人間の姿ストライキデー
「本日正午より、ストライキを決行します」
小鳥が囀る早朝。まだ薄暗い寝室に、ジュウォンの寝起きとは思えないはっきりとした声が響く。世界中のwi-fi を受信したようなジュウォンの寝癖を見ながら、ドンシクはベッドの中で「また始まったよこの子は」とぼやいて、汗ばんだ首元をぼりぼりと掻いた。
「一応聞くけど、それは何に対しての抗議? マニャン精肉店の待遇について? それとも日々の家事労働について? 確かに後者は俺の努力が足りないところもあるかもな。なんにせよストは権利だ。存分にやるがいいよ」
「いえ、どちらも違います。僕が抗議したいのは、この国の暑さについてです」
そう言ってジュウォンは、まるでベンツのシートのように静かに稼働しているエアコンを指差した。あまりにも静かすぎて、設定温度をいくら下げても涼しくならない。間違いなく壊れているのだが、連日の猛暑のせいで、注文した修理は二週間待ちだ。このままだと、地球もいずれウルフ星のように、液体でできた物体たちがぽよぽよと街を歩くようになってしまうかもしれない。4
ジュウォンの額から、ダラダラと汗が流れ続けている。そしてよくみると、その汗はうっすらエメラルドグリーンに光っている。
「もしかして若干溶けてる?」
「若干溶けています」
ドンシクは以前、ジュウォンが溶けて大変だったことを思い出した。グレムリンをミキサーにかけた時のような、緑色の粘質のある液体が、テレビ台の下に入り込み、ドアの隙間を通って廊下に流れ出た。ドンシクは警察官だが、なにせバラバラになった宇宙人の回収は未経験だ。全部拾い集めるのが本当に大変だった。正直、あの後ほんの少しジュウォンが痩せた気がしていて、まだ残りがどこかにあるのではと、ドンシクは疑っている。
「……まぁ、そういうことなら俺も手伝うよ。とりあえず青瓦台前まで行くか。新しい大統領は理系の人で、環境保護が専門だって……」
「いいえ。僕が放棄するのは人間の姿です。この暑さでは維持が難しい」
「なるほど。そういうこと」
言っている側から、ジュウォンの皮膚からどんどん汗のような何かが流れ出している。人間の想像力では限界があるが、それなりにしんどそうではある。
「正午なんて言わないで、すぐやればいいのに」5
ドンシクはジュウォンの頬に手を置いて、そう言った。ジュウォンの肌は火照って熱く、いつ全部溶け出してもおかしくはない。ドンシクの手を取って、ジュウォンが上目遣いに「だって」と言う。
「名残惜しいでしょう? あなたは僕の顔が好きだから」
「なっ」
ジュウォンが、あまりにも自信満々にそう言い放ったものだから、ドンシクは少々うろたえてしまった。しかし記憶をたどってみても、そんなこと言った覚えはない。
「あなたねぇ、そういう、ほら。不確かなことは言うもんじゃないですよ。まったく、人間を馬鹿にして。テレパシーだって使えないくせに」
「温度でわかります。知らないんですか? あなたと繋がってる時、僕の顔を見つめてる時のあなたの中……」
「ワーーっ!? ちょっと、なんてこと言うんだ朝っぱらから」
ドンシクは盛大に取り乱し、ベッドから飛び上がった。いそいそと起き出して脱出をはかろうとするも、ジュウォンに連れ戻されてしまう。
ジュウォンはドンシクの背中をマットレスに預けて、鼻先同士が触れ合う距離で、得意げに首をかしげてみせた。 6
「お昼まであと7時間ほどあります。今のうちに思う存分見るといいですよ」
「ほー、そりゃどうも。でもあなたのほうが持つかどうか」
そう言ってる間にも、ジュウォンの肌はぬるりとした液体に覆われていく。ジュウォンは自分の頬を手のひらで撫で「ダメかもしれないです」と肩を落とした。
「だよねぇ」
「すみません。あなたの好きな顔が」
「はいはいわかったよ! 俺の好きな顔がしばらく見られないなんて残念だよ。まったく、早くエアコンの修理に来てもらわないとな」
「そういうわけなので、しばらくそっちのほうもお預けですが。まぁ二週間ほどになりますが、それまではどうか……」
ジュウォンがそう言うのを遮って、ドンシクはジュウォンの頬にキスをしたあと、頬をつたう緑色の液体をべろりと舐め取った。ジュウォンが「ヒッ!」と声をあげ、ベッドの上でぽよぽよとした透き通った液体の塊になった。
「あぁ、ドンシクさん。すみません、僕」
「どうして謝るの。これがあなたの本当の姿でしょ? それに。知らなかった? 確かに俺はあなたの顔が好きだけど、こっちの姿も好きなんだよ」7
「へ?」
ドンシクはジュウォンの、おそらくは腹部に当たる部分に顔を埋めた。グミでできたクッションのような弾力で、ひんやりとして気持ちいい。よく耳をすますと、ドク、と規則的に心拍音のようなものも聴こえる。
「人間も宇宙人も、元を辿ればみんな一緒ってこと。あなたが言ってたんじゃない。人間の尊厳は人間の姿であることなのかって。俺もそうは思わない。だってあなたはちゃんとここにいるもの」
「ドンシクさん……」
液体が手の形となり、ハグをするようにドンシクを包み込んでいく。ドンシクはその体をぷにぷにとつまんで、「うん」と頷いた。
「まぁそっちのほうもさ、試してみようよ、いろいろ。俺二週間も我慢できないもん」
「……善処します」
ひんやりしていたはずの、ジュウォンの体の一部がじわじわと温かくなっていく。人間でいうところのヘソから下あたり。
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