ジェハンさんのおもちかえり♡
「じゃあすみませんが警査、後は頼みます」
「ちゃんと送ってやれよ~」
「今度は飲ませすぎないように気をつけますから!」
「いや待て待て、警監殿が勝手に飲んでただろお」
「……わかりましたから、お疲れ様でした」
ジェハンがそう言って頭を下げると、ひとしきりの気遣いは見せましたとばかりに、賑やかな同僚の面々は雑踏の中へ消えていった。端から見れば気苦労を押し付ける形になった相手を、振り返りもせずに。あの様子では、まあ、間違いなく二軒目に向かうのだろう。酔いどれの足取りを見送り、取り残されたジェハンはげっそりと嘆息する。普段なら迷わず着いていくところが、今夜は背中にのし掛かる重みがそれを許さない。
「帰りますよ、パク警監」
自分より背丈が低くても小柄とは言い難い(最近はジム通いにやたら熱心で、また筋肉を付けた)恋人は、動物の赤子のようにおぶわれて、ジェハンの呼びかけにうーん、と曖昧な返事を寄越した。脱力した身体はなおのこと重く、今は立派な成長を噛み締めるより疲労が勝る。ジェハンはヘヨンを抱え直すと、腰に響かないよう祈りながら帰路の一歩を踏み出した。
そもそも交通課の飲み会に、どうしてパク・ヘヨン警監がいらっしゃるんだ。
何だかんだと協力しあう縁か、一見冷たそうな青年の人間臭さが広く知られるところになったのか。パク警監も呼びますよね?と何故か頭数に加えた上にこちらに聞かれても、未だ内密の関係を、態度に出さずに答えるのは骨が折れる。
酔っちゃいましたあ、とヘヨンが気の抜けた顔で笑い、寄りかかってきたのは宴もたけなわの頃だ。ぴたりと密着し、もう眠いです、と甘えてくるヘヨンの姿は、普段のジェハンに対する年少らしい懐きようからすれば自然と言えるが、テーブルの下で絡んだ指を見られた際、どう言い訳すべきかで酒の味もしなくなってしまった。
繁華街の大通りから抜け、人気の少ない路地に差しかかる。辺りに知り合いの姿がないか確認してから、ジェハンはようやく恋人の名前を呼んだ。
「ヘヨンさん、鍵をどこに閉まったかは思い出しておいてくださいよ」
肩口にじゃれてくる頭に軽い頭突きで返しながらジェハンが言うと、「遅いですし、ジェハンさんももう泊まっていきますよね?」とヘヨンが滑舌良く答えた。
「……はい?」
先ほどまでの舌足らずから一転した流暢さに、ジェハンは立ち止まる。
反射的に振り落とそうとした、のを先に察知したのか、ヘヨンは自ら、特に危なげもない動作でジェハンの背中から降りる。
ジェハンが振り返ると、「僕、なかなか演技派じゃないですか?」と言いながら、ヘヨンは一仕事終えたとばかりに伸びをしていた。
この優秀な若者が、酒の席で羽目を外して飲み過ぎるだとか、失態を晒す可能性を取る確率は皆無だと今更に気付く。
「……騙したな」
凄んだところで、えへへ、とどこか浮かれたように笑う年下には効果もない。反省どころか調子良く腕を組んでくるヘヨンに、ジェハンは取り調べの口調で「どうしてこんなおふざけを?」と尋ねる。ヘヨンは薔薇色の唇を少し尖らせてから、ジェハンを上目に見つめた。
「だって、ジェハンさんが二次会に行っちゃったら嫌だなと思って」
寂しいですもん、と駄目押しのように付け足され、ジェハンはぐうと唸った。
いじける表情には怒られるかも、と言った不安も窺え、冗談のつもりではないらしい。普段は強かでいるくせに、妙なところで意地らしさを見せるのは何なんだ。そんなくだらない理由で、と一蹴したら、余計に拗ねてしまうだろう。年の離れた恋人の扱いは未だに難しいが、それでも。
ジェハンは長く息を吐き出すと、無防備な額を指で弾いた。
「俺はそんなに薄情に見えますか?」
せっかく揃った非番に、ヘヨンをそっちのけで野球の試合に没頭したかもしれない、と言った傍から過る記憶を咳払いで誤魔化す。ヘヨンの傾く首に悔しさを覚え、ジェハンは掠めとるようにキスをした。一拍おいてから、ぼん、と漫画のように赤くなる若者に背を向ける。
「……最初から、泊まるつもりでいましたけど」
そもそもヘヨンの計算づくとは言え、あんなにも可愛い顔は、他の誰にも見せたくはなかったのに。
小さな言葉は届いたのか、「え、あの、待ってください!」と慌てる声に、ジェハンは浮かれきった恋から逃げるように足を速めた。
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