蟹すき その2


「小そうて安かったしええかなと思って……。」
「ええかな、てなんですか?」
最近新聞紙の代わりにどこでもよく見るようになった、スーパーのプラスチックのパックの上に並んだ蟹、蟹、蟹……。
「あっこのスーパー、うちの辺りで買うより魚が新鮮で安いしええなて、お前も言うてたやんか。」
そら焼き魚にするために買うてくる旬の魚とか、たまの刺身とかの話で、それとこれとは話が別です、と今更言ったところで、僕の目の前にはいたいけな小蟹(ボイル済)が蟹すきにされるのを待っている。
「まあここで会ったが百年目っちゅうか……。」
「たかが夕飯の材料選ぶのにそこまで気分出さんといてください。」
宮本武蔵の決闘とはちゃいます。
「いや、蟹すき食べたいやん! 十二月になってしもたら、こんなんでも高くなってまうし。せやからオレ……。」
「大体、蟹すきなんか、あの頃何遍も食べられたんと違いますか?」
妹の弟子入り当時、若狭の母親が師匠の家に持って来た越前蟹は、これの三倍はあったな、とふと思い出した。
「そんなん、……よそで食べる飲み会の鍋なんか、美味しいことあるかい。大体、オレが酒飲んでしゃべくってる間ァに、中の蟹は誰かの腹に消えてまうわ。」
兄弟子がそこまで言って言葉を止めたところでデカいため息を吐くと、横で話を聞いていた子どもが、僕とりあえず白菜切るわと言って腕まくりを始めた。
褒め役の存在というのは大きなもので、若狭のところで年下の子どもにエラいだのスゴいだのいわれるようになったせいか、最近は包丁を使えるようになって来たのである。じゃがいも綺麗に剥けるようになったらカレーとかなら作れると思うから、僕もときどきなら料理当番になってもええで、である。どちらかというと、綺麗に剥けるかどうかは問題ではなくて、怪我をしない程度に扱えるようになればいいのだが子どもにもそれなりの物差しとかプライドのようなものがあるようだ。
完璧ばかりを追い求めてたら草若兄さんみたいになってまうで、とは言いたいが、大人がそれを口にするのは無粋というものだ。
それにつけても、問題は兄弟子である。
「そんならオレも手伝うわ、」と説教の場から逃げるために子どもの尻馬に乗っている。
普段であれば手伝いはええからそこで反省しててくださいという手も使えるが、正直僕も腹は減っている。
子どもはまあ、買って来てしもたもんはしゃあないんと違うかな、と言わんばかりの顔をしているし、正直、この人を懐に入れてしまったのは僕が先なのである。

「したら、まあ今日は蟹すきでええですけど。」
「明日からきつねうどんやて言うんやろ、分かってるて……。」
「僕らの食事にはお稲荷さんを付けますけど、草若兄さんは素うどんです。」
「ええ!? そらないで!」
「……今のは冗談です。」
「お前が言うと冗談に聞こえへんがな。」と言うと、「ふたりとも、話はええからちゃっちゃと手を動かしてくれてもええんやで。」と言った。
「「……。」」
「草若ちゃんは土鍋出して、お父ちゃんは、カセットコンロの中のガスが入ってるかちゃんと見といて。」
「とにかく、今日は鍋やということや。しかも蟹すきやで~♪」
お前も、もっと嬉しそうな顔せんかい、と肘で突かれて、まあそれもそうかと思い直した。

腹が減って来た、と言うと、お父ちゃん、それならもっと気張ってや、と子どもがひと際大きな声を出した。

powered by 小説執筆ツール「notes」

20 回読まれています