少し不思議は後にして

 カラン、とドアベルの音がする。きちんと油を指して蝶番の具合を見ている扉は、ほんの少しの軋みを立てて滑らかに開いた。ふんわりとコーヒーの香ばしい匂いが漂ういつもの店内は、照明が絞られていて少しだけ薄暗い。
太陽の眩しい外から入ってくるとその暗さに少しだけ眩暈を覚える程度なのだが、常連や店主は特に何も思わないらしい。よく言えば雰囲気がある、ということではあるが。
「おかえり」
 カウンターの内側でコーヒー豆を見繕っていた蓮が柔らかに笑って出迎えてくれた。人好きのする穏やかな笑い方をするやつだ、といつも思う。しかしその表情の下に、そうではない顔を隠していることを僕は知っている。
 カウンターの上で、猫がくるりと丸まっている。ゆっくりと開かれた青い瞳がこちらをじっと見つめてから小さくあくびをした。
「あぁ…おかえり」
「…ただいま」
 猫の口からは流暢な言葉が零れる。それに関してはもう慣れてしまったが、いつも新鮮に不思議だと思う。その猫、もといモルガナはぱたりと尻尾でカウンターを叩いた。小さな音量でジャズが流れるこの空間は、物音がよく響く。
「仕事だぜ、アケチ」
「今度は何?」
「人探しだよ、いつも通り」
 カウンターの向こう側にいる蓮に頼まれていた品の入った買い物袋を手渡しながら首を傾げる。人探し、もの探し、どうしても見つからない、見つけたいものがあるのなら、ここ―――ルブランの店主に相談すればいい。そんな噂がまことしやかにささやかれているのは知っている。それを本気にして来る人間がいる事も。そして、その中に本当に彼でなければ見つける事ができないものが混ざっている事も。
「吾郎、よろしく」
「………まぁ、いいけど」
 こちらの返事に選択肢はない。カウンターの向こう側、袋の中から野菜や牛乳パックを取り出しながら彼はまたにこりと笑った。猫っ毛の黒髪は艶やかで柔らかく、その下の黒い瞳はじっと見つめていれば吸い込まれてしまいそうな何かを感じる。ただ、それを遮る黒縁の眼鏡が彼を穏やかなひとに見せるのだ。いつも柔らかな空気を纏い、穏やかな顔をしている彼はここ、ルブランのマスターだった。
 彼は上機嫌に野菜を矯めつ眇めつしながら、それらを丁寧に冷蔵庫にしまい込んでいく。その奥で、ことことと弱火で煮込まれている鍋が湯気を上げていた。
 モルガナの隣の席に腰掛ける。マホガニーのカウンターはいつも艶やかに磨かれていて、わずかに光量を絞っているオレンジ色の照明が柔らかに反射していた。
「ホットとアイス、どっち?」
「アイス」
「ん」
 手早くアイスコーヒーが準備されるのをぼんやりと見つめる。細長いグラスに透明な氷が詰められて、香ばしい匂いのコーヒーで満たされた。小さなミルクピッチャーに注がれるミルクは、彼がこだわる生クリーム。市販のミルクフレッシュは美味しくないからなぁ、と渋い顔をしていたのを覚えている。透明なシロップがミルクよりも一回り大きなピッチャーに注がれた。いつもいらない、と言っているけれど丁寧に出してくる。まぁ、たまにはいいか、と少しだけコーヒーにシロップを入れる事も増えた。
「ふたつ隣の区の、神社の奥」
「馬鹿だね、そんなところに行くなんて」
「まぁ、引き寄せられでもしたんだろ。そういうところはおのずと繋がりやすいから…人の願いが集まる場所だからかもしれないけど」
「異世界と波長が合ったんじゃねーか」
「ありそうな話だな」
 アイスコーヒーにミルクと、今日は迷ってシロップを少しだけ垂らす。ストローで軽く混ぜて口を付けた。冷たくて、少し苦くて、ほんのりと甘い。いつ飲んでもこいつの淹れるコーヒーは美味しい。
 指示された場所を携帯端末で調べる。トト、と小さな液晶画面を指先で叩けば、すぐに乗り換え情報と徒歩での経路案内が出てきた。神社、ねぇ。小さく呟いた言葉が思ったよりも店内に響く。
「良くも悪くも、だなぁ」
「何が?」
「場所が。八百万の神々のおわす場所だろ、ここは」
 相性ってものがあるんだよ、と蓮が呟く。そういった話は確かに聞いたことがある。ただ、自分にはあまりピンとこないだけで。
 まぁ大丈夫だと思うけど、と言いながら蓮はどこか楽しそうに自分の分のコーヒーを淹れていた。僕の分とは違ってホットの気分らしい。ここは喫茶店なのに、僕が来る時は大体人がいない。時折、ほんとうにたまに普通の客がいることはあるが、今までそれに遭遇したことは指折り数えられるほどだ。なので、蓮も好きにコーヒーを飲むことがある。店主としてそれでいいのかと遠回しに聞けば、お前のいない時に客はきてるし大丈夫、と返されてしまった。それが本当かどうかはわからない。
「飲んだら行くよ」
「わかった。気を付けて」
「んーし、頑張るかぁ」
 カウンターの上でモルガナがぐうっと前足を伸ばす。尻尾がぴんと立ってからゆらりと揺れた。頑張るのは僕なんだけど、と思いながら残り少なくなったコーヒーをストローで飲み切る。透明なグラスには、少し溶けた氷だけが残った。


 黄昏時の神社はどこか寂しいような、物悲しいような雰囲気を感じる。静謐さの奥に言葉にできないおぞましさも感じるのは、ここに異世界へ通じるクラックが存在しているからだろうか。それだけではないような気もするが、あいにくと僕は幽霊などの存在を微塵も信じていない人間なのでとりあえずは無視することにした。
 今どき珍しい古めかしい石段を登り切った先、一歩踏み出すごとに砂利がきしりと音を立てる。古い鳥居に古い神社。きちんと手入れはされているのか、手水舎は透明な水がさらさらと零れ落ちていた。
「雰囲気あるなぁ」
 モルガナが肩の上にぴょこんと飛び乗ってひとりごちている。きゅっと小さな四つの脚で肩を押されているのはわかるが、そこにほとんど重さはなかった。こいつはいつもそうだ。きちんと物理法則に則った挙動をするくせに、重さはほとんど感じない。外見通りの猫ではない、ということなのだろう。いちいち突っ込んで聞くことはしていないが、そもそも人語を喋れる猫なんてものの存在がまずおかしい。不思議だよな、と笑う蓮に問いただすこともやめてしまった。
「場所、わかる?」
「あっち。本堂の右側の、奥の方だ」
 モルガナはこちらでは特に鼻が利く。クラックの場所を尋ねればすぐに答えが返ってきた。歩を進めるたびにざくり、きしり、と砂利が鳴る。神社を取り巻くように生えている樹木はいっぱいに枝を伸ばして葉をつけている。風が吹くたびにざあ、とまるで波のような音を立てた。
 どこかから、白檀と伽羅の混じった匂いがする。モルガナが示した場所に着いた瞬間、問答無用でくるりと感覚が反転した。見えないのにそこにある。それらはそういうものなのだと知ってはいるが、まるで罠みたいだ、と思う。
「う…」
「大丈夫か」
「…平気」
 少しの眩暈と吐き気と耳鳴りを、ぎゅっと目を瞑ってやり過ごす。クラックに触れた際のこの感覚は何度経験しても慣れることはない。心配そうに肩の上からモルガナが声を掛けてくる。ぺたりと尻尾が耳に触れた。大丈夫と軽く頭を振って額を押さえる。先ほどまで聞こえていた梢の音が酷く大きく耳に響いた。
「ここで合ってるのか?」
「あぁ、間違いない」
 モルガナが肩から飛び降りる。トッ、と軽い音を立てて砂利の上に降り立った。大きく息を吸って吐き出す。顔を上げて辺りを見渡せば、先程とは変わらない神社の姿があった。目に映るものは変わらないけれど、肌で感じる感覚が違う。異世界に迷い込む、とはそういうことなのだと僕は身をもって知っている。
 から、から、と古風な車輪が回る音。微かに聞こえてきた音にはっとした。嫌な音だ。時折軋む音と共に、ずるりと何かを引きずる音が混じっていく。肌に触れるのはぬるい空気。不気味で気持ち悪いそれ。石灯籠の影に隠れながら、すう、と呼吸を整えた。隣の石燈籠に隠れていたモルガナがじっと音のする方向を青い目で見つめている。
 からり、と車輪がひときわ大きく回る音。砂利を踏んでいるはずなのに、石の軋む音はしない。
「………げえ」
 モルガナが酷く嫌そうな声を上げた。なんだ、と思いつつちらりと石灯籠の影から覗き見る。次の瞬間、僕もモルガナと同じような声を零すこととなった。
「うわ……」
 二人してげんなりとするしかない。そこにはまあ、あれだ、その……車輪を引いた、ご立派様がいた。最悪だ。本当に。最低だ。
『いたか?』
 耳元で蓮の声がする。いつもながら不思議だが、何のデバイスもつけていないのに異世界では彼との通信が繋がる。最初の頃は何度か彼にその理由を問いただしたりしてみたけれど、のらりくらりとかわされた挙句、便利だから別にいいだろ、と片付けられてしまったのでもういいやと投げてしまった。確かに便利は便利なので、それはそれでいいということにしている。
「いたけど何あれ」
『いたかぁ』
「何あれ」
『煩悩の化身だなあ』
「最悪なんだけど」
 本当はマーラ様っていうんだぞ、と耳元で蓮の楽しげな声が響く。聞いてないんだけど、と苛立ちをそのままぶつければ、言ってないからな、とあっけらかんと返ってきた。こいつ最低だ。
「アケチ!」
「!」
 モルガナの声で反射的に石灯籠の影から飛び退く。次の瞬間、先程まで隠れていた石灯籠が何かに貫かれて粉々に崩れていった。砂煙を立ててごとりと石の欠片が落ちていく。思わず舌打ちが零れた。
「最悪…」
「来るぞ!」
 ぴょんとモルガナが重力を感じさせないジャンプをする。いくつも並んだ石灯籠の上を飛び跳ねながら移動していくモルガナを視界の端に確認しつつ、下品な形をした蓮曰く煩悩の化身に向き直る。そそり立つ陰茎にぬるりとした触手が蠢いていて、まあとにかく視界は最低最悪だ。ぬるい空気に生臭さまで感じてしまうのはどうしようもないだろう。右手に持ったままのアタッシェケースは手放せない。左手に現れた銃を構えて、いつものように頭部を狙おうとして―――はて、と我に返ってしまった。
「なあ蓮、あいつの頭ってどこ?」
『亀頭?』
「最低」
『鈴口撃てば?』
「最悪」
 テンションと気分が地に落ちるどころかめり込んでマイナスだ。本当に最悪、と呟きながらとりあえず蓮に言われた通りに鈴口のあたりを狙って引き金を引いた。ぱあん、という破裂音に似た音と共に放たれた銃弾は、その姿を損なうことはなかった。クソ、と舌打ちする。
『やっぱり効かないんだな、貫通。マーラ様だけに』
「もうほんと黙ってろクソ」
 ははは、と耳元で楽しそうに蓮が笑う。何が楽しいんだこいつほんとマジで帰ったら覚えてろよ。そんな気持ちを黙殺しながら、勢いをつけて突っ込んでくる化身をジャンプで避ける。とん、と本堂の屋根の上に軽く着地して、崩れ落ちていく石灯籠の姿を確認する。さあどうすべきか。次に左手に現れたのは鋸刃の片手剣だった。あれに近付くのは嫌だなと思いつつも銃が効かないのだからそうは言っていられない。
 あいつの視線がこちらに向く。何かを放ってきそうな気配を察知して、屋根瓦を蹴って地面に飛び降りた。くわん、と奇妙な音がして先程まで立っていた本堂の屋根がくしゃりと捻り潰される。立て続けに足元に槍状になった触手が何本も突き刺さるのを走りながら避けていく。飛んでくる触手をしゃがんで避けて、頭の上を通過したそれを片手剣で叩き切った。ぼとり、と落ちた緑の触手がうねっていてただただ気持ち悪い。地面が揺れる。ぼこりと目の前の土が隆起して視界と道を塞ぐ。冷静にその上に飛び乗ってから軽く向こう側に着地した。
「アケチ、そこはだめだ!」
「ぁ、?」
 モルガナの焦った声に気付くも一瞬遅かった。ドッ、と衝撃が走る。みしりと肋骨が軋んで何本か折れる音がする。人間の骨ってこうやって折れるんだななんて変に冷静な頭の片隅が考えている。あいつの台車の部分、鋭利に尖ったところが腹部を貫いた挙句、先程生成された土壁に思いっきり叩きつけられた。あまりの衝撃に脳震盪を起こしかけたのだろう、一瞬意識が飛ぶ。次の瞬間には痛い、と思う間もなく熱さが全身を走った。びくん、と反射的に痙攣した左手から片手剣が零れ落ちる。口の中に鉄の味が逆流して、ぼたりと口の端から零れ落ちるのが分かった。
『吾郎』
 耳元で変に冷静な蓮の声が響く。馬鹿野郎言われなくてもわかってんだよ。ちくしょう。そのまま緑の触手に絡め捕られる直前、痙攣した右手からアタッシェケースが零れ落ち、かしゃん、と軽い金属音を立てて開いた。次の瞬間、目の前まで迫っていた緑の触手がぱきりと氷に覆われていく。周囲の空気も急激に下がっていって、ぬるかった空気はあっという間に冬の始まりのような温度になった。どろりと自分から零れる血液だけが生温い温度でそこにある。
「げほっ、ごほ」
「アケチ!」
「……最悪、ほんと」
 逆流してくる血を吐き出しながら呼吸を整える。貫かれた腹部も、軋んで折れた肋骨も、今は何事もなかったかのようにもとに戻っていた。視界の端で黒いコートの裾が揺れている。ジョーカー、と呼べばどこか演技めいた仕草で彼はくるりとこちらを向いた。いつもの仮面の奥で、黒い瞳がじっとこちらを見つめている。マザーハーロットを従えた彼は、次の瞬きの瞬間には掻き消えていた。
「ロキ」
 ふらりと立ち上がりもう一人の自分を呼ぶ。彼が氷漬けにしたままだった化身に対して、叩き潰せと指示を出す。先ほどまで大暴れしていたその化身は、次の瞬間、ロキに見事に砕かれた。粉々になったそれが、ざらりと砂のように崩れて消えていく。
「大丈夫か」
「平気。いつもそうだって言ってるでしょ」
「それはそうだが…」
「…大丈夫。モルガナの声に気付けなかった僕が悪い」
 モルガナが全速力でこちらに走ってくる。おろおろと見上げてくる青い瞳は純粋な心配を含んでいて、なんだかくすぐったくて居たたまれない気持ちになってしまった。異世界にいる分には瞬時に自分に回復がかかることも知っているはずなのだが、モルガナはその都度心配してくれる。優しいいきものなのだ、と思う。ぽんぽんと彼の頭を撫でてから、放り投げてしまったアタッシェケースを回収する。元々空っぽのそこには何も入っていない。
 ぱたりと服の裾を叩く。傷口も、破れたであろう布もなにひとつ変わることなく存在している。この空間に入ってくる前と何も変わらない、いつもの制服姿だ。これが恩恵だというのは早々に気付いた。こちら側では身体能力の異常な向上とペルソナを呼べることは教えてもらっていたが、どんな損傷を受けても瞬時に回復してしまうのは正直言うと少し不気味だ。それを恩恵、という言葉に当てはめてしまうのは少々違和感があるが、それ以外の言葉がうまく見つからない。
「アケチ、これだ」
「あぁ、ありがとう」
 モルガナが小さな石の欠片を咥えて戻ってくる。てのひらの中に納まる小さな石。磨けば宝石にでもなるのかもしれないが、原石の状態では流石の自分も詳しくはないのでわからない。それをぽいとアタッシェケースの中に雑に放り込む。しっかりと鍵を閉めれば、からりとぶつかる音が小さく響いた。
「対象者は?」
「そこで目を回してるぜ」
「じゃあ放置でいいね」
「あぁ」
 生きているのなら運ぶ手間がかからなくてよかった。ジジ、と空間にノイズが走る。異世界に繋がってしまったクラックが閉じていく合図だ。もう一度あの不快な体験を経なければ現実世界に戻れないのは不便だ。ぐるり、と反転する感覚。ぎゅっと目を瞑って一瞬耐える。ゆっくりと目を開けば辺りにはとっぷりと闇が落ちていて、静かな神社には今は静謐さだけが漂っていた。
 くるりと踵を返す。とすん、と肩の上にモルガナが乗った。相変わらず重さはほとんどない。涼しい風が頬を撫でていく。石段をのんびりと下りながら、僕は早々に先程の化身のことを忘れることにした。


「おかえり」
「帰ったぞ、レン」
「…ただいま」
 蓮は変わらずにルブランのカウンターの中で出迎えてくれた。今度はグラスを丁寧に拭いて片付けているところだった。にこりと笑う彼とは対照的に、僕はきゅっと眉を寄せた。
「最悪だったんだけど」
「それは悪かった」
 モルガナはもう既にいつも通りの定位置でこてんと丸くなっている。疲れたぞレン、と零しながら大きなあくびをひとつ、ぱたりと尻尾をはためかせてからむにゃりと口を閉じた。
 相変わらずの店内には客はいない。僕と蓮とモルガナだけが存在している。
 アタッシェケースの中から石の欠片を取り出してカウンターへ置く。ありがとう、と蓮はそれを手に取って店の光にかざして見ていた。くるりと傾け角度を変えつつ数秒見つめてから、うん、と頷く彼は一体なにに納得したのだろうか。わからないが、それを聞く理由も特にない。大事にカウンターの引き出しにしまわれていくそれを見届けて、僕はひとつ溜息を吐いた。
「…わかってて言わなかったの?」
「いや、確信が持てなくて」
「嘘。わかってただろ」
「本当だって。……薄々そうじゃないかとは思ったけど」
「ならその時点で言えよ」
 目を回して倒れていたのは少し明るい色のスーツを着用した男性だった。見た目からして間違いなくホストだろう。それがあの姿をとっていた、ということは、みなまで言うまでもなくおそらくそういうことだ。
「入れ込んでた子からの依頼だったからな」
「……最悪」
「はは、ごめん。お疲れさま、吾郎」
 カウンター越しに蓮が笑う。席に腰掛けて頬杖をつけば、謝罪とばかりにアイスコーヒーが出てきた。こいつ、コーヒーひとつで僕の機嫌が取れるとでも思っているのだろうか。馬鹿が。それでもまぁ悪い気はしないのでコーヒーに手を伸ばす。ミルクと少しだけのシロップを入れてからりと混ぜた。


 吾郎、と蓮が呼ぶ声がする。はっと我に返れば、いつの間にか隣に蓮がいた。モルガナはいつの間にかいなくなっていて、おそらくここの二階か三階へ移動していったのだろう。静かな店内は、いつのまにか流されている音楽も止まっていた。
「大丈夫か?」
「…平気」
 手元のアイスコーヒーはあまり減っていないまま、氷だけが溶けてしまい水が上澄みに溜まっていた。隣に腰掛けた蓮が大丈夫じゃないだろ、といつもより少し硬い声を出した。ああもう、うるさいな。わかってるよ。いつものお説教だ。
「もっと早く呼べって言っただろ」
「呼んだからいいだろうが」
「よくない。タイミングが最悪だ」
「次からは善処するよ」
「それ聞くの何回目だと思ってるんだ……」
 もしくはもっと早くお前のペルソナを呼べ、と続く。自分で戦わずとも、ペルソナを使役すればいいだけの話だ。それでもなんとなく、頼りすぎるのは自分のプライドが許さなかった。何故だと言われても、言葉にできる答えはないのだけれど。
「はいはい、次からそうするから」
「はぁ…」
 これに関しては毎回こういう押し問答が発生する。蓮の言う事もわかる。しかし実際その場にいるのは自分なのだ。好きにさせろと主張しているのだが、蓮は頑なに首を縦には振らない。多分、僕たちはきっとずっとこうなのだろう。
「怪我をする前になんとかしてくれって言ってるんだ」
「んぅ」
 ふいと顔ごと視線をそらしていれば、がっと顔を掴まれた。そのまま唇を強引に塞がれて、一瞬呼吸が止まってしまう。甘さの欠片など何一つない口付けは何度繰り返しても慣れそうになかった。じわりと身のうちの何かが満たされる感じがする。それが心地良すぎて怖いのだ。セックスの時に彼と繰り返すそれとはまた違う感覚で、底知れない何かがあるような気がする。
「……これが嫌なら怪我をするな」
「……善処するっつってんだろ」
 唇が離れる。至近距離で睨みつければ、彼ははぁと再び溜息を吐いた。なんで言っても聞かないんだろうなあ、とわざわざ口に出してぼやく蓮に、ふんとそっぽを向く。
「心配してるんだからな」
 わかってる。それくらい。そんな蓮の言葉を聞き流しながら、少しだけ薄くなったアイスコーヒーを飲み下した。

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