小さな王女の一つの祈り 1

 前書き

双子の兄妹、マリユスとニネットの幼い頃の物語。

2020年の四月下旬〜五月にかけて書いたもの。
結局最後まで書ききることができなかったのでお蔵入り。


※この物語の元になった漫画があります。ギャラリー欄でご覧ください…。


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   ある真冬のことだった。
 外では白い綿のような雪がしんしんと降っており、静かに銀世界を作り上げていく。
 そんな寒い外の世界とは真逆で、リュエイユ宮殿の子供部屋は暖炉の暖かさがよく効いている。
 そこは双子の兄、マリユスの部屋だった。子供部屋とはいえ赤い絨毯が敷かれ、大人と同等の調度品の数々が飾られている。おもちゃの姿も見えるのは子供部屋ならではだろうか。
 ベッドの上で横たわっているマリユスは、雪が降っていることも知らず高熱に苦しんでいた。時折咳き込み、呼吸が荒くなる。
 宮廷で雇われている医師は必死に彼の看病と治療に当たっていた。
 「マリユス様、大丈夫ですよ」
 濡らした布で火照った身体を優しく拭いた。少し落ち着いたようである。だが、すぐにまた激しい咳が出る。これを繰り返していた。
 子供部屋の外では、ニネットと母ソフィが扉のそばに立っている。本当は看病をしたい気持ちが大きいが、今は医師に委ね彼が部屋から出てくるのを待った。
 ニネットはマリユスが咳き込んでいる声を聞き、強い不安を抱いていた。母の手をそっと握る。
 「ねえお母様。マリユスは大丈夫なの?」
 母の顔を見上げて尋ねた。ソフィはニネットと同じ目線になるようにしゃがんだ。
 「ええ、大丈夫よ。お医者様が診てくださっているからね」
 娘の不安を少しでも取り除けたらと、優しく微笑んだ。ニネットもそれにつられて笑顔になる。
 「うん。それならよかった!」
 元気を取り戻したのか、母の手を振りほどき走り去ろうとする。
 「どこへ行くの?」
 「ひみつー!」
 そう言って駆けていった。待ちなさい、と言うよりも早く医師が部屋から出てきた。
 「お医者様! マリユスの具合は…」
 「今はだいぶ落ち着いて眠っています。先ほどまで酷い咳に苦しんでいましたが…これ以上悪化しなければいいのですが」
 「…祈ります。あの子が無事に乗り越えられるよう」
 マリユスは生まれた頃から病弱で体調を崩すことが多かった。元気なニネットとは対照的である。
 医師に前からこう告げられている。
 成人まで生き延びることができるかどうか…と。
 それには両親も酷く悲嘆した。
 マリユスは常に具合が悪いわけではなく、調子がいい時は楽しそうにニネットと遊んでいるのだ。その時だけは自分が病弱であることを忘れているかのように見える。そんなあどけない姿を見て両親は安心するものの、この光景がいつまで続くのかと不安で胸を痛めた。
 ニネットには医師から告げられたことは言っていない。言えるはずがないのだ。「もしかしたら一緒の時間を歩んでいけなくなるかもしれない」なんて…。
 それを知ったらニネットはきっと気が気でなくなるだろう。否、敢えて伝えなくてもニネットは薄々気付いているかもしれないのだ。本当はマリユスのことを心配しているに違いない。先程は元気よく走り去っていったが、心の中は辛いはずである。
 医師と話し終えると子供部屋の中に入った。マリユスが静かに寝息を立てている。
 今回はただの風邪らしいが、それでも息子にとっては命取りになりかねないため、油断はできない。
 マリユスの小さな手を両の手で包み優しく握った。
 窓の外を見つめ、舞い降りる雪をただ眺める。あと何日かすれば聖夜の日だ。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 ニネットは迷宮のように広い宮廷内を迷うことなく走っていく。場所を把握し道順を網羅しているかのようだった。
 幼い王女が一人で行動している様子を心配したのか、途中すれ違う侍女に声をかけられる。
 「ニネット様! 一人でどちらへ…? ソフィ様は?」
 「ひみつよ! お母様はマリユスのところにいるわ!」
 一旦足を止めるが再び軽やかな足取りで駆け出す。そして、
 「ついてきちゃだめよ! ぜったい!」
 と念を押した。前を向いたまま、侍女の方は見向きもしないで。
 今はただ一つの思いだけがニネットを急かしているのだった。
 長い回廊を駆け抜けていくと、角の扉の前にたどり着いた。少々こじんまりとした印象のある茶色の扉だ。
 そのドアの取っ手に手を伸ばす。扉はあまり重厚ではないのか、七歳の子供が少し力を入れて引くと簡単に開けることができた。
 そこは小さな聖堂だった。静かな空間でありながらも荘厳で、目の前の祭壇には十字架と天使の彫刻が飾られている。
 ニネットは祭壇を見上げながらゆっくりと近づいた。そして胸の前で掌を合わせ指を折りたたみ祈る仕草をする。そして目を閉じ深く息を吸う。
 「神さまどうかお願いです。マリユスが元気になるようにしてください。マリユスの病気を治してください。そのためだったらわたし、なんでもします。勉強もちゃんとやります、お父様やお母様のいうこともちゃんとききますから! だからどうかお願いです、神さま……」
 少女は祈った。ただひたすらに。ずっと胸に秘めていた辛さを祈りという形に変えて。これが今自分に出来る精一杯のことなのだと、必死に祈り続けた。天使はそんな少女の様子を見下ろしているばかりで何も答えない。だがまるで祈りの声を聴いているかのような目をしている。
 「………」
 今にも溢れ出そうな涙を堪え、もう一度強く「神さま、お願いします」と口にした。
 その後、ゆっくり目を開ける。
 「!」
 天使の彫刻と十字架の後ろに光が射しているように見えた。この部屋は窓がないので日光が射し込むことはあり得ない。
 「神さま…?」
 そう呟いたあと光は消えてしまったようだ。これが果たして何だったのか、幼い王女には知る由もなかった。きっと気のせいね。と、特に不思議とも思っていないようだ。
 ひと通り自分のやりたいことはやったので聖堂をあとにする。また明日も祈りに来よう、と心に決めた。




 翌日。この日は一人で本を読んだ。
 お気に入りの一冊をベッドに広げてページをめくる。それは、マリユスと二人で読み合ったおとぎ話の本だ。妖精が病気になった少年の元へやって来て、願いを叶えるという物語だった。二人はこの物語が大好きだった。何度も読み返したため、表紙は少し襤褸くなっている。
 この本に出てくる病気の少年がマリユスの姿に重なってしまう。少年は病気が治るように妖精にお願いをするのだが、そのシーンがニネットの心を揺さぶるのだ。
 二人は少年役と妖精役に分かれごっこ遊びをしたこともある。少年役はもちろんマリユスだった。
 その遊びの最中で本の中の少年が言う言葉をまるで決め台詞でかるかのように口にする。
 「僕の病気を治してください」と…。まるで自分の願いを叶えてほしいかのように。
 妖精役のニネットは「わかりました。もうすぐであなたの病気は治るでしょう」と告げる。これがごっこ遊びではなく、現実になればいいのに。そう願ってばかりだった。
 やはり現実は残酷である。マリユスは今も高熱で苦しんでいる。
 ベッドに広げたままの本を置きっぱなしにして、マリユスの部屋へ行こうとする。ニネットの部屋とマリユスの部屋は仕切りの壁一枚挟んで自由に行き来できるような作りになっている。
 マリユスの部屋へ続く扉の取っ手に触れようとしたがやめた。もしマリユスが眠っていたら物音で起きてしまうかもしれないし、起きていたとしても辛い姿を見るのは心苦しい。それに母からも「治るまでそっとしておくように」と言われている。
 「マリユス…」
 扉越しにポツリと呟いた。
 自分が今できるのは一つしかない。無力な幼い王女には、妖精のように病気を治す力も願いを叶える力も持ち合わせていない。
 そう、ニネットができるのは神に祈りを捧げることだけだった。
 何かを決意したように、自室から飛び出し今日もまた聖堂へ足を運ぶのだった。

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