花丸
庭に向かって開け放された障子から、夜風が入り込み山鳥毛の袖を揺らす。着ているのは貰ったばかりの軽装だった。顕現して間もない身で古参と同様に贈られたのには恐縮したが、せっかく作ってもらったものなのでありがたく頂戴することにした。明日からは通常通り出陣も再開されるらしいから、刀剣男士としての働きでこの礼は返そうと思っている。
三日の休みも最終日、上杉と一文字の刀で集まって花火を見、そのまま山鳥毛と南泉の居室に移動しての休暇の報告会となっていた。隣で寝転がった南泉の周りには謙信景光に五虎退に小豆長光も輪となって、皆で南泉の撮った写真を鑑賞していた。
「山鳥毛もうつっているのだぞ!」
謙信景光の声に首を伸ばして、寝転ぶ子猫の手の中を覗き込んだ。南泉の持つデジカメに写っているのは初日に案内してもらった畑だった。山鳥毛だけでなく、画像の端には桑名江も写っている。
夜風はあるかなしかの強さで部屋に入り込んではまた窓から吹き出ていく。山鳥毛は心地よさに目を細めながら、己の足の間で微睡む虎をまたひと撫でした。
「江の奴らが畑仕事しててさ、オレたちも手伝ったんだぜ。土もふっかふかで昼寝したら気持ちよさそうだったにゃ〜」
「ぼくたちはそのとき、しょくざいのかくにんをしていたのだぞ。ね、あつき!」
「ああ、そうだったな」
「僕は兄弟たちと滑り台で使う竹を割ってました」
「あれ粟田口か! オレも滑った! すごかったぜ!」
「頑張りました……!」
南泉らしく、カメラに残った画像は撮った日常にムラがあった。一日目は本丸の案内にくっつきながら合間に色々撮っていたようだが、二日目はごっそり抜けて一枚もなく、三日目は昼を共にした後藤と鯰尾の写真から始まっていた。庭で水遊びをしているところやアスレチックの数枚を挟んだあとに出てきたのは、花火をバックに物吉と山姥切長義が写ったものだった。
「綺麗に撮れていますね!」
「あいつら撮れ撮れってうっせーからさあ」
「尾張徳川家か。子猫よ、地元の縁は大切しなさい」
「うす」
ぴゃっと肩をすくめた南泉の頭をぽんぽんと撫でてやっていると、小豆が冷茶を湯呑みに注いでくれた。
「すまない」
自覚はなかったが喉が渇いていたようで、口をつければあっという間に湯呑みを空にしてしまう。お代わりも入れてくれながら小豆は言った。
「きみもかめらをもっていたのだとおもうのだが」
ぱっと謙信と五虎退が目を輝かせる。南泉も首をひねって山鳥毛を見上げる。期待のこもった眼差しに首をかいて山鳥毛は狼狽えた。
「いや……持ってはいたのだが……」
「とらなかったのか?」
謙信の丸い目がまっすぐ山鳥毛を射抜く。この真剣な眼差しを前にしては、とてもではないが嘘は言えない。南泉のようにはいかなかったが、撮ったことは撮ったのだ。
「面白いものは何もないぞ」
そう言い置いて袂からカメラを取り出す。南泉が受け取って電源を入れた。
「……ナスっすね」
「おっきなナスです」
「おいしそうなのだぞ」
画面いっぱいにデカデカと茄子が現れた。そういえばそんなものも撮っていた。
「きみ、どうしてこれをとったのだ」
「立派だったから……だな」
狼狽しながら撫でたせいで虎に逃げられる。手持ち無沙汰になってしまい、意味もなく髪をかき上げた。
「丸々としてみずみずしく身が詰まっていて大層立派な茄子だったんだ。傷ひとつないものだから……」
「かんどうしたのだな」
「微笑ましい顔をするな」
山鳥毛から逃げた虎は今度は小豆の膝の上におさまった。小豆の指が背中をかくとごろにゃーんと伸びをする。南泉と短刀たちは狼狽える山鳥毛も気にせずにどんどん写真を見ていった。
「誰も写ってないっすね」
「皆のことは子猫が撮っていたからな」
「オレもそんな撮ってないっす」
それなりの枚数を撮ったはずなのだが、思い出すだけでも滑り台の上から見た夕日であるとか、初めて飲んだ酒であるとか、ただただ思いつくままにシャッターを切っていた。実際、次々に現れる画像もそんなものばかりだった。男士が写りこんでいるものもあるが、見切れていたりカメラを意識していないものばかりだ。
「少々はしゃぎすぎたな……」
「ひとのみはおもしろいからね」
額に手を当てたまま不承不承うなずく。ボタンを押してシャッター音がするのがやたら楽しかったのもある。
五虎退がふと首をかしげた。
「これは何が撮りたかったんでしょうか」
「この部屋だよにゃあ……」
「山鳥毛、これはなんなのだ?」
謙信がカメラを差し出すが、山鳥毛も答えに窮した。
撮られたのはおそらく朝だ。それもこの部屋で、窓から朝日が差し込み畳を照らしている。花を生けた床の間も写っているが、中途半端な位置にあって花が被写体だったようにも思えず、右端には南泉が寝ていた布団もほんの少し写っている。自分で撮ったくせにしばらく考え込み、撮影日時を見て、あっとなった。
「光の中できらきらしているものがあってね。それを撮ろうとしたんだ。……ほこりだと後で教えてもらった」
あー、と納得の声が上がる。「綺麗ですよね」と五虎退は慰めてくれたが、それにしても撮るのが下手すぎる。
「写真の腕も精進せねばな」
「朝ご飯は美味しそうに撮れてる、にゃ」
「ほんとうだ。おいしそうなのだぞ!」
恥ずかしがる山鳥毛を気遣ってか、南泉はさくさく画像を進めていく。撮影時刻は夜になり花火を写したものが続く。やはりあまり上手くなく、何枚に一枚かはタイミングがずれたり、花火がうまく写っていないものもあった。
一番最後の大輪の打ち上げ花火の画像であっと思い出した。
「これが最後の画像だ」
南泉の頭上からカメラを取り上げた。きょとんとする子猫に苦笑いする。
「あまり見られるのも恥ずかしいからな」
「そういわずに、あしたぷりんとあうとしたらどうかな。おもいでになるのだぞ」
小豆がのんびり口にする。その微笑は柔らかい。
「考えておこう」
負けずに微笑み返して答えてやった。
その場はこれでお開きとなり、南泉には先に寝ていて構わないと言い置いてから棟のはずれに足を運んだ。最近増築されたばかりの棟で、母家近くの数室しか埋まっていないから外れに行けば人目を忍べるということだった。
小豆は先に着いていたようで、酒器を用意して縁側に胡座をかいていた。
「待たせたか?」
「いや、いまきたところなのだぞ」
隣に座って杯を手にすればすぐに注いでくれる。小声で乾杯し、杯をあおった。
「なんだ、かき氷はないのか」
「なに、たべたかった?」
「君のかき氷は大層美味だったと評判でね。酒にはあまり合わなそうだが」
「あまいものでのむのもおいしいのだぞ」
「詳しいな」
「これでもけっこうつよいのだ」
小豆が笑って盃を空けるので、すかさず注いでやる。謙信公から影響を受けているなら、小豆も酒はイケる口だろう。
「ねえ、山鳥毛」
強いという自己申告に違わず、小豆は早速盃を空にした。こちらが注ぐ前に山鳥毛の方に身を乗り出す。
「わたしのこと、とったよね?」
「……ばれていたか」
「きみよりれんどはたかいのだ」
「言っていろ」
「みせてほしいのだぞ」
ちゃんとカメラを持参した己は用意がいい。ため息をついて取り出す。三日かけて慣れた操作で、一番最後に撮った画像を呼び出した。
「こういうの、とうさつっていうのだぞ」
「……気がつくと撮っていたんだ」
花火が打ち上がった瞬間だろう。弾ける閃光の中で空を見上げる小豆の横顔を捉えていた。うっすらと笑みを浮かべて、かたわらの謙信の肩を抱いている。
「とりたいといわれても、ことわらなかったのに」
「本当に咄嗟のことだったんだ。……君がいるなと」
残さねばと思ったのだとは言わなかった。
「けんげんしているからね」
小豆は何でもないことのように言う。その軽い調子に山鳥毛は再会したときから大層助けられていた。小豆がそのつもりならばこそ、山鳥毛はこの一期一会を悔いなく楽しむと思いきれた。
「なあ」
「うん?」
「くちづけてくれ」
小豆は目を丸くした。
「いいの?」
「そのつもりで誘われたと思っていたのだが」
「したごころは……まあ、あったよ……それはもちろん……」
渋々認める様子に笑った。格好つけの出鼻をくじけて気分がいい。
「そら、来い」
「やりづらいなあ……」
「そこは上手くやれ」
小豆の手が伸ばされ頬を撫でる。それに合わせて瞼を閉じた。雰囲気を作ってやろうという気持ちからだったが、視界が閉ざされてみれば、目を閉じることは相手を受け入れる何よりのサインなのだと理解した。無防備な状態で一方的に視線にさらされている。その非対称さに緊張を覚える。
緩やかに風が吹き、汗ばんだうなじがさあっと熱を失う。
小豆は緩慢だった。這うように距離を縮め、腕を音もなく山鳥毛の首と腰にまわした。徐々に近づく熱を肌が感じ取る。人の身の肉の気配に産毛が逆立つ。何もかもが鮮やかだった。小豆の呼気が唇に触れる。するかなと思った瞬間、力強く抱きしめられた。
首筋から立ち上る汗の匂いに、体躯を覆う筋肉に、意識が奪われる。ただ見ているたときよりよほどはっきりと小豆の存在を意識させられた。ここにいる。身体を得て顕現している。閃くように鮮烈な感覚だ。
衝撃にぼうっとする山鳥毛に構わず、小豆はこめかみから耳にかけて幾度もくちづけ、鼻が押しつけた。
「いいにおいだね」
囁きに我にかえり小さく笑った。言うに事欠いてそれか。軽く背中を叩いたら、抱擁はさらに強いものになった。ぐりぐりと彼の額が押しつけられる。
「しばらく、こうしていたいのだ」
甘える声音に息を飲んだ。昔はこんな言い方ができる刀ではなかった。もっと尖っていて意地も張っていた。山鳥毛が来るまでに小豆も変わったのだ。この三日の密度を思えばそれも当然のことかもしれない。きっとたくさんの出来事が彼の上を通り過ぎていったに違いない。
「ここの生活は楽しいか?」
「そうだね。きみもきてくれたし……」
ひそめた声で答えながら小豆は耳の下に唇を這わす。そこにセクシャルな雰囲気はなかった。動物が手の代わりに口を使って物を把握するように、それは山鳥毛の存在を確認する行為だった。ふたりがここにいて、ぬくもりを分けあっている。そのことを小豆は自分に刻みつけているようだった。
「あとで君の話も聞かせてくれ」
「うん……」
「必ずだからな」
「ふふ、わかっているのだぞ」
首筋にあたる呼気がくすぐったい。みじろぐついでに目元に接吻する。肌は汗でほんのり湿っていた。舐め取ってみるとほのかにしょっぱい。人ではないが、だが刀でもない。その価値を山鳥毛はじっと考える。背にまわす腕に力を込める。それからしばらくの間、抱擁が解かれることはなかった。
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