焼き鯖
「なんや、奥から全然声とかせんなあ。」
「そうかあ、いつもと同じと違うか?」
「そうやのうて、」
春平と順平は今日も喧嘩せんと大人しいにゲームしてるけど、最近は、焼き鯖号引いて残り物売りに行くよ~、て呼んでも、なあんも返事も帰って来ん日もあるの、ほんまにそれでええんかな、ていうか。
あれだけ喧嘩してたのがピタッと収まったのはゲームさまさまやなあて思ってたけど、喧嘩したらゲーム取り上げるよ、ていうのも、考えたら乱暴な話ていうか。
「なあ、友春さん。」
「ん~、この右のヤツが今焼けるからちょっと待っとってくれるか?」
「うん。分かった。」
「なんや珍しいなあ。順子がオレに相談て。」
相談ある、ていうのは分かるんや。
子どもらのゲームの話もそうなんやけど、今の一番の問題はアルバイトのことやな。
ビーコのとこのおばちゃんが来ない日にはうちも時々バイトの子雇ったりもしてるけど、このところは、なんや学生アルバイトでやって来る女の子も男の子も、いまいちしっくり来んで困ってるんやけど、こんなん、誰に相談したらええんやろ。
お母ちゃんもお父ちゃんも、もうほとんど店はあんたら二人に任す、て言うてる上に、入婿になった瞬間からずっと、友春は焼き鯖一生懸命焼いてくれてたらええわ、て感じやからなんも言わへんし。
もう焼き鯖のことだけ考えててもあかん年になってるていうのに、あの二人の頭の中には、未だに『製作所のアホボン』の意識が残ったままなんはほんまどうにかならんかな。
ビーコのとこのおばちゃんがおっちゃんと仲直りしてからは、住み込みを辞めて、うちに来るのが週六日になって、年取って疲れやすいになったていうから、週四日になって、残りの日はうちの家族経営。夏と冬と春休みの時だけは、短期バイトを雇って接客いちから仕込んで、入りの悪い時期は家族だけ、て形でずっとやって来たけど、短期やない通年のバイトをお願いしたい人を選ぶのって、ほんまに大変。
学生バイトは長い目で見たら入れ替わりがあってええんかもしれへんけど、うちはファーストフードの店と違て、マニュアルとかないし、性格のええ子は大学はよその京都とか大阪の方に行くて言う話になって、なんぼ教えても水の泡ていうか……かといって、主婦経験者歓迎、て書いたら書いたで、こないだみたいにうちのお母ちゃんとやり合ってしまうような性格の人が来ても困るし。
おばちゃんみたいにええ人ならともかく、なかなか近所の人は雇いにくいなあ、て思ってるのに、友春さんは、ずっとオレの仕事とはちゃう、みたいな顔してるし。
そうやないやろ、て時々爆発しそうになる。
ビーコみたいに、わたしに相談したくてしにくる方が珍しいんやな、てこの年になって気が付いた。やっぱ、自分の相談を人に話すより、人の相談聞いてる方が百倍気楽やわ。
奥からやっと、ふたりの笑う声が聞こえて来た。テーブルも椅子も、うちはあの頃のまんまで古ぼけていくばかりやのに、子どもだけが大きいになっていくなあ。
「おい、順子。もうお客も来えへんし、そろそろ焼き鯖号動かす頃合いと違うか?」
そうやね、と言おうとしたタイミングでお客さんが入って来た。
「よ。」と手を上げる人の顔を見て驚いた。
あらまあ。
「いらっしゃい。お久しぶりです!」
「おお~、よう来たな、イソギンチャク。」
ビーコのとこの兄弟子のひとり、徒然亭小草若さん。
今は小さいが取れて草若さんか。
この人うちらと十歳くらい違うから、友春さんよりも年上なんやなあ、全然そんな風に見えへんけど。
「ふたりとも元気そうやな。」と言われて、慌てて、「草若襲名おめでとうございます。」と頭を下げると「順子ちゃん、ありがとうな~。」と草若さんは嬉しそうな笑顔を見せた。
ビーコの話だけ聞いてるともう明らかに変な人て感じやけど、なんやただ挨拶する付き合いだけなら普通……てこともないか。
ビーコの結婚式のときとか、あんまりお酒入ってへんのに最初っからお酒入ってるみたいなことになって、隣の他の兄弟子の人に迷惑がられてる感じやったし。
ああいうお酒入った時の状態て、なんやずっと年とっても変わらんからな男の人って。
友春さん見てたら分かる。
「順子ちゃんに引き換え、お前はなんじゃ、野口友春。オレはもうゆらゆらのイソギンチャクとはちゃうぞ。四代目草若ちゃんや!」
ほらきた。
「そうかて、コイツに焼き鯖マンとか綽名付けたら、オレと被るやんか。」
「友春さん、お客さんに何言うてんねん!」
そもそも、あんたは一度でも焼き鯖マンとやらになったこと、あるか?
「ええてええて。」と草若さんはなんや鷹揚な感じで笑っている。
痩せて神経質そうな顔は変わってへんような気がするけど、何年か前の小浜におった頃よりは、ずっと肩の力が抜けたていうか。
「あの~、草若さん、今日小浜来たとこですか? それとも今から大阪帰るとこですか? お土産なら包みますし。食べに来なったなら、すぐにお水出しますから。」
「あ、そうやった。焼き鯖定食、一人前!」
ええ匂いやなあ、腹減って来たで、て言いながらあの頃のいつもの席に腰かけた。
「明日、なんやこっちで仕事があるんですか?」と言うと、友春さんが顔を輝かせて、「また例の着ぐるみ着る仕事か?」と言った。
そうやった……なんやかんやであの後の草若さん、小浜の観光大使みたいになって、ちょくちょく小浜来てはるんやった。
そういえば、お母ちゃんこないだ、小草若ちゃんのサイン新しいの貰えたらええのにねえ、て言ってたな。発泡スチロールのクーラーボックスの蓋のサイン、もう古いもんな。
「ちゃうわ。」
「なんかまた落語会のお仕事ですか?」
小浜の辺りでやる仕事なら、店の壁にポスター貼ってくれん、てビーコが事前に言うてくるはずやけど。
「今日はただ海見に来ただけやねん。あとは箸の新しいの買おうかな~て。」といって席に着いた草若さんに、そうですか、とお水を出した。
「お前がニュース出ると次の日の売れ行きがちょっとええねん。週にいっぺんくらい、うちの前であの着ぐるみ着て踊ってくれんか?」
「ちょっと、友春さん。」
なんやドキッとするなあ。
いくらビーコの身内みたいな人やていうても、一応お客さんやで。
お前の仕事あると、うちもなんや商売繁盛やで、と言う友春さんに、それなら良かったわ、と草若さんが笑った。
「海見て、喜代美ちゃんのおばちゃんのとこで新しい箸買って満足したから、焼き鯖食べたらとっとと大阪帰るわ。」
「まさか、日帰りの予定で来なったんですか?」
「今日はそうやねん。」
泊まってったらええのに、て思ったけど、今から宿取るとなると、どこがええんやろ。
こないだまでこの辺の一番のとこは、今は改装しとるし、二番のとこは、こないだ板長さんが金沢のホテルに引き抜かれてしもたからなあ。三番は……三番手なら、いっそビーコのおばちゃんの料理の方が、まだ家庭料理で美味しいような気がする。
スーパーで刺身とか買ってったら、お金も掛からんし。むき身の越前カニとかもう出てるんと違うやろか。
「……なんや泊りでふらっとどっか行ったら怒るヤツがいてるからな。」
そらまあ、そやろなあ。
「あれは長い家出でしたもんねえ。」
一年以上の不在。
草々さんへの気持ちとは違うんやけど、やっぱり凄い心配やねん、てビーコもえらい心配してたっけ。
「お前も、次からはちゃんと人に家出する~、て言っとけ。」と友春さん。
「ほれ、もう他にお客もおらんし、おまけしといたる。」と言って、焼き加減がいい感じの焼き鯖を出した。食べてみるまでは分からんけど、今日のはいい感じや。
「おお~、今日も美味そうやなあ。」
にこにこしてると、ビーコのお師匠さんの名前継ぐ前とほとんど変わらへんように見えるなこの人。
「今日はなあ、ちゃんと書置き残して来たから大丈夫や。」という言葉は、自分に言い聞かせるみたいやった。
草若さんはいただきます、と手を合わせて、友春さんの焼き鯖をお箸で食べ始めた。
お箸、……お箸。
エーコのとこ行ってお悩み相談してもええかなあ。
もしかしたらお義父さんとお義母さんに筒抜けになってまうかもとは思ってたけど、他に友春さんのダメさを分かって貰える人って、いそうにないし。
うちのお箸も、エーコのとこから新しいのまた貰って来よう。
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