オルサ・SS1
乾いた風が薄暗い室内に砂と香草の匂いを吹き込んだ。
その男は室内から向けられる無数の視線に気づかないように、ごく自然な動作で肩についた砂埃を払い、堂々と歩を進める。
俺はぬるい酒を煽りながら、その男の一挙一動を隠すことなく見つめていた。
表に看板も出せないほどの場末の酒場。ここでは冷えた酒も水も出ない、気の利いたつまみも何もない。ただ、こんな店とも言えない酒場はウルダハでは珍しくないのだ。
まともな酒場では安酒一杯出してもらえないような、そういう爪弾き者だけがここで金の匂いを求めてとぐろを巻いている。
俺もその中のひとりだった。金のために物を盗み、壊し、人を殴り、殺し、そうした行為に嫌悪すら感じない。そんな自分を誇ってさえいた。
突然店の扉を開いたその男は、まるで真っ暗なステージに一人だけ灯りを付けられているかのようにその場から浮いていた。
金の髪は風に軽く靡いて仄かに甘い匂いを残し、場違いなほどに高価な布であろうその黒いスーツには皺ひとつない。突然現れたよそ者を歓迎しない荒くれ者たちの視線を一身に受ける男は、カウンター近くに陣取って座っていた俺とすれ違う際に一瞬だけ視線をよこした。
その灰色がかった青い瞳はまっすぐに俺を射貫き、そして何故か薄く微笑みを浮かべたようにも見えた。
男は視線を前に戻し、そしてカウンター奥に仏頂面で立つ店主に声をかけた。
「すみません、水を一杯いただけますか」
男の声は滑らかに室内に響き、店内にいた数人が明らかに馬鹿にしたような笑い声をあげる。
店主はぶつくさと文句を垂れながら傷だらけのカップに入った水のようなものをカウンターにたたきつける。
男はバカ丁寧に礼を述べながら、小さな袋をカウンターに置いて店主に差し出す。
じゃり、という金貨が擦れる音に店内が静まり返る。その重みのある音は、この異端の男の価値を跳ね上げた。
この男は『お客様』なのだ、と店主だけでなく、監視していたならず者達が全員が認識する。
まるで香草を背に担いだドードーの様に見える男の背後で、俺は店内にいた仲間に目線で合図をする。
男が水を一杯手に持ち、そして空席を探して振り返る。
俺は誰よりも早く軽く手をあげ、同じテーブルの空席を指す。
男は俺の『親切なジェスチャー』を見て柔らかく微笑み、俺の正面に座った。
「あんた、この辺じゃ見ない顔だな」
お決まりの文句だ。実際には接点のない人間の顔など覚えている暇などないのだから、誰が新顔で誰が古なじみなのかなど知ったことではない。
だが、明らかに身なりの良い男が水いっぱいに大金を払ったことを思えば、馴染みがあるはずがないと思うのも当然だった。
「ええ、しばらくこの街を離れていたものですから。街並みがすっかり変わっていて驚きました。」
どこから汲んだものかもわからない水に口を付けながら、男は浮かんだ笑みを崩さないまま雑談に乗ってくる。
男は、オルサ・マギオーレと名乗った。
ウルダハでは馴染みのない響き。おそらく異国人だ。
その口調や仕草から、どこかしらの貴族ですらあるようにも思える。
当たり障りのない会話を続けながら、この男が笑顔で別れを述べ、背を向けた瞬間に殴り掛かったら幾ら手に入れられるかを想像する。
そんな俺の思惑に全く気が付かない、バカな顔で男は微笑みながら、まるで友人に明日の天気でも尋ねるかのように朗らかに言葉を口にした。
「ところで、何かいい仕事を知りませんか?」
一瞬、店内に動揺が走った。それは警戒とも言えた。
「金が要るのです。早急に」
何度も似たような言葉を掛け合っているにも関わらず、目の前に座る端正な男の口から出てきたというだけで、なぜか不可解な言葉に感じられる。俺の動揺を無視して、オルサは続けた。
「なんでもやらせていただきますよ。盗みでも、詐欺でも……」
殺しでも。
最後の部分は音にはせず、唇の形だけで告げられる。
男は笑っていた。その瞳は店に入ってきた時と同じように揺らがず、恐れず、動かず。
まるで井戸の水面をのぞき込むように何の感情もなく。
俺はその時初めてこの男に対し恐怖に似た嫌悪感を覚えた。
俺はその後、オルサを仲間に入れて仕事をすることになった。
簡単な荷運びの仕事だ。
俺を含めた古なじみの3人組。そしてオルサの計4人。
人目を避けて荷を運び、鉱山の奥で取引先に受け渡せば金がもらえる。単純な仕事。
荷が拉致した数人の子供であることを除けば、普通の仕事といっても差支えがない。
馬を2頭借り、薄汚いバンに乗せて乾いた道を走る。人目から隠れるように布をかけた屋根の中にはカモフラージュの積み荷と、手足を縛られ口を塞がれた子供が3人、泣きはらした目を伏せている。
俺はオルサと並んで手綱を握り、道中に自警団や不滅隊が目を光らせていないかを確認する役割だった。
暇を持て余してか、オルサは頻繁に俺に話を振った。それは今のウルダハについてや、仕事について、そして俺自身についてまで続いていく。
「王になりたいと思ったことはありませんか?」
この男は、常にうっすらと笑みを浮かべている。それが俺に否応なく不快感を与えてくる。
「ねえよ。王?下らねえな。俺にはもっとなりたいものがある」
「例えば?」
「いいか、俺たちはもっとデカいヤマをやる。こんな、使いっぱしりがやるようなお使いじゃなくてな。デカいヤマをあてて、金をたんまり稼いで、もっとデカいヤマが舞い込んでくる組織になる。そして何もしなくても金が入ってくるような、そんなトップにたちてえんだよ」
語るにつれて熱が入る。それは希望というよりも、まるで地面に落ちたギルを拾い集めてカビたパンを買うような日々への辟易からきた熱だった。
俺のような犯罪者は、いつも夢を見る奴らを食い物にして生きている。夢を見る人間ほど騙しやすい者はない。だが、俺たちが追い求めるものもやはり「もっといい人生が送れるはずだ」という夢にすぎないのだろう。
そんな俺が吐き捨てた言葉を聞いて、オルサは初めて口元から笑みを消した。
眼が細められ、俺の内心をのぞき込むように見つめ、そしてそらす。
その顔には何の表情も浮かんでいなかった。
「そうですか。」
俺は何もなかったように前を向き、雑談は終わりだとでもいうように馬を急がせる。
背中には冷たい汗が伝っていた。
何かを間違えた。そんな直感があった。
「荷は想定通り、あと2時間ほどで渡せる」
俺は仲間にそう告げた。
「思ったよりスムーズだったな」
「あの新入りが町から出るときに役に立ったな。商人の振りがうまい」
「ああ、残念だよ」
「ああ」
俺たちはひっそりと笑みを交わす。そう、オルサ・マギオーレという男は大変役に立った。子どもを縛り上げるときにも躊躇せず、嘘を吐く際にも動揺せず、不気味なほどに忠実に指示をこなす。
だが、荷が相手側にわたってしまえば、そこで終わりだ。
報酬金は変わらない。ならば山分けする人間は少なければ少ないほどいい。
俺たちは最初から帰り道でオルサを殺すつもりだった。
いつものパターンだ。新入りに手伝わせて、仕事が終われば殺して捨てる。金は3人で山分けだ。
あいつはきっと仲間に入れてもらえたと信じたことを恥じて死ぬだろう。それか、世界や俺たちを憎んで死ぬのだろう。
そうであるべきだと思った。
そうなるはずだ、そう思い込まなければ、じっとりと足首を掴むような嫌な予感を振り払うことができなかった。
脳裏には、男の灰がかった青い瞳がこちらを静かに見つめていた。
「おや、あれが『取引先』ですかね」
馬がゆっくりと速度を緩める。視線の先にはフードを深くかぶった男が二人ほどたっている。
薄暗い鉱山の洞窟の中で行われた取引はあっけにとられるほどスムーズに終わった。
泣き疲れ、自らの運命を受け入れたように力なく俯く子供の背を蹴りながら取引相手に渡し、そしてずしりと重量のある袋を手渡される。
中を確認すればしばらくまともな酒場で酒が飲めるほどの金貨が入っていた。
俺たちは浮つく気持ちを抑えきれず、目を見合わせる。
オルサは一人遠くに立ち、取引相手を見つめている。
この場に似つかわしくない男とも、もうすぐお別れだ。
この場を去ろうと、取引相手が消えた側とは逆の出口に向かって歩き出そうとしたオルサの高等部を石で殴りつければ、鈍い音が薄暗い洞窟に響く。
オルサはうめき声一つ上げなかった。
彼は血の出る頭を押さえながら、俺を振り返る。
俺の背後に立つ仲間二人は金が手に入った興奮と、人を殺す高揚感を隠しきれていなかった。
「悪いな、オルサ。お前に分ける金はねえよ」
「…………」
もう一度、顔を殴る。頬に赤い跡が残り、口が切れたのか、吐き出された唾に血が混じっているのが見えた。
「…………」
オルサが、何かを呟く。俺は常に場違いだった男の最後の言葉がどうしても聞きたくなった。
うつ伏せになるオルサの口に耳を寄せる。
男は、まるで歌でも歌うかのように艶やかに、血の匂いとともに言葉を吹き込む。
「不滅隊が出口を固めています」
「……は?」
「逃げるなら今すぐに逃げた方がいいでしょう」
「なにを……」
「次はもっと上手に騙してくださいね」
ちゅ、と。寄せていた頬に血の匂いがまぎれる唇が寄せられる。
同時に、仲間が悲鳴を上げた。
いつの間にか背後まで近づいていた不滅隊の紀章が悪夢の様に暗闇の中に浮かび上がる。
身に着けていた刃を取り出すこともできず、俺の体は激しく地面に打ち付けられ、抑え込まれる。
血の気が流れ出て地面にしみこむように、静かな絶望が身を震わせる。
不滅隊のひとりに支えられながら、オルサは平然と立ち上がり、俺を見下ろす。
その瞳は、やはり何の動揺も、恐れも、憎しみも、感情もなく。
ゆっくりと、ウインクをした。
「ああ、サンクレッドくん!迅速に動いていただいて助かりました!」
「英雄殿!あまり動かないで!いま癒しますから!」
だらだらと額から血を流しているオルサが元気いっぱいに手を振ってくる。
サンクレッドはあたりを見回し、薄暗い地面に血がついていることを確認して溜息を吐いた。
リンクパール越しに違法な人身売買を追っていると突然に知らされ、不滅隊を配置するように指示をされ、言われたままに行ってみれば荷馬車に子供を詰めて飛び出したとある鉱山会社の人間たちと、そして子供を運んだ冒険者崩れ、そして血まみれで満面の笑みを浮かべてている英雄が倒れていた。
「お前は……ほかにやり方がなかったのか?」
呆れて言えば、英雄は両手をあげてとても楽しそうに笑みを浮かべていた。
「人身売買の噂を聞いてね、気になってはいたんです。どういう仕組みなのか、とかどんな相場なのか、とか……」
そこで彼は不滅隊により連行された3人の運び屋を見やった。
「どのような人が、こういう行動をするのか。知りたかったんです」
「はぁ……満足したか?」
「ええ」
オルサは静かに首を振った。
「私程度の人間ですら排除しきれないのであれば、やはり、私の王たる存在ではないのでしょう」
残念です。と、心の底から悲しそうにつぶやく。
サンクレッドは呆れながら、英雄を伴い、その場を離れたのだった。
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