2024/04/01 ヒュヴェル
「そういえばさ、王太子殿下って果物がお好きなのかな?」
「うん? なんでそう思ったんだ?」
マゼルが不意にそう言ったのは、アルデンホフの甥っ子への短剣を選び終わった後の帰り道のことだった。
「いや、ほら、誕生日に配られるのは果物でしょ?」
「あぁなるほど」
初代国王の即位日記念に配布されるのが初代国王が好きだったケーキなので、王太子殿下は。と思ったようだ。
「それは知らんが、案外かぶらないようにするためじゃないか?」
そもそも肉も果物も、庶民は毎日食べられるものではないからな。ありがたがってもらうにはいろいろと趣向を変えるというだけだろう。
――と、その時は俺も思っていたし、マゼルも「そんなものかぁ」と納得していたのだが。
あれからいろいろあって、そりゃもういろいろあって、こうして王太子殿下のプライベートな空間までお邪魔すことが増えてきた今日この頃。
目の前でつままれているソレを見て、マゼルの予測も案外間違ってなかったんだな。と思った。さすが勇者である。いや、何言ってんだ。俺。
「どうした、ヴェルナー」
「あぁ、いえ、お好きなんだな、と思いまして」
プライベートなためか卿をつけづに親し気に呼ばれ、俺も少しだけ砕けた口調でそう返した。先ほどから麗人が口にしているのは小さな赤い粒だ。艶々とした真っ赤な果実。前世ではイチゴと呼ばれていたものだ。俺も口にしたことがあるが、結構すっぱい。
「あぁ、口の中がさっぱりするからな」
酸味がお好みのようだ。俺が頷くと、ちゅっと、頬に唇が寄せられる。とっさに引けた腰が、たくましい腕に阻まれ、それどころか逆に引き寄せられた。
「貴殿も二つばかり持っているだろう?」
「っ!!!!!」
まるで口の中で転がすように舌を動かして見せた恋人に、この人もそんな下世話なことを言うんだなと思ったのが半分。わかってしまう自分も十分同類だと思った羞恥が半分。
真っ赤になっただろう顔を隠すように、立派な胸板に顔を寄せた俺は悪くないと思う。
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さて、その夜はまぁいろいろとありまして。正直ポーションを摂取してもしばらく腫れたようなゴホン、いやなんでもない。なんでもないぞ。
そもそもこの世界のアレが小さいのがいけない。前世でも商品化されたのが18世紀と遅いし、長らく機械化が難しいとされていているのだが、献上する分ぐらいはまぁ何とかなるだろう。
この国の気候は日本に似ているが若干雨が少ないといった程度。ただし渇水になるほどではない。おそらくは洪水だの土砂崩れなどの災害がないのもこれが関係してるんだろうな。今後はどうなるかわからんが。
そんなわけで、やってやろうじゃねぇか品種改良。イチゴ大国ニッポン出身者を舐めんなよ。
なんてやったのが数年前。研究者や農民のみんなが頑張ってくれて、無事にイチゴの品種改良は成功した。
「これが柔らかくて栽培が難しいですが、大きくて一等甘いやつですわ」
前世でいうところのあま〇うとかその辺の品種っぽいな。でかいしすっごい甘い。艶々してて宝石みたいだな。
「こちらは果肉は堅く、甘みもそこそこですが、その分輸送などには適しているかと思います」
そこそこっつっても最初の奴に比べたらってことで、十分甘い。噛みしめるときにグッっと反発がきた後にはじけるような歯触りはなかなか癖になりそうだな。
「こちらは小粒ですが甘みが強い品種になります。ただすごい柔らかいので輸送は難しいかと」
あぁたしかに。逆に領地でしか食えないとかでプレミア感出してもいいな。あとはジュースやソースに加工しちまうかだなぁ。
「こちらはすっぱいですね」
うんすっぱい。レモンほどじゃないし、それなりに甘いんだがなぁ。ジャムとかの加工はこの酸っぱさがいいかもしれない。
「こいつは、失敗ですね」
ごふっにが?! なんで?! 却下だ却下。こいつはなしで。びびったー。お茶サンキュー。
「こいつは栽培が難しくないですね。病気にも強い」
おぉ、こいつはまさにイチゴって感じだな。うん。
とまぁ、数種類が出来た。他にもいろいろあって、面白い。ひとまずいくつかゴーサインを出して、前世あ〇おうとジュースやジャムに加工したものをそれぞれ献上品として決定した。今年の陛下の誕生日はもうすぐだ。
現在はヒュベル陛下の誕生日に肉が、ルーウェン王太子の誕生日に果物が提供されているが、そこはこだわらないでいこう。
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ヒュベルトゥスは見事なガラスの器からそれを取り出す。
随分と付き合いが長くなっているのに、いまだにどこか慣れない黒猫のようなところがある|情人《こいびと》が正規ルートで自身の誕生日にと献上してきたものだ。
どうせならプライベートで持ってくれば、無粋な毒見を介さないで済んだものをと、らしくもない考えが一瞬でも過ぎるのは、彼が決してそんなことをしないと理解しているからだろう。
赤い、艶々とした一口で口の中に収めてしまうにはもったいないサイズのそれにかじりつく。途端にみずみずしい甘さが果汁とともに口の中にあふれた。
「ふふっ」
思わず零れ落ちた屈託のない笑いに、同じ部屋で控えていた友人がぎょっと目を見開いたのが揺らいだ空気でわかった。
「ど、どうした、疲れたか? 休むか?」
今日は朝から他国や同国内の貴族からの祝いで出ずっぱりであった。ようやくそれらすべてが落ち着き、しかしながら祝いの日だと言っても彼が処理しなければならい仕事がまってはくれず――むしろどす黒い腹の探り合いよりは事務処理の方がよほどましだと思う彼は相当なワーカーホリックなのだろう。
ともかく、そんな日であったから、護衛騎士として控えていたメーリングは真顔でヒュベルトゥスに休憩を促した。そんな彼に、ヒュベルトゥスは首を振る。
「中々に美味だと思ってな。食べたか?」
「陛下への献上品を食べるかっての、一粒食べた毒味がやたら物欲しそうな顔してるとは思ったが、それそんな美味いのか?」
「ああ」
しかも誕生日の祝いの品だ。しかも今ヒュベルトゥスが食べているのは本家であるツェアフェルト侯爵家からではなく、子爵家からということで個別に届けられたものだ。
記憶が正しければ生ものと加工されたものがあったと思う。今彼の傍にあるガラスの器にあるのは赤赤として見たことがないほど美しい果実だ。また何かあの子爵はやらかしたのか。と、メーリングは友人に翻弄されているようでいて振り回し返している青年を脳裏で浮かべた。
そんなメーリングに、ヒュベルトゥスは「一つ食え」と、器ごとこちらに差し出した。
それならばと、メーリングは躊躇いなく艶々としたそれを一口で口の中に入れた。あ、と、咎めるような視線をヒュベルトゥスが一瞬向ける。そしてメーリングもまたそのことをこの後に後悔することになる。
「っ―――――な、なんだこれ」
口の中ではじけたみずみずしい甘さと、適度な酸味。じゅわりと口の中を満たす果汁。一瞬硬直したメーリングは、名残惜しみながら、しかしながら骨身に叩き込まれた宮廷作法ゆえに口の中のものを飲み干してからそう呟いた。
「苺だと」
「い、苺ぉ?! 嘘つけ! お前が好き好んで摘んでるあの酸っぱくてちっさくて腹の足しにもならねえあれがこれなわけねえだろ!」
しかも果肉が柔らかいから魔道具で収穫することもできずに完全手作業。王族ゆえにそれなりに生産農家を保護してはいるが、それでもそう量が作れない。完全趣味の果物と言われている苺である。
信じられない。という顔をするメーリングに、ヒュベルトゥスはまた一つ摘まむと唇を釣り上げた。メーリングの視線が名残惜し気に器にあるのが愉快で仕方がない。
「子爵が手を加えるとそうなるらしい」
子爵が何を思ってこれを生み出したのか、十分すぎるほどわかってしまうメーリングは、「健気なことだな」と思いながらも、この結果の経済効果を考えると頭が痛いのも事実。だが自分は騎士なので、そういうことは目の前の男が考えればいいことだと思考を放り出す。
そんなことを考えていると、器が戻されていくのを思わず咎める。
「はぁ〜……おい、ケチくさい事するなよ」
「陛下への献上品は食べられないと言っていなかったか」
「撤回する、もう一個くれ」
ぬけぬけと強請るメーリングに、さすがにファスビンダーが待ったをかけた。が、それで止まるような男ではない。
「ファスも一つどうだ、驚くぞ」
メーリングの言葉にひょいっと、眉を跳ね上げたヒュベルトゥスが笑みを浮かべながらファスビンダーに器を差し出した。ファスビンダーも二人のやり取りに好奇心を刺激されたのか頷いて器に指を伸ばす。無骨なファスビンダーの指につままれた苺は余計に何ともかわいらしく映った。
「頂きます。……美味しいですね、とても」
「俺も」
「お前はもう終いだ」
「ケチかよ」
チッと行儀悪く舌打ちするメーリング。噛みしめるようにゆっくりと味わうファスビンダーにはもう一つあげたため、メーリングに最後までぐちぐちと言われることになるのだが、それはまた別の話。
ちなみに後日ツェアフェルト子爵本人もメーリングに絡まれることになるのだが、それもまたまだ先の話である。
この時献上されたイチゴはヒュベルトゥス陛下のお気に入りとなり、のちに正式に侯爵家より献上された苗は王室農園にて厳重に管理されたという。
その時につけられた品種名は、ヒュベルトゥス陛下のイチゴであるとしてヴェルナー・ファン・ツェアフェルトによって『|King of Sweet《あまおう》』と名付けられたという。
――『ツェアフェルト地方がいかにして豆と苺の産地となったのか』より抜粋。
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元ネタは🥞さんのつぶやき。
いつも素敵な妄想をありがとうございます❤
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