ラヴァーズ・チアアップ(ソンジェコタク)
第3クオーターが始まって間もなく、きつい煙草のにおいを纏いながらクム・ソンジェはカンハク高校サイドの観客席に腰を下ろした。不機嫌な表情を隠しもせずにコートを見下ろしながら「クソ試合だな」とため息混じりに吐き捨てる。前列に座っていたカンハク高校の生徒がその言葉を聞き眉間にシワを寄せて振り返ったが、即座に顔を青褪めさせて前を向いた。その反応も気に食わなかったのだろう、ソンジェはすっかり縮こまっているその肩を蹴飛ばす。真面目な学生にあるまじき行為は、同校の学生ばかりがまばらに座る観客席では誰に咎められることもなく黙認された。肩を蹴飛ばされた学生はこれで終わるはずがない、もしかすると顔が腫れて飯が食べられなくなるほど殴られるかもしれないと考え背筋を震わせたが、意外にも再び蹴り飛ばされることも殴られることもなかった。すでにソンジェの目はコートに向けられ、1人の選手だけを追っていた。
対面の観客席から歓声が上がる。ウンジャン高校の学生たちだ。得点を決めたパク・フミンが観客席にいるクラスメイトに向かって拳を突き上げた。自陣に駆け戻りながら、フミンと並走するコ・ヒョンタクがハイタッチを交わす。ソンジェの眉がピクリと動いた。
第3クオーターも残り4分を切り、カンハク高校とウンジャン高校の得点は52対48。第1クオーターからカンハク高校が常にリードしている状況だが、ハーフタイムを挟んで以降ウンジャン高校が怒涛の追い上げを見せている。
流れは今、ウンジャン高校にあった。危なげないボール運びで敵陣ゴールに突進するフミンの前にカンハク高校の4番が立ちはだかる。流れを断ち切ろうと息巻いたカンハク高校の5番が4番に加勢しようと動くとほぼ同時に、ヒョンタクが右サイドから走り込んできた。
「パック!」
フミンからヒョンタクにボールが渡り、咄嗟に反応した5番の手をするりとかわしたヒョンタクが軽やかにレイアップシュートを決める。これで点差は2点に縮まり、カンハク高校の監督がタイムアウトを取った。
カンハク高校バスケ部のバスケットボールは格闘技と言われるほど荒っぽい。カンハク高校との試合で試合中にケガ人が出た学校はいくつもあった。打撲や捻挫、脱臼、骨折、脳震盪とケガの見本市のような記録を確認したソ・ジュンテが顔を青白くさせ、監督を兼務するやる気に乏しい顧問よりもすっかり監督らしくなったヨン・シウンは今日の試合前にも警戒を露わにしていた。むやみやたらなラフプレーならばすぐにファウルが嵩んで退場や出場停止になるのが目に見えているが、カンハク高校は地区トップを誇るディフェンス力を持っている。おかげでウンジャン高校は第3クオーターに入るまでカンハク高校と常に20点以上の差が開いている状態だった。それほどカンハク高校のディフェンスは堅く、ウンジャン高校の選手たちは苦戦を強いられたが、ハーフタイムでシウンから作戦を伝えられると、それが見事に機能して点差を2点にまで縮めることに成功した。反撃の口火を切ったフミンもヒョンタクも勢いに乗っている。このままの流れでいけば間違いなく逆転できるだろう。相手陣営を見るシウンの目が険しく細められた。
「気をつけろよ。向こうはもうおとなしくしてないぞ」
「かかってこい! 全員返り討ちだ!」
「おいパック、お前がファウルで退場になるなよ。ジュンテ、こいつのファウルいくつだっけ?」
「3つだね。パックがファウルするように狙ってくるかも」
タイムアウト終了のブザーが鳴った。
コートに戻るパックやヒョンタクたちの背中をシウンとジュンテが固唾を飲んで見送る。向かってくるカンハク高校の選手たちの表情にジュンテは身震いをした。
第3クオーターは残り1分13秒だ。カンハク高校からのスローインで試合が再開し、ボールを持った1番が猛然と走る。ウンジャン高校の1番が相対するもかわされ、そのままスリーポイントラインを越えてペイントエリアに突っ込んでいく。すかさずヒョンタクがブロックに入る。足を止めたカンハク高校の1番が素早くパスを回し、ボールは3番に渡るがすぐさまウンジャン高校側が2人がかりでマークにつくと、突破は困難と見たのか3番から1番にボールが戻る。タイムアウトを挟んでもウンジャ高校の選手たちの動きは鈍らなかった。再びヒョンタクと睨み合った1番がチラリとショットクロックを確認する。
焦れた1番がヒョンタクをかわそうと強引に前に出た。行かせまいとするヒョンタクに体をぶつけた1番は、床に落ちた汗にでも足を取られたのか体勢を崩し、そのままヒョンタクを巻き込んで転倒した。それを見たソンジェは半ば反射的に腰を上げた。
すぐに審判が笛を吹き、フミンたちが倒れたままのヒョンタクやカンハク高校の1番に駆け寄る。1番は仲間の手を借りてすぐに立ち上がったが、ヒョンタクはまだ床に転がったまま、膝をついたフミンが不安を露にその顔を覗き込んでいる。ほどなくしてヒョンタクがフミンに肩を貸されて立ち上がった。大丈夫だという仕草をしてみせるが、片足を軽く引きずりながらベンチに向かう。
「あいつ、もう戻ってこないだろ」
笑い混じりの声が聞こえて、ソンジェは前列の学生の肩を強く蹴飛ばした。思わず短い悲鳴を上げた学生は、背後に座るソンジェの機嫌を損ねた理由もわからないまま謝罪を口にして体を縮こめる。そのみっともない姿はソンジェの神経をさらに逆撫でしたが、握りこんだ拳を思うままに振るうことはなんとか堪えた。ヒョンタクが気がかりだが、ウンジャン高校のベンチに駆けて行ってやることもできず、ソンジェは再開した試合を見下ろしながらイライラと足を小刻みに揺らす。カンハク高校の学生たちは学校を牛耳る暴君の苛立ちの原因がいつにも増して理解できず、自分にその怒りの矛先が向くことがないようにと戦々恐々とするほかなかった。
試合が終わると、ウンジャン高校の生徒たちはこの後どこで打ち上げをするかを上機嫌で話し合いながら会場を出た。試合の結果は69対74で、ウンジャン高校が勝利を収めた。第3クオーターの終盤でベンチに引き上げていたヒョンタクも第4クオーターが半分終わる手前でコートに戻り得点を重ねた。逆転勝利と悔しがるカンハク高校の選手たちの表情に、ラフプレーの洗礼を受けたウンジャン高校の選手たちの足取りは軽くなる。
「勝利を祝して今日は焼肉だ!」
高らかに宣言したフミンにウンジャン高校バスケ部の面々は揃って歓声を上げた。
この試合の1番の功労者であるフミンとヒョンタクは肩を組んで喜びを分かち合い、焼肉はどちらが奢るかで見慣れた小競り合いをしながら騒いでいる。この時まで、ヒョンタクはこのままウンジャン高校のみんなと焼肉に行くつもりだった。けれど道の先でソンジェが煙草を咥えながら立っているのを見つけると、その気持ちはぐらりと揺らいだ。
試合に負けたカンハク高校の面々の引き上げは早く、もう他に残っている生徒は見えない。浮かれたウンジャン高校の面々にも、ヒョンタクにも気がついていないフリをしながら、ただ煙草を吸うために足を止めているだけだというように立っている。ほかの誰かならソンジェの装ったとおりに考えて、軽く挨拶でもするか、あるいは距離を取って通りすぎただろう。けれどヒョンタクだけは違う。ソンジェがそこで自分を待っていたのだとわかる。大して興味のないバスケットボールの試合に足を運び、声援の1つもなくたって熱心にプレーを見つめ、ヒョンタクがファウルをされて倒れるとずいぶんと気を揉んでいたようだった。
「パック……俺、今日の打ち上げはパスで」
フミンの腕から抜けた出したヒョンタクはそう言うと、悪い、また今度、埋め合わせはするから、と細切れに言葉を残してウンジャン高校の輪を離れた。
少し急ぎ足になる。体に悪いだろと何度言っても煙草をやめないくせに、ヒョンタクがそばに来る前にソンジェは煙草の火をスニーカーで揉み消した。
「煙草臭いぞ。こんなところで堂々と吸うなよ。先生も来てたんじゃないのか?」
「学校で吸ってたって何も言われたことねえよ」
「更生の見込みなしって思われてんじゃないか、お前」
「やることにいちいち口出しされるよりマシだな」
軽口を交わす間に、ソンジェはウンジャン高校の一団の方に目をやった。ヒョンタクを待つこともなく彼らは歩き出していて、ただ1人フミンとだけは目が合ったような気がしたがそれは無視する。
「腹が減った、何か食いに行こう」
「お前会うとそればっかだな」
「そうか? とにかく試合の後で腹が減ってるんだよ」
フンと鼻を鳴らしたソンジェが歩き出す。その隣を歩いていれば、何か食べられるところにたどり着くことをヒョンタクは経験上分かっていた。相変わらず殴り合いのケンカもするし、口論だってしょっちゅうで、互いになかなか素直になれないことも多いが、存外2人は上手くやっている。
「おい、バスケ面白かったろ? 初めて試合見に来たよな」
「……まあまあ?」
ソンジェは視線をヒョンタクの足元に向けた。第4クオーターでコートに戻ってから危なげなく走り回っていたように、隣を歩く足取りも普段と変わりない。ヒョンタクが膝を痛めた大元の原因はソンジェ自身だと言うのに、競技中のケガをいちいち心配するのは馬鹿馬鹿しいことのようにも思える。
「……なあソンジェ、バスケ部の連中を殴ったりするなよ」
「俺が? お前のために? ……どうだろうな」
ソンジェは芝居がかったような表情で口角を上げた。ヒョンタクが自分のためにソンジェが人を殴ると思っていることも、それがほとんど事実であることも、なんだか滑稽だ。ソンジェは今だにそういう気持ちや状況をどう飲み込んだらいいのかわからずにいる。
対してヒョンタクの感情は、今はもうソンジェほどの複雑さを持たなかった。過去を振り返ればいろいろあったが、「今がいいな」と思えるのだからそれで十分だった。ソンジェのそうした気持ちの絡まりを解消させてやれるような言葉を知らないヒョンタクは、機嫌のいい顔をして自分の肩をソンジェの肩に軽くぶつけた。ソンジェは眉間にシワを寄せてヒョンタクを見たが、その機嫌のいい顔つきに自然と表情を緩める。不器用なりに、2人は存外上手くやっているのだ。
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