but the world doesn't change

「順平くん、となり座ってもいい?」
「あ、おはよう。いいよ、どうぞ」
 市営図書館の隅で、時々本を読んでいる同い年の男の子と知り合った。わたしは映画雑誌を何冊かまとめて読むのがクセで、読んでいないものを見せてほしいと声をかけられたのが最初だった。順平くんは雑誌よりずっと映画に詳しくて、熱心で、わたしも映画が好きだったからすぐに友達になれた。
 それから時々、図書館で会う。小さな声で挨拶をして目配せをして。そんなかすかなコミュニケーションだけでやりとりをしているせいか、普通の友達よりずっと仲が良いように感じられた。
 しばらくふたりで読書をしたあとは一旦休憩するためにロビーへ出る。自販機で適当に飲み物を買って、いかにも市営施設っぽい古びたベンチに隣り合って腰掛けた。順平くんは缶コーヒーで、わたしはミルクティー。同い年のはずなのにどこか達観したような雰囲気で話す彼に、缶コーヒーはなんとなく似合っていた。
「この前ミミズ人間を見ようと思ったんだけどね、やっぱり見れなかった」
「ええ?どうして?グロ苦手って言ってたのに」
「順平くんの話聞いたら気になっちゃって」
「あー…いやでも、あれは見なくてもいいと思うよ。うん」
「でもわたしの好奇心が見ろって言ってるんだよね」
「まあそれはあるよね。さがだよね、映画好きの」
 わたしの悩ましい言葉にそう答えながら、順平くんはおかしそうに笑った。ふたりで話すことは基本的には映画の話だけだ。学校のことや勉強のこと、友達のことは一度も話したことがない。
 図書館で会うのはだいたい月曜日の11時。いつも私服の順平くんと、制服のわたし。学校の授業に出ていないことは明白だったけれど、そのことについてお互い詮索するようなことはしなかった。気づけばそれが暗黙のルールのようになっていたので、きっと順平くんとわたしは同じような理由でここにいるんだろう。
「でも、見たいなミミズ人間」
「大丈夫?眠れなくなるよ?」
「えっそんなに…?」
「グロ耐性がない人は多分ね…」
「ど、どうしよう。眠れなくなったら順平くんに電話していい?」
「えっ。あ、えと、うん…大丈夫…」
「ほんとに?夜とかにかけるよ」
「いい、けど」
「よかったあ。ありがとう順平くん」
 それなら怖くてもなんとか耐えられそうだ。ほっとしていると順平くんは缶コーヒーを見つめながら変な顔をしていた。どうしたの、と声をかけると「なんでもないんだ」と返される。そのわりに結局視線はこっちに戻ってこなかった。
 順平くんの、片側だけ長い前髪がさらりと垂れている。まだ見たことのない彼の右側の表情が、気にならないと言ったらうそになる。見せてと言ったら見せてくれないだろうか。それとももう少し、もっと仲良くならないと、許してくれないだろうか。
「あ、わかった。順平くんと一緒に見ればいいんだ」
「え?」
「怖いから、一緒に見てほしい。ミミズ人間…」
「えっ、待っ、いいけど。どこ、どこで…」
「明日、また図書館来る?」
 タブレットを持ってくるから、ここのロビーで一緒に見よう。そう誘うと、順平くんはとてもびっくりした顔をしてから、小さい声でまた「いいけど」と言った。見る映画はスプラッタ映画なのに、まるでどこか楽しいところへ遊びに行くときみたいに明日が楽しみになった。
 明日はミミズ人間1を見て、次は2を見て、その次は3を見る。少なくともあと3つ、わたしに楽しいことが待っている。順平くんもそう思っていてくれたらいいと思った。
 まだ残っているミルクティーのペットボトルをカバンに閉まってベンチから立ち上がる。カバンの中でペットボトルが、お母さんの作ってくれたお弁当箱に当たる音がした。
「ミミズ人間見終わったら次はなに見ようね」
「図書館で映画見てていいのかな…」
「ロビーで静かに見てればきっとセーフだよ」
「うーん。あ、そういえば僕、新作で見たいのがあるんだよね」
「ほんと?じゃあ一緒に観に行こうよ」
「えっ」
「あ、ひとりで見たい派だった…?」
「それは、」
 そういうわけじゃないけど、ともごもごしながらだんだん語尾が小さくなっていくのがちょっと面白くてばれないように笑った。
 約束ね、とだめ押しすると、順平くんがあんまりやわらかい顔で頷くので、まるでデートの約束みたいだと思ってドキドキした。
 平日の昼間。学生が、わたしたちと同じ人たちが誰もいない静かな時間。まるで世界から嫌いな人が消えたみたいな静かなここで、わたしたちは確かに寄り添いあっていた。

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