小宇宙

 必要最低限の家具と家電だけを備えたシンプルな部屋。ミニマリストを気取るつもりはないが、余計なもののない簡素な住空間は案外気に入っていて、常に人の気配のする寮から離れたい時には重宝している。
 そのはずが。
「──なんですかこれは」
 仕事終わりの天城と示し合わせてマンションで落ち合ったところ、見慣れぬものがキッチンカウンターに鎮座していた。
「コーヒーメーカー」
「見ればわかります」
 しれっとした顔で言う天城がとんとんと叩いたそれは、家電に関心のない俺でもひと目で高級品だとわかる代物だった。港区のタワマンなどに住み、いわゆる『丁寧なくらし』を切り売りしている主婦タレントたちがこぞってSNSに載せているような、ハイテクでごっついやつ。
「これ高いやつでしょう」
「もらったンだよ。ボタンひとつで全自動だって。すごくねェ?」
「すごすぎて部屋から浮いてますよ」
 コーヒーなんて飲めればいい派の俺には、ケトルで沸かした湯でインスタントコーヒーを溶くだけでじゅうぶんだ。貰い物のマグカップはついついシンクに溜めてしまうから、食洗機の購入を検討しはじめていたところだけれど。
「淹れる手間が減るンだからいいっしょ」
「……まずは使い方を覚えるところからですね」
 こういったことは初めてではない。コーヒーメーカー以外にも、取手の取れる調理器具セットや何に使うのかもわからないスパイス、バスグッズ、無駄に高性能な目覚まし時計、以下省略。パチンコの景品だとか番組出演の謝礼だとかでこの男が貰ってきたものたちで、この部屋は今にも溢れそうだ。
「メルメルゥ〜俺っちがストックしといた歯ブラシはァ?」
「今使ってるやつで最後じゃないですか?」
「お〜マジか。買い足しとくか」
 歯ブラシ、シャンプー、スタイリング剤、冷蔵庫には缶ビール。俺のじゃないものがどんどん増えていく。もう簡素な部屋だなどとは言えない。余計なものだらけだ。
「おめェも新しいの要るっしょ、ついでに買っとくぜ?」
 いつでも躊躇なくこの場所を手放せるように、身軽でいたかったのに。なんて、俺が隠しているつもりの魂胆は、きっと天城には見えみえ。お手上げだ。
 部屋も、この両手も、とっくにいっぱいなんだ。大切なものが増えすぎた。
 ──なあ、コーヒーメーカーの取扱説明書とにらめっこをしているそこのあんた。あんたもそのうちのひとつだって、気づいているくせに。
「天城。……引っ越しましょうか、一緒に」
「え」
 俺は吹き出した。さしもの天城燐音も、俺がこんな考えを隠し持っていたとは思いつきもしなかったみたいだ。口を開けて呆けている。
「なんですかその顔。あなたが居座るから狭いんですよ、この部屋」
「そりゃ悪かったよ。じゃなくて、え? ……いいの?」
「いいも何も。今更出て行く気ないでしょう」
 問えば「ねェけど」と当たり前みたいな顔をする。そう言うと思った。
「だったらあんたも、腹決めろ」
 互いの人生に居座る覚悟を。たった今、俺も決めたから。
「あ〜……じゃあ、コーヒーで乾杯でもする?」
 カップをふたつ出してきて天城が言う。どうやらコーヒーメーカーの準備も整ったらしい。
「望むところです」
 甘さなんてない、先も見えない、俺たちの関係にはたぶん、苦くて真っ黒なコーヒーが相応しい。
「おめェどうせ洗わねェんだから、次の家では食洗機買えよ」
 天城が言った余計なひと言は黙殺し、熱いコーヒーをひと口流し込んだ。カップの中の真っ暗闇が、俺たちをまあるく切り取っていた。





(ワンライお題『コーヒー/隠し事』)

powered by 小説執筆ツール「notes」