我妻・操①
死ぬまで遊ぼう
殴るのが好きだ。叩くのが好きだ。倒すのが好きだ。立っているものを動かなくするのが好きだ。“我妻”なる傭兵集団に属するその少女が戦場に立つ動機は、その程度のものだ。実際いかなる動機が存在しなくても、ここに暮らす限りは戦うことになるのだが、ともあれ、幸か不幸か彼女には動機があった。
ねぐらにいるときは、身体を動かすことはできない。周囲の雑魚寝の連中が邪魔で動ける範囲が限られるし、それでも構わず動き回れば必ず誰かに当たってしまう。それも悪くはないのだが、そうすると身動ぎもできないように拘束されてもっと動けなくされてしまうので望ましくない。何度かそんな状態になって彼女は学んだのだ。
戦場は自由に動けるから良い。自由に走って自由に暴れて、時には傷つき痛みを覚え、それすらも楽しく快哉を叫び、手当たり次第に叩き付ける。ただし、仲間というものを攻撃したらその晩には食事と身体の自由が奪われるため気を付ける必要はある。何度か繰り返して彼女は学んだのだ。
しかし、興奮すると敵と味方の見分けがつかないのは如何ともしがたい。そこで彼女が至ったのは、周囲に味方がいなければ良い、という結論だ。誰より早く一直線に、敵の深くまで潜り込めば、味方などいようはずもなく、殴り放題の倒し放題である。
楽しくて楽しくて、彼女は敵陣のさなかでいつも大笑いしていた。その声があどけない幼子から若々しく女性らしいものに変わる頃には、“我妻のわらい女”の名は恐怖の対象として人の口に上るようになった。
遠くから聞こえてくるその声に、攻められる側は浮足立って士気を下げ、時には彼女が到着するより先に潰走することすらあった。それ程までに、怯まず恐れず疲れを知らずでたらめな力でもって武器を振り回す彼女は、対峙するには恐ろしい相手だったのだ。
恐れられるからには、対策も立てられるものである。そもそも彼女の採る進攻ルートは常に一直線で、さらには大音声の笑い声を響かせながら駆けるのだから、対応を間違えさえしなければどうにでもできる相手なのだ。
そんなわけで、本陣を囮として包囲された彼女は実に容易く討ち取られてしまった。死の間際まで哄笑を響かせながら、最後の最後まで囲む兵士を手当たり次第に叩きのめしながら。
切り取られた首もまた凄絶な笑みの形相であり、あり得ぬことだが蘇生を恐れた敵兵は、戦功の証を捨て置いて逃げ去ってしまった。切り離された頭と身体は、物言わぬまま打ち捨てられて、静かに暫しの時を過ごす。
◆
次に彼女が目覚めたのは、最後の記憶と同じく、敵の本陣のただ中である。ただしそこに生きた人はなく、打ち捨てられて朽ちる亡骸ばかり。ここでの戦いはすでに終わって、誰もが離れていなくなった後である。立って動く、殴って倒せるものがないことに少なからず彼女は落胆していた。
自身は死んだはずである。死んだ者は動かないし、もう戦うことはできないはずだ。それなのに動けるのはどうしてか……などという疑問は、彼女の頭に浮かぶことは一切ない。生きているものは生きているのだし、まだ動けてまだ暴れられるのが事実である。
その事実が嬉しくて楽しくて、肩を震わせながら立ち上がった彼女は、空を仰いで一際大きな声で笑い始めた。いびつに繋ぎ合わされた首が引き攣れるような感触にも構いはせず、笑う。自身がもともと持たなかった力に目覚めていることも、その体が既に人間のものではないことも、どうでも良いことなのだ。
朽ちた亡骸とともに打ち捨てられた刀を取り上げる。鞘に収まったそれは抜くことができないが、重くて長くて振りやすいから殴るためには充分だ。
長い銃身の威力の高そうな銃を取り上げる。見たことも触ったこともない面倒そうな武器だが、重くて長くて振りやすいから殴るためには充分だ。
寝床もないし食べ物もない、それらをくれる誰かもいないが、なんだか力が漲っていて、寝るも食べるも必要なしに、暴れることができそうだ。
さあ、敵はどこだ、戦場はどこだ、死んでも遊べる相手はどこだ。
powered by 小説執筆ツール「notes」
76 回読まれています