ロード・オブ・ザ・ベーコン

 失敗と成功を繰り返して完成した独自のホットケーキミックス。ボウルにふるって中央に窪みを作り、適量の水を加えて軽く混ぜるだけで、ホットケーキの生地ができあがる。水木はボウルを持ち上げ、軽やかな足取りでコンロへ向かう水木の表情からは、浮かれた様子がうかがえる。
 ふわふわのホットケーキを作るには、卵白かレモン汁と牛乳を入れると良いが、厚みが欲しいだけなら卵白は不向き。レモン汁と牛乳は酸味が出るので、また別の機会に。まだ焼き上げてもいないのに、次々と試したい組み合わせが思い浮かぶ。

――さあて、フライパンの具合は?

十分に温まったか、手をかざして確認しようとした矢先。水木の眉間にしわが寄った。

「……おい、目玉。お前、なにしてやがる」
フライパンの向こう側、ちょうど水木の死角になる位置で、目玉の親父はびくりと肩を振るわせた。
「しまった、気付かれたか。……ええとのう、これにはふかァいワケがあってのう」
「ほぉう?つまみ食いに理由がいるのか?どんな深い理由だ?」
鈍く光る瞳に睨まれ、目玉は全身で駄々をこね始めた。
「だってのう!バナナとベーコンにシロップかけたやつが美味いんじゃもん」
ホットケーキにあうしええじゃろ!と地団駄を踏む目玉を見下ろしながら、水木は思った。

――こいつ、日々あざとくなっていくな

それが悪いわけではない。生き抜く技能としては重要だが、自分に披露されると苛立つだけだ。わざと怒りを煽っているのかとすら思う。実際、今も火に油だ。とはいえ、怒鳴りつけたいわけでもない。水木は深呼吸し、体内に溜まった怒りをゆっくりと吐き出した。
「せめて許可を取れよ。少しぐらいは融通してやる」
「隠れて食べるのがええんじゃろ」
しれっと宣う目玉に、とうとう水木のこめかみが痙攣しはじめた。

 ちったぁ遠慮を覚えろよ。怒鳴りつけようと口を開いた水木の手に、小さな手が重なった。それは目玉よりは大きいが、幼子の手だった。
「父さん、その辺にしておきましょう。悪いのは父さんなんですから」
幼児というには低く、青年というには高い声。語りかけるような、穏やかな口調は、一体誰に似たのやら。それとも、大人びた言動をしなければならない程に世間は冷たく、自分達は頼りないのだろうか。抱いた不安に、足元が覚束ない心地だ。水木は不安を誤魔化すように幼子の頭を撫で回す。絹糸のような髪は、その手触りで水木の心を癒やしてくれる。
「ほらみろ、目玉。鬼太郎にも言われてらあ」
得意気にぐしゃぐしゃと髪をかき回す水木の手を、鬼太郎は両手で捕まえた。
「……水木さんも。そこまでにしてください」
「ほれみぃ。お主も言われとるじゃろが」
鬼太郎、今度はやあいやあいと囃し立てる父を手に乗せて、きろりと右目を光らせる。
「もう、二人とも落ち着いてください。食器も飲み物も、とっくに準備できてます」
心底呆れたその声に、男二人はようやく口を噤むのだった。
 ふっくらとしたホットケーキの上には熟れたバナナととろけるようなチョコレートソースがたっぷりとかかっている。普段よりも豪華な飾りつけに、心躍らせながらナイフを入れる。上に乗ったバナナも、一口で食べられるよう合わせて切り、フォークで口元へと運ぶ。そのまま口を開けて放り込めば、それぞれの甘みが折り重なり、口内を満たしてゆく。鬼太郎は多種多様な味を確かめるように、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。そうして、ほう、と息を吐く。
「おいしいです。やっぱり、水木さんのホットケーキが一番おいしい」
鬼太郎があまりに感謝を込めて言うので、水木は全身が痒くなるような気持ちになったが、見栄を張りたい大人の男性として、ぐっと我慢した。ぐっと腹に力を込め、胡座から立て膝に姿勢を変える。ついで立てた膝の上で頬杖をつき、ニヤリと笑って余裕ある大人の振りをする。
「大げさだな。そりゃあれだけ練習したんだ。それなりの味にはなるだろ。けど……まあ、ありがとうな」
素直に喜ぶのも照れくさく、できるだけ鷹揚に振る舞う。が、鬼太郎は気に食わなかったらしく、ふくりと頬を膨らませた。
「水木さんの、ホットケーキは、デパートのものより、おいしいです」
一言一言、念を押すように区切る鬼太郎。座った目と、感情が高ぶったからか、逆立ち揺らめく髪が水木の肝を冷やしにかかる。水木は堪らず両腕を上げ、謝罪と礼を交互に述べた。大人だって、怖いものは怖いのだ。鬼太郎は青ざめる水木を暫し眺め、満足したのかホットケーキへと向き直る。 

――よかった、機嫌は治ったか

安堵の息をつくと、すぐに胡乱げな目を卓へ向ける。
「で?お前の息子は褒めてくれたぞ。お前はどうなんだ」
視線の先でむっちゃむっちゃとホットケーキを咀嚼していた目玉は、水木とホットケーキを見比べ、視線を斜め上に固定した。
「のう、水木よ」
腕を組み、低い声を出す目玉。重々しい空気を演出したいのだろうが、体に付いた食べ滓で台なしだ。一瞬指摘すべきか迷ったが、何も言わずにおいた。わざわざ水を差す理由もないし、なにより面白かったので。そんな水木に気付く事なく、目玉は威厳たっぷりに話を切り出した。
「ワシな、せがれにもっとええもん食わせたい」
「おう俺の稼ぎに不満があるってか」
思った以上にドスの効いた声がでた。一時的に困窮したこともあったが、現時点では同年代よりも稼いでいると自負している。月に数度はデパートや喫茶店で食事をするし、服や靴、消耗品だって不自由させたつもりもない。総合的に、中流家庭よりやや上の生活だと思っている。

――だと、いうのに

 こいつは今、なんと宣った?無言で拳を握る水木に、目玉は慌てて両手を振った。
「違う!ええもん食わせたいが、それでお主が無理するのは避けたいだけなんじゃ!」
「端折りすぎだろ」
あと言い訳にも程がある。握った拳を打ち合わせて威嚇する水木。目玉はとうとう涙目だ。
「じゃから違うと言うとるじゃろ!お主とて会社も塩時ってぼやいてたじゃろ!」
「……まあ、そうだな」
だがお前に言われるのは気に食わない。目玉を睨めつけ、口をへの字に曲げる。勤め先の血液銀行が、時勢に乗っていけるかといえば、正直とても疑わしい。今はどうにか食らいついているが、日々発展する医療に取り残されるのが見えている。とはいえ、泥舟と共に沈む水木ではない。それとなく次の働き口を探してはいる。いるにはいる、が。
「お前に言われるのは、なんとなく癪にさわる」
「理不尽じゃろ!」
わあ、と突っ伏す父の背を指で撫で、鬼太郎は静かに目を伏せた。沈黙を貫いていた鬼太郎のその所作は、大人二人の心に深く刺さる。
「父さん、その気持ちだけで十分です。水木さんも……僕は、幸せです。これ以上ないくらいに」
だから、と続く声を遮り、目玉は吠えた。腹から喉から、力のかぎり。
「だからの!お主のホットケーキの腕も上がったし、店を開いたらどうかと言いたかったんじゃ!」
小さな体から発せられたと思えない大声が空気を揺らした。びりびりとした振動が収まると、ようやう水木が口を開いた。
「いや、言ってねえだろ」
最もである。

 卓の向こうで、父と水木が意見を交換している。チラシの裏に何か書きつけては、銀行の出資や立地条件について話し合う。最初は乗り気でなかった水木も、今や真剣な眼差しで計算を始めている。近いうちに実現に向けて動き出すだろう。水木の意思と行動力は、時に鬼太郎らの予想を遥かに超えることがある。そこを頼もしいと思うけれど、同時に胸の内で強くなるある思いに、鬼太郎は悩まされていた。

――おいていかないでほしいなぁ

いつだって鬼太郎の前を行く水木。それは父とて同じなのだけど。人間と妖怪の違いからか、水木が大人で鬼太郎が子供だからか。隣に立ちたいと願っても、追いつく前に、人間の水木は妖怪である鬼太郎の手の届かない場所にいってしまう。一緒に居たいと願えば願うほど、鬼太郎は焦りと不安に囚われる。人とはそういうものだと父は言うが、鬼太郎には受け入れられない。自分は水木の隣に立って、共に歩みたい。そして、水木にも同じように望んでほしいと思う。この感情が何を意味するかはわからないが、手放してはいけない、手放したくないものなのだと、鬼太郎は理解している。指で父を弾く水木を眺め、波打つ感情ごとオレンジジュースを流し込む。
「……もし、お店を開いたら。僕も手伝いたいです」
ぽそりと零した呟きに、父らは大きく口を開けた。次いで、勢いよく鬼太郎へと跳びついた。
「鬼太郎!お前はワシの自慢じゃあ!」
「本当にいい子だな、こいつめ!」
うりうりと両側から頬擦りされて、くふくふと笑みが溢れる。擽ったくて暖かい、大好きな二人。二人のためなら、鬼太郎はいくらでもいい子になることができるのだ。満たされた心地の中、ふいに食べかけのホットケーキが視界に写る。

――僕だけのものだったのに

じわじわと滲み出る感情に蓋をして、あえて無邪気ににっこり笑う。この一時のためならば、ざらついた心など幾らでも飲み込んでみせよう。そんな、拙い決意を秘めて。

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