インタビュー
高座を終えて扇風機の前で着替えていると、関係者以外立ち入り禁止のはずの廊下をバタバタと歩く忙しない音が聞こえて来た。
「おい草々、見たで見たで~! 今月のコレ……また徒然亭がおもろいことになってるな!」
やって来た尊建は、紺色のタンクトップにほとんどチラシみたいな紙を持った片手を高く挙げた。
冷房が入っているはずの楽屋代わりの和室の温度が二℃程上がった気がする。
おい鼻毛、お前、挨拶も高座の感想もすっとばして、いっちゃん先に若狭のチマチマ書いてた読み物の感想て、なんやねんそれ。
「このクソ暑いのにデカい声出すな、この鼻毛。」
「鼻毛て言うな、ボケナス!」
エプロン姿の空想の嫁が頭の中で「麻婆茄子も浅漬けも、ほんまに美味しいですよね~。今夜は茄子尽くしにしようかな~♪」とお玉片手に呑気なことを言い出したので、頭を振って追い出した。
言うに事欠いて人のことを茄子て何やねん。
「何度でも言うたる、いい年して若ぶって肩出してんのが暑苦しいんじゃ!」と言い返すと、「なんやて、お前の方が暑苦しいわ!」と鼻毛も唾を飛ばして反論して来た。
「あんさんら、この暑いのによう喧嘩する元気ありますなあ……私はもう、あきまへんわ……。」
紗の着物を着た柳眉が、力のない様子で団扇を扇いでいる。
「いや、まあ毎日家に子どもがおったらなあ、鼻毛なんか可愛いもんやで。」
また余計なこと言うてしもた、と思ったら、尊建のヤツ、妙に驚いた顔しよる。
「柳眉、お前まだここにおったんか?」
「ご挨拶ですなあ、」という背中は心なしか丸くなっている。そもそも、五階建ての建物の五階にあるというのがこの部屋の暑い理由で、どっちかいうとお前はもう浴衣になってええんとちゃうか、というところだった。
「そうかて、はよロビーに出てかんと、例のCDのサイン会やらあるんと違うか。」
あ、そうやったそうやった。
今日はお前が主役じゃ、て二人会始まる前に言うてたのすっかり忘れてた。
そないいうたら、誰も買いに来えへんかったらオレが1セット買うてお義父さんとお義母さんのとこに送ったるか、て言うてたな。
「あと五分ほど、ここで涼ませてもらいますわ。」
「そうかて、まだ、ロビーの方が一階にあるから涼しいで。ほれ、差し入れや。ペットボトル好かんて言うてても、缶のお茶なんか今時売ってへんからな。」と緑茶のペットボトルを差し出した。
オレの分ないんか、と聞いたら、「お前の分は、オレが飲んでもかめへんのやで、」とぶちぶち言いながら麦茶を差し出して来た。
「そういえば、お前まだコーヒー飲めへんのか柳眉。」
鼻毛の言葉でそういえば甘いコーヒー苦手やて言うてたな、と思い出しながら柳眉に聞いてみると、古典を極めるなら普段の生活からと言わんばかりの男は「飲めへんのやのうて、積極的に飲まんだけです。」と澄ました顔をしている。
「缶コーヒーみたいなもんで砂糖摂り過ぎたら、虫歯になりますからなあ。」
そういう理由かい。
「まあ、歯医者に掛かるのも金が要るこっちゃで、オレらみたいなフリーランスは厳しいで。」
尊建のヤツ、久しぶりにまともな大人みたいなこと言いよる。
暑さで頭がおかしなったんか、と思ったら、「流石、スキーに行って、足怪我して長いこと入院してたもんの言葉は重みがありますなあ。」と柳眉が珍しくオレより先に反応して混ぜっ返した。
オレも含めて、全員暑さでちょっとずつおかしなってんな。
「とりあえず、せっかく尊建に持って来てもらったもんや、冷たいうちにお茶飲みましょ。」
「そうやな。」と頷く。
「ところで、尊建、それ、あんさんの手にあるそのガッコで貰って来るお便りみたいなもん、どこで配ってましたんや?」
「これか、日暮亭タイムスや。」
ほれ、と鼻毛が差し出したガリ版刷りみたいなのは、逆にこういう感じのレトロな感じを出してくれてエーコちゃんが印刷所に注文付けて、特別にこないしてもらったらしい。
「日暮亭のロビーでは見ませんけど。」
柳眉が、あんさん知ってますかと言わんばかりの視線をこっちを向けた。
「若狭が日暮亭の年会員向けに作ってるんや。印刷所に頼んで刷ってんのやけど、残った分は、勿体ないから日暮亭の控室に置いて、読みたいやつが適当に持っていけるようにはしてるんやけどな、」
「私、まだ見たことありませんなあ。」
「お前んとこの一門、誰か日暮亭の年会費払ってるヤツいてへんのか?」
「うちは実家に届けてもらうことになってますのや。」
「オレと同じやな、まあタイミングとちゃうか?」
オレが若狭から貰ってった日はこないにあったけど、とドアホは指で百科事典ほどの厚みを作ってみせた。
「アホ、そらこっちであちこち送ってまう前に事務所に使てる部屋からお前が勝手に取ってったんやろが。」と尊建の頭をどつくと、空っぽの西瓜の音がした。
――タイムスですか? すいません、最近会員が増えてしもたんと、これまで徒然亭の皆を呼んでくれた会場に充てて、今年の予算で新しい企画立ててくれませんか~、て宣伝するのに送ってしまうことにしたら、控室に置いたらもう2日ほどでのうなってしまって。
「こないだ聞いたら、若狭がそない言うてたわ、柳眉が見る頃にはなくなってんのかもな。まああいつのお遊びみたいなもんやけど、年会員はほんまにちょっとずつ増えてるらしい。」
「お遊びであるかいな。こないなもん作ってでも会員増やして、日暮亭に来て落語を楽しむお客増やそうてこと考えるとこが若狭のえらいとことちゃうか。それになあ、若狭の文章、ほんまおもろいで!」と鼻毛が目をキラキラさせてる。
草若のアホが「喜代美ちゃ~ん♡」と寄って来る顔に妙に似てるような気がするけど……いや、オレの気のせいやな。
「やっぱ、オレの創作落語の魂を受け継いでいくとしたら、あいつしかおらへん!」
ま~た、始まったな。
尊建のアホのひとつ覚えが。
「おい、それもう百遍くらい聞いたで。だいたい、平成も二桁になっててソウルてなんやねん、韓国とちゃうぞ。」と言うと柳眉が吹き出した。
「それだけ尊建が若狭のこと買ってる、ちゅうことでっしゃろ。」
そろそろロビー行きますか、と柳眉が立ち上がった。
「柳眉、オレはもう一部持ってるから、お前これ持ってってええで。」と尊建が持って来たチラシ――とちゃうな、日暮亭タイムスか――を柳眉に押し付けると、後で読みますわ、と雑に懐に突っ込んだ。
「おい草々、四草が新しい包丁買いに行ったらおとくやんの警備員に捕まって草原師匠に助けてくれ~、て言うた話て、流石に若狭の創作やろ。ほんまやったらおもろいけど、あいつが兄弟子に頼るとかなあ。……そもそも自炊のための買い物とか行く暇あんのかいな。」
「はあ?」
……警備員?
「ほぼ三題噺やん。まあ、蟹すき食うためにちゅうのは割と信ぴょう性あるけど、あいつの客層いうたらなあ、カニすきのために牡蠣道楽とか行ったところで、ファンの女に囲まれて揉まれて飯食うどころやなくなりそうやしな。」
「なんやそれ。」
「そやから、最新の日暮亭タイムスの話や。……お前、まさかそれ読んでへんのか?」
まさかてなんや、まさかて。
今日の二人会の稽古してて読むヒマなかっただけや。
「あんさん、さっきから、なんや私が読む前に思いっきりネタバラシしてますやんか。」
「あ、すまんな、柳眉。言うても、若狭の創作部分以外にも草原師匠がなんや落語界の先の話とか固いこと話してはるから、お前にはそっちの方がおもろいやろ。」
「そらま、そうですけど。それより草々、あんた……嫁はんが一所懸命になって自分の仕事してんのに、それを何ですか。自分の稽古ばかりを優先させてたら、どっかの師匠みたいに熟年離婚待ったなしですよ。」
「いや、若狭からインタビューの文字起こししたヤツ、いっぺん読んで添削して欲しいとは言われてたけど、稽古優先してたら緑姉さんに頼むて言うてきたから、それでええかいなて思って。」
いや、そもそも……なんで俺が責められなあかんねん!
しかし、三人並んで歩くと狭い廊下がぎゅうぎゅうやな。
お前は俺の前を歩こうとすんな、この鼻毛、て競争したら疲れた柳眉が倒れてまうかもしれへんから今日は譲るけど、お前、次は覚えとけよ。
「おい、インタビューの文字起こして、草原師匠のとこだけとちゃうんか。」
「いや、文字起こし面倒やて、言うてた……な。後はいつもの編集後記ていうのか、それはなんか子どもから聞いた話書いたていうてたし。」と言うと、ええ、と鼻毛が大仰な声を出した。
「編集後記て……草若のヤツが最近リコッタパンケーキ焼くのに凝ってるて話やぞ。まさかあれもホンマなんか?」
「……リコッタ、パン……何や?」
まさか、落語の稽古してへんのかあいつは。
「ヨーグルトやらなにやら入れて作った、最近流行りのふかふかのお好みみたいな生地のホットケーキのことです。ようテレビとかで見ますけど、あんなもん、手間考えたら店行って食べるのが一番楽て気もしますけどなあ。落語の方は、まあ一朝一夕で巧くなるてもんでもないですけど、小さいが取れてからは、何でもようやってますな。今時、焼き鯖の大きいぬいぐるみ背負って町を練り歩くて、若手の芸人でもようせんでしょう。」
「………。」
「DIYの店で算段の平兵衛みたいな顔してて捕まったり、流行りのホットケーキ焼いたり、落語界の未来語ったり、ファン増やすためにて頑張って文才開花させたり……そんでお前はサイン会の手伝いか。」
「それがまあ、徒然亭ってことでっしゃろ。後でこれ、ちゃんと読ませてもらいますよって。」
おい、柳眉。
お前そこでええ感じにまとめようとすな!
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