燐音がひめるから預かったT田への義理チョコ

 小さな包みを差し出すと、T田ちゃんは目をまん丸に見開いて首を傾げた。
「なんですか? これ」
「何ってチョコっしょ」
「……何か企んでらっしゃる?」
 完全に警戒した様子の彼は俺っちから一歩距離をとって言った。『りんねくん あやしい』と顔に書いてある。失敬な。
「俺っちのじゃねェよ。メルメルから」
「HiMERUくんから?」
「バレンタインの」
 そこまで言ってようやく合点がいったらしい。あからさまに表情が明るくなった。
「俺に? HiMERUくんが⁉ 俺に⁉」
「そう言ってンだろ、とっとけよおら」
 バインダーやらタブレットやらを大量に抱えた胸に、そこらのコンビニでも手に入るやっすいチョコ菓子を無理矢理押し付ける。ついでに言伝も。
「〝お口に合わなかったら申し訳ありません。いつもお世話になっているお礼なのです〟だってよ」
「は? 似てねえんですけど。俺の前でHiMERUくんの物真似しないでくださる⁉」
「うるせェな厄介ファンかてめェ」
 目の下に濃いクマを拵えたT田ちゃんは、喜びを噛み締めるようなニヤけたいのを我慢するような妙な顔をした。
「うわ嬉しい、うわ〜嬉しい〜! 今度会った時お礼するわ」
「気ィ遣わなくていいって言ってたけど」
「そう言われてもな……うぇへへ……。ともかくありがとう、HiMERUくんによろしく」
 多忙なディレクターさまは「もう行かないと。燐音くんもお疲れ」と早口で告げるとテレビ局の廊下を駆けていった。
「おうお疲れ〜」
 目に見えて元気になったあいつは午後の仕事を張り切ってこなすことだろう。俺っちに騙されてるとも知らずに。ひらひらと手を振りながら俺っちは、笑いを堪えるのに必死だった。



「──頼んでおいたもの、渡してくれましたか?」
「それなんだけどよォ〜」
 メルメルがT田ちゃんのために用意した高級チョコの小箱は、未だ俺っちの鞄の底だ。ちなみに今日渡したあれはパチスロの景品。悪りィがすり替えさせてもらったぜ。
「俺っちとニキにはブラッ○サンダーだったじゃねェかよ。不公平っしょ」
 気安さの表れだとしても雑すぎやしねェか。
 なお、こはくちゃんには話題のパティスリーで買ったとかいう焼き菓子の詰合せを贈っているのを見た。メルメルはあの末っ子を甘やかしすぎる。
「でもT田ちゃんは違くねェ? あいつ絶対勘違いするぜ?」
 そんでこれは建前。〝妬きました〟なんてかっこ悪くて言えやしない。
「今後の仕事をやりやすくするためなのですよ」
「納得いかねェっしょ……」
「何がそんなに気に入らないのですか。甘いものは苦手な方でしょう、天城?」
 そうだけどそうじゃない。おめェの本命チョコがほしい、だって俺っち彼氏なんだし。そんな子供じみた我が儘を恥ずかしげもなく口にできるほど、俺っちは大人になりきれてもいない。
 口ごもって視線を床に落とした。続く無言に気まずさが募る。ふとメルメルの手が伸びて冷たい指先が頬に触れた。
「チョコレートはありませんが──副所長に頼んで、俺とあなたのオフを合わせてもらったのですよ。来週、久しぶりにデートしましょう」
 弾んだ声。驚いて顔を上げると悪戯っぽくきらめく金色と目が合う。
「何か不満でも?」
「ないない、不満ないです」
「よろしい」
 こいつは俺っちの機嫌をとるのがどんどん上手くなる。くすくすと可笑しそうに笑う恋人を抱き締めてほっぺたにキスをした。チョコレートひとつで想いを測ろうだなんて馬鹿な妄想はさっさと捨てて、今からこの男を満足させられるお返しを考えた方がよっぽど利口だろう。
「──ふふ。あなたにも可愛いところがあるのですね」
 そう小さく零すメルメルには恐らくぜんぶお見通しで。
 これは後日知ったことだが、あの時すり替えた小箱の中身は俺っち好みの洋酒が入ったボンボンショコラだったのだ。ニキに聞いたら入手困難な超人気商品だとか言っていた。
「どこまで計算してたんすかねえ。恐ろしい子っす」
「ほんと、敵わねェよなァ……」
 口に放り込んだカカオ何パーセントだかのビターチョコレートは、過剰な幸福物質で馬鹿になった脳にはひたすら甘く感じられた。舌の上で転がしてコクを楽しむ間、ふと思い立つ。
「今度T田ちゃんに詫びチョコ渡すから作れよニキ」
「なんで僕が理不尽バカップルのフォローしなきゃなんないんすか?」





(2022年バレンタインチョコボックスからのお題)

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