5月新刊

 道誉一文字が顕現したのは冬がはじまって暫くした頃のことだった。年の瀬も迫った雪の降る日、陰鬱な色の空を吹き飛ばすような高笑いと共に、朗々と響く声で彼は名乗りを上げた。
「君が新たなビジネスパートナーかな」
 刀がビジネスとは、とその日に近侍を務めていた治金丸は一瞬疑問に思ったらしい。けれど既にこの本丸には迅速なソリューションでビジネス世界に革命を起こそうとしている短刀がいるのである。それならそういったこともあるか、とすぐに納得した。それから日に焼けた顔を綻ばせて自分よりも遥かに大きな太刀を歓迎し、道誉一文字も笑みを浮かべて戦場の先達へ殊勝な態度で握手を求めたらしい。
「オレはこの通り、どう見てもヤマトの刀の出で立ちじゃないだろう。実際新しい刀の顕現に立ち会うときは、みんな一瞬あれって顔をするんだよ。でも彼は何にも言わずに握手してくるから、きっと一癖ある刀なんだろうなと思ったんだけど」
「そりゃもう一癖どころじゃないよアイツ……」
「オレ相手だと全然、そんなことないんだけどなー」
 小竜景光がこたつの天板に頬をつけて突っ伏すと、治金丸の手が顔の前に剥かれた蜜柑を一房置いていった。行儀が悪いとは自覚しつつ、突っ伏したまま口に入れる。強い酸味が口の中に広がる。
「酸っぱいのよこしただろ」
「うん」
 悪びれもせずに治金丸が返事をした。声に少し笑いを含んでいる。小竜景光はそれ以上文句を言うでもなく、大人しく酸っぱい蜜柑を咀嚼して飲み込んだ。次の蜜柑が目の前に置かれる。
「珍しいことだね、小竜景光がそんなに新入りを気にするとは」
「俺はいつでも新入りには優しいだろ」
「うーん、でもこんなに気にしたことはなかったよね」
 もうひとつ口に放り込んだ蜜柑も酸味が強かった。治金丸の手もあまり進んでいない。ハズレの蜜柑だったらしい。
「だから今年は大雪なのかなー」
「大雪なのは毎年じゃないか」
 小竜景光も治金丸も、この本丸に顕現してからそれなりの年数が経っている。冬がはじまるとすぐに雪が降って、だいたいの場合はそれが春まで残っている。冬が来るのは早いくせに、春が来るのはゆっくりだ。長い冬はまだ終わらない。今日も窓の外では今日も雪が降っていた。幸い、二振りとも雪かきの当番の日ではない。こたつでのんびりと茶を飲んでいても咎めるものは誰もいなかった。
「早く春にならないかな」
「冬は好きじゃない?」
「嫌いってほどじゃないけど、毎日こんな天気じゃ気が滅入る。キミだって夏のほうが好きなくせに」
「オレとにーにーたちは冬の間は内向きの仕事ばっかりだからねー」
 治金丸が南訛りの口調で、のんびりと言った。
「ま、やっぱりオレたち夏が好きさー。でも、冬も嫌いじゃないよ」
「あんなに寒い寒い言ってるのに?」
「うーん。冬は、朝がいいなー。曇り空が少しだけ明るくなって、空気が凛と張り詰めていて。ヤマトの話にもそういうのがあったよね?」
「冬はつとめて、って?」
「そう、それそれ」
「あーあ、俺も誰かが炭を持ってきてくれるような身分だったら、もう少しくらいは冬のこと好きだったかも」
「それって、どのくらい偉かったらいいわけ?」
「正三位とか」
「オレの知ってる正三位は、毎朝雪かきをしているなー」
「じゃあ、駄目だな」
 治金丸が残った蜜柑をまとめて口に放り込んで、顔の真ん中にきゅっと皺を寄せた。あまりにも酸っぱそうな顔をして、そのくせ懲りずに次の蜜柑に手を伸ばすので笑ってしまう。
「手が黄色くなっちゃうぜ」
「オレは服も黄色いから目立たないのさ」
「その言い訳いいなあ」
「使っていいよー」
「使えるかなあ」
 次の蜜柑は甘いらしい。治金丸の顔が綻んだ。差し出された一房を受け取って食べると確かに甘い。当たりの蜜柑だ。
「それで、なんの話だっけ?」
「小竜景光は、道誉一文字のことが気になるんだねって話だよ」
「うーん、気になるっていうか、なんていうか」
「じゃあ、どうして顕現したときのことをオレに聞いたのかな」
「別にそんな……深い意味なんかなくて」
「うん」
「ないつもりなんだけどなあ……」
 道誉一文字と共に戦場へ出たのは、道誉一文字が顕現してすぐの頃のことだった。それまでは小竜景光の中で「この冬に来た新入り」程度だった一文字の刀への認識が、はっきりと「いけ好かない変なヤツ」に変わった。わざとらしい横文字混じりで話しかけられて、好き勝手言われて逃げるように離れた。結局、あれは何故話しかけられたのだろうか。
 小竜景光がかつて楠木正成の刀だった頃に、道誉一文字と顔を合わせた記憶はない。同じ戦場にいたことも、おそらくはない。元の主同士だって、交流らしい交流すらなかったのではないか。何故宿命の好敵手なんて呼ばれたのだろうか。佐々木導誉と楠木正成がライバルだなんて聞いたこともない。たしかにあの時代については残っていないことも多いが、それにしたって宿命なんてのは与太が過ぎる。そもそも楠木正成は戦働きで名を挙げて、佐々木導誉は足利政権の立役者として名を遺しているのである。活躍の場が違いすぎる。佐々木導誉はきっと戦では楠木正成に敵わなかっただろうし、楠木正成は権力争いにおいて佐々木導誉には敵わなかっただろう。
「わからないから、気になるのかもしれない……」
「やっぱり気になるんじゃないか」
「うまく言えないけど、わからなくて引っかかるから……だから考えてしまうの、かも」
「嫌いなわけではないんだろう?」
「いけ好かないとは思っているぜ。いきなり無遠慮に俺のことを暴こうとして、そのくせ勝手に納得して線を引くんだもの」
 道誉一文字は、今日は遠征に出ているらしい。顕現して暫くは経験を積ませるために遠征に出陣にと出ずっぱりだ。いない相手のことをどれだけ好き勝手言ってもどうせ聞かれることはない。
「どうしても心を許したくない相手がいるっていうのは、オレも……少しはわかるつもりだよ。うちの主も今のところは、それなら無理に近づく必要はないって意見だ。それが幸いなのかそうじゃないのかは意見が分かれるところだけれどね。でも、オレたちは戦をしているんだ。仲間割れして負けるんじゃあ、折れても折れきれない」
 そうだね、と小竜景光は頷く。もう一房蜜柑が差し出されたのでありがたくいただく。お茶を飲もうとしたら湯呑はいつのまにか空になっていた。急須の中を確認して、こたつの横のポットからお湯を入れる。喉を潤せればいいだけだから、入れ方なんか気にしないで自分の湯呑に中身を注いだ。ついでに治金丸の湯呑にも入れてやる。
「にふぇー」
「うん」
「小竜景光は、オレとは全然違うだろう」
「まあ……キミほど色々は抱えてはないつもりさ」
 治金丸がゆっくりと首を横に振った。
「うーん、少し違くてさ。こういう気持ちには大小も貴賤もないだろ。他所から見たら大したことなくても、自分にとっては大事なんだ。オレはさ、ただの刀には何もかもどうにもできないということをわかっているのに、わからないふりをして当たり散らして藻掻いているだけだ。オレたちは刀だ、人間に使われる道具。人間の都合でオレは山城国から琉球へ渡った。オレは……オレも、その時たまたまそこにあっただけ。それだけさー。オレたちは、かつての主たちに物語を貰って、物語をくれたひとびとを慕わしく思った。ただ鋼であった頃ならそれだけでよかったのに、何の因果か身体なんてものを得てしまった」
「因果かあ」
「宿命でもいいんだけどね」
「からかわないでくれよ」
「怒ったかい?」
「んー、蜜柑をくれたら許す」
 今まさに口の中に入れようとしていた最後の蜜柑が渡される。そのままもうひとつ剥くだろうかと手元を見たが、さすがにこれで終わりにするらしい。
「難しいものだね、人間の真似事って」
「うん……」
「顕現してもう何年も経つのに、侭ならないことばかりさ」
 ひとくち飲んだお茶はもうぬるくなりはじめていた。冬だなあとまた考える。このまま降り続けるのなら、当番じゃなくても雪かきの手伝いをしに行ったほうがいいかもしれない。治金丸もお茶を呑んでいる。向こうのお茶も冷めてきているだろう。じっと見つめていると目が合った。丸い瞳が緩んで笑った。
「柄にもなく色々語ってしまったけど、でもさ」
「うん?」
「心配いらないと思うんだよなあ」
「ええ、なんで?」
「だって寝ただろう」
 小竜景光は一瞬動きを止め、それから勢いよく身体を起こした。
「なっ、何、なんて!?」
「だから、共寝しただろうって」
 治金丸の声は完全に笑いを含んでいた。さっきまで少し寒かった背中に急に汗をかいている。動揺しきった小竜景光を前に、治金丸は堪えきれなくなって声を上げて笑った。小竜景光は焦って言い募る。
「ち、違うんだ。最初はそんなつもりなかったんだけどなんか、なんか雰囲気に押されて、いや合意だったんだけどそんなつもりじゃなくて俺は!」
「いけ好かない相手を抱いたんだ?」
「だっ、や、まあ、抱いたけど。そうじゃなくて俺は……」
「ふうん、なるほど。暴こうとしてきたのは向こうだけど、結局暴かれてしまったのも向こうということか」
「ねえキミそんなこと言う奴だったっけ? いや相談しときながらやることやってる俺も俺なんだけどさあ!」
「あはは、自分でややこしくしてしまったんだねー」
 治金丸が笑いながらこたつから出てくる。モコモコの分厚い靴下はパンダの柄だった。蜜柑の皮を片付けて、自分の分の湯呑を持つ。それから、小竜景光のぶんの湯呑も指差した。
「それも片付けてこようか」
「いや、自分でやるから大丈夫。……どっか行くの」
「このあと、脇差で集まって裏山でソリ滑りするんだ」
 だから着替えて外に行ってくるよ、と部屋を出ていくのを見送ることしかできない小竜景光に、治金丸は軽い口調で言った。
「たぶん、うまくやれるよ。大丈夫」
「いやでも……俺は別に彼のこと好きとかじゃ、ないし」
「本当に?」
「うん……」
「うーん、オレは言いたいことは全部言ったから、あとはもう知らないよ」
「薄情だ……」
 治金丸はやっぱり笑って「わいどー」と一言いって、軽やかな足取りで部屋を出ていった。あとに残された小竜景光はこたつに足を入れたまま床に転がる。板張りの天井を見上げてみても、現状はどうにもなってくれそうにはなかった。

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