瞳が、ただただ純粋に疑問を投げかけてくる。「なんでそう思うん?」
そんなの決まってる。
「好きやから」
「そういうもんか」
ストレートな治の告白に、北はあっさりと頷いて見せる。納得は、多分してない。自分の中で消化できない限り、この人の中の命題は解決されないだろう。治だって別に恋愛上級者じゃないし、自分の感情を言語化するのは得意じゃない。
「北さん、冬の間ここに一人でおるって、二年前に教えてくれたやないですか」
「……うん」
ちょっとだけ真面目な顔で話し始めた治に、北が居住まいを正した。そんな畏まって聴いてもらうような話ではないので少し気恥ずかしい。
「そん時、思いましたよ。北さんと俺、ひとつになってまえばええのにって」
「あん時? なんでまた」
「そしたら北さん、一人で勝手に寂しいの我慢したりでけへんようになるやろ」
瞬間、北の眉が跳ねた。見開かれる煤色の瞳が、よせては返す波のように不安定に揺れる。
あの時もそうだった。「呼んで下さいよ」と低く、強い口調で発した治の言葉に、北は確かに動揺していた。「さびしい」なんて北は言わない。でもわかるのだ。寂しくないわけがない。しんしんと雪のチラつく田舎の冬の夜。まるで世界でひとりぼっちになってしまったように静かな家で、人を愛することを知っている男が独りきり。そんなのさみしくならないわけがない。
そんなの、満たしてやりたくなるに決まってる。
「北さんが寂しいの、嫌やから。抱きしめて、キスして、深いとこまで繋がって、混ざって溶けて、そしたら、もう寂しい思いせんで済むんやないかって」
不意に伸ばした右手で、きゅ、と引き結ばれた唇に触れる。蕎麦の出汁と、天ぷらの油、緩やかな呼吸、赤い舌の甘さを知っている。ふ、と思わず口の端から息が漏れる。
「でも、俺もほんまにひとつになりたいわけとちゃうくて、……ただ、北さんが、好きなんです。そんだけ。ひとつになんか、ならんでもええ」
「おさ、」
上がった声は、制止、ではないはずだ。だって北は逃げない。伸ばした治の手も、擦り寄せた唇も、北は拒まない。ああ、やっぱりひとつになりたくなんかない。
「ふ、っん……」
「は……、」
触れ合った粘膜が溶けるような錯覚を幾度となく味わっても、本当に溶けてしまうことはなくて、それがもどかしくて、どうしようもなく嬉しい。
遠くで誰かが、多分テレビの生中継、アナウンサーかアイドルか、知らん、どうでもええ、カウントダウンも除夜の鐘も、歓声も、全部二の次だ。
手の届く場所に北がいる。治にはそれで十分過ぎる。複雑に絡めた指をしっかりと握り返してくれる、それ以上に何を望める?
「……あけましておめでとお」
キスの合間の乱れた吐息の隙間から、いつもと同じ温度の新年の挨拶。
つい吹き出しそうになるのを堪えながら、「明けましておめでとぉ。北さん今年もよろしくお願いします」と口にする。一番に言える喜びに、今年最初の口付けを送った。色付いた甘い唇はたぶん、朝日よりも濃い赤色をしている。








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オチ?そんなものはない。
結局朝方寝たのでお参りは昼に行った。


一年お疲れ様でした。良い年末を。

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